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ミコト

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「きゃああああああああああ!」
 人間が出したものだとは到底思えない音量と風圧。目の前にあるだろう空気を押しのけて一直線にこちらに向かってくる。俺は身体を正面に固定したまま横に跳んで避ける。音はそのまま直線運動を続けコンクリートの壁に当たったところで止まらず、壁を粉々にぶっ壊す。
「え」
 言葉を失うが、しかしぼおっとしている余裕はない。ミコトは再び息を溜める。空気装填の間に俺は少し離れた柱の陰へ。おそらくあちらからは見えないだろうこの位置。隠れたところで一息つく。
「ったく、冗談じゃねぇ」
 ここはとある廃ビル。あと二カ月後には撤去が決まっているコンクリートの灰色がすっかりむき出しの殺風景な場所。単に古いだけなのか今の戦いでそうなったのかは知らないが、ところどころに亀裂が走っていた。そんな絶対住みたくないランキングに入りそうな所の一フロアで俺らはやりあっている。本当は来たく無かったんだけど仕方ない。やむをえない事情ってやつだ。
 とりあえず見つからないように辺りを見回す。柱の右側から除くと遠方に紅いものがよく目立っていた。あいつの頭だ。ちなみに地毛でなく染めているらしい。にしても原色って。センスのかけらもないな。ここからでも目が痛いぞ。だがこちらからすればありがたい。あれでは隠れるのは容易ではない。いや、いずれにしろ隠れるなんて戦略染みた真似をできる頭はないのだけれど。
「どこー、どこー?」
 誰かに呼び掛けるように通る声を出すミコト。どうやら俺を探して彷徨っているらしい。この間にどうにかバックレたいものだ。まさかここまでとは思わなかった。
「言うわけね―だろうが」
 ぼそっと心の中で答えてやった。当然あちらに聞こえるはずもない。もし聞こえようものなら一大事。
「すうう」
 出てこないと諦めたのか、ミコトは再び息を足す。この俺ら以外いないただっぴろい空間のためコンクリートに音が反響し、離れていても音が聞こえる。
 空気は吸い終えると同時に一気に吐き出された。
「いやあああああああああああああああ!」
「うるせえー!」
 声が部屋中に反響する。だが、先程のようにコンクリートを破壊したような音はしない。他に物もないここでは何も壊れていないことになる。となると、これの目的は声を部屋中に響き渡らせることだ。攻撃するためじゃない。つまり――
「クッソ!」
 全力で駆けだそうとする。バレる前に、いやすでにバレていたとしても一刻も早く逃げ出さなければ。つま先に体重をかけ、地面を蹴ろうと試みる。
 だが、遅い。
 目の前には既に、ミコトが立っていた。更に走ろうとしていた勢いが彼女との距離を詰めてしまったのが致命的。
「ヒロちゃん!」
 にんまりとこちらを見て笑う。不自然に上がった口角が気味悪い。見た目においては無邪気な子供そのままで、ただし何に対して純粋かと言えば殺意だから不純と言えなくもない。ついでに表情について言えば嗤っているという字面の方が合うかもしれない。
「みーつけたっ!」
「ははは。コウモリかよ、お前」
 さっきの声はダメージを狙ったものでなく、音の反響で相手の位置を探るためのものだった。拡散させる分攻撃力は弱まる。だから何も壊れはしなかったのだ。
 それに気付くことはできた。だが、解るまでが遅すぎた。行動に移すのも遅すぎた。結局、遅すぎた。やはりこの状況、こちらの状態が万全でないのが問題だ。
 それに、目の前のこいつは誤算だらけ。予定も想定も意味がない。
「コウモリじゃないよー。人間だよー」
「例え話だっつーの」
「まーどうでもいーやー。じゃあさよーならー」
 そういって口を上に向けいっぱいに吸う。直撃すればひとたまりもないだろう。もちろん食らうつもりもないが、しかし意志だけで避けられるものでもない。
「きゃあああああああああああああああああ!」
 音圧は今までのそれを凌いでおり、だからきっと攻撃力も相当なものだ。しかし頭は冷静な分析をするものの、肝心の身体は付いてきてはいなかった。音は見ることができない。ゆえに避けるタイミングをつかむことができなかったのだった。茫然と立ち尽くすのみ。
 俺は全身で真正面からもろに食らい、後方に柱へ当たるまで吹っ飛んだ。
「があっ」
 当たり前だが人よりコンクリートは堅く、ゆえに身体はもろに衝撃を受けた。節々まで粉々になったかのように隅々が痛覚に支配され、後頭部を強打し一瞬意識が飛びかかる。
 かろうじて気絶は免れたものの、もう上手く思考できそうにはない。脳に回すための血液が漏れていっているようだ。
