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第二章 夢

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 私は、ただ待っていた。二人の英雄が来るのを、私は心の底から待ち続けていた。
 剣のロアーヌと槍のシグナス。この二人の英雄をである。
 メッサーナを取り仕切るようになって、八年が過ぎていた。私は三十歳の時に官軍を追い払われ、このメッサーナに飛ばされた。あれから、八年である。だが、この八年は非常に密度の高い八年だった。
 八年前のメッサーナは、とにかく荒れ果てていた。軍は全く機能しておらず、役人も腑抜けばかりで、町の中では当たり前のように盗賊が横行していた。当時の私は、そんなメッサーナを見て衝撃を受けたものだった。そして同時に、国を改革する必要がある、とも思った。
 そう思ってから、とにかく動いた。軍を整備し直し、才ある者は身分を問わずに登用する。これで軍と役人はかなりまともになった。この二つがまともになれば、町の治安も良くなる。治安が良くなれば、盗賊達も姿を消す。ここまでに二年を費やした。
 そして、残りの六年で、国の改革を前面に押し出した。すると、優秀な人間がメッサーナに集まって来た。だが、地方は地方だった。都からみれば、メッサーナは遥か東の田舎地方に過ぎない。優秀な人間が集まろうとも、兵力は僅かなものだった。しかしそれでも、私は人材を求め続けた。そして見つけたのが、剣のロアーヌと槍のシグナスという、二人の英雄である。
 この二人はまだ若く、二十四歳だという。だが、その若さに反して、持っている能力は相当なものだと言えた。特にロアーヌは、すでに多くの軍学を身に付けているらしく、すぐにでも実戦が行えそうだった。一方のシグナスは、軍学こそはロアーヌに及ばないものの、人当たりの良さで音を鳴らしている。しかし、官軍では不人気だという話だった。官軍では、あのような好漢は嫌われるのだ。
 夢が、現実味を帯びてきた。私はそう思った。国の改革、いや、天下を取る、という夢である。
 もうこの国は、腐りきっていた。いや、枯れ果てていると言って良い。新たな富が生まれてくる事は、もうないのである。人民は疲れ果て、役人は上から下まで腐り切っている。だから、国は生まれ変わる必要がある。新たな王をその身に抱え、政治を一新させる必要があるのだ。そのために、私は天下を取る。
 しかし、たやすくはいかないだろう。腐り切ったとは言え、まだまだ国には優秀な人間が多く居るのだ。地方に飛ばされた者がそうだし、腐り切った役人どもを統括している者もそうだ。そういう能力のある者達が、かろうじて今の国を支えている。数百年という歴史を持つこの国を、支えている。
 国の歴史は、とても重い。その重さが、新たな歴史を作ろう、という人の行動を抑制させる。そして、今の歴史を守ろうと思わせる。だから、優秀な人間達は国を支える。これは国への忠誠心であり、一種の信念と言えた。この信念によって、優秀な人間達は踏ん張っている。
 私はそれらを踏み越えて、天下を取るのだ。
「あの二人は来るかな、ヨハン」
 私は椅子に座ったまま、ヨハンに声を掛けた。
 ヨハンはメッサーナ軍の軍師の一人である。穏やかな性格で、怒る事は滅多にない。年齢は二十七で、その眼には凄まじいまでの気力を漲らせていた。武芸は駄目だが、頭は鋭すぎるほどに良くキレる。私はこのヨハンを都に送り、ロアーヌとシグナスに接触させていた。
「来ます。私はそう確信しています」
「二人の印象はどうだった?」
「シグナス様は明朗快活。実直で、純粋。しかし、どこか繊細な所があると思いました。ですが、この繊細な部分というのは、実直さの裏返しでしょう。また、人の心によく踏み込んできます」
「ロアーヌは?」
「心の中に激情を秘めておられる。そう感じました。また、頭の中ではかなり喋ってはおられるのですが、それを口には出しません。無口という事ですな。しかし、私は嫌いではありません。むしろ、シグナス様よりも好印象ですよ」
