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第六話 不確定要素起爆要因型時限式爆弾様障害(後編)

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「いや、大変だったのはわかるし、実際頑張ってると思いますよ。でもここまでイカれたモンスターに様変わりするとは思いませんでしたよ」
 赤坂が「定時になって帰ろうとする上中里の体を羽交い絞めにして制止し、スケジュール表を突きつけて説得している」くだりの5回目を話し始めたのを聞き流しながら、埠頭が愚痴を漏らす。
「まあまあ、こうやって無事終わって、お酒も飲めるんだからいいじゃない」
 ペンキでも塗ったかのように真っ赤になっている依代を見て、酔えない自分が不幸であると感じた。
「よくないですよ!多分あいつ一人じゃ帰れないでしょ。誰が送るんですか」
「それは、偶然近くの駅付近に住んでいることが発覚した、かなえちゃんれーす」
 醤油差しに話し続ける赤坂と、笑いながら赤坂の肩をたたき続ける依代を見て、もうこいつらとは絶対飲みに行かない、と埠頭は強く決心した。
 しかし、埠頭のその願いが叶うことはなかった。


 依代が岡野に提示しているのは、今後の障害対応スケジュールである。
「なるほど、これならいけそうですね」
 許可が降りた、と依代は判断した。あとはチーム内への説明と作業割だけだ。
 そう思った矢先、岡野が面倒な提案を口にした。
「うちのチームも手伝いますので、これにうちのメンバも入れてテストの作業割りやってもらえますか?」
 非常にありがた迷惑な申し出だった。別チームを巻き込んだ作業を行うというのは、「これから問題を起こします」と言っているようなものだ。依代は岡野の善意の提案を承服するつもりはなかったが、かといって無碍に断ることもできない。
「わかりました。ではある程度の作業をそちらにお渡ししますので、作業割はそちらでお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、そうですね。それで構いません」
 本来こういった作業は、例え下請けに全責任があったとしても、元請SIerがリーダシップをとってやるべきなのだ。それが最初から最後まで下請けに手配させて、自分たちは判子を押すだけという元請のやり方は間違っている、と依代はいつも思っている。
 しかし依代文乃はそのことを誰にも伝えることはしなかった。客に腹を割って話ができる人間がいないというのも一因ではあるが、「お前がやれよ」といったところですぐに出来るようなノウハウを彼らは持っていないし、持とうともしていない。彼らは問題が発生した場合に、責任の所在と再発防止策を考えたりはするが、それを誰がすべきなのかを考えたりはしない。書類が揃い、発表できる環境が整えばそれで良いのだ。
(ああ、不満なことばっかり考えてるな私。いかん兆候だ)
 岡野に軽く会釈したあと、岡野のせいで一手間増えた今後の作業について考える。思い切ってテストのほぼすべてを任せてしまうというのも手だろう。それが出来るだけの十分な人数を確保するという話を岡野から聞いている。出来るかどうかは疑問ではあるが、それはこちらの責任ではない。最低限の作業手順書を渡しさえすれば、こちら側に落ち度はないことの証明になる。
(いつからこういう考え方するようになったのかな私。嫌な人間だわ)
 色々と思慮を頭の中で巡らせながら歩いているうち、自席の方から賑やかな声が漏れに漏れまくっているのがわかったので、依代は「真なる敵は内に有り」という縁起でもない言葉を連想した。

