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7話「好投手の世界」

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 打率が三割を越えれば一流と言われるプロの世界だが、アマチュアには三割どころか六割を超えるような打者がゴロゴロしている。それは打席数の少なさもあるが、対戦する投手が低レベルであることがその理由である。
 低いレベルの野球では“打てない凡退”というものがほとんど無く、“打ち損じ”がアウトカウントのほとんどを占めるような状態になっていたりする。目にも止まらぬ豪速球に振り遅れて空振り三振……ではなく、打てる球を打ち損じて内野フライ、という感じに。投手が良いピッチングをしたからではなく、打者のミスでのみアウトをとれるかのような。
 しかしあくまでもそれは打者が優秀なのではなく投手のレベルが低いだけで、雛形くんや能見が相手ではそうはいかない。他の投手からは六割ヒットを打っているような打者が、能見の前には三振の山を築いてゆく。
 それが“好投手の境界線”だと私は思う。
 “打ち損じ”から“打てない球”へ。ある一定のレベルを越えた時、アウトカウントの内訳が一変する。
 ――その境界線の向こう側へ行こうと、岩田は黙々と投げ込みを続けている。
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 プレートの左端に立ち、精一杯体を伸ばして左腕を横へ投げ出す。元阪神、ジェフ・ウィリアムス投手を更に変則化させたようなサイドスローへの転向を岩田は目指している。
 さすがに細かいところまではまだ要求出来ないが、とりあえずそのピッチングの形ぐらいは出来てきているように思う。ちゃんとストライクゾーンに投げ込めるようにはなっているし、良く分からない変化球もまあ……、曲がっていると言えば曲がっている。
 問題はこの後。今はまだ“ただ横から投げているだけ”という状態なので、ここから変則フォームの真骨頂……サイドスローで投げる所以の武器を身につけなければならない。中体連まであまり時間も無いが、もしこのサイドスローが磨かれれば能見を超える可能性もきっと0じゃないはず……。暑さで流れる汗が、岩田の焦燥感を表しているようにも見えた。
「よーっし、次あの球いくぞあの球~」
 二つ並んだマウンドで、岩田の隣に立つ能見。右手をクイクイと外側に動かして、ボールが変化する方向をキャッチャーに指示する。
 能見が放ったボールは岩田の全力投球よりも遥か速い球速を維持しながら、利き腕方向に大きく変化した。シュートボールである。それも生半可なボールではない、中学レベルでは魔球といって差し支えないような代物だ。
 予備知識を持たない素人が初めてシュートを投げようとする場合、その変化方向から推察して無理矢理に右手を捻りながら投げる人が多い。それだと確かに大きく変化はするものの、大抵の人はそんな投げ方ではまともに投げられないし腕への負担も大きい。
 能見もまたそのクチだった。
 シュートを投げてみようという話になった時、能見は誰からもその投げ方を教わらずに頭のイメージだけで右手をメチャクチャに捻りながらボールを放った。が……やはり能見が他の一般的投手と違うのは、そんな酷い投げ方で見事にボールを操ってみせたところである。かなりの球速を保ちながらキャッチャーのミットを鋭くえぐる。理想的とされる投げ方から放るより、リスクはあるものの変化の幅も大きくなっているはずである。何度も言うように、普通の人はこんな投げ方ではストライクゾーンにボールをコントロールできるはずもないのだが……。
「イイ~ねえ~! イイ球だよね~コレ。最高だぜえ~」
 マウンド上ではしゃぐ能見。
 小躍りしながらリリースの感触を確かめたりしている。
「豪速球に加えて、変化球まで超一流~、つってね。イイ感じだぜえ~」
 なんて事を言いながら、楽しそうに投球を繰り返す能見。物凄く嫌な奴だが、こんな風に覚えたての変化球に胸を躍らせている姿は少し微笑ましくもある。ただ、隣に岩田がいるということも少し考えて欲しいものだが……。
「よーし岩田、そろそろ上がるか?」
 キャッチャーが立ちあがり汗をぬぐった。
 当然、岩田の汗の量はその比ではない。
「いや、まだまだ! 納得いくまで投げ込みたい!」
 岩田の努力もお構いなしに、それを上回る速度で更なる成長を重ねる能見。
 今日もまた、岩田にとっての貴重な一日が過ぎてゆく。能見との差を縮めるどころか、逆にその差は広がり続ける。
 中体連まで、残り二ヶ月を切ってきた。
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