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ばった食堂

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「お…く……てつ…ん……」
僕の名前を呼ぶのは誰だ…

「テツ……テツ…」

凉樹…?凉樹なのか!?

「……く……ん……鉄男くん?」


ハッと周りを見た
凉樹はいない
髪をポニーテールにまとめた少しぽっちゃりした女性がこっちを見ている。
「あいかわらずボーっとしちゃって」
その女性はクスッと笑うと『ばった食堂』と書かれたエプロンで手を拭いた。

「すみません京子さん」
ぼくが軽くうつむくようなお辞儀をすると
「いいのよ別に、世間話しようと思っただけだから」
僕はもう一度軽くお辞儀をした。
「相変わらずの雨ねぇ…いやだわぁ…客足が減っちゃうじゃない」
京子さんは少し店の扉を開けると はぁ とため息をついた。
しかし思い出したように「ま、もともとお客さん来ないしいっか!」と言いながら振り向いた。

確かに…客は少ない…

大学を卒業した僕は大学近くの定食屋でバイトをしていた。

凉樹が行方不明になってから僕はありとあらゆる場所を探しまわった。
しかしどこにも凉樹はいないし凉樹がいた痕跡すら無くなっていたのだ。
しかも誰も凉樹を覚えていない。
まるで世界から凉樹に関するものすべてが抜け落ちてしまったように。

抜け殻みたいになった当時の僕は大学近くの定食屋に行った。
凉樹とよく行ったあの定食屋だ。
僕は半ばあきらめてハンバーグ定食を頼んだ。

凉樹との思いでだって数えるくらいしか覚えていない。
もしかして凉樹はぼくの幻覚だったのかもしれない。
このまま忘れてしまえば楽なのかもしれない…
もうやめよう、もうこれ以上…

「あら、きょうは一緒じゃないのね あの娘」

なんでもない一言が僕にはうれしくてうれしくてたまらなかった。
彼女は、凉樹は、この世に存在したんだ。
それだけが嬉しかった。

ハンバーグ定食を持ってきた京子さんの一言で僕は救われた。
その日から僕はこの定食屋住み込みで働く事にした。
もしかしたら凉樹が定食屋のドアを開けてひょっこり現れるかもしれない。

そのドアをさっきから開けたり締めたりしている京子さんは空を見上げながら「いやねぇ…」
と言った。
「そもそもお父さん」急に京子さんが少し大きなトーンで話す
「ばった食堂なんて名前がいけないんじゃないの?虫よ?虫!」

「んー」
厨房の奥からのんびりした声が聞こえる

「俺は好きだけどなぁ…なぁ鉄男君?」


その言葉を遮るように京子さんが喋りだす
「バッタっていいイメージないのよ!だって食堂よ!食堂!近所の子供達がなんて言ってるか知ってる?ボッタクリ食堂よ!ボッタクリ食堂!そもそもねお父さん食堂なんて今時流行らないんだから、向かいの中華屋さんなんてこの前テレビで特集されたのよ!ねぇ!聞いてる?そうだうちももう定食屋なんてやめてラーメン屋さんにしましょうよ!うちにもあるじゃないラーメン定食!メニューを減らしてちょっとお洒落にリフォームするだけでたっくさんお客さんくるわよ!あ!でもね!バッタラーメンなんてそれこそ駄目よ!お父さん!ねぇ!お父さん!?」

相変わらず京子さんはよく喋る。

「んー」
また奥からのんびりした声が聞こえる

「じゃあなんて名前にすりゃあいい?」
京子さんは少し考えて手をポンと叩き
「ラーメン電王なんてどうかしら!ピリッと辛いラーメンを売りにするの!」

「そんなんじゃ駄目だー格好わるい」

奥を覗くとハンチング帽をかぶった中年の男は文庫本を読んでいた。
最初から話を真面目に聞くつもりはないらしい。

「えーっとじゃあね!そうね……そう!ラーメン竜騎!お父さんがガンコな店主になってスープにこだわってる店ってことにしてね…」

本当に京子さんはよく喋る、まるでマシンガンみたいだ。

「んーそんなんじゃ駄目だ。第一響きが悪い」

京子さんの目的は定食屋をやめる話からいつのまにかかっこいいラーメン屋の名前を考える話になってしまっている。

その男はそれをおもしろがっているようにも見えた。

「んー鉄男君」

男はパタンと文庫本を閉じこっちを向いた

「そろそろ明日の仕込みしちゃおうか」

「はい」
僕は最終的に大盛りが売りのダブルラーメンまでたどり着いた京子さんを尻目に厨房に入った。
大きな寸胴を持ち上げて僕は「でも」
京子さんのマシンガンが止まった。

「僕は ばった食堂 って名前けっこう好きですよ、おやっさん」

おやっさんはニヤリと笑って「そうか」と言った。







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