「だからダブルゼータの最後に出てきたミネバは影武者だって言ってるじゃないですか!」
「いや、実は影武者のふりした本物かもよ!大体影武者が自供なんて怪しすぎるでしょ」
「なんの話?歴史の話題かな」
 ニコニコした表情の依代が戻ってきたので、赤坂は救世主ジャンヌ・ダルクが降臨召された、と思った。
「いや、確かニックネームの話をしていたはず」
「え、なんで影武者とかの話がでてくるの?」
 依代がドツボにはまり始めたので、赤坂は「もう奴らのことは忘れてください」と言って、外界から隔絶された言語を使う人々からの通信を途絶させた。
「依代さん、さっきの電話、途中で切れちゃったんですけど、なにかあったんですか?」
 赤坂は何事もなかったかのように依代に尋ねる。
「ああ、うん」
 依代が頷くと、「ちょっと待ってね~」と言いながらマウスとキーボードを操作し始めた。静かに端末を操作する依代を見て、いつもエンターキーを『ッターン!』と押下してしまう赤坂は、そのソフトなキータッチを見習いたいと思った。
 少しして、依代が手を止める。
「みんな、今メールを送ったから読んでね~」
 依代の言葉に従い、自席に座ってグループウェアを開くと、確かに依代から添付ファイル付きでメールが着ていた。本文には、今日行う作業の内容が時系列で書かれている。
「え、依代さん、これって」
「うん、そうなのです」
 依代はいつも以上に微笑んだあと、冷酷な言葉を発した。
「今日は徹夜です!」
「エッー!」
 誰もの予想に反して、一番に声を上げたのは舞浜であった。というより、誰もがその存在を忘れていた。
「まじかよ!今日ワールドカップの決勝ですよ!?正気かアンタ」
 この長髪メガネがサッカー好きだったとは全くもって意外だったが、そんなことは多摩川に現れたアザラシに住民票が交付されたことぐらいどうでも良かった。
「本気も本気。あと赤坂さんは、添付ファイルの作業割に目を通して承認してねー」
「は、はあ。承認って、どうやればいいんですか?」
「ボタンをバチコーンと叩いて、ファイナルフュージョン!とか言えばいいのよ」
 いつの間にか静かに自席に座っていた埠頭が、よくわからないことを言った。
「埠頭さん、変なこと言って赤坂さんを混乱させてはダメ」
 あ、ごっめ~ん、などと言って片目を瞑りながら舌を出す埠頭を見て、激しく脳天をチョップしたくなったが、もはやそれどころではない。
 さあ大変だ、と赤坂が資料に目を通し始めたところで、彼女はあることに気づいた。
「なんかいつの間にか話が進んでますけど、結局今回の障害の原因ってなんだったんですか?」
 赤坂は一番大事なことを忘れていたと思い、依代に質問する。
「あ、そう言えば報告してなかったね。すいません」
 依代がなぜか謝っているので、赤坂は恐縮した。立場としては赤坂が上長なのだから気に病む必要などないのだが、技術から折衝までありとあらゆることに関して能力的に遠く及ばない依代からこう言われると、不安な気持ちになる。
「いや、謝らないでください。それで、原因はなんなんでしょう」
「メールで送ったファイルの1ページ目を見てもらえるかな」
 依代が指示したファイルを開くと、バッチプログラムの起動スケジュールが書かれているドキュメントがモニタに表示された。業務終了後から起動されるプログラムの名称と開始時間、処理時間などが記載されている。
「で、今回障害が発生したと思われるプログラムがこれね」
 依代は赤坂のモニタを見ながら、ボールペンの背中である部分を指し示した。そこには今回障害が発生したバッチプログラムの名称が記載されていた。
「はい」
「2ページ先を見て」
 マウスホイールでページをスクロールさせると、また似たようなスケジュール表が表示される。ただ、今回表示されたのは先程まで表示されていた日時処理バッチ起動スケジュールではなく、年次処理バッチ起動スケジュールだった。
「これがどうかしたんですか……って、あれ?」
 赤坂がぴーんと来たので、依代はにっこり微笑んでその部分をまたボールペンの背で指した。
「わかった?そう、これなのよ。この大きいバッチと起動時間がバッティングしてる部分があるの」
 ほぼ理解した、と赤坂は思った。つまり、この半年に一回動く予定のバッチプログラムと今回障害が発生したプログラムが同時期に起動した状態になり、大量の処理が発生してシステムがダウンしてしまった、というシナリオだろう。
「なるほど、別のバッチのせいですか。でもこのバッチについてはアラートが上がっていなかったはずですけど」
 システムエラーが発生した場合、共通部品を使用してエラー報告を出力し、障害監視システムがそれを拾えるようにしなければならないとプログラム開発規約に書いてあったことをなんとなく思い出して、赤坂は疑問に思った。
「うん、このバッチはアラート上がらないのよ」
 ええ~、と赤坂は苦笑いした。よく顧客レビューが通ったものだ。
 しかしそうなると、わからないことがひとつある。やりとりの中で発生した疑問点を、赤坂はぶつけてみた。
「でもこれ、アラートが上がらないとすると、これが原因だっていうのはなにで判断するんですか?」
「いい質問ですね!」
 依代がどこぞのニュース解説員みたいなことを言うと、A4サイズの紙数枚を赤坂に手渡す。プログラムが吐き出したと思しき何らかのログがびっしりと印刷されている。
「アラートは上がらないけど、エラーログはひっそり吐いてるみたい。担当の人に言ってもらってきたよ」
 日付でエラー発生時刻付近をたどると、たしかにエラーが発生している旨が出力されていた。
「ああもう。バカ!なんなんですかいったい」
「うふふ。タイムスケジュールについては、再調整するように岡野さんにもう依頼しました。それで今日の夜は、完了しなかった二つのバッチプログラムについてのスケジュールを一旦削除して、一方のバッチプログラム完了を確認してから次のバッチプログラムを起動する、ということを手動でやります」
「なるほど、流れは大体わかりました」
 赤坂は長い間不明なままだった事がようやく解決し、スゥっと息を吐いた。ただ赤坂には、まだ一つだけ懸念材料があった。
「この半年に一回動くバッチは、エラーが発生してもアラートに上がらないままなんですか?」
「うーん、とりあえずそれはうちの持分じゃないからなんとも言えないね。かってに修正するわけにもいかないし」
 また面倒なことになるような気がするなあ、と赤坂は眉間にシワをゆせながら腕組みする。
「改修してもらうよう言えないですかね?」
「まあ事が事だから、やらないとはいけないと思うけど、優先順位としては低いでしょうね。運用でカバー可能だから予算が出ない気がするな」
「なるほどー。むむむん」
「一応次のリーダ会で提案してみたら?通常業務へ支障がひどいとか言えば運がよければ聞いてくれるかも」
 多分無理だろうなー、と思いながら、赤坂は今のやりとりをメモ帳に書き取る。
 今後がどう転ぶにしろ、とりあえず今日は徹夜で作業をしなければならない。それだけは確かなことだった。
 赤坂が限界近くまで疲弊していることを自覚したのは、依代から自身の腹の虫が鳴っていたことを教えてもらった時であった。自分の体の変調に気付けないほど、意識が混濁しているのかもしれない。
「お昼食べる時間なかったからね。一区切りついたら、ご飯食べに行きましょうか」
「そうですね、朝抜いてるから胃が食料の増援を求めていますよ」
「ネガティブ、増援は出せない。現有戦力で対処せよ」
 なんだと思って声をした方に振り向くと、埠頭が舞浜をものすごい形相で睨んでいた。どうやら舞浜も同じタイミングでランチタイム要請をしたようだが、HQに拒否されたらしい。
「私の方はいつでも行けますけど、依代さんの方はどうです?」
「そう?じゃあ、ちょっとまってねー。10分ほどで終わらせます」
 依代はそう言うと、すごい勢いでキーボードをたたき始めた。勢いとは対照的にキータッチは非常にソフトなので、その音を聞きながら眠りについてしまいそうだ。
 何をしているんだろうと依代の後ろから作業中のモニタを覗いてみると、タイトルらしき部分に少し大きめのフォントで「障害報告書」と書かれていた。背後の赤坂の気配に気づいたのか、依代がニコニコしながら口を開いた。
「経緯とかは後でみんなに説明するけど、これはお客さんに提出しないといけないから、赤坂さんは後で読んでチェックしてね~」
「えっ、わたしがチェックするんですかあ。できるかなー」
「大丈夫、赤坂さんならできるよー。そんなに難しい事書いてないし、文脈のおかしなところとか誤字脱字なんかも指摘していただけると助かりますよっと。はいおわり」
 依代がそんなくだらないミスをするのだろうか、と赤坂は思ったが、「結構字を間違っちゃったりするのよね。ちゃんと変換したつもりでも読み返してみたらおかしかったりとかよくあるよ」ということらしい。赤坂から見て超人級の依代がそんなことをするとはとても思えなかったが、本人がそう言うんならそうなんだろう。
「もうだめ、これ以上何も食わずにいたら全国各地を転校したあと現地の恋人に会うために野宿やバイトした挙句続編で死んでしまう」
「センチメンタルでいい人生じゃねえか。この作業が終わったらプレステの電源入れて葬式の準備してやるよ」
 舞浜と埠頭がなにやらよくわからない会話をしているが、手は動いているようなので問題ないだろう。問題は上中里の方で、手どころか上半身が完全に石化しており、微動だにしていなかった。依代が心配して声をかけると、上中里は水を得た魚のように動き出す。モニタを指さしてなにやらブツブツ言っているが、ここからでは聞こえない。それを横で聞いていた依代がニコニコしてモニタを指さしながら指示すると、上中里から感嘆の声があがる。どうやら問題は解決したようだ。
「それじゃあ、行きましょうか」
 自席に戻ってきた依代が赤坂に声をかけ、手提げかばんを持って出口のドアへ歩いていく。赤坂も慌てて依代の後ろについていき、先程のやりとりについて尋ねてみた。
「さっきの件ですけど」
「ん、どのあたりの件かなー」
「上中里さんのことです。何をあんなに悩んでたんでしょうか」
「あー、あれね」
 依代はやはり、ニコニコしながら答える。
「F5を押してもデバッグが始まらなかったのよ」
 へぇ、そんなことがあるのか、と赤坂は初めて聞く開発環境の不具合発見に感心した。
「で、結局なんだったんですか?」
 赤坂の問いに、依代は笑顔を絶やさず、人差し指を上に向けて答えた。
「開発ツールにフォーカスがあたってなかったわ」
 赤坂は、バナナなしで足元から崩折れるという貴重な体験をした。


