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四、幽霊

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 五月二日は風の強い日だった。
 丹下の前に、所属する部活に丸をつける調査用紙が回ってきた。
 彼はバドミントン部に丸をした。迷いはあった。しかし後押しをしたのは北市のあの言葉だった。それはこの先どれほど時が経っても思い出せるくらい、彼の心に深く刻み込まれていた。
 挫折、裏切り、蹉跌感――それらをぶち壊す。
 篠原も同じくバドミントン部に丸をつけた。廊下の窓は低い音を立てて震えていた。



 どうでもいい部活の顧問ほど、どうでもいい人はいない。
 丹下と篠原の二人は顧問の先生に入部届けを出そうと職員室を訪ねてみたが不在で、周りの先生に聞いてみてもその行方を知るものはいなかった。しかたがないので部長の谷川のところへ持っていくと、「ああ、そのうち渡しとくよ……」といって預かってくれた。
 大体、このようなまともに機能のしていない部活に顧問などいるのだろうか? 誰に聞いても行方不明、素性不明なら、本当は顧問なんていないのではないだろうか。
 二人は思った。同時にある言葉を思い出していた。
 バドミントン部の西口といっただろうか、彼は自己紹介のときに自分のことを「幽霊」だと言っていた。
 顧問も幽霊なのだろうか。というより、彼はどういう意味で幽霊なんて言葉を口走ったのだろうか。二人の興味はそちらの方に向いていった。
「なあ、西口先輩のとこに行ってみん? 俺、あの『幽霊』って言葉がすごい気になって」篠原は言った。
「行ってみる? 部室におるかもしれん」



 部室は相変わらず汚い。中では木下が電気を消したまま、何やらぶつぶつ呟いていた。
「何か違う……何かが違う……」
「あの、木下先輩?」篠原は声をかけた。
「……ん、何?」
「西口先輩知りませんか? 少し聞きたいことがあって」
「西口なら、すぐ後ろにいるわよ」
 丹下と篠原はそう言われて息が止まりそうになった。振り向くと、ドアノブを握って立っている西口がいた。
「いやあ、風で飛ばされるかと思った」
「あ、あの西口先輩、『自分は幽霊だ』って言ってましたけど、それってどういう……」
 この後、二人はこの質問をしたことを後悔した。木下は「あーあ」というような顔をした。



「いいかい? 俺は何もかもが嫌だったんだ。擦り切れた神経を数えるような人付き合いも、休み時間のおしゃべりも、何の役にも立たない授業も、だからといって携帯とかいじるような奴らも、それに伴う少しの罪悪感も、そんな罪悪感を見せびらかして優越感に浸る奴らも、終わりと始まりを告げるチャイムの音も、それが鳴る前にちょっとだけ聞こえる『ホワーン』ていう音も、その音を伝える空気も、そしてそれを聞くための耳も、鼓膜も、それを通して『音』と認識する脳も、そんなくだらないものが詰まっている自分自身も。何もかもが嫌だった。だから俺はマンションの十階から飛び降りたんだ。そしたら俺は幽霊になった。なんで幽霊になってしまったのか俺は考えた。そして俺は気付いた。俺だけじゃなくて、みんな幽霊なんだ。みんなどこかで死んでいるんだ。濁った目をして、欲望なんてどこかに置き忘れて、知らず知らずに幽霊になってしまったんだ。みんなは気付いてないけど、俺は気付いてしまった。だから俺は『幽霊』だと自信を持って言えるんだ。わかった?」


 
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