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08.見えない抜け道

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 三日目の深夜――勝負終了の夜明けまであと数時間となった頃。
 金が尽きた雀奴たちが帰らなくなった。疲労で眠りこけてしまったのだ。
 旅館の大部屋といっても差し支えない和室はいまや金と体力を奪われた男たちの身体でひしめき合い、その間に雀卓が埋もれている有様だった。汗臭さと呻き声は止まず、打ち続けている八人も顔面にドクロが重なって見える。
 天馬はもう、何も考えてはいなかった。ただ打つ。それだけ。二卓は常に埋まっており、もう外ウマなどを仕掛けて外貨獲得を挑むこともできない。できることはただ、打ち、打ち、打ち、そうして勝つか負けるか。
 残っているメンバーは天馬、白垣、烈香、進藤、マッキー、芳野、ノッポ、丸刈りチビ。今、天馬と卓を囲んでいるのは烈香、進藤、マッキーの三人だ。
「ロン――千五百」
 天馬の先制リーチを喰いタンで凌いだのは進藤。
 がしゃっと手牌を崩して点棒を払った。高め三色のメンタンピンだったが、どうもチグハグになってしまっている。自分の手と他家の手の進みが拮抗しており、先制したとしても追いかけられたりかわされたり、一方的な攻撃へと転じてゆけない。そうしてチャンスを潰され、次局クズ手をいじくる羽目になる。
 天馬にとって誤算だったのは烈香の想像以上の怜悧さにあった。あれだけの屈辱を与えたのだから、もっと頭に血を昇らせてカッカと荒い打牌をしてくれると期待していたのだ。ところが彼女は先ほどとは打って変わって静かに顔を伏せている。
 麻雀で人を殺したい、という夢は伊達ではないらしい。彼女のペースを崩せなかったことが、どうにも天馬には不吉の予兆に思えるのである。
 一度ハコテンにしてやったものの、彼女はそれから連勝を重ねてあっさり復調してしまった。
(ラスボスをヒットポイント一桁まで追い込んだら、全快魔法を唱えられちまったようなもんだな。キツイったらありゃしねえぞ――)
 もはやどう転んでも彼女を夜が明けるまでに打ち破る方策が思い当たらない。ツキもどんどん落ちていく。
「ロン――八千」と烈香。
 まだ五順である。白チャンタイーペーコーでマンガン。
 天馬は眉間に深いしわを刻みながら、かさの減った点数入れの中を睨んだ。
 この面子ではもう出アガリは期待できない。かといってツモれる力もない。老いて死ぬ獣はこんな気持ちだろうか。足掻いてやろうと気合を入れても来る手はますます悪くなる――
 ラスを喰った次の半荘、南三局。
 天馬はまたも四位に落ち込んでいた。けれど進藤も悪く、二人とも一万点を割っている。対して烈香のツキ目が終わらない。リーチをかけるとどんな待ちでもツモってしまう。
 しかしその種は割れていた。ガン牌である。三日間、絶え間なく打たれ続けてきた牌は汗でぬめり、ぱっと見てわかるガンがいくつもついている。
 だが、どれも傷自体は似たようなものだ。実戦で使うには心もとない手がかり。疲労だって溜まっていて判断力は誰しも低下している。
 そういう悪状況下で普段の自分の力を発揮できる烈香に、天馬は心底脱帽した。
(焦るなよ。今はなんとしてでもラスを回避することだ。ジジイくせえ考え方といわれたって構わねえ――)
 十二順目、ようやくテンパイ。
27, 26

  

 役は高めのダブ南のみ。ドラ3だが、これは出ない。リーチをかけて、高めか低めかをツモるしかなかろう。
 ちらっと天馬は親番の進藤を見やった。子のマンガンなら進藤は耐えうる。しかしリーチをかけ、高めの南を打たれたら一万二千でハコらせてしまう。二位とは一万五千差でハネマンでは浮かぬ。どうすべきか。
(ダマで高めを進藤から狙うべきか……? 親なら全ツッパしてきて当然)
 だが、どうしても進藤が全ツッパするイメージが湧かなかった。それよりも天馬のリーチを空振りに終わらせ、次局、マンガンツモで三位を確定させる方が現実的だと考えるのではなかろうか。沈みだが、ここでハコテンを割るよりはいい。ラスさえ凌げば、トップ一回でお釣が来るのだ。
「――リーチッ!」と天馬は千点棒を放った。八人になった頃から、レートは十倍になっていた。二千円のリーチ棒だった。
(高めツモ、裏がひとつでも乗れば四千八千。来いっ……ダブ南っ……来なけりゃてめぇ、二度と使えないように粉々に砕いてしまうぞ!)
 あっさりとオリていくマッキー、烈香、そして、進藤が一発目に南を打った。
 天馬は息を止めて、その牌を見つめた。

