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第五夜 復讐の果てに③

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「寒くなってきたね」
 美菜子は浩介の手を引いて波打ち際から離れていく。
「そろそろ車に戻ろうか」
「そうだね」
 あらかじめ持っていたハンドタオルで足を拭いて靴を履くと、手をつないで数十メートル離れた駐車場に戻る。
「あれ?」
 階段を上ると、来たときには浩介の自動車だけだった駐車場にもう一台の自動車が駐車しているのが見えた。車内はライトが点灯しており、フロントガラスから中に男が三人いるのが視認できた。
 浩介たちが自分の自動車に戻ろうとすると、彼らを待っていたかのようにもう一台の自動車から男たちが降りてきた。傍にある道路の電灯の光でうっすらと彼らの表情が伺えた。三人が揃って下品な笑みを浮かべている。
 浩介は漠然とした危機感を感じ取った。この男たちから早く離れなければ。
 歩みを速めて男たちから干渉されるよりも前に自動車に乗り込もうとするが、それよりも先に美菜子の悲鳴が上がった。
 浩介が振り返ると、美菜子は男の一人に腕を掴まれていた。
「何なんですか?」
 浩介は元々気が小さい。だが彼女に手を出されて黙っているわけにもいかず、おびえながらも大きな声を上げて問いかける。
「これお前の彼女だろ?」
 美菜子の腕を掴んでいた男が、その手を思い切り引っ張る。美菜子の手が浩介かた離れ、彼女は男に後ろから抱きかかえられるような形で捕まえられた。「嫌……ッ」と美菜子は男から逃れようと試みるが、男の力に勝てるはずもなくその場でもがくことしかできなかった。
「ちょっと貸してもらうわ」
 男の手が美菜子の胸に伸びる。荒々しい手で彼女の胸元の形がぐにゃりと歪んだ。
 浩介は無意識のうちに殴りかかっていた。生まれてこの方争いごとと無縁で喧嘩など一度もしたことがなかった彼だが、今回ばかりは怒りで頭が真っ白になっていた。
 しかし、その拳が男に届くことはなかった。腹部への衝撃とともに浩介は仰向けに倒れ込んでいた。
 何が起きたのか分からず、浩介は痛みにうめきながらばたばたと悶える。頭に血が上っていたこと、そして周囲が暗かったことで他の男の攻撃に気がつかなかったのだ。
 腹部を殴った男がそのまま浩介に馬乗りになる。
「悪いねえ。俺ら他人の女じゃないと勃たないんだわ」
「ふざけるな!」
「人助けだと思ってくれよ、な?」
 男の拳が浩介の顔面に直撃。痛みと衝撃で身体から力が抜けていくのを感じる。朦朧とする意識の中で、浩介の視界に馬乗りになる男の後方の光景が映る。自動車のボンネットに抑えつけられた美菜子、そしてそこに覆いかぶさって彼女の身体を愛撫する男の姿が。
 怒りで途切れかかっていた意識がはっきりと戻ってくる。
 美菜子を助けなければ……!
 その一心で再び抵抗を始めるが、無慈悲な拳撃が返ってくるだけだった。
 度重なる攻撃で浩介は抵抗する力を失う。馬乗りになっていた男はそんな彼から離れると腹部に蹴りを入れて身体を半回転させる。浩介はぐったりとうつ伏せ状態にさせられた。
 再び男が浩介に馬乗りになると、髪の毛を引っ張って彼の頭を持ち上げた。
 浩介のぼやけた視界には美菜子の上で腰を振る男が映っている。彼の身体に隠されて美菜子の顔は分からなかった。
 先ほどまでの激しい怒りは消え、残ったのは夜の闇よりも黒く深い絶望感だけだった。
 浩介にとって初めての彼女が、別の男に犯されている。
 まだ付き合って一ヶ月弱の彼女が、別の男に犯されている。
 キス止まりで性交渉はまだだった彼女が、別の男に犯されている。
 無意識に記憶の海から溢れ出る美菜子との思い出が、浩介の絶望感を増長させていく。
 美菜子の口から洩れる泣き声が次第に小さな喘ぎ声へと変化していき、それが止めとなって浩介は全てを諦めた。
 男の一人が携帯電話で動画を撮影していたが、浩介はそれさえも気にならなくなっていた。
 一時間ほど経ったところで、男たちはそれぞれの欲望を美菜子に吐き出し終えた。それに伴い、浩介も馬乗りで押さえつけられた状態から解放される。
 男たちはそれぞれ乱れた自分の服装を直すと、ボンネットの上でぐったりとしている美菜子を浩介の横に下ろした。
「じゃあな。気持ち良かったぜ」
 三人は大声で笑いながら自分たちの自動車の中に戻り、この場を去って行った。
 浩介はうつ伏せのまま傍でうずくまっている美菜子に声をかけようとしたが、言葉が何も浮かんでこなかった。だがずっとこのままでいるわけにもいかない。浩介は起き上がって美菜子に手を差し伸べた。
「……帰ろう」
 美菜子はその言葉に答えることも手を伸ばすこともせず、無言で立ちあがった。そしてゆらゆらとおぼつかない足取りで浩介の自動車の後部座席に乗り込んだ。
 浩介も続いて運転席に乗り込み、エンジンをかける。ミラーから後ろの様子を伺うと、美菜子が膝を抱えてうつむきながら震えていた。