 吉川平良は、疲弊していた。仕事が遅々として進まないばかりか、情報が錯綜して何が正しいのかもさっぱりわからない。
 苦労して積み上げてきた情報の束も、困ったことに吉川のとなりに鎮座する髭面の男の一声で霧散してしまう事がしばしばで、気の休まる暇が無い。
 原因の殆どが髭面クソ野郎こと岩倉のせいなのだから、一度は文句でも言ってやろうと思ったが、吉川の胸に深く刻み込まれた教訓はそれをいつも拒絶する。岩倉とは極力関わってはいけないのだ。
 今日の件だってそうだ。岩倉がありもしない妄想と寝ぼけた脳みそで半覚醒状態のまま参加した会議の内容を曲解したせいで、パートナー会社に迷惑をかけてしまった。今回の一件でもともと頼りなかった自社の信頼はもはや風前の灯であろう。
 吉川がどのような皮肉で以て岩倉を小馬鹿にすることで精神の平穏を保とうかと考えながらキーボードをペチペチと叩いていると、背後に気配を感じた。
「ようタイラー。さっき頼んだ見積りもう上がったよなー。これに入れろー」
 岩倉がけだるそうにUSBメモリを突き出す。この男は驚くことに、いくらの軍艦巻きUSBをビジネスシーンで用いるような画期的人間である。是非とも即刻退職届を提出していただきたい。
 吉川は、もうどこから突っ込んでいいやらといった顔で、岩倉にバレないようにしてため息をついた。とりあえず、妙なニックネームで呼ぶのはやめてほしいと思う。
「数分前に自分で期限が明日といったものをぼくが10数秒で完成させると思っているなら、心療内科の受診をおすすめしますよ。教えましょうか林先生のEメールアドレス」
「はっはータイラー、面白いなお前。ぶっとばすぞ」
 いくらの軍艦巻きを引っ込める代わりにげんこつを繰り出してきたので、吉川はひょいひょいかわしながらキーボードを叩く。今日中に終わらせる予定だったテストは、先程のドタバタのせいで進捗がかなり遅れている。岩倉と遊んでいる暇はないのだ。
「しかし、あれだよな、タイラーくんよ」
「なんですよ」
 岩倉が気色の悪い笑みを浮かべながら吉川に話しかける。吉川としては無視して作業に集中したかったが、それをすると岩倉の機嫌が異常に悪くなり、チームの雰囲気も下降の一途をたどるため、適当に相手せざるを得ない。
「依代さんって美人だよなあ。うへへ」
 目や口をだらしなく歪ませながら、岩倉は依代という女性の方をみている。その下卑た視線は見ているだけで嘔吐しそうになるから、見られている当人はたまったものではないだろう。しかし依代自身は視線に気づいていないのか、作業を黙々とこなしているようだ。
「はあ、そうですね」
 確かに依代は魅力的な人物ではあったが、その件について岩倉と話し合いたいとは微塵も思わない。早く会話を終わらせて作業に戻ってくれないものかと、吉川はイライラしながら相づちを打つ。
「だろ?そんなタイラーくんに朗報があります」
「朗報?」
 岩倉がおかしなことを言い始めた。嫌な予感しかしない。
「岡野のおっさんがさっき来てな。今日の夜の緊急ミッションに人手が足りないから手伝って欲しいそうだ。依代さんとこがメインでやる作業らしいぞ。よろこべ、今日は依代さんと徹夜だ」
「えええー。えー」
 吉川は思わず否定的応答をする。それを聞いた岩倉が不服そうに口を尖らせた。ネコ型ロボットが出てくる漫画の金持ち息子キャラのような顔に見えた。不愉快を絵に描いたような顔をしている。
「なんだよ。俺がせっかく仕事を取ってきてやったというのにその態度はねえだろ」
 邪魔にしかならない仕事なんか持ってくるんじゃねえよ。
「お前の大好きな依代さんと仕事が出来るんだぞ?それだけで幸せだと思えよ。最近のやつは座ってりゃ仕事が転がり込んでくると思ってんだから困るよなー。営業できないSEなんていらねーんだよ。一生PGやってろ」
「はあ、で、何をやるんですか?」
 え?と虚を突かれたような顔をした岩倉は、やがてこう言った。
「そんなもんしらんがな」
 システムエンジニア、吉川平良の受難は、始まったばかりだ。
31, 30

  

 二一〇〇時、バッチファイル緊急対応チームが、会議室兼用の食堂に全員集合した。人員や作業の割振りは既に終わっているはずで、これから全員が集まってこれから行う作業内容が再度説明される。
 ホワイトボードを背にした赤坂は、カッチカチに固まっていた。これほどの人数を前にして話をするということは非常に神経をすり減らす行為だ。
 プレッシャーに耐えきれず、赤坂は依代に泣き言を漏らす。
「ど、どうしましょう依代さん。人がいっぱいいます!」
 依代はいつもどおり、ニコニコ笑顔で赤坂をなだめる。
「大丈夫よ。みんな赤坂さんをとって食おうってわけじゃないんだから。打ち合わせ通り話せば問題ないわ」
 岡野から「早く始めて欲しい」という催促があり、赤坂は慌てて進行表を手にとって、かすれた声で話し始めた。
「えーそれでは、本日のバッチファイル緊急対応についての打ち合わせを始めます。まず私赤坂の方から本日のタイムスケジュールについて説明し、そのあと弊社依代より作業内容についての説明と諸注意があります。大変な作業ではありますが、みなさんどうぞよろしくお願いします。」
 赤坂は懐から指示棒を取り出し、ホワイトボードに書かれている文言をなぞりながら読み上げる。
「二二〇〇時、一つ目のバッチファイルを起動。実行時間は15分を予定しています。15分の実行時間と30分の確認作業の時間を考慮して、二二四五時に二つめの半期起動バッチを起動させます。このバッチファイルは実行時間として55分を予定しています。各バッチファイルの実行終了後、正常終了の確認作業を行ないます。全作業終了は翌零時を予定しています。この予定は各作業の進捗状況により多少前後する可能性があります。以上が本日のタイムスケジュールです」
 説明を終えると、赤坂は指示棒を置き、一度深呼吸をした。
「それでは、弊社依代より、本日の作業内容及び諸注意について説明します」
 赤坂が「お願いします」と言いながら指示棒を渡すと、依代は赤坂の労をねぎらうかのように笑顔で頷いて、指示棒を受け取った。
「それでは本日の作業内容について説明します。主たる作業はバッチ起動終了後の確認作業になります。一応バッチ異常終了時の事態も想定していますが、同件数のテストデータが正常終了することは確認出来ているため、データ量での不具合はないと考えていただいて結構です。実働班以外の方は、本対応時にイレギュラーな事象が紛れ込んでいないかどうか監視するようにお願いします。詳しくは配布済みの資料をご覧ください」
 依代は指示棒で、ホワイトボードに書かれたタイムラインについて一通り説明していく。聞いていて非常に分かりやすい、明朗な声質のため、話していることがなんだか頭に入りやすいような気がする。
 タイムラインの終端の説明を終えた依代は、指示棒を短してテーブルに置いた。
「説明と諸注意は以上です。何か質問があればこれより受け付けます」
 依代が質問を受け付ける発言をしたと同時に手が上がったのを見て、赤坂は肝を冷やした。しかも手を上げたのは、万物がその不快感を認めるトラブルメーカー、いや、トラブルクリエイターこと岩倉であったから、これはなにか起こらない方がおかしいと思わざるを得ない。
「結局俺らは、何をすればいいわけ?」
 打ち合わせ参加者全員の頭上に感嘆符が見えたような気がした。
(スニーキングミッションのやり過ぎかな)
 カモフラ率を上げようとするどころか、自ら自己の存在を敵にアピールしてはばからない岩倉に、「空気」と書かれた本を渡して「リード・オア・ダイ」と言ってやりたいところだが、読んだところで死んでほしいことには変わりないので、赤坂はおすまし顔で両手を膝において座り続けることにした。
「すいません、実作業についてはすべて配布資料に書いてありますのでそちらを読んでいただいて、あとは各作業班の班長に確認していただくようお願いします」
 依代がまるでこんなアホな質問すら予想していたかのように完璧な回答を岩倉に告げると、岩倉は不服そうにしながらも以降口をはさむことはなくなった。
 実は、打ち合わせが始まる直前まで、打ち合わせに岩倉らが緊急対応チームのメンバであることを赤坂は知らされていなかった。岡野指揮下のメンバ選任については赤坂らの管轄外のため口を出すことはできないのだが、岡野が別会社の人間をメンバとして選択しているとは思わなかった。ましてや、岩倉である。赤坂には岡野の意図がさっぱりわからない。
 岩倉の気配に気づいた赤坂は、咄嗟に打ち合わせの進行順序を変えるよう依代に相談した。岩倉が依代に弱いのは知っていたから、依代に質疑応答の司会まで請け負ってもらうことで、岩倉の暴走を食い止める算段をとったのである。
 場は一時的に凍りついたものの、岩倉は比較的あっさり引き下がったので赤坂の作戦は功を奏したと言って良いだろう。赤坂は冷や汗を垂らしながら、難局を乗り切ったと心の中でガッツポーズをした。
 まだ何も始まっていないというのに。
「質問がないようでしたら、各班持ち場で待機してください。一刻も早くこのくだらない問題に終止符を叩きつけて、木曜洋画劇場のエンドロールを見ながらおいしいコーヒーを楽しむ時間を取り戻しましょう」
 依代は最後に外人がよく言いそうな冗談を付け加えたが、参加者は依代に一瞥をくれただけで、ジークジオンとシュプレヒコールを上げるでもなく、配布資料を綺麗にまとめて席を立つだけだった。