 この停滞で南が天馬のアタリ牌であることは誰の目にも明白。もっとも見逃せばフリテンなのだから他家からアガることは不可能だが。
 アガるべきだ、と思った。しかし裏が乗らなければ三位で終わる。
 次のツモで最後の南を引けて倍満ツモかもしれない。トップが転がり込んでくるかもしれない。その欲望に天馬はギリギリまで拘泥した。
(やつならどうするだろうか。やつなら――)
 白い人影が脳裏をよぎった瞬間、天馬は手牌を倒した。
「ロン、リーチ一発ダブ南ドラ3――裏なし、か。一万二千」
 振ったにしては軽やかな所作で進藤は点棒を放った。
「俺ならヤミテンにするか、アガらないな」
 本心かどうか、進藤がそういってきたが天馬は首を振った。
「これがオレのやり方だ。そのやり方を曲げることだけはしたくねえ。たとえ次のツモが南だったとしてもな」
 卓上に札束が散らばる。元は足元で転がっている敗残者たちの金だ。
 進藤がすっと席を立ち、帰り支度を始めた。
「どこいくんだ」
「どこも何も決まってる。帰るんだ」
「帰る――?」とマッキーが眉をひそめた。「おまえはまだ、ハコテンじゃねえだろ」
「いいや、もう終わったよ。そら、見てみな。くれてやる」
 進藤が卓に財布を放った。マッキーが手を伸ばし、バリバリとマジックテープをはがして逆さに振ったが、五円玉ひとつ転がり落ちてこなかった。
「勝ってたように見えたかもしれないけどね、みんな人が勝ってるのはよく見てるだけだ。負けてるやつのことなんか無視する。ひどい話だ。博打なんかやるものじゃないな」
 そういって、疲れを感じさせない足取りで進藤は帰っていった。
 もう一卓はまだ打っていたので軽く視線をやる程度の反応だったが、取り残された天馬たちは半ば唖然として顔を見合わせた。
「三人じゃ仕方ねえな。サンマでもやるか」とマッキー。
「やだ」と烈香は即答。むすっと唇を引き結んで断固拒否の構えだ。心変わりはするまい。
 別卓が終わり、丸刈りチビが畳にどうっと倒れこんで鼾をかき始めた。彼もハコテンを割ったのである。
 ところが、眼鏡のノッポも三位でハコテンだというのだ。
「僕は残ってはいたけど、いつも原点すれすれだったんだ。プラマイゼロだったんだよ。レート上げられちゃったら、三位沈みでも飛んじゃうよ」
 そういって引き止める間もなく帰ってしまった。白垣はノッポが捨てていった空の財布を掴み上げ、同じく進藤のそれをかかげた天馬と目を見合わせた。
「ええと、じゃあ、これで五人になったのかな? 僕、天馬、烈香、牧原先輩、芳野か――」
「時間もねえし、どうかな、五人打ちをやるというのは」と年長者のマッキーに皆の視線が集まった。
「振ったやつが抜けるんだ。ツモは交代なし。アガリ点はその場で現金清算。これで五人で打てるぜ。半荘交代じゃケリがつくまい、時間的に」
「三日間で区切らなければいい。このまま誰かひとりになるまで打ち続ければいい」
 この主張は当然烈香のものだ。だがマッキーは首を振った。
「最初に三日と決めた以上、ルールは厳正であるべきだ。ダブロンと頭ハネが混在する決めなんかないだろ。最初に決めたことがすべてだ。そうじゃなくっちゃ何もかもがおかしくなる」
 こういう時、年長者であり雀荘のマスターの息子という肩書きはものをいう。彼は場をまとめ上げ、そうして始まった五人打ち、開局一番に親の天馬のリーチにあっさりと振った。
「ああッ! くそ、ひどいな、俺も飛んじまった。ここまで残ったっていうのに」
「おい」天馬の顔が恐ろしい形相になった。「ふざけるなよ、この面子がたかが親満一発でハコるわけねえだろ」
「だってないものはないよ」
「どっかに隠してやがるんだ。服を脱げよ」
「やだよ。女性だっているんだぜ。紳士的に扱ってくれよ」
「オレは十分紳士さ。隠された金の所在を解明しようとしてるんだから」
 白垣もこの意見に賛同し、顔を背ける烈香の前でマッキーは裸に剥かれたが、やはりどこにも金は持っていなかった。
「だからいってるじゃないか。こんな敗者に鞭打つような真似をして。おまえたちはろくでなしだな」
 制服を着こんだマッキーはさっさと出て行ってしまった。
「天馬、今いくら持ってる」と白垣が、閉められたばかりの襖を見ながら聞いた。
「いわない。ハコテン近かったらオレが狙われちまう」
「それもそうだね」
 しかし天馬は、その時ようやく事の次第に気づいた。
 デスマッチである以上、途中棄権は許されない。しかしそれでは一位を取る以外で勝つ方法がない。
 出て行くためにはハコテンを割らなければならない。
 しかし負けて出て行くなんて誰もやりたいはずがないので、なんとかして金を握ったまま退散したい。
 勝ち組だった進藤、ノッポ、マッキーは何を思ったか。
 天馬は帰っていった薄笑いたちの姿を思い返した。
 たとえば、誰かひとりがハコテンになり出て行った後、勝ち組はすぐに追いかけ、自分の勝ち金を預けてしまう。その金はあとで決められたとおりに分配することになっている。
 そうして勝ち組は戦場へ戻り、表向きは負けてみせ、財布の中の金を空っぽにしてしまう。別に構わないのだ。もう十分に稼いだ後なので、それぐらいの支出は脱出費用のようなものだ。
 後には勝負に拘ったバカ四人が残される、という寸法。
 天馬は、この勝負が始まってすぐに知り合った進藤の顔を思い出した。
 このデスマッチ離脱策を誰が思いついたのかわからない。最初から仕組まれていたのか、それとも咄嗟の閃きだったのか。出て行った三人が共謀していたのか、それぞれ分かれていたのか、それもわからない。
 しかし天馬の脳裏を占めていたのは、あの怜悧さでできたような進藤の澄ました横顔だった。
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