トップに戻る

<< 前 次 >>

第七話「死神の速度」

単ページ   最大化   

 古びた喫茶店で、ユキヒトと僕は改めて会っていた。事件は僕一人が動いてどうにかなる範疇には収まらなくなっているようだった。
「全身に殴打された痕と、頭部を割られていたらしい」
 ユキヒトは丁寧な口調で、それでも僕に対して現実を述べていく。
 夢のような“現実”は、僕の目の前で静かに微笑みを浮かべ、そして僕をじっと見つめていた。その姿は僕がイメージの中で見た「死神」そのものであり、そいつはまるで僕を逃がすまいとその瞳を僕に向けているのだった。
「それで、僕にそれを伝えた理由は?」
「お前は犯人ではないんだろう?」
 彼の問いに、僕は一拍置いてから頷く。
「その通りだよ」
「実はな、もう一つ伝えてない事実があるんだ」
 ユキヒトは頭を掻きながら目を逸らした。僕は、ただじっと黙ったまま彼を見つめ、次に出てくるであろう一言を脳内で思い浮かべ続ける。
 彼は、重たい口を開いた。
「三人目の失踪者が出た」
 予想の範囲内にあったが、それでも外しておきたかった言葉を、今はっきりと引きずり出されてしまった。
 僕は一度溜息を吐いた。
「同窓会にいた綾瀬岬という子が消えた」
「やっぱりな」
 二人目が消えた辺りで大体その可能性は危惧していた。同じ場所にいた人物が連日で消えた時点で次の可能性は十分にありえたのだから……。
問題は、どういう“基準”で、どういった“理由”で消えていくかだ。ある一定の輪の中の人物が消えているという状況を考えてみると「無差別」という無責任なものではない筈だ。少なくとも計画的な何かがそこにはあるとみていいだろう。
「――この誘拐、殺人を行う犯人は何をしたいんだと思う?」
 僕は問いかける。彼は手元に置かれたカフェラテをぐるりとかき回しながら、色のない表情で、ただ一言呟いた。
「私怨か、または何かの使命感か」
 使命感。
 その言葉が、僕の脳内で蠢く死神の姿を更にはっきりとしたカタチにさせていくのであった。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第七話―

 数時間にわたる会話を終えて、僕とユヒキトは別れた。僕は手を振り背を向けて歩きだす彼の姿を見ながら、三人目の行方不明者について考えていた。
 着実に、それでいて蝕むように同窓会の面子を狙っていく誘拐、および殺人を犯す犯人は一体何が目的であるのだろうか。一つだけ考えが浮かんだのが、あの企画の中にいた人物による犯行というものだった。まず同窓会が開かれること、そして参加者が分かっていなければ着実に誘拐等出来るわけがないのだ。
 そうすると、次に関連性が必要になる。高校時代の私怨だとすれば、これまでの三人は一体何を行ったのだろうか。いや、なんにせよ結局のところは三人の関連性を調べて見るのが答えに辿りつくには最も最適なのかもしれない。
 そうして腕組みをしているところで、僕はふと意識的に“自らも参加の意識がある”かのような姿勢でこの状況に取り組んでいることに気付いた。あれだけ無関心さを装っていたくせに、興味を持ってしまうといつの間にかそれに没頭してしまう。人は大体そういうものだ。僕もその人としての特徴にすっかりはまってしまっているのだろう……。
 僕は周囲を見渡した。辺りはもうすっかり人気を失い、明度も落ちて視界が不安定になりつつあった。携帯電話の液晶に記された時間を見てある程度納得の意を示すと、僕は一度背伸びをしてから歩きだした。
 家に帰ろう。そうして、ひとまずは夕食を食べてしまおう。
 考える時間は幾らでもあるし、僕が例えばこの輪の中の人物だとして、行方不明になるまでの間の時間は僕のものなのだ。その間に事件が解決するのならばそれでもいい。
僕がターゲットとして定められたら、きっと僕は醜く抵抗し、死に恐怖し、もがきながら不自由さを呪うだろう。そんな感覚を味わう状況に片足を突っ込んでいるのだ。今この時間くらい自由に使わせてほしいものだ。
 僕は夕方はパスタにしよう、そうだ、コーラも切れていたし材料をある程度仕入れようと思い立ち、帰路の途中にあるスーパーマーケットを目指すことにした。