「ほう」
「あとはランス様の目で確かめた方が良いかもしれません」
「そうだな」
「ランス様の夢と、あの二人の大志。上手く、一致すると良いのですが」
 そう言って、ヨハンが腕を組んだ。
 天下を取るという夢。これは、あの二人の大志と、そうかけ離れてはいないはずだ。
 まぁ、深くは考えない事だ。そう思った。とにかく、会ってみたい。今はこの思いが強い。
「失礼します」
 従者が部屋に入ってきて言った。
「若い二人の男が、殿とお会いになりたいと申しておりますが」
「おう、来たか。通してやれ」
「武器を持っています。剣と槍です」
「そのままで良い」
 そう言うと、従者は眉を僅かにひそめて去って行った。
「武器を取り上げないとは、器の大きさを見せつけるためですかな?」
 ヨハンが少し笑いながら言った。私はそう言われて、なるほど、と思った。
「いや、剣のロアーヌと槍のシグナスという異名がついている二人だ。武器付きの方が、似合いだろうと思ってな」
「ランス様らしい、と言うべきですか。しかし、配下の私から言わせれば、ただの無用心です」
「勘弁してくれ」
 私は苦笑するしかなかった。
 しばらくすると、二人が入って来た。一人は腰元に剣を佩いていて、一人は槍を右手に持っている。二人とも、眼が猛々しい。良い眼だ。単純にそう思った。
「二人とも、待っていた」
 椅子から立ち上がった。
「剣のロアーヌと、槍のシグナス。私の名はランス。ここ、メッサーナを統治している者だ」
 言って、拝礼した。臣下の礼である。それを見た二人が顔を見合わせた。
「何故、臣下の礼を取る?」
 剣を佩いている男が言った。この男がロアーヌだろう。
「私は待っていたのだ。二人の英雄が来るのを。そして来てくれた。その思いを、表現したかったのだ」
 また、二人が顔を見合わせた。意外だ、という表情をしている。
「本当に、よく来てくれました」
 ヨハンが言って、私と同じように臣下の礼を取った。微かに笑っている。穏やかな笑顔だ。
「あなたは」
「またお会いになれましたね、ロアーヌ様」
 ヨハンが二コリと笑うと、ロアーヌが私に視線を向けて来た。
「俺達は、大志を抱いてここまでやって来た」
 ロアーヌの眼に、覇気が宿っている。
「その大志を、聞かせて貰いたい」
 私の心は、心地よい程に高揚していた。
 二人の英雄が、我が幕下として加わる事になった。
 私の夢に、ロアーヌとシグナスは共感を示してくれたのである。
 二人は、単純に国を壊す事だけを考えていた。腐った国を正すため、一旦、国をぶち壊す。そのために、メッサーナにやって来た。二人は、多くを語った後に、そう言った。しかし、その先の事は考えてはいなかった。すなわち、国を壊した後の事である。
 だから、私は語った。国を壊した後、どうするのかを。どのような政治を行い、どのように国を統治していくのかを、私は二人に向けて熱心に語った。民を中心に据えた、民のための政治。私がこの言葉を口にした瞬間、二人の眼に熱がこもった。そして二人は、私に向かって、その夢を叶える手伝いをさせてほしい、と申し出てくれた。それに対し、私は快く頷いた。そして、感謝した。待ち望んでいた二人が、同志として加わってくれたからだ。
 これで、人材は揃った。私はそう思った。だが、まだ戦を起こすには多くの問題を抱えていた。その一つが、兵力である。
 官軍は六十万という兵力を擁している。最盛期に比べると、これはかなり減少したとも言えるが、それでも六十万である。対するこちらは、僅かに二万の兵力しかない。そしてこの二万は、メッサーナで養える兵力の限界だった。
 土地が痩せていた。すなわち、兵糧が確保できないのだ。それに加え、人口が少なすぎる。都と比べれば、それはまさに天と地の差ほどもあり、これはどうしようもない事だった。だが、萎えはしなかった。要はやれる範囲でやる事をやる。これだけの話だ。