 システムインテグレーションの肝はソリューション、つまり問題解決にあるが、自分がシステムインテグレーションに一から携わったときに最初にすべきソリューションが岩倉の排除という悲惨な未来を想像した吉川は、打ち合わせ時の岩倉が放ったマヒャドについてどういった具合に釘を刺せばよいか思案に暮れていた。
(普通のやり方じゃ駄目だよな。後ろからバットで殴り飛ばしたあと、耳に音叉を突っ込んでブブゼラを咥えた10人くらいの人に『お前は単細胞生物にも劣る糞野郎だ』と叫び続けてもらうか)
 障害対応の本作業時間まで若干の時間的余裕があるため、吉川は資料に目を通している。依代が作成したのであろう作業手順書は非常に見やすく分かりやすい。岩倉が依代に一方的な好意を抱いているのは知っているが、こういった仕事内容を一ミリでも見習ってくれたらと常々思う。そうなることがなく、そうなる気配が微塵もないのは、彼自身が依代に対しての優位性を脳内で勝手に構築しているからであろう。
「おい吉川ァ、準備できてんのかぁ」
 後ろにだれかいることは気づいていた吉川だが、後ろにいたのが予想通り岩倉であってもそれが嬉しい感情につながったりはしない。ただ、いくら岩倉を否定しても事態が変わることがないから、いかに彼の存在を考えずに幸せに過ごすかをまずはじめに考えるようになった。
「はい、できてますよ。バッチリです」
 本来は「なんの準備ですか?」と質問に対して質問で返してしまうような場面だが、吉川はそんなことはしない。岩倉を喜ばせるでも、怒らせるでもなく、ただ『会話を迅速に終了させる』ことが精神汚染から身を守る唯一の手段だと悟った吉川は、ベストエンディングへの選択肢の最適解を比較的高速に判別する手段を身につけた。
「ハァ?何ができてるんだ?」
 吉川にとってはこの『質問者の言葉不足からくる再質問』ですら、想定の内だった。この手の質問をしてくる人間は『質問の回答を得る』ことではなく『相手をやり込める』のが目的であるから、相手の思考を読んで正答を予測することに意味などない。この場合に吉川にとって最も精神的被害の少ない選択肢は、自らを卑下し、相手を必要以上に持ち上げることである。
「すいません、作業の勢いで生返事をしてしまいました。お忙しいところで気を使っていただいているのに非常に申し訳なく思います。ところで、質問を質問で返すようで恐縮ですが、なんの準備のことでしょう」
「お、おう。今日の障害対応の準備だよ」
 偉そうに聞いてきた割には、ひどくざっくりとしたいい加減な質問だった。
 吉川はここで初めて、具体的な話を持ち出す。
「作業割については既に把握しました。作業内容の把握状況についてもほぼメンバに確認済みです」
「ほぼってなんだ?」
 吉川の発した言葉の一端に、岩倉が食いついてきた。まるで窓枠のかすかな埃をなぞる姑のような顔で、吉川を睨みつけている。今にも「これがあなたのいうお掃除ですか?」とでも言わんばかりだ。
 しかし、岩倉の圧力に吉川が動じることはない。
「岩倉さんの分ですよ。岩倉さんの作業内容の把握状況が確認取れれば完了ですが、大丈夫ですよね」
 岩倉はぎょっとして、その後眉間にシワを寄せて吉川を凝視した。。
「あ、あたりまえだろうがボケが。そんなもん完璧に頭に入ってるっつーの。バカにしてんの?」
「いやいや、とんでもない。単なる確認ですから。簡単に私に作業の実施内容について話していただければ終わりです」
「ふん、そんなもんすぐ答えてやるよ。えーと、ちょっとまてよ、えーとだな。俺はメンバの作業補助と作業完了確認だろ」
 段取り表を見ながら答える岩倉に、なんの感情も見せることなく吉川は答える。
「はい、ありがとうございます。これでメンバ間の情報連携は完了しましたので、本対応のリーダーさんに報告してきますね」
「む、ちょっとまて」
 席をたとうとした吉川を、岩倉が制止する。いつになく難しい顔をしている岩倉の顔を見て、吉川は嫌な予感がした。
「なんです?」
「誰に報告すんの?」
「リーダーさんなので赤坂さんですけど、今いないんで依代さんですね」
 特定の文字列に反応した岩倉が、破顔して言う。
「俺が行くわ」
 岩倉は吉川から報告表を奪い取ると、スキップして依代の方へ向かっていった。
 吉川は、あのクソみたいな表情が有情破顔拳の結果ならいいのに、と思った。


 一九三〇時、埠頭は自席でぼーっとしていた。
 今日の作業ノルマは一昨日完了しているし、舞浜の作業もここ数日のスパルタでようやく線表に乗りつつある状況まで持ってきた。舞浜の作業については油断できないが、所詮他人のことだから自分が必要以上に気負う必要はないと思っている。コーヒー片手に定期的に舞浜の方を睨んでいればそのうちなんとかなるんじゃないかという考えである。
 座り心地の良い椅子の背もたれに完全に身を預け、席の真後ろを逆さに見ていると、資料を片手にドタバタとしている集団が目に入った。
「なにしてんだーあれわ」
 何気なく埠頭がつぶやくと、となりに座っていた依代がそれに気付いたようで、キーボードをたたきながら回答をくれた。
「あっちの島は別の機能担当なんだけど、今日は大規模なシステムテストがあるんですって」
「えっ、じゃあこっちの対応とバッティングしたりしないんですかね」
 埠頭の疑問は当然湧いてくるものであった。もし本番機を使用したノンデグテストが行われるのだとしたら、今日の緊急対応に影響が出る可能性がある。
 その可能性について、依代が否定した。
「テスト機でのテストだから大丈夫なんじゃないかな。端末使用要望のファイルにもそう書いてあるし」
 依代の言うファイルを覗くと、確かに本番機の使用予定にそれらしき記述はない。依代の言うようにテスト機のみ使用するようだ。
「なら安心。おなかすいたのでパン買ってきますね」
 じゃあ私は焼きそばパンね、と買ってくるのが当然のように言った赤坂を小突いたあと、埠頭は一階のコンビニエンスストアに向かった。
33, 32