 パスタに合いそうな惣菜を適当に袋に詰め込み、そして僕はすっかり元気をなくした財布に悲哀の視線を送りつつもそれをポケットにしまった。そろそろアルバイトの一つでもするべきなのだろうと思うのだが、多分今働き出したとして何かが変わるわけでもないだろう。これまでこうやってごく自然な生活を送れてきていることを考えると、今更という感覚もあるのだ。
 そういえば彼女はどうしただろうか。スーパーの袋を前後に揺らしながら僕は木崎美紀の姿を思い出してみる。
 あれだけ熱心に犯人捜しをしていたところを考えると、何か一つの答えに辿りついていてもおかしくはないのではないだろうか。例えば同窓会のメンバーだけが狙われ続けている理由や、その関連性、順番もあるかもしれない。
 とにかくこちらから連絡を取ってみてもあまり悪くはないかもしれないな。僕はポケットから携帯を取り出すと、つい最近の着信履歴から、木崎美紀のものと思われる番号を探しだし、そして――
「先輩っ」
 その行為は一人の好意によって遮断された。
 僕の身体に巻きつくようにその細くもどこか柔らかさをもつ腕は絡みついて、そして背中には、顔と胸が押しつけられていた。輪郭がはっきりと感じられるほどに強い抱擁に僕は思わずその全てを振り払い、数歩移動して背後の存在(正体の予測はほとんどついているわけであるが)を視認する。
「彩香か」
「突然ごめんなさい。ちょっと驚かそうと思って」
「……」
 勘弁してくれ、という言葉を僕は呑みこんだ。そんな言葉を吐けば彼女の事だ。何があったのかを問い続けるだろう。彼女に知られたから何かと言われれば何もないのだが、それでも何故か僕は“彼女に知られてはいけない”と思ったのだ。
 それが彼女自身に及ぶかもしれないという危機感なのかはよく分からないが。
「それで今日はどうした?」
 多分開ければ爆発は確定であろうコーラ缶を取り出して溜息を吐きながら、僕は彼女にそう問いかけた。
「学校で先輩を見かけたので、少し」
 少し着けてみた、ということなのだろう。
「先輩、あの図書館で会った人は……」
「ああ、雪咲朝さんか。誤ってぶつかってしまって、本を運ぶのを手伝っていたんだ」
 それから一体どんな会話をしたのかは、言わないでおいた。彼女が一体僕にどんな感情を抱いているのか分からないが、それでもなにかしらの好意を抱いていることは分かるし、朝と踏み込んだ会話をしていたことを知れば何か面倒事になるかもしれない。
 だから、ある程度距離のある知り合いで通そうと思ったのだ。
「あの人、気を付けた方がいいと思いますよ」
「え?」
 彩香の返答は僕の想定外の物であった。
 彼女は少し居心地の悪そうな表情をした後、ゆっくりと背を向けたのだった。
「私、今日は帰りますね」
 僕は押しの弱さに戸惑いを覚えながらも、ああと二文字で返し、そして帰宅して行く彼女の寂しげな後ろ姿をぼんやりと見つめていた。雪咲朝と川西彩香。二人に一体どんな関係性があるのか全く予測もつかないが、それでも反りが合わない二人だということだけはなんとなく分かった。
 その姿が見えなくなり、僕は一度だけ溜息を吐くと中断されていた行動へと戻る事にする。
 携帯電話を開くと僕は迷わずにその木崎美紀のものであると思われる番号に、電話をかけたのだ。

