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15.Thief and Sheep

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 俺は雨宮と向かい合っていた。
 カガミは――もちろん娘の方だが、台所へいって飯を作ってくれているらしい。
 夕飯はカレーがいいと言ってみたら「善処します」と怒ったような例の顔で快諾してくれたので、胃もたれしそうだからやっぱいいと言い損ねた。
 まちがいなく美味いんだろうが今夜は重たい内臓を抱えて眠らなくっちゃならない。
「カレーか――」異国の言葉を弄ぶような口調で雨宮が言った。
「久々すぎて味を忘れちまったぜ。どんなだったかな」
「甘いんだよ、リンゴが入ってるからな」
「チョコと牛乳も入れるんだっけか?」
「僕知ってるぜ。本に書いてあった。カレーの色はチョコの色なんだろ?」
「うん、すぐ虫歯になりそうだな」
 こうして平静に会話を交わしていても、俺はこいつらに素粒子一個分ほども気を許していない。端からはそうは見えないかもしれないが。
 ヒバリが雨宮にまとわりついている。
 こいつらは俺にとって敵だ。だが、今は利用してやってる。それだけだ。
「ところで天馬――」襖越しの夕日が雨宮の顔に当たっている。
「この家のヘンテコな由来は前に話したとおりだ」
「カガミの爺さんがキチガイ科学者だったってんだろ」
 そもそも雨宮がやけに事情に詳しい原因――カガミの父親が雨宮家と懇意だったらしいことも、イブキのラーメンを食いながら聞いていたことだった。
「そこでだ、最終確認したいんだが、おまえはカガミのことなんてどうでもいいんだよな?」
「――――」
 俺は湯飲み茶碗に映ったゆがんだ自分の面を見た。
「そんなことはない」
「嘘をつけ。おまえはこう思ってるんだ。
 俺にはわかる――正直いって、ここんちは面倒な家柄だし、親父は怖そうだし、いくら美人とはいえめちゃくちゃに好かれるのも拘束されてわずらわしい。
 せっかくこの俺から生き延びられて、平和な暮らしってやつを受け入れてもいいかな、と思ってきたのに、非日常にぶら下がったままのやつを相手にしてたんじゃあ、いつまでたってもマトモになんてなれやしねえ。
 そうともカガミは、おまえにとって邪魔なんだ」
 アーモンド形の大きな目が笑んでいた。やつは煽っていた。
 それがわかっていたから、俺は茶碗を握り締めた。冷たい。
「だから、俺の提案にいつまで経っても乗ってこないんだ。そうだろ? それとも俺のやり方に何か不満でもあるっていうのか」
「――――おまえに俺の気持ちはわからねえよ」
「いいや、わかる」
 雨宮の笑みが消えた。研ぎ澄まされたやつ固有の気配が和室にぶわっと立ち込めた。
「俺とおまえは似てるんだ」
「おまえ、熱あるぞ」俺は首を振った。「でなけりゃおまえは雨宮じゃない、よくできたニセモノだ」
 膝を抱えて、男二人の口論手前の掛け合いを聞いていたヒバリがぴくんと耳を動かした。雨宮は気づかなかったらしい。
「もちろん、昔はてめえなんか歯牙にもかけなかったが――」
 しばらく、誰も何も喋らなかった。雨宮は何か考えているらしい。
「俺はシマに会うまで」
 雨宮が言った。
「勝ったことしかなかった。まァ、気に食わないことがなかったわけじゃねえが、それが無視できるくらいには勝った。勝ちまくった。
 この世の幸せってやつを根こそぎかき集めたよ。実際、その毎日は悪いもんじゃなかった」
「それが悪いなんていったら、どこにも救いなんかねえだろう」
「そうだな――。だが、俺はてめえに負けた。負けっぱなしのてめえに、生まれて一度も他人を自分の力で圧倒したことなんかねえ、てめえに、だ」
「奇跡だった」
「そう、百年に一発あるかないかのミラクルだったな。おまえが俺に勝つなんてことはよ――」
 皮肉げに雨宮の口の端が引きつった。
 それは、どっかにぶっ飛んじまった左腕の怨嗟の声だったのかもしれない。
「だが勝ちは勝ちだ。
 ――なァ、最近思うんだよ。ずっと勝ってたやつと、ずっと負けてたやつ。
 そいつらが、同時に、今まで味わわなかった方の道の土を踏んだのが、あの日なんだ。
 それで何も変わらない方がおかしいと思わないか」
「何が言いたい。はっきり言えよ」
「俺にはおまえの、気持ちがわかる――ふふふ」
 耐え切れず、俺は立ち上がって部屋の奥の暗がりへいった。襖に手をかける。
「無理するな。カガミはおまえの手には負えん。
 さっさといい思い出にしてしまえ。
 奇跡はずっとは続かない。この俺のようにな」
 知ってるぞ――その声が、俺の胸の中を反響しやがる。