  

 二二〇〇時、予定通り一つ目のバッチファイルを手動により起動。起動から終了まで問題なく実行され、のちの確認作業でも不具合は確認されなかった。ログファイルでもエラーメッセージは出力されておらず、データの正常性確認班からも問題なしという報告が上がってきた。
 岩倉のチームからの報告が遅れたため、二つ目のバッチファイル手動起動は二三〇〇時からとなった。誰も口に出して文句をいうものはいないが、報告に来た吉川は非常に申し訳なさそうな顔をしていた。おそらく、岩倉が何らかの問題を起こしたのだろう。ただ、報告遅延の理由が報告書には書かれていない。
 どうしたのか尋ねてみると、どうやら岩倉がわけの分からないことを言ってメンバの作業を妨害したようだ。これ以上じゃまをするようならどこかに縛り付けておいてくださいねと言ったら、吉川は苦笑いをして謝っていた。彼も苦しいのだろう。
 二三〇〇時、当初の予定より十五分遅れて二つめのバッチファイルを手動起動する。このバッチファイルは実行終了までに非常に長い時間がかかる。バッチファイル実行中は本番機操作端末から離れるわけにはいかないため、数人が交代してモニタを監視する。本番機の監視は赤坂のチームが担当しており、約六十分の監視時間のうち、赤坂、依代、上中里の順で監視人員を交代する手筈となっている。
 本番機操作端末にはバッチファイルの実行状況が表示されている。バッチファイルを実行すると、コマンドラインのウィンドウが表示され、%と視覚的に進捗状況を確認できるプログレスバーが表示される。
 問題は、上中里が端末の前に座っている、バッチプログラム進捗状況九十二%の時に発生した。上中里から赤坂へのPHS着信により、騒動は始まる。
「あの、コマンドラインに『タイムアウトにより処理を中断しました』って出てきたんですけど、どうしたらいいですか?」
「なん……だと……?」
 頭が真っ白になった。個別起動すれば問題ないと思っていた今回の対応で、障害が発生したのだ。赤坂の表情に異変を感じた依代が声をかけてくるが、言葉が頭に入ってこない。
(やばいやばいやばいやばいどうしようどうしようどうしようどうしよう)
 非常事態に気が動転した赤坂は、突然たったり座ったりを繰り返したり、廊下の橋まで歩いて行っては帰ってくるという行動をとり始める。依代がどうしたものかと思案にくれて床を見つめていたところ、スラッとした長い足がすべるように移動して赤坂に近づいていくのが見えた。金髪の女性はあさっての方向を向いた赤坂の肩を掴むと自分の方へぐるりと向き直させ、頬をおもいっきり引っ叩いた。
「殴っ」
「殴ってなぜ悪いか!」
「最後まで言わせてやれよ。重要なシーンじゃないか」
 舞浜がツッコミのようなものを入れているが、依代には彼が何を言っているのかわからなかった。
「とりあえずこれ飲んで落ち着きなさいな」
 金髪女こと埠頭がどこから取り出したのかわからない湯飲みを渡すと、赤坂は湯気の上る湯飲みを口に当てた直後に一気に傾け始めた。あんな熱そうなものをそんなに早く飲んだら火傷しちゃうんじゃないかと周囲は心配するが、なぜか赤坂はけろりとしていた。表情にも落ち着きが戻ったように見える。
「失礼、取り乱しました」
「ん。で、なんかあったの」
 赤坂から返却された湯飲みに急須からお茶を注ぎ、ちょびちょびとすすりながら埠頭が尋ねる。
「はい、二つめのバッチファイル実行処理に失敗したみたいです。今上中里さんから連絡がありました」
「マジかよ!うわー帰れねーじゃん」
 舞浜が現状で一番認識したくない事実を持ち出したのにはうんざりした。
 だが、今は彼に不平不満をぶつけている場合ではない。原因究明と対策を早急に講じなければならない。
「上中里さんはなんて言ってるの?」
「えーと、バッチのメッセージでは『タイムアウトが発生』したみたいですね」
 上中里からの情報によると、画面に表示されているエラーメッセージ以外の情報は皆無らしい。エラーログは取得できず、イベントログは出力されていないということだった。
 報告を一通り聞いたところで、埠頭が疑問の声を上げる。
「エラーログが『取得できない』って何?どういう事?」
「気になるけどとりあえず現状確認。私は上中里さんのところへ行ってバッチファイルの進行状況を確認してきます。依代さんは状況を岡野さんに報告したあとバッチファイルの保守担当者と連携して対策を検討してください。埠頭さんはさっき上中里さんから聞いたプログラムの該当行の調査。舞浜さんはここに残って何かあったときに私か依代さんに連絡してください。以上質問は」
「ない」
「ありません」
「おk」
「十分後にここに再集合してください。できない場合はPHSで連絡。それでは各自行動開始」


 本番機操作端末の前にいる上中里の元へやってきた赤坂は、改めて現状の確認を始めた。上中里の報告事態に誤りはなく、バッチファイルも彼女が言った通りの状態で異常終了しているようだった。問題は、ログファイルを参照しようとして開いたファイルブラウザが真っ白になっていることだ。コントロールパネルで確認すると、『応答なし』が表示されている。
「真っ白だからアドレスバーが表示されないな。これってどこを見ているかわかる?」
「えっと、確かこの資料の……ここですね」
 上中里が示した資料には、IPアドレスを含む絶対パスが書かれていた。ファイルブラウザを開いて同アドレスにアクセスしようとすると、やはり『応答なし』になってしまう。
 コマンドラインを開いて当該サーバのIPアドレス宛にPingを打つと、画面には「Request timed out」と表示された。
「ログを保存するサーバが落ちてる?うーん」
 赤坂が上中里と一緒にうーんうーんと首をひねりながら唸っていると、PHSの着信音がなった。液晶画面には埠頭と表示されている。
「赤坂です」
「もしもしー。調べたんだけどさー。これ書いたやつ頭おかしいわ」
「感想はいいから、事実を正確に報告してください」
「こんなクソみたいなコードを見せられる私をかわいそうに思うならちょっとは付き合ってよ!」
 トラブル続きの現状にあって、火に油を注ぐかのような埠頭の発言に、赤坂は継続させてきた緊張感を失いそうになるが、となりで事の成り行きを心配そうに見つめている上中里の顔を見て、この対応を開始する少し前のことをようやく思い出した。