 もう一つの問題が、盗賊だった。六年前にメッサーナから追い出しはしたものの、根絶するには至っていない。町の郊外で、今もその息を潜めている。今は軍が町に常駐しているので、被害は無いに等しいが、官軍と戦を始めると話は変わってくる。軍が町を出ている時に、襲撃して来る可能性があるのだ。そうなると、手の打ちようが無くなってしまう。だから、後顧の憂いを絶つためにも、これは何とかしておかなければならない事だった。
 これについては、すでに討伐軍を向けていた。盗賊の根城を突き止めたのである。そこを攻略すれば、盗賊の問題は解消されるだろう。だが、盗賊達は地の利を味方に付けているために、易々とは攻略できそうも無かった。三人の将軍と一人の軍師を討伐に回したので、負けるという心配は無いのだが、攻略に時間は掛かるだろう。
 焦らない事だ。着々と、準備は整っているのだ。だから、焦る必要はない。
「ヨハン、ロアーヌとシグナスの待遇だが」
「はい。二人とも、将軍として扱うと良いと思います」
「ほう、それはまた大胆だな」
「大物は大物として扱う。これは人を用いる際に重要な事です」
「うむ。あの二人の初陣は、官軍との戦になるか」
「まぁ、そうなるでしょう。盗賊達を討ったら、次は官軍です」
 西に、国の軍事施設があった。まずはここを奪うのが、当面の目標である。この軍事施設は大きな砦で、一万の兵を常駐させる事が出来る。周りには麦畑があり、人さえやれば多くの兵糧が確保できる。そこで屯田(兵士が農業を行う)を開始し、腰を据える。あとは時をかけて兵を募れば、兵力の拡大が望めた。
「しかし、兵力が少ないな。官軍六十万が一斉に攻めかかってくれば、我らなど抵抗すら出来ずに踏み潰される」
「それは大丈夫です。メッサーナは防備という点では、優れた土地ですから」
 ヨハンの言う通りだった。メッサーナは天然の要塞だと言っていい。周囲は岩山に囲まれており、大軍の行軍にはあまりにも不適切な土地だった。逆に西の方は原野が広がっており、こちらでは兵力がモノを言う。つまり、西へ進出するには、兵力の強化は必ず成し遂げなければならない事なのだ。
「とりあえずは、西の砦かな」
「はい」
 西の砦さえ奪えば、とりあえずは攻撃拠点は確保した事になる。この砦とメッサーナが上手く連携すれば、さらなる進出も難しくはないはずだ。
 そのためにも、西の砦は必ず奪う。そして奪うためには、将軍の質と兵の練度を高めなければならない。
「早速、ロアーヌとシグナスに兵を与えるか」
「それが良いと思います。盗賊殲滅にはまだ時が掛かるでしょうから、この間に二人に部下を与えて、これを掌握させるのが上策でしょう」
「出来るかな」
「まぁ、こればかりは、あの二人の器量によりますな」
 部下を掌握するという事は、難しい事である。形だけならばそうではないが、真に掌握するのは難しい。部下も人間である。人間は感情を持つ生き物だ。だからこそ、難しいのである。心からついていきたい。この人に命を預けたい。部下にそう思わせなければならない。
 従者を呼んだ。伝令を担う従者である。
「伝令だ。ロアーヌ、シグナスを将軍として扱う。正式な発表は後日、行う。それと、ロアーヌに一千の騎馬。シグナスに二千の槍兵を与えよう。兵の選別はあの二人に任せる」
 従者が命令を復唱して去っていく。
「騎馬、ですか。すでにシーザー将軍が主軍として活躍していますが」
 シーザーは荒々しい男で、今は盗賊討伐に出向いていた。実に攻撃的な指揮をするので、今回の盗賊討伐戦では、シーザーの騎馬隊が首を一番多く取るだろう。
「ロアーヌには遊軍のようなものをやらせようと思っているのだ。西には原野が広がっている。騎馬が重要だ。ロアーヌの騎馬隊は、一千で固定したい。そのかわり、精鋭を率いさせる」
「なるほど」
「対するシグナスは主軍を担ってもらう。ちょうど、槍兵には優秀な指揮官が居なかった。シグナスが優秀かどうかはまだ分からないが、やってくれそうな気はする」
「軍師はつけますか?」