 闇雲に屋敷の中を彷徨った。
 本当に誰もいない。よく掃除された使うもののない部屋を通るたびに、廃墟の神聖さを感じた。
 いくつめの廊下の角から顔を出したところだったか、カガミの親父とばったり出くわした。
 やつは紺色の和服の袂に手を入れて、俺をしげしげと見下ろした。
 二メートル以上ある体格はそれだけで威圧感を受ける。
 俺は身を固くした。
「ええと――誰だったかな、あれ、坊ちゃん?」
 そこで俺は、あ、と気づいた。
 そのとき、ちょうど俺の左腕は、L字廊下の死角に入り込んでおっさんの視界には入っていなかったのだろう。
 俺は一呼吸、たっぷりと若々しいおっさんの面と見つめあってから、口を開いた。厳かに。
「坊ちゃんはやめろって言ってるだろうが。いい加減にしとけよ、てめえ」
 おっさんは照れたように頬をかいた。
「ああ、すいません――坊ちゃん、少しご機嫌が優れないので?」
「おまえの図体がでかいからだ」
 俺は雨宮を思い出しながらセリフを作った。
 さて、こんな風でよかっただろうか。誰かに採点してほしいところだ、そう、イツキあたりに。
「そんな殺生な――ではせめて、今夜はあちこちから博打好きの老人が集まりますから、そのときに何かお好きなものを取り寄せましょう。
 何がよろしいです? お寿司はどうです?」
「ふん、当たり前だそんなもの。それより喉が渇いた。酒を持ってきてくれ。いつものやつ、わかるな?」
「はいはい。やれやれ痛い目にあって、少しは反省なさるかと思えば相変わらずですなァ坊ちゃんは。少々お待ちください、今お持ちしますよ」
 男がいなくなると、俺の背からどっと冷や汗が出た。
 ふん、涼しくってちょうどいい。別に強がってるわけじゃない。ホントだぞ。
 俺は漂い始めたカレーのにおいを辿りながら、元いた客間を目指した。
 飴のようにてかてかしている廊下を見ながら、大男のことを考える。







 雨宮の紹介通り、カガミの父親は相貌失認だった。

 先天的なものらしい。人の顔が識別できない病気だ。
 だが、相貌失認であっても親しい人を見間違えることはほとんどない。普段の動作や着ている服装などで判別できるからだ。
 俺は雨宮とほぼ同色の自分の服を襟元を正した。
 雨宮と俺の違いを区別できなかったのは、やはり俺とやつが似ているからなのだろうか。
 肉体や能力ではなく、かつて長い時間を共に過ごした、その精神が。
 あるいは、と思う。
 カガミの親父にとっては、人間なんぞ、興味のない存在なのかもしれない。
 戦闘機に興味がない人間にとって、戦闘妖精も旅客機も同じ空を飛ぶモノでしかないように。
 価値は生き残った毒虫、たった一匹に与えられる栄誉。
 それ以外は塵芥。
 勝つこと、それがすべて。勝てばいい。ただ勝てば。
 少し前なら共感できたかもしれない、その考え方が、今の俺にはどうも落ち着かない。

 やっぱり似てねえよ、俺たちは。
 なァ雨宮。



 俺はこんなにも甘いんだから。
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