 どんなに現場が混乱しようとも、どれだけ状況が絶望的であろうとも、あなただけは常に、氷のように冷静でいなければならない。あなたがすべきなのは、現場で燃え盛る火を消すことじゃなくて、ファイヤーマン自身が生み出した不可視の炎上を鎮圧すること。
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 赤坂はガチャガチャと喚く埠頭の声が聞こえるPHSを一旦耳から離し、深く息を吸い込んだあと、肺の中の空気を全て搾り出すようなイメージで、ゆっくりと息を吐いた。
 むせた。
「ちょっと、きいてんの?おーい、ツッキー」
「埠頭さん」
「ん?なんですよ」
「今眼の前に、何が見えますか?」
「なにって、モニタだけど」
 何を言っとるんだこいつは、という面持ちで、埠頭は答える。
「そうですか。私の目の前にはお肉が見えます。牛肉です。ぶあついくせに、口に入れるととろりと溶ける柔らかさ。ヨダレが止まりません」
「えっ、なにいってんの」
 埠頭は、赤坂がついにアレになったか、と思った。
「だから、これが終わったら、肉じゃがを食べに行きましょう。おいしいお店を知っています」
「あれ、ステーキイメージしてたんだけど。いやどうでもいいけどさ」
 何が何だか分からなくなってきて、埠頭は天井を見上げて頭をかいた。
「ところで埠頭さん、今眼の前には何が見えますか?」
 埠頭は、一連の意味が分からないやりとりのあと、赤坂の言葉を聞いて、怒りで忘れていたことを色々思い出した。
 私は、おなかがへっていたのだった。
「エラーの発生箇所は特定できたわ。原因もわかった」
「なんだったの?」
「このバッチ、ログ出力に失敗すると落ちるみたい」
(なんということでしょう)
 この重要な局面で、プログラムの潜在的なバグが表面化してしまった。赤坂は頭を抱えるが、気を落としている時間などない。
「わかりました。ログを出力してるサーバにつながらない状態だから、そのせいかも。私はこれからログサーバの状況を見て必要なら再起動をかけてみるわ。そっちは依代さんが帰ってきてたらログサーバを使ってる人がいないか調べてみて」
「使ってる人?今日は本番機使ってる人いないんでしょ?そんな人いないは……」
「ん?どうしたの?」
 埠頭が途中で言葉を切ったのが気になり、赤坂が追求する。
「気になることがあるなら教えて欲しいんだけど」
「いやさ、今日テスト機でテストがあるみたいなんだよね。この対応が始まる前に違う島の人がバタバタしてて気になったんだけどさ。関係ないなーと思って」
 埠頭の言葉には、前後のつながりがない。赤坂にとっては非常に気になるものだったが、それを追求するだけの根拠がない。
「なるほど。とりあえず、依代さんとの対応を頼むわ。時間があればそのへんも調べてみる」
「了解。それじゃあとで」
「ねこねこにゃんにゃんねこにゃんにゃーん。みみしっぽにゃんにゃんにくきゅうにゃーん。かつぶしにゃんにゃんキルゼムオール♪」
 だめだこいつ、早く何とかしないと。
 障害の緊急対応開始からすでに2時間が経過し、本来であればバッチ実行後の確認作業まで終わっているはずだったが、二つめのバッチ処理実行中に障害が発生したために現場がかなり混乱している。緊急対応チームのメンバと思しき人物が右へ左へかけずり回り、怒声があちこちから聞こえてくる。
 そんな中、上中里も例にもれず、ひどい錯乱状態にあるようで、不穏当な歌詞の含まれる猫の歌を歌い出している。
「なんであんたこっち戻ってきたの?向こうでツッキーのサポートしなくていいの?」
 本番機操作端末がある部屋から、赤坂を置いてひとりだけ作業部屋に戻ってきた上中里に、埠頭は含みを持たせた質問をする。しかし、上中里の現在の精神状態では、残念ながらユーモラスなジョークどころか、まともな返答すら怪しいなあ、と埠頭は思った。
「こっちはわたしだけでだいじょうぶだから、戻って埠頭さんたちの手伝いをしてあげてと言われたんですにゃん。かみやんじゃなくてかみにゃんとよんでくださいにゃん」
「なるほど、向こうにいても邪魔なだけだからこっちに強制送還されたというわけね」
「なんかひどいこと言われている気がするけど私は今錯乱状態にあるのでそんなことには気づかず作業を淡々と続けるんですにゃん」
「しかも戻っても自分に今できることは皆無だから、依代さんに指示された別に期限はいつでもいいような作業をこなして仕事をしているふりをすると」
「そんなこと言って挑発しても、わたしが正気にもどることはありませんのにゃん。私は黙々とログを綺麗にしてエクセルに貼り付ける作業をこなしますのにゃん」
「しかしそのエビデンスは結局使用されることはなく、カスにゃんの労力は無駄に終わるのであった」
「なんか名前変わってるね!というか私もう帰っていいよね!やることないし帰っていいよね!」
「うるせーバカ!お前は錯乱したふりしてニャンニャン言ってりゃいいんだよ!」
「いやだーかえるーおうちかえるーにゃーん」
 混乱した現場の中にあって、彼女らの会話は日常的に過ぎて、逆に目立たなかった。


 岡野への現況報告後にバッチファイル保守担当者へ情報を連携した依代だったが、担当者からの回答は「わかりません」だった。現場にいたのは運用担当者のみで、どうやらプログラム担当者自身は帰宅しているようだった。一応調査してみますと担当者は言っていたが、数々の不具合を見過ごしていた彼らに期待はできない。幸い埠頭がプログラム内部調査に回っていたので原因特定は早くできそうだが、依代の頭には一つ、払拭できない疑念があった。
(あやしいとすれば、あそこしかないのよね。でも証拠がない。さてどうしたものか)
 顎を押さえて考えながら周りを見回していると、ポニーテールの女性が視界に入ってきた。彼女は確か、本番機やテスト機などの運用を管理しているチームの一人だ。この時間まで残っているということは、緊急対応チームか、テスト機でのテストチームに指示されて待機しているのだろう。
 よくみると、頭を抱えているようだ。何か不具合でもあったのだろうか。
「おつかれさまです古山さん。なにかあったんですか?お悩みみたいですけど」
 依代が話しかけると、ポニーテール女はひどく驚いて体をビクンと反応させたが、依代の顔を見ると安心したようで引きつった顔を崩す。
「依代さんでしたか。おつかれさまです。今大変面倒なことになってます」
 古山は後ろ髪をさすりながらモニタを凝視している。面倒なことと聞いて、依代はやっぱり聞くんじゃなかったかなと少し後悔した。
「もしかして、サーバが落ちてる件ですか?」
「ええ、そういえば依代さんのところで緊急対応してるんですよね。リモート接続ができないので直接行って確かめるしかなさそうです」
「なるほど、ちなみに落ちているのってなんのサーバですか?」
「ログサーバと、アプリケーションサーバですね。なんで同時に落ちちゃうんだろう」
「なるほど、それって、どっちかは本番機ですか?」
「いえ、どちらもテスト機ですけど」
 あれ?と依代は疑問に思った。上中里の報告から考えると、現在本番機にも障害が発生しているはずなのだ。
「じゃあ私、サーバ室に行ってマシンの様子を見てきますね。えーと、再起動の手順書は」
 サーバ室に向かおうとする古山を見て依代は慌てて彼女を止めようと腕をつかんだ。
「ちょ、ちょっとまって!」
 ドッキーンという擬態語が目に見えるくらい驚いた古山は、急にもじもじし始めた。
「ど、どうしたんですかよりしろさん、きゅうにうでなんかつかまれるとわたし、どきどきしてその、なにもかんがえられないというか、あたまがぼーっとなっておかしくなっちゃうというかその」
 何か勘違いをしているようだが、その件について問い質している時間も余裕もない。
「同時って、どれくらい同時?時間とかわかる?」
 依代の鬼気迫った表情に、自身の思い違いに気付いた古山は、あわててモニタに向き直った。
「ええと、ログはとってないんですけど、アクセスした時間ならコンソールに表示されていますよ。みます?」
「お願いします」
 依代に促されると、古山は二つのコンソールウィンドウをデスクトップに並べた。サーバ監視用プログラムを動かしていたようだが、二つのウィンドウにはほぼ同時期にサーバとの接続が切断された旨が表示されている。
 そしてその時間は、上中里が障害を報告してきた時刻とも酷似していた。
(もしかしたら、本番機のパラメータが間違ってる?でもそれならテストで気付くはずだけど……)
 そこまで考えて、依代は一旦考えるのをやめた。画面からある程度の原因は予想できたので、現場に行って確認したほうが早い。
「ありがとうございます。引き止めてごめんなさいね。復旧よろしくお願いします」
「え?ええ、はい」
 なぜ依代からよろしくお願いされないといけないのかわからなかったが、古山は書類が散乱した机から手順書を抜き取ると、依代に一礼したあと何処かに走っていった。
「さて。はじめますか」
 依代はポケットからPHSを取り出すと、サーバ室で待機している赤坂の番号を呼び出した。