「ロアーヌには必要ないと思うのだが、シグナスにはつけたいな。ヨハン、お前はどうだ」
 そう言うと、ヨハンはちょっと考える仕草をした。
「私よりも、ルイスの方が合うと思います」
 ルイスはメッサーナ軍のもう一人の軍師で、ヨハンに比べてこちらはかなり嫌味な性格である。能力は確かなのだが、共に行動する人間は選ばなければならない。今は盗賊討伐軍の軍師として従軍しているのだが、何か軍内で問題が起きてないか不安だった。
「何故、そう思う?」
「シグナス様なら、ルイスの嫌味も軽くかわしそうなのですよ。私が軍師としてついても良いのですが、ルイスの方がより力を発揮すると思います」
「なるほど。しかし、そのルイスだが、今頃はシーザーと衝突しているだろうな」
 言いつつ、苦笑した。荒々しいシーザーと、嫌味で冷静なルイスとの相性は抜群に悪いと言えた。本当はヨハンを軍師として付けたかったのだが、都に出向いていたのだ。
「クリス君とクライヴ将軍が居ますから、大丈夫でしょう。まぁ、衝突はしているでしょうが」
 ヨハンが笑う。
 クリスは十代の若き将軍で、クライヴは壮年の将軍だった。二人はシーザーとルイスの良い緩衝材になってくれているだろう。
「あの二人は、上手くやるかな」
 ロアーヌとシグナス。この二人は、これから名を挙げていくはずだ。
「クリス君とクライヴ将軍が居れば」
 言って、ヨハンは二コリと笑った。私の言った二人を、ヨハンはシーザーとルイスの事だと勘違いしているようだった。
10, 9

  

 俺とシグナスに、二週間の時が与えられた。
 将軍として、自由に使える時間である。自由、とは言っても、遊んでいるという訳には行かなかった。要は、この二週間で兵の調練などをしろ、という事なのだ。
 メッサーナを統治するランスは、君主として仰ぐには十分な資質と考えを持っていた。国をぶち壊すだけでなく、その後の事も考えているのである。そしてそれは、俺とシグナスの心を揺さぶった。
 民を中心に据えた、民のための政治。ランスは、そう言ったのだ。
 この発言を実体化したのが、メッサーナだった。メッサーナは、まさに民を中心に据えた政治を行っていた。税は必要な分しか取らないし、それでも余ったら民へと返還する。軍人は民と同格として扱われ、特別な権利は何も発生しない。それは統治者であるランスも例外ではなかった。要するに、全てが平等なのである。これは都では考えられない、いや、信じられない事だった。
 メッサーナに来て良かった。俺は心からそう思った。あとはランスに、俺達を呼んで良かった、と思わせる事だ。そのためには、実績が必要だった。
 俺はすぐに兵の選別を済ませ、そのまま調練に入った。ランスの話では、俺が率いるのは一千の騎馬隊という事だった。これは精鋭で、遊軍のような形にしたいらしい。
 一方のシグナスは兵の選別を済ませた後、何故か酒盛りを行っていた。宴会である。俺はそれに対して首を傾げたが、何も言わなかった。すでに二人とも、自立しているのだ。シグナスにはシグナスのやり方があるのだろう。それに俺達は同格の将軍であり、言い換えればライバルだった。
 俺は、兵を馬に乗せ、とにかく駆けさせた。まずは兵と馬を一体化させるのだ。武器の扱いはその後である。馬と人間は別の生き物で、まずはこの違和感を無くす事から始めなければならない。馬は従順な動物で、よく世話をすればそれだけなつく、という所があった。だから、調練が終わっても、俺は兵達に馬と一緒に居るように命じた。
 最初の一週間が過ぎた。兵馬の乱れが緩くなっていた。四六時中、兵は馬と一緒に居るので、馬も兵の事を家族同然だという風に感じ始めたのだろう。だが、まだ一週間である。これから、さらに突き詰めていかなければならない。
 兵の選別は、体格や武器の練度などよりも、性格を重視して行っていた。戦は集団行動である。また、調練は厳しく辛いものだ。これらに耐えうるというのが、兵としての最低条件だった。もっとも、俺の騎馬隊は精鋭で固めるので、性格の他にも色々と加味して選別はやっていた。しかしそれでも、この千人全員が、部下として残る事はないだろう。どこかで必ず、脱落者は出てくる。