   ―――――

 二人分のパスタが茹であがってからの作業は非常に早かった。なにしろソースを作る気はさらさらないのだ。適当に買ってきたルーを良い具合に湯気を上げているパスタの上に吐きだすだけでそれなりのものとなる。
 カルボナーラ特有のクリーミーで粘り気のある香りが僕を包み込み、空腹を助長させていく。普段ならばこの場で手をつけながら机へと移動し、テレビを適当に見ながら食事をするが、今日はそんなことができない。
 僕は手を付けたい気持ちを抑え、二つの皿を机の前で無表情を決め込んでいる少女、木崎美紀の前へと運ぶ。
 電話をして、事情を説明すると彼女は思った以上に早い反応を見せてくれた。まず三人目について話し、そしてその人物の名前を言ってみると、彼女は一度息を呑んだのだ。何かしら思い当たる節が存在したのだろう。あるいはこの三人の関連性に気付いてしまった。
「そこまで出来は良くないが、お腹は膨らむ」
「……」
 彼女の前にカルボナーラを差しだすと彼女は無言のまま手を付け始める。食事の間には会話はしてくれそうにはないと思った僕も続けてカルボナーラに手を付け始める。コーラは予想通りというか、当たり前というか、プルを捻った瞬間に破裂したので今日は諦めた。
 無言のままの食事が続く。
 時折響く食器とフォークとの衝突音がやけに小気味よくて、僕はその音に何度か可笑しさを覚えた。だがここで笑うというのもどうかと思い、その口にパスタを詰め込むことで笑いそうになるのを回避した。