 ずり落ちるメガネもなおさず、少し眺めの髪を振り乱しながら、舞浜はひたすら走っていた。
(体力を使う仕事が嫌だから、この業界に入ったのに!)
 マラソン大会では最下位から一、ニを争うほどの運動音痴である舞浜は、自分に指示を出した赤坂を恨んだ。赤坂からの指示のあと埠頭が「A.S.A.P!」とか偉そうに言うもんだから、余計に腹が立つ。今度仕返しをしないと気が済まない。
(今度埠頭のプログラムにバグを仕込んでやろうか)
 障害対応中に縁起でもない発想ではあるが、先輩を小間使いにする彼女らの配慮の無さを考えるだけでイライラしてくる舞浜には、仕方のないことなのかもしれない。
「ハァッ、ハァッ」
 ようやく目的地に到着したところで、舞浜はすぐには戸を開けずに、呼吸を整える。これから彼は、赤坂から指示された内容について、正確かつ丁寧に対象へ伝えねばならない。舌を噛むなどもってのほかである。
(噛んだら恥ずかしいしな!)
 呼吸の安定を確認し、曲がったネクタイを正し、舞浜は勢い良くドアを開けようとノブを握った。
 しかし、ドアは開かない。
「あ、わすれてた」
 IDカードを読み取り機にかざさなければ、ロックが解除されず、ドアは開かない。
 たいていのドアはそうなっているにもかかわらずそのことを忘れていた舞浜は、今の行動が誰かに見られてはいないかとあたりをキョロキョロと見回す。
 だれもいないことに安心した舞浜は、なぜかこそこそとカードを読み取り機にかざす。ガチャリという解錠の音を確認すると、ゆっくりドアを開けた。
 舞浜が訪れた部屋の中では、数人が忙しそうに作業をしている。なかでも茶色い髪をした男は、忙しそうに部屋の端から端を動き回っている。阿修羅のようなしかめっ面は、舞浜を恐怖させるには十分過ぎるものだった。
(あの人じゃなければいいなあー。あの優しそうな女の子だったらいいな)
 余計なことを考えながら、舞浜は大声で叫んだ。
「テストチームのリーダーの方はいますか!?」
 部屋の中にいる全員が、一斉にこちらを振り向いた。驚いているのかなんなのか、舞浜の問に対する返答はなかった。
「テストチームのリーダーの方はいますか!?」
 舞浜の二度目の問いに反応して、一人の男が立ち上がった。その人物は茶髪の兄ちゃんでも優しそうなお姉ちゃんでもなかった。
「わたしですが、何か御用ですか?」
 外国の戦争映画に出てくるような、僧帽筋と二の腕が以上に発達した、イカツイおっさんだった。鬼軍曹という呼び名がぴったりである。
「は、はひっ!」
 彼らがこれから言う内容を知ったら、とても怒るんではないだろうか。もしかしたら数分後の自分は、バラバラの肉塊に変貌してしまうんではないだろうか。舞浜はそんなどす黒い未来を予想してしまう。
 だが、事態の深刻さは自分も理解しているつもりだ。ここで気圧されてすごすごと帰るわけにはいかない
(ええぃ、ままよ!)
 一度深呼吸すると、走っている間になんどもシミュレーションした言葉を発する。
「テストチームはすぐに、すべての作業を一時中断してください。また、指示があるまでこの部屋の機器には一切触れないでください。」
「なっ、なんだって!」
 部屋の中にいるすべての人間が戦慄した。ただでさえ忙しい状況の中で、作業をするなというのである。反発が出て当たり前だ。
「繰り返します。すべての作業を中断してください。おいそこ!作業すんな!」
 舞浜が発言するたび、眼前の鬼軍曹の眉間のシワが深くなっていく。しかし軍曹が噴火する前に、チンピラのような茶髪の男が、対象を狩るかのような目付きでこちらへ歩いてきた。
「おいてめー、どんな権限があってそんなふざけた指示してんだコラ。事と次第によっちゃチェーンで巻いてクレーンに吊るすぞオイ」
(こ、怖ええぇー!)
 そういえば以前、いつもとは違う場所にあるトイレを使ったとき、帰りに妙な雰囲気を醸し出していた島を見たことがあった。やたらと低い声で言葉がかわされていて、席に座っている人間は総じて目付きが悪く、中には円形脱毛症とは明らかに違う形の鋭いあとを頭部に持つ人もいた。銃痕でないことを切に願ったものだ。
 よくよく考えたら、その時見たことのある顔だった。だが、それを思い出したからといってどうにもならない。
 ドスを喉元に突きつけられているような危機感を抱いた舞浜は、さっさと伝家の宝刀を抜いて立ち去ろうと思った。
「技術主任の岡野さんからの指示です!指示書もこのとおりいただいてまっす。なお、この指示に従わない方は、然るべき対応を取る可能性がありますので、ご注意くださーい!」
 茶髪にメンチを切られっぱなしの舞浜だったが、軍曹が横から茶髪を押しのけると、舞浜が持っている紙をひったくって、マジマジと読み始めた。疑念の顔は、次第に苦虫を噛み潰したような表情に変化する。
「こりゃあ、まじもんじゃねえか。おい、てめえら!」
「ハッ!」
「テストは中止だ!指示があるまでマシンには触るな!わかったな!」
「サー、イエッサー!」
(なんなんだこいつらは)
 不気味な連帯感に違和感を覚えるも、伝令が伝わったことに安堵し、舞浜は胸を撫で下ろした。同時に、このような戦地に自分を送り込んだ赤坂という上官には、憤怒を禁じ得ない。
 舞浜が赤坂らをなきものにせんとワナワナしていると、先ほどとは一転して柔和な表情をした軍曹が、手に500mlのお茶を握って近寄ってきた。
「うちの若いもんが失礼いたしました。障害対応で大変でしょう、よければお飲みください」
 どういうことだろうか。顔はニコニコしているのに、気配が笑っていない。薄らぼんやりと、軍曹の背後に鬼のようなシルエットが見えたので、舞浜は慌てて目を擦って再度軍曹を見る。何もいない。
「いえ、自分は急を要する職務があるため、これで失礼いたします。では!」
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「もー!」
 赤坂は一人、本番機操作端末のあるサーバルームで憤っていた。上中里の所持していた操作手順資料は、すべてテスト機用のものだったのだ。そこに書かれているログ管理サーバのIPアドレスも当然、テスト機のものだ。
(今は本番機触ってるんだから、本番用の手順書でないと意味無いでしょうが)
上中里の持っていた資料はテスト機用のものだけで、本番機用の手順書はなかった。PHSで内容を上中里に確認するか、自分で本番機用手順書を取りに戻るか、どちらかを選択しなければならない。
(取りに帰ったほうが確実なのは、わかってるんだけどなー。いちいち遠いんですよ)
 億劫に感じつつも、電話口で上中里が垂れる「要領を得ない説明」とを天秤にかけた結果、重い腰を挙げざるをえない、覇王翔吼拳を使わざるを得ないと、端末にロックを掛けて立ち上がったところで、PHSに着信があった。依代からだ。
「はい、赤坂です」
「依代です。ちょっと調べてほしいことがあるんだけど、今時間ある?」
「あ、はい。かまいませんよ」
 再び椅子に腰をおろして、端末のロックを解除した。そういえば、この本番機操作端末はテスト機用のアカウントでログイン可能になっているが、セキュリティ的にまずいんではないだろうか。
「障害が発生したバッチが実際にある場所はわかる?」
「パスのことですか?今開いてますよ」
 マウスをクリックしながら、赤坂が答える。依代の言うバッチが格納されているフォルダの一覧を表示させているファイルブラウザをクリックして活性化させた。
「そのバッチの設定ファイルはある?名前は同じで拡張子が『cnf』だと思うんだけど」
「ちょっと待って下さいねー。えーと、ありました」
 マウスホイールをスクロールし、該当のファイルを右クリックしてメモ帳で開いた。バッチファイルの設定内容がコメントと共にズラズラと書かれている。
「『output_log』っていうところにIPアドレスが書いてあると思うんだけど、なんて書いてある?」
 依代の指示に従って該当文字列を検索し、発見した文字列の値を読み上げたところで、赤坂はとあることに気付いた。
「あ」
「ん、どうした?」
「ちょっと待ってください。えーとですね。えーと。あったこれだ」
 赤坂が取り出したのは上中里が持ってきていた操作手順書だった。そして、本来一致するはずのない文字列の一致を確認し、愕然とする。
「これ、テスト機のアドレスですね」
「んー、こっちでも確認したけど、そうみたいね。どうしてわかったの?」
「上中里さんが持ってきた手順書が、テスト機用のものだったんですよ。書いてあるIPも全部テスト機用です」
「もしかして、今見てるフォルダもテスト機のものなんてことないよね?確認できる?」
「デスクトップのショートカットでアクセスしてるので大丈夫だとは思うんですけど、念のため確認させてもらってもいいですか?こっちには本番機の資料がないので」
 依代が読み上げたIPアドレスは、赤坂が開いているファイルブラウザのアドレスバーに表示されているものと一致した。つまり、バッチ用設定ファイルの値に誤りがあるのだ。
「どうします?設定変更しますか?」
「だめよ、本番機は修正よりも運用による不具合回避が優先されるんだから」
「な、なるほど」
「それに、修正するにしたって、それは私たちの仕事じゃないからね!」
「それはそうですね!」
 赤坂は力強く同意した。
「今日のミッションはそのバッチの実行が完了することで、それにはテスト用ログ管理サーバが動いてないといけないみたいね。いま運用チームの人に確認したんだけど、テスト用のログ管理サーバがダウンしてるみたい。サーバが動くようにこっちですこし動いてみるから、赤坂さんは一旦こっちに戻ってみんなに状況を報告してくれるかな」
「わかりました」
「状況が変化したらまた連絡するから、よろしくね。多分テストチームに説明する人も必要だから、誰を行かせるか決めといて」
「え、今テスト機誰か使ってるんですか?」
「そうよ。だからこういう障害が出たのかも。詳しくは埠頭さんに聞いてみて。じゃあよろしく」
 通話を終えた赤坂は、急いで資料をまとめると、端末をロックして部屋を出た。
 依代は、赤坂との電話中に完成させたテキストを印刷し、岡野の席へ向かった。