 どこから出たのか解らない血を口から吐いて俺はその場に転がった。
「さーって。とどめ、とどめっ。ふふっ」
 うつ伏せだから姿が見えるわけがなかったが、声が近付いてくることでそれを認識した。もう駄目だ。
「じゃーね。あんまりおもしろくなかったけど、遊んでくれてありがとうー」
 すぅ、と、足音が目の前で止まったところで再び装填。トドメの一撃だろう。
 俺は残った力をすべて使い、喉を絞った。
「もう無理だ!」
 精いっぱいの声はかろうじて付近に響いた程度だった。だが、それで十分……なはず。
「ふぅん、よくわかんないけど、早く死にたいのかな?」
「はぁ。ったく」
 たまらず溜息をついた。全くそんな役回りだぜ。いくら兄妹って言っても、こんなサンドバックよろしくのフルボッコ状態にされるってんだから冗談じゃない。
「じゃーね」
 溜めた息をこちらに向ける。当たれば今度こそ終わりだ。
 当たれば。
 俺にはまだ、最後の安全装置がある。誤算ばかりの戦況で、確実に発動する計算するまでもない定数のような装置が。
 それを知らないミコトはハムスターのように頬を膨らませ溜めた息を、首を上から下に振り下ろすように落としながらはこうとした。
「はい、そこまで」
 声の主が射出直前に掌がそれを防いだのだった。だから当たり前のごとく、空気は俺を貫くことは無かったわけだ。
「んぐっ?!」
 吐きだし場所である口を押さえられては流石に声は出せない。当たるも何もない。ただし、ミコトの口をふさいでいるのは俺ではない。できるはずもない。
 鋭いが、それよりもけだるさの勝る目が僕の方を向いた。心配そうな気配はまるでない。死なないと解っているのか、はたまた俺の生死などどうでもいいのか。多分後者だ。
「おーい、ヒロキ。生きてるか?」
 皆沢カエデが動かすのも面倒そうに口を開け、仕方なさそうに舌を動かして喋った。
 どうにか顔を横にして上を見てみると、ミコトの後ろに立って右手で口を左手は腕でミコトの両腕ごと巻き込んで押さえつけている。
「全く、ギリギリまで助けないとか鬼畜過ぎだ」
「いや、悪い悪い。つい加虐精神が疼いてねぇ」
 だるそうに笑う。シニカルと言えば通じるだろうか。
「反省する気もないみたいだな。……っていうか医者んとこ連れてってくれないか? いい加減マイブラッドがロストし過ぎてるもので」
「はいはい。そんな中途半端なへぼい英語の使い方するくらいなら黙っときな」
 そう言うとバチッと音がした。スタンガンだろう。もろに食らったミコトは、多少痙攣するように動いてから崩れ前に倒れる。つまり俺の上にのしかかる形。それも先程吹っ飛ばされた衝撃をもろに受けた背中に、だ。痛いってものじゃあない。声にならない声を上げる。
「……っ! ……お、お前なぁ」
「あら、どうかした?」
 くるくると手元の黒いブツを遊んでいる。時々バチバチと電流を出して遊んでいる。
「俺死にそうなのわかってる? 超いてぇんだよ」
「いや、死にそうなもんだから痛みで刺激しとこうかと。それよりこんな可愛い女の子に乗られて嬉しいんじゃないの? ほら、彼女の柔らかい二つの山の感触がさぁ。やぁ、ヒロキくんてばいやらしいー」
「てめ……、ふざ、け、ん、な」
 こちとらもうそれを感じる触覚が相当鈍くなってんだよ。ただの重りにしかなってないんだよ。っていうかいやらしいってお前が乗せたんだろ。
 にらもうとするが、身体がもう思うように反応しなくなっていた。指の先端をわずかに曲げるのがやっとだ。
「死ぬ、これマジで死ぬ……」
「大丈夫よ、ギャグパートだから」
「どこがだ……。ギャグ要素を一つでも言ってみろ……」
「ふふふ」 
 弱々しく呻く俺をみて、カエデはにやにやしている。ホントにやばいんだけど。そうしてそのまま放置されるわけで。もちろんその間もどんどん俺の身体からは赤い液体が逃走しまくっているのであって、既に殺人現場もいいところなほど溜りができている気がする。
 五分ほどした所で、俺の惨状をひとしきり楽しんだところで、カエデはミコト持ち上げた。
「さーてっと。このままだと本当に死んじゃうから連れて行くとしますか。監督責任とか面倒だわ、全く」
 おい、俺が死ぬとかじゃなくて保身のためかよ。もう言葉にする気力もないし言った所で無駄も無駄なので心の中に留めた。
 抱えられている少女の紅い髪が妙にちらつく。俺の身体を流れていたものがそこらじゅうに散っているが、それと同じくらいの紅さだ。体格的には普通の16歳の女の子。しかしこと身体能力はおよそそうだとは言えない代物だった。
 人間であり、人間によって人間を越えた者。人工的超人とも言える。そんな妹だ。
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