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第三話「どうして僕らが生きている」

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 里崎若菜が両親を殺して失踪した。

 それはそれとして、この辺りで軽く自己紹介でもしておこう。
 僕の名前は狩野浩介(かのう・こうすけ)、十五歳。小説家の叔父と共に、築六十年のあちこち崩れそうな古い一軒家で暮らしている。両親は五年前に自殺。叔父に言わせると「人生に希望を持っていた人たちだったからね」だそうだ。

 叔父は幼い頃から文才に恵まれ、作文コンクールなどの常連、大学在学中に短編小説の賞を受賞して文壇デビュー。多くを期待され、背負わされ、そしてそれらにうまく応えることが出来なかった。
 デビュー後は勉学に励むことなく遊び呆け、大学も中退。世間に注目されているうちに作品を量産すべきだったのに、自身の好みに拘りすぎて機を逸した。時折文芸誌に作品は載り、同業者や一部の評論家に評価されたが、幻想的ではあるが救いのない、読む人を一切幸せにしない彼の作品は一般読者にはほとんど受け入れられることはなかった。デビュー作以後は一冊も本が出ないまま、世間から忘れられてしまった。それでも生活も作風も改めることをしなかった叔父はものを書く以外の仕事をしようとはせず、姉夫婦である狩野家の庇護を受けて暮らしていた。
 
 僕は両親の死をうまく悲しめなかった。二人が各々の勤めていた会社からほぼ同時期に解雇されたとはいえ、蓄えにはまだ余裕があり、僕という息子もいた。似たような状況で死んでいく人はいくらでもいるが、死んでいない人もまたいくらでもいた。物言わぬあちら側の住人となった二人の死を、僕はその他大勢の人たちのものと同じように受け止めた。彼らが抱えていた希望に僕は入っていなかった。僕が彼らを養えるほどの人間になるとは思われていなかった。彼らは自分たちの人生に希望を持ってはいたが、それは僕に託されることはなかった。

 叔父の作風が変わったのは生活上の必然からだったかもしれない。あるいは、姉夫婦の好意により安楽に生かされていた彼が、ようやく現実に目覚めたのかもしれない。
 叔父は幻想の世界から縁を切り、この国の現状を淡々と書き始めた。身近な人が躊躇いなく命を断っていく惨状を。将来の夢と言われても答えることの出来ない、暗い目をした子供たちのことを。生きたいと強く願う少数派の人たちが生き生きと犯罪に手を染めていく有様を。
 暗すぎるとか、こんなことを書いて何になるといった手厳しい批判の中、叔父の作品は外国人翻訳者の目に留まり、日本よりむしろ海外で広く知られるようになった。同国人からすれば目を背けたくなる現実でも、海外から見ればそれはファンタジーに映るらしく、「ジャパニーズ・マジック・リアリズム」などと持て囃された。

 まあそんなわけで僕は叔父の恩恵を受けて、古屋ながら高い家賃を毎月払う必要のない家に住んでいる、今の時代ではどちらかというと幸せ者なはずなのだけれど。
 書くものが改まっても叔父の性格は変わらず、ギャンブルと女に収入のほとんどを注ぎ込み続けている。僕の保護者という立場がなかったなら、最低限度の金を家に入れるということすら忘れて、とっくに破産していたかもしれない。というよりも僕のために取り置いていたはずの金を使わなければ、叔父の食費が足りなくなることすらある。おかげで僕はこの歳でアルバイトを二つ掛け持ちしている。経済的に僕を支えてくれている叔父を僕が経済的に支えるために。

「すまない、本当にすまない浩介君。書斎の蛍光灯が切れているんだ」
 最近僕に小銭を借りに来た叔父の台詞だ。蛍光灯を買う金すらない、と堂々と宣言出来る叔父には悪気などないのだ。
 書斎に籠もって一日中原稿用紙に立ち向かう、という姿勢は結局三十分も持たず、居間や台所や便所や洗面所や風呂場に居座り、画板に留めたA4のコピー用紙に彼は汚い文字を書きつける。縦にまた時には横に、メモも小説もごちゃまぜにして書いていくのが彼のスタイルで、パソコンで清書する作業の前にはいつも混乱している。
「こんなことじゃ駄目だ、書斎で根気良く書き続けるんだ」と叔父は何度も誓うが、そんなやり方をしたら世に認められる作品は書けていなかっただろう。僕を引き取ることなど出来ず、僕の知らないところで野垂れ死んでいたかもしれない。僕もどこかの路上で凍えて座り込みながら小さくなって同じように。

 叔父についての長い話をするのはまだ先のことなのでここではこれ以上触れないでおく。


 話は里崎失踪の少し前に遡る。
 学校生活において僕は里崎の姿を眺めることが多くなっていた。それは噂に左右されての低俗な興味からではなく、要は死にそうなくらい退屈な授業や休み時間を、とりあえずは死なないで済む程度の退屈に抑えるくらいの暇潰しが目的だったのだけれど。


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