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メルミナ=ナミルの記憶

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 レクシスさんと私が一緒に旅をしていた時、一度彼の過去を聞いたことがあった。
 ありがちといえばありがちな、けれどとても可哀想で悲惨な過去。私からしてみれば、そう思えるものだった。
 私はよく、他人から過去を教えてもらうことがあった。なぜなら、私には過去と呼べる過去がなかったから。自分にはそれがないからこそ、私はそれを探していた。
 私は、物心ついた時には既にとある帝国で戦闘用の人間として育てられていた。たいした自由も認められず、ただ戦うためだけに育てられ、そして実際多くの人を暗殺した。女の子という立場を利用して相手に接近し、警戒させることなく、ただただ仕事をこなしていた。特に目的もなく、それに疑問を抱くこともなく、生まれた頃からそういう風に教育されてきたんだから当然だった。私のこの性格さえも、相手を油断させるためだけに形成されているものだ。他人に懐き、そこそこに無邪気で、物分りがよく、そういった数々の性格は、すべて教育されてできたものだ。
 私は空っぽで、自分というものはなかった。あの時私という存在は存在していなかったのだ。彼、レクシス=シナディンという人があの帝国に来るまでは。
 彼は、強かった。戦闘だけではない、その心がだ。
 一見すると、彼の命令への忠実さは私を彷彿させるものだったけれど、決してそんなことはなかった。
 彼は、私の逆だった。
 ひたすらに目的を持っていて、それを目指すためにはどんなことでも厭わない。人を殺すことだって、彼には目的を達成するためのステップでしかなかった。
 私は、そんな彼の姿に見とれた。
 理由だとか目的だとか、そんな概念がなかった私からしてみれば彼は劇的で、その時、私は感じた。彼こそが人間の姿であると。
 兵器でしかなかった私が、その瞬間ついに人間として“誕生”したのだ。
 それから私は、彼に接近し始める。最初は彼に気づかれないように情報を集めた(この時点ではまだ、なぜ彼がそこまで目的を追い求めているか、とかいうのは分からなかった)。次第に、実際に顔を合わせたりもするようになる。最初は彼は、なぜこんな小さな女の子がこんなところに(帝国の中枢に近いところ)、などと思っていたのかもしれない。ただそれでも、何度か顔を合わせる内に私に警戒を抱くこともなくなり、時々冒険者時代の話なんかもしてくれた。それはとても魅力的で、いつか私もそんな風に――と思わせるものだった。その時の私はたしかに私として存在していて、それまで感情など演技でしかなかった私に、本当の感情というものを、彼の前でだけ私は得られた。
 幸せだった。幸せで幸せで幸せで幸せで幸せで幸せで幸せで幸せで。生まれて初めて、私を感じた。
 けれど現実は残酷で、私“たち”に、ある命令が下される。『レクシス=シナディンを暗殺せよ』。
 彼に一番警戒心を抱かせることがないのが私であるというのは、多くの人が知っていた。だって、いつも楽しそうに――楽しく話していたのだから。私“たち”にその命令がくるというのは、それは必然だった。
 私“たち”は悩んだ。暗殺者としての私。私としての私。二人はせめぎあった。
 でも、実際はそんなことはなかったのかもしれない。
 だって、命令された時にはもう、心は決まっていた。だから私は、こう言った。
「貴方の、命が狙われています」
「……ん?」
「もうすぐ、貴方の命を狙って暗殺者が現れるはずです。そうなる前に……この国から逃げてください」
「突然どうしたんだい、メルちゃん。随分と物騒な事を言うものだね。せっかくまたこうして今日も会ったんだから、てっきり私は何か話してほしいのかと思ったというのに。……それに、私には誰かに命を狙われる理由なんて」
「ありますよ。分かっているはずです、貴方は――強すぎた」
「……」