 軍師のヨハンが、調練場にやって来た。このヨハンは、俺とシグナスをメッサーナに手引きした人物で、穏やかな外見とは裏腹に、眼には強い気の漲りがあった。
「ロアーヌ将軍、調子はどうですかな」
 調練場では、騎馬が隊列を組んで駆け回っている。
「悪くはない、という気はする」
 だが、良くもない。何しろ、まだ一週間である。とりあえず、兵馬一体化の調練の時点では、脱落者は出さずに済みそうだった。
「シグナス将軍は、やっと調練をはじめたようです」
「ほう」
「何故、シグナス将軍は最初の一週間を酒盛りに費やしたのでしょうか?」
 不意に、ヨハンが言った。
 ヨハンの問いの答えが、俺には分からなかった。ただの時間の無駄だ、という思いしかない。だが、ヨハンは答えを知っている。俺はそう思った。
「俺は二週間という時間を、無駄なく使いたかった」
「シグナス将軍も、無駄にはしていませんよ」
 ヨハンが二コリと笑った。からかわれているのか、と思ったが、不思議と嫌な感じは無かった。ヨハンはシグナスの行動を通して、俺に何かを教えようとしている。
「あの酒盛りを通じて、シグナス将軍は兵の心を掴みました。兵も、シグナス将軍の心を掴みました。兵の練度は低いと言わざるを得ませんが、気持ちの面ではロアーヌ将軍の騎馬隊よりも上でしょう」
 なるほど。素直にそう思った。シグナスは兵の練度よりも先に、兵の心を掴みに行ったという事だ。そのための酒盛りだった。そしてそれは、見事に成功している。ヨハンは、そう言っている。
「ロアーヌ将軍の調練は、非常に効率が良いと思います。ですが、今のままでは兵はついてこないでしょう。要はモチベーションです。厳しいだけでは、兵は将軍に懐きませんから」
 そう言って、ヨハンが笑った。ヨハンは、今の俺に足りないところを指摘してくれたようだった。
「礼を言っておこう」
「いえ、私は楽しみなのです。ロアーヌ将軍の騎馬隊が。一週間、調練を拝見させて頂きましたが、見事と言わざるを得ません」
「兵の心を掴む、か」
「それは大事な事です。では、私はこれで」
 ヨハンが去って行った。
 厳しいだけでは、兵は将軍に懐かない。確かにそうかもしれない。俺はそう思った。将軍は兵に慕われるべきだ。だが、今の俺は兵にとって、どう見えているのか。ただの恐怖の象徴となっているのではないか。俺は兵達に向かって、笑うという事はしていなかったという気もする。
「酒盛りか」
 その日の夜、俺は兵達を集めた。早速、酒盛りをしようと考えたのである。集めたのは三十名ほどで、特に何も考えずに声を掛けた三十名だった。しかし、酒の席だというのに、みんな押し黙っていた。表情は怯えているのか暗いのか、とにかく良い表情ではない。
 俺も黙っていた。これではまるで葬式だ。
 失敗したか。俺が酒盛りで盛り上げるなど、出来るはずもないのだ。何故、もっと深く考えなかったのだろうか。喋ることが嫌いな俺が酒盛りなどやれば、こうなる事は簡単に予想がついたではないか。
 すると、いきなり出入り口の扉が開いた。
「葬式会場か、ここは」
 シグナスだった。兵がびっくりした表情でシグナスに視線を注いでいる。
「おい、ロアーヌ、さっさと盛り上げろよ」
「いや」
「まずは将軍が馬鹿になる事だ。でなければ、兵はいつまで経っても馬鹿になれん」
 そう言ったシグナスに、俺は無理やり飲まされた。
「ロアーヌ、こいつらの名前、全員言えるか?」
 当たり前だろう。俺の部下だぞ。
「言える」
「言ってみろ」
 一人ずつ、名前を言っていく。見事と言ってはおかしいが、俺は三十人全ての名前を言い切った。兵達が顔を見合わせている。意外だ、とでも言いたそうな表情だ。
「次にこいつらの良い所を言っていけ」
 シグナスめ。一体、何がしたいのだ。俺はそう思ったが、逆らわずに言う通りにした。無言よりは、マシである。