 視線をミラーから前方に戻し、アクセルを踏み込む。駐車場を出て海岸線に出る。
 夜が明け始め白んだ空の下、交通量の少ない道路を走っていく。
 今日はこのまま美菜子を家まで送っていこう。そう思ったが浩介は肝心の美菜子の家の場所をまだ知らなかった。
「美菜子、君の家は……?」
 ミラーで後ろを伺う。美菜子は先ほどと同じ体勢のままだった。何も答えず、ただ震えている。
「ねえ美菜子――」
「……駅」
「え?」
「駅で降ろして」
「いや、でも家に……」
「一人になりたいの」
 確かにここから三分ほど走ればいつも待ち合わせ場所にしている小さな駅がある。でも、ここで一人にしていいものなのか。浩介は思い悩む。
「お願い。早く一人にして」
 震えた声で、美菜子は訴えた。
「……分かった」
 浩介は人気のない駅前に車を止める。美菜子は半裸に近い状態だった服装を元に戻すと「ごめんね」と一言残し、車を降りた。
 どうして美菜子が謝るのだ。謝るのは彼女を守れなかった俺の方じゃないのか……。そう思って謝ろうとした時にはすでに美菜子はドアを閉めて車から離れていた。
 しばらく車を発進させる気にもなれず、浩介は申し訳なさとい悔しさがごちゃまぜになった感情を拳に乗せて助手席を思い切り叩いた。
 それから、浩介は毎日あの夜のことを夢に見る。辛い記憶ではあるが、男たちに対する憎しみを忘れずにいられる。復讐心を最高潮の状態で維持していられる。自分のふがいなさを忘れずにいられる。
 美菜子とはあの日以降連絡が取れなくなった。メールや電話を繰り返しても、彼女からの返信はこなかった。しばらくして、携帯電話を変えたのかメールと電話は完全に届けられなくなった。
 それほどの出来事だったのだ。もう幸せだった頃には戻れないと浩介は痛感した。だが、もう元に戻れなくても彼らに制裁を加えなければならない。
 男たちのような邪悪な人間が自分たちを差し置いて平穏な暮らしを謳歌している状況を、浩介は絶対に許すことができなかった。
 だから、浩介は自分を捨てて復讐の道を選んだ。犬畜生にも劣る奴ら三人を殺すことが、彼の人生における最大かつ最後の目的となった。



 三原を殺してから一日経った。日が沈んだことを確認し、浩介は行動を開始する。
 血を飲んでいないからか、いつもより身体に力が入らない。が、復讐を中断する理由にはならなかった。あと一人殺せばお終いなのだ。浩介は全てから解放される。
 浩介はポケットからメモを取り出す。そこには三つの住所が書かれており、そのうち二つには×印がつけられていた。事前にしらべた男たち三人の居場所だ。
 あの夜、浩介は彼らの車のナンバーを目に焼き付けていた。それをもとに知り合いのつてでとある私立探偵を頼り、三人の住所を割り出してもらった。
 探偵は犬飼という名乗る三十代半ばの男だった。どこかの興信所に所属しているわけでもなければ届け出を出して公式にやっているわけでもない、半ば趣味同然で探偵業をしているとのことだった。その腕は確かなようで、馬鹿みたいに高い料金を請求するが依頼してから半日足らずで――自動車ナンバーという事前情報を与えていたのもあるが――三人の住所を割り出した。
 夜道をふらふらと歩きながら最後の標的が住むマンションへ。他の二人の住んでいたマンションよりも大きく防犯設備も充実していた。玄関口はオートロック式で部外者は入れないようになっている。
 しかし、浩介にとっては大した障害にはならなかった。マンションの裏側に回り、忍者のように柵や塀を乗り越えて、マンション内に侵入した。
 目的の部屋は二階だった。表札には宮村誠二と書かれている。メモと照らし合わせて間違いがないことを確認した。
 屑のくせに誠なんて字が名前に入っているなんてな、と浩介は笑う。そして静かにドアノブに手をかけた。
 鍵はかかっていない。音をたてないようにゆっくりと扉を開けると、中から男女の笑い声が飛び込んできた。
 奴はいる。今日復讐を遂げることができる。
 高揚感に包まれながら、浩介は忍び足で廊下を進み、リビングへ繋がる扉を開く。笑い声がより一層大きくなって浩介の耳に流れこむ。
 リビングにはクリーム色のソファ。そしてそこに座る男女二人。彼らの視線の先にはノートパソコン。画面に映っているのは――浩介。
 あの夜の記憶と同じ声が、スピーカーから聞こえてくる。画面の中心は浩介。血と涙が汚れている。笑い声と共に画面の中の浩介の顔に拳が叩きこまれる。それと同時に男女も笑い声をあげた。
 浩介は大きな音が鳴るように扉を閉めた。その音に気付いて男女二人が振り返る。殺したくてたまらないと思っていた男の顔、そしてもう一人愛してやまなかった女性の顔が浩介の目に飛びこんだ。
 俺と一緒だったときよりも濃い化粧をするんだな、と混乱してぐちゃぐちゃになった頭の中で浩介は思った。
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