 食事も終わり、息をつき始めた頃、僕は無言のままの彼女が放つ空気に耐えられず、窓を開けて空気でも入れ替えようと立ちあがり、そして網戸状態にする。張りつめていた空気が少しだけ揺らいだような気がして、僕の身体も緊張が解けた気がした。
「多分、私も消えるうちの人間に入ってると思うわ」
 そのきっかけが功を奏したのか。それとも単に彼女の中で話す準備ができたかどうかは分からないが、とにもかくにも会話ができる状況になった。それだけで今は十分だ。
「君も消える……?」
 言葉を繰り返すと彼女は頷いた。
「私も多分罪を背負ってる一人だと思われてるから」
「罪?」
 彼女の言葉で気になったワードを引き抜くが、彼女は首を振る。
「貴方を疑ったことは謝らないといけない。そして同時に、貴方には今は何も話してはいけない気がするのよ」
「そんなことを言われても納得ができない」
「事情は言えない」
 それからは、何度問いかけても全く同じ言葉の繰り返しであった。まるで鏡に向かって話しているような気分になってきたので、僕はとうとう諦め、沈む彼女を見ながら食器を片づける。
 食器をあらかた洗い終えてから、僕は再び彼女の前に座った。
「君が話せない理由は、僕が大きく関わっているからなのかい?」
 肯定。
「ならば、僕も消える対象として入っているかもしれない……と考えていいのか?」
 肯定。とにかく僕がいつかターゲットとして見染められる可能性があることだけははっきりした。もっと深くを聞けば何か分かるかもしれないが、彼女は話してはくれないだろう。
ただ、と木崎は顔を伏せたまま口を開く。
「ただ、貴方はまだ消えないと思うわ」
「どういうことだい?」
「物事には順序というものが必ずしも存在するのよ」
「今後もこの事件は連続して起きることまで分かるのか」
「ええ、どれだけ範囲内で狙われているのかは分からないけれども……」
 その会話から考えると、何かしらの関連性のある出来事の上で僕らは狙われているのだろう。範囲内、という言葉からして少なくとも同窓会に参加していたメンバーは何かをしでかしたのだ。
 そしてその面子の中に僕も、いや僕自身が最も最重要な存在として組み込まれていたようである。
「僕の順序は、最後から数えた方が早いと予想してもいいのかな?」
 木崎は肯定した。
「それで、この状況を打破するには?」
「どうにかしようと思うのだけれども、分からないのよ」
 木崎は首を横に振った。
「狙われる人間の予測はつくけど、犯人が全く思い当たらないのよ。つまり、私達の“クラスの中の人間だとは思えない”の……」
 動揺の色を浮かべた彼女をじっと見つめ、そして僕は同窓会の参加メンバーの仕業であるという予測が完全に間違っていたという事実に驚いた。いや、彼女自身の考えなのだから僕の予測が当たっている可能性もあるかもしれない。
 だが、何故か今は彼女の方が明らかに正当性があると思えて仕方がないのだ。事情を話さない。関連性も分からない。そんな状況下でも、木崎美紀の言葉は信じるに値するものだと僕には思えてしまったのだ。
「それで、死神は今後どう動く可能性があるんだい?」
「死神?」
 彼女は首を傾げる。僕はベッドに寝転がると、天井の電灯の輪郭をぐるりと指でなぞっていく。
「死を運んでくる奴なら、死神という呼称が似合うだろう? それに最近僕はやけに死神という存在についてイメージすることが多いんだ」
「それで?」
「呼称があった方が親しみやすいだろう」
 殺人犯に親しみを込めた名を付けるとは、一体どんな変人なのだろう。彼女の瞳は間違いなくそのような言葉を瞳に込めていた。口に出されたとしても僕はそれを否定できないし、多分肯定もしない。
 別に殺人犯に親しさを覚えるつもりはないが、それでも着実に脳内に存在するイメージと、犯人の姿がリンクして見えるようになってきているのだ。つまりは二つを別々にしておくことが“ややこしすぎる”のだ。
 だから僕はあえて犯人を死神を呼ぶことにする。白髪で顔のやけに整ったあの“死神”を。
「それでこれから、君はどうするんだい?」
「……どうしようにも、次に狙われる人物が分からない」
「なら、君の順番を待つことにしようか」
 僕の言葉に、彼女は表情を歪めた。
 何か訴えたそうな強い視線を受けながらも、僕はけして怯まない。
「単純なことさ。僕と、ああユキヒトも連れていくのもいいかもしれない。それで君の番で出現するであろう死神を捕えるのさ」
「そんな簡単に……」
「簡単ではないだろうね、失敗の可能性だってある。なにしろ動機も順序も何も分からない状態なんだから」
 彼女は唇をかみしめている。しかし成功したとすればそれでこの事件は確実に解決の道をたどる。計画性があるかと言われれば全くもってない無謀なものであるが、僕が順序として最後であることが分かった今、時間と猶予は十分にあると考えたのだ。
 ならば、できることをやってみるのもいいだろう。
「君は自分の順序をある程度予測する。話せないけれども事情が分かっているのならば、そこから人数、自分が狙われる可能性のある順番くらいはある程度予測できる筈さ」
「貴方は……?」
「君の話せない事情とやらを調べるさ。僕自身の手で知るのならば文句はないだろう?」
 彼女は何も言わず、躊躇いがちにただ頷いただけだった。
「それじゃあ、ある程度何かが分かったら連絡をもらえるかな?」
「でも、私が誘拐されるまでの人達は……?」
 不安そうに潤む瞳がこちらを覗いている。少しだけ、抱きしめてやりたいという気持ちが浮かんだが、理性と、冷静なまでの答えがそれを抑え込む。
「僕は全てを救えるほど強くはないよ。いや、誰も救えないかもしれない弱小な人間だよ」
 はっきりと答えた言葉は、僕の中で一人の少女の姿を思い出させた。あの時僕の目の前で姿を消していった一人の少女の姿を……。

 会話が終わると彼女は帰宅を告げ、僕はそれに付き添った。彼女を家まで見送った後、僕はどんよりと曇った夜空を見上げながら、星が見えないことを少し残念に思った。
 胸が晴れるような気持ちを求めている時に限ってこんな天気だ。
 僕は背後に感じる死神の存在を背中で確認しながら、まだ時間じゃないと言い聞かせ、そしてひたすらに空を見上げて歩き続ける。

 結局はそれしかないのだ。

 晴れていてすがすがしい気持ちになれたとしても、曇っていてわだかまりの残った気持ちになったとしていても、雨で落ち込んだ気持ちになったとしていても……。
 歩くしか、今は選択肢はないのだ。
 僕は確実に迫ってくる死神をまた脳内で思い描きながら、一歩づつ両足を交互に前へと動かすのであった。


   つづく。
7

硬質アルマイト 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る