 対応方針が決まってからは、驚くほど迅速に事は進んだ。
 バッチプログラム作成者によれば、実行失敗時でも再実行すればデータは正常に処理されるらしい。正直言ってここまで不具合不手際が続くと信用もへったくれもなかったが、埠頭の「責任取るのはあいつらだろ」という言葉は、赤坂にとって非常に心強いものであった。
 驚くべきは、舞浜が機能したことであった。海上とつるんでいた頃から信用も信頼もなかった彼なので、テストチームへの伝令を指示したものの、あとから自分が直接行って説明しなければならないだろうなあと思っていたところに、舞浜から伝令完了の電話が来た。彼はもしかしたら、プログラミングより折衝の仕事のほうが向いているのだろうか。
 アクセスが出来ない状態になっていたテスト機のログ管理サーバは、運用管理チームの古山と赤坂が実際に確認したところ、フリーズしていた。何らかのテストの影響でそうなったのだろうが、テスト機とはいえサーバがフリーズしているのを実際に見てしまうと、本番機は大丈夫なのかと疑ってしまうのも仕方のないことだろう。本番機は冗長化されているから大丈夫とは岡野の弁であるが、なんだかこの人の言うことも大して当てにならない様な気がしている。
 テスト機のログ管理サーバが適切な手順で再起動され、実行に失敗したバッチが手動で再実行された。また数十分待つのかと思って気が重くなったが、実際は数分で処理が終了した。どうやら障害発生前にほとんどの処理が終わっていたようで、データも正常性が確認された。
 ○二三○時、バッチファイル緊急対応の全工程が終了した。赤坂の号令により対応チームは解散し、各々が帰宅の途についた。
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 最終電車はとうの昔に出ており、タクシーに乗って帰宅できるほどリッチな豪族でなかった赤坂や埠頭、依代の三人は、始発まで居酒屋で時間を潰すことにした。赤坂がすすめる、肉じゃががうまいらしい隠れ家的な店である。
「隠れ家(笑)」
「スイーツ(笑)」
「うるさいよ!依代さんまでなんですか!」
 疲れからか、アルコールを飲む前から不思議な言動を始めた依代に、赤坂は驚きつつもツッコミを入れた。
 店員の誘導で座席に通されると、堀ごたつに脚を入れるやいなやだらしなく崩れ落ちた埠頭を、依代がたしなめている。赤坂はビールと肉じゃが、その他適当に注文すると、出された水を一気に飲み干した。
「もうやだ!こんな生活」
 赤坂のこの言葉をきっかけに、蓄積した全員分の鬱憤が爆発しようとしていた。
「飲む前にそんなこと言ってたら、飲んだ後どうなっちゃうのかしら」
「ビル爆破して私も爆発する、とか言うんじゃないですか」
「言う言う!あのビルに飛行機三つくらい喰らわしてやりますよ」
「これはもうだめかもわからんね」
「不謹慎!ふきんしん!」
 程なくして、ビールが運ばれてくる。当たり前のように、埠頭が店員に絡みだした。
「おうにーちゃん、お前も飲むんだ」
「いや仕事中ですので、失礼します」
「仕事中とかそんなのはいい。ビールを飲め。話はそれからだ」
「いやお客さん、勘弁してください」
「おい埠頭てめえ、店員様に迷惑かけてんじゃねえ」
 急に斜め上に平行移動した埠頭は、右方向に振り向いたとき、目の据わった赤坂に胸ぐらをつかまれているんだなあ、と思った。
 運ばれてきたビールのうち、赤坂の前に置かれたジョッキは当然のように空いており、埠頭の前にあるジョッキも何故か空いていた。
 全ての光景を目に収めた上で、依代は言った。
「世の中には2種類の人間がいる。酔わせてもいい人間と、生命を賭してでも酔わせてはいけない人間だ」
 アルコールを摂取することなく、赤坂と依代の相手を続けた埠頭は、後にこう語ったという。

 一番辛いのは、連続して徹夜を続けることでもなく、顧客の無茶に付き合うことでもなく、それをやってきたやつの酒の相手をすることだ。
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フッシマー 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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