「それを好ましく思わない人がいないだなんて、そんなわけがないです。分かってますよね、貴方が強すぎたがために、この国のお偉方の何人が手柄を取り損ねた事か。貴方はもう、彼らにとっては邪魔な存在になっているんです。それは貴方ほどの人なら、もう悟っているでしょう?彼らが貴方を消そうとするということも」
「……そうかもしれないね。けれど、私はここで逃げ出すわけにもいかない。ここで逃げたら、それこそ彼らの思惑通りだろう。私はね、そういうお偉方が得をするようなことはしたくないんだよ。私の目的と同じぐらい、それも憎んでいる。だから、忠告はありがたいけど私は逃げ出すわけにもいかない。むしろ逃げるくらいなら、この国の兵士をいくらか殺して打撃を与える方が本望だよ」
「……でしたら。――メルちゃんをつれて逃げてください。そうすれば、貴方のその考えにも反しません」
「へえ。……というと?」
「メルちゃん、これでもこの国の中枢に近いところで働いてますから、消えたとなればそれはそれで大きな打撃を与える事ができます。それでも、貴方が兵士を殺して回るのよりは打撃は小さいでしょうけれど、こっちの方が得策だとは思いませんか?」
「……」
 この時は、たまたま他の人にレクシスさんが呼ばれたので会話は打ち切られてしまった。これだけで彼が本当に信じてくれるのか、実際のところ私は不安だった。まあ、結局は杞憂だったけれど。
 その日の夜。
 私はレクシスさんに“誘拐”された。……ということになっている。
 本当のところは、もちろん私は了解済みだ。彼が私に声をかけに来てくれて、それに私がついていった。誘拐でもなんでもない。それを知らない帝国の人からしてみれば、それは誘拐だったんだろうけれど。
「……ありがとうございます。メルちゃんを――あの国から連れ出してくださって」
「他人行儀なことだね。命の恩人を無視なんてできるはずがないだろう。君のおかげで、私は死んではいけないということを思い出せた。ありがとうは私のセリフだ。それに、その行為を選択したのは君自身だ、他の誰でもない。君はもっと、自分を感じるべきだ」
「そう、かもしれないです。……ええ」
 やはり、彼も私のことをなんとなく理解していたのかもしれない。正確には分かるはずもないだろうけれど、それでもやはり私を人間にしてくれた人だけはあるなあ、と思った。
 ――この人についてきて正解だった。
 それもう、私の中では確定事項だった。揺るぎない、思い。
 そう、だから――だからこそ。私は彼を“殺そう”。
 私の手で、彼に終わりを与えてあげよう。私を人間にしてくれた彼への、最大の感謝として。私は……贈ろう。
 ――今はまだ、勝てないとは思う。けれどいつか、私が貴方を殺してあげます。
 そう、私はその時に誓った。
 少ししてから、彼は姿を消した。好都合だった。次に合間見える時こそ、彼に死を贈ろうと決意した。そのために、私はなお一人で旅を続けた。ただひたすら、彼に死を贈るという目的に向かって。
 ただ、今のままでは到底勝ち目はない。誰かに教えを請う、などをしなければ差は埋まる事はないだろう。そう思った私は、噂だけの人物、『禁術師』という人を探す事にする。何年かかろうと、どうでもよかった。いつか会えることを祈ったものだった。
 ところが、予想外に早く出会えることとなった。まるで彼女の方から私を訪ねてきているかのような(結果的には実際にそうだったのだけれど)、そんな偶然が起きた。そしてそのグループの中に、私の想い人である彼がいたことも遠目から分かった。
 偶然なわけがない。これは何かの運命。
 私は嬉しかった。彼に、またこんなに早く会えることになるなんて。嬉しくて、いらぬお世話だったんだろうけれど、私から彼らに声をかけることにした。
「あなたが、『禁術師』メイラ=シュライナさんですね」
 いつかきっと、私がレクシスさんに死を贈りましょう。私を人間にしてくれたことへの最大の感謝として。だって、私には“殺し”しか感情を伝える術がないんです。
 何より――私は貴方が大好きですから。
 ――好きです、レクシスさん。どうかお願いします、私の愛を、受け取ってくれませんか?
 私は心の中で、そう呟いた。
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