 全員の良い所を言い終えた。すると、兵達が感動したような眼差しで俺を見てきた。
「俺達の事、ちゃんと見ていてくれたのですか」
 一人が、そう言った。
「当たり前だろう。俺の部下だぞ。部下を見ないというのは、俺の職務の怠慢でしかない」
 俺は酒を呷りながら言った。部下の視線が、妙に小恥ずかしい。
「将軍の事を誤解していたかもしれない。俺は、ただの鬼としか見てなかった」
 調子の良さそうな奴が、そう言った。すると、他の兵達が頷きだす。
「いや、コイツは鬼だぜ。都じゃ剣のロアーヌで名を鳴らしていた。剣じゃ、俺もコイツには敵わん」
 シグナスが口を挟む。兵達がそれを聞いて、俺の剣を見たい、と言い出した。何故か、場は盛り上がっている。
「だが、剣がない」
 すると、シグナスがニヤニヤと笑いながら木剣を取り出してきた。二本である。その一本を、俺に投げて渡してきた。そして、外に出て行く。
「見せてやれよ。お前は馬鹿にはなれん。だが、尊敬はされる。相手はこの俺だ。酒に酔っているお前に負ける程、俺は甘くはないぜ」
「シグナス、お前な」
 言いつつ、俺も外に出て剣を構えた。シグナスの奴、この木剣、どこに用意していたのか。そんな事を考えていると、シグナスが打ち込んできた。それをかわす。酒のせいで、僅かに足が揺れた。だが、兵達の前だった。それを舞踊のように見せかけて、シグナスに剣を振り下ろす。止められた。
「久々に止めたぜ。お前の剣。やっぱ、酒はダメだな」
 シグナスの剣。弾く。一瞬の隙。それが見えた。即座に打ち込む。シグナスの木剣が、虚空へと吹き飛んだ。しばらくして、木剣の落ちる音が遠くから聞こえた。
 兵達が湧いて騒ぎだす。
「ロアーヌは、こういう奴だ、お前達。喋る事が苦手で、人に優しくなどできん。だが、お前達をちゃんと見ている。そして何より、剣の腕は一流だ」
 兵達が頷く。表情は明るい。
「ロアーヌ、お前も厳しいばかりじゃなくて、優しくしてやれよ。時には褒める事も大事だぜ。いや、お前には無理な話か」
 そう言って、シグナスは声をあげて笑いだした。それに釣られるように、兵達も笑いだす。
 いつのまにか、俺も笑っていた。
 俺は軍議室に呼び出されていた。帰還した盗賊討伐軍の将軍たちも含めた、主立った人物らと顔合わせをするためである。
 盗賊討伐軍は、見事に勝利を収めていた。兵の損失を僅かに抑えて、盗賊の殲滅に成功したばかりか、さらにその根城であった砦も確保したという。この砦は補給施設として再利用するらしく、すでに守備の兵が一千ほど向かっているようだった。
 軍議室に入った。
 中央に丸卓が配されており、ランスが最奥に座っている。その左右に軍師が居て、後は順番に将軍たちが座っていた。中には少年のような若さの男も居るようだ。
 俺は黙って頭を下げた。
「紹介しよう、この男が剣のロアーヌだ。すでに知っている者も居るはずだが、官軍を抜け、我が陣営に加わってくれた」
 ランスが言った。場が微かにざわつく。
 シグナスは来てないようだ。また別の日に紹介をするのだろう。
「ほう、コイツが。なるほど、確かに強そうだ」
 金髪の男が言った。声に気の強さが垣間見える。目には不敵な光があり、戦では猛烈に攻め立てるタイプだろう。こういう男を指揮官に立てると、兵達も勇猛果敢に戦う。
「俺はシーザーだ。騎馬隊を率いている。お前も騎馬隊を率いるんだってな」
「えぇ。遊軍扱いですが」
「騎馬は機動力と攻撃力に優れている。遊軍では、その性能が最大限に活かせるぜ」
 俺は黙って頷いた。
「ロアーヌさん」
 少年のような若い男が口を開いた。声もいくらか高い。
「僕はクリスと言います。年齢は十六。戟兵を率いています。よろしくお願いします」
 言って、クリスと名乗る男は二コリと笑った。その横では、壮年の男が腕を組んでしきりに膝を動かしている。貧乏ゆすりのようだ。
「この方はクライヴさんです。弓兵を率いていて、クライヴさん自身の弓の腕も百発百中ですよ」
