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第四話「『コンビニ細山田』は夜九時で閉まる」



「夏が延びているから書けない。気分転換に涼しい所へ行ってくる」と言い残して競艇場へ出かけた叔父は当り前のように負けて帰ってきた。


 率直に言うと里崎若菜は美人ではない。

 少なくとも、命の大切さを訴え、愛を歌い上げ、却って世の中に憂鬱をばらまいている、作り笑顔のアイドルたちのような可憐さはない。
 一重まぶたで鼻はやや丸く、目の下には隈が出来ていることがある。長いスカートで隠された脚の下はさらにニーソックスで覆われており、素足を見ることは叶わない。
 昔よりも長い夏の間に女生徒たちのスカートは短くなり、売春婦になる予行演習のように太ももを露わにし、鮮やかな下着を見せびらかすものも出てくる。そんな彼女らと違って里崎の脚はあまりに見えなさすぎた。まるで何かを隠しているかのように。

 彼女も教室に一人でいることが多かった。誰とも話をしないというわけではないが、仲間と呼べるような人はいないらしく、トイレへと集団で向かったり、大勢で弁当を食べたりといったことはしていなかった。
「さとざぃ」
 故人である橋本先生の声を思い出す。生徒に呼びかける際、最後まで発音するのが面倒なように、語尾をいい加減に発声する人だった。「かろぅ」「なからぃ」「あいかー」「いしはぁ」どの生徒のこともどうでもいいと思ってそうなその口調の端々に、里崎への偏った愛情が籠もっていなかったかを思い出そうとした。
 だけどどの声もただだるそうなだけで。まばらな髭を生やした橋本の顔を長く思い浮かべているのは苦痛でしかなかった。もしも彼に里崎が抱かれていたらと想像しても、上手く興奮することも出来なかった。
 今に始まったことでもないけれど。

「コンビニ細山田」は夜九時で閉まる。店内には生活上最低限度必要なものくらいしか置いておらず、今でも二十四時間営業している大手のコンビニエンスストアと比べると恥ずかしくなるくらいみすぼらしい小さな店だ。店舗兼自宅となっている二階では、大家がエロBD(ブルーレイ・ディスク)の違法コピーに勤しんでいる。最近ではほとんど売れなくなってしまったそうだけれど。父と友人だったツテで働かせてもらっているが、この店はいつ潰れてもおかしくはない。
 そんな店に里崎が現われ、店にあるだけの生理用品を買っていったのだが、彼女は僕に気付いた様子はなかった。今思うとあれは彼女が自分のために買ったものではなく、殺した両親の血を吸い取るために使ったのであろうと察しが付く。
 彼女が選んだのがこんな寂れた店なんかでなければ、もっと大量の生理用品や、消臭スプレーなんかも買っていけただろうに。

「コンビニ細山田」で彼女を見かけた翌日の朝、教室はいささか不穏な空気に包まれていた。長い夏が過ぎ去り、少し涼しくなってきたとはいえ、夏の残した熱気はまだあちこちに漂っていた。それらが徐々に臭気を膨らませていったのか、嗅ぎ覚えのある臭いに僕らは胸が悪くなった。一週間前、中谷が死の際に飛び散らせた大量の血の臭いにそれは似ていた。
「里崎さん、血ついてるよ、大丈夫?」
 目聡い女子の誰かが言った。
 里崎のスカートは確かにいつもより黒く染まっていた。
「うん、私のじゃないから」
 そう言って里崎はハンカチを取り出してスカートを拭こうとしたが、その前に既にハンカチは赤黒く染まってしまっていた。
 そうして臭いだけではなく目に見えるものと認識してからは、彼女の髪にも鞄にも靴下にも、血がこびりついているのを見つけることが出来た。
「ごめん、トイレ行ってくるね」
 誰への謝罪かよくわからない言葉を残して、里崎は教室を出た。

「里崎さんは休み?」
 朝のHRで日高が出欠を取る頃になっても里崎は戻って来ず、生徒から彼女の不穏な態度を聞いた日高が里崎家を訪ね、そこで彼女の両親の刺殺死体を発見した。
 以来、彼女は行方知れずとなっている。
 世間的には。

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