「よろしく頼む」
 クライヴという男が、静かに頭を下げた。貧乏ゆすりはまだ続いたままだ。
 続いて他の将軍たちも、自己紹介をし始めた。
 民の数は少ないというが、人材は多く居るようである。どの将軍も、身体から活力が満ち溢れていた。官軍とは大違いだ。特に、俺の上官だったタンメルなど、金の事しか考えてなかった。でっぷりとした肥満体で、糸のように細い目を常に光らせている男だった。この場には、タンメルのような男など一人も居ない。
「あとは軍師の紹介だな。ヨハンは良いとして、この男はルイスと言う。これから戦が始まるので、何かと時間を共にする事もあるだろう」
 ランスが言って、ルイスという男は黙って頭を下げた。ヨハンと違って、才気を全身から放っているようではないが、内には不気味な底深さがあるように思えた。
「ランスさん、戦が始まるって事は、ついに官軍とやるのか」
 シーザーが言った。口調が荒々しい。この男、君主に敬語を使わないのか。俺はそう思った。だが、それを咎める空気はない。ランスはこういう事は気にしないのだろう。
「始まる。前々から言っているが、西の砦をまずは奪う」
「そうか、ついに官軍と戦か」
 シーザーが首を鳴らした。
「これについては、後日また話し合おう。ロアーヌとシグナスの部隊を仕上げるのが先だ」
 つまり、俺とシグナスは西の砦攻略戦に参加するという事だ。
 望む所だった。このために、俺達はメッサーナに来たのだ。戦に駆り出されると聞けば、否が応にも軍人の士気は上がる。俺はすぐにでも調練を再開したくなってきた。
「とりあえずは、こんなものか。これでロアーヌとの顔合わせを終える」
 ランスがそう言ったので、俺は頭を下げて軍議室を出た。その足で、調練場へと向かう。
 兵達は、懸命に調練をこなしていた。怠けている者など一人も居ない。
 俺は、兵に慕われているのだろうか。ふと、そう思った。あの酒盛りを境に、兵達と俺の距離は縮まったようには思えるが、慕われているかというと、微妙な所である。
 特に俺の調練は厳しい。何せ、精鋭に鍛え上げなければならないのだ。そのために、調練についてこれない兵は、次々に部隊から外すようにしていた。調練についてこれない兵が一人居ると、他の兵がその兵に合わせなければならない。そうなると、全体の動きがどうしても悪くなるのだ。だから、部隊から外す。これは心苦しい事だが、仕方がないと思い定めていた。
 兵達が俺に気付いて、隊列を組み始めた。整然とした動きだ。指揮官が戻って来たので、次の指示を仰ごうとしているのだ。
 それほど時をかけずに、兵達は隊列を組み終えた。
「よし、調練を再開する。一隊百名の七隊に分かれろ」
 最初は千人いた兵も、今では七百に減っていた。だが、七百に減ってからは誰一人として脱落はしていない。
「まずは隊を乱さず、駆けろ。よし、始め」
 七隊が駆け始めた。一隊、一隊がまるで巨大な生き物のように、調練場を駆け回る。鐘を鳴らした。それに呼応して、兵が武器を構える。さらに鐘を鳴らす。七隊が、突撃を開始した。調練場の隅まで駆け抜ける。そして、反転する。この間、馬速は緩めない。しばらくは、この繰り返しをやらせていた。
 遊軍の騎馬隊では、この動きが重要になってくるはずだ。俺はそう思った。すなわち、一撃離脱である。遊軍は特定の敵軍を相手にするのではなく、臨機応変に動き回る。時には離脱ではなく、敵陣の真ん中を突き抜ける事もあるが、難しいのは突撃して反転をする事だった。
 ひとしきり一撃離脱の調練を繰り返した後、俺は鐘を鳴らした。
「よし、小休止に入る」
 兵達は息を弾ませていたが、表情は暗くなかった。それに休止に入っても、馬から離れようとしない。これは良い事だ。馬と一緒に居る時間が多ければ多いほど、馬は兵に心を開く。
 調練は上手く行っている。この七百名は、まだ粗削りではあるが、現時点でも十分に実戦に耐えうるはずだ。あとは経験を積ませれば、精兵に仕上がるだろう。俺の自慢の兵だ。
 ここまで考えて、ふとシグナスの台詞が頭を過った。時には褒めてやれ、という台詞である。
 苦笑した。さっきまで頭で考えていた事を口に出せば、褒めるという事になるからだ。
「お前達」
 俺は休憩している兵達に目を向けた。各々が、俺に視線を注いでいる。
「お前達は、良い兵になる」
 結局、口に出して言えたのは、これだけだった。しかしそれでも、兵達の表情は和らいでいた。
12, 11

  

 俺は自分の屋敷で、シグナスと酒を飲んでいた。
 屋敷と言っても、それは豪壮なものではなく、むしろ質素と言えるものだった。官軍でいうと、小隊長レベルの屋敷である。官軍の将軍の屋敷というと、それこそ大商人以上のものが与えられている。そしてそれは、民達の血税から生み出されたものだ。だが、メッサーナでは、それもない。無論、俺も屋敷なんてものは雨風さえ凌げれば何でも良い、という考えである。
 戦の出陣が決まった。つい先日の事だ。
 出陣する将軍は、俺、シグナス、シーザー、クリス、クライヴの五人で、軍師としてルイスが付くとの事だった。シーザーが、軍師はヨハンにしろ、と喚き散らしていたが、それは聞き入られなかった。ヨハンは内政も担当しているらしく、戦に出る余裕など無いらしいのだ。
 出陣する兵数は、合計で六千だった。対する官軍の西の砦は一万の兵力で、これで見る兵力差は四千である。しかし、これはあくまで表面的なもので、実際の兵力差は分からない。官軍には、後方からの援軍が有り得るのだ。一方、メッサーナでは援軍など期待できない。
 兵力は、戦の勝敗を分ける土台だ。兵力差が大きければ大きいほど、勝敗の帰趨はハッキリとしてくる。だが、逆に言えば、それが付け込む隙になり得る。兵力が大きい側は、そこに恃むきらいがあるのだ。兵力が大きいのだから、負ける事はない、と思うのである。いや、思い込むと言った方が正しい。優秀な指揮官ならば、それだけで判断する事など有り得ないのだが、今の官軍ではこの可能性も無いに等しい。
 だからこそ、出陣する兵力は合計で六千だった。メッサーナは二万の兵力を擁しているが、あえて六千に絞ったのである。これは相手の心理を衝く作戦で、ルイスが提案したものだった。ルイスは多くは語らなかったが、ヨハンもランスも賛成した。無論、俺もそうだ。しかし、シーザーは六千にする理由が分からないらしく、最後まで反対していた。そんなシーザーに対して、ルイスは、鳥頭が、と言った。そして、先述の軍師を変えろ、という話になったのだ。
 軍内の俺の人間関係は、悪くは無かった。それはシグナスも同じだ。他の人間関係は、シーザーとルイスが犬猿の仲だというぐらいで、その他は良好だろう。
 兵の調練も上手く行っていた。兵数は七百のままで、これはもう精鋭と言っても良い。同数なら、シーザーの騎馬隊にも勝てるはずだ。
 兵達は俺に心を開いてくれていた。最近になって、そう思えるようになった。慕われている、という気がするのだ。以前なら、調練が終わると兵達はそそくさと帰路についていたのだが、最近は違っていた。調練後に、剣の稽古をつけてくれだとか、飲みに行こう、などと兵が誘ってくるのである。調子の良い者になると、妓館(遊女屋・風俗)の誘いまでかけてくる。無論、冗談なのだろうが、要は俺と兵達が、そういう事を言える間柄になったという事だ。
 しかしそれでも、シグナスと比べるとまだまだ兵達との距離は遠い。
「ついに戦だな、ロアーヌ」
 シグナスが酒を呷りながら言った。すでに季節は冬になっていたが、酒のおかげで身体は温まっていた。
「あぁ。シグナス、お前は初陣か?」
 俺は百名規模だが、賊を相手に戦の経験が何度かあった。その全てに勝利しているが、初陣の戦の記憶だけはほとんど無い。無我夢中だったのだろう。気付いたら、返り血を浴びていた。勝っていた。そんなものだった。
「初陣だな。まぁ、何とかなるだろう。俺は槍に関しては誰にも負けねぇ」
 俺はそれを聞いて、微かに笑った。シグナスは俺とは全く違う人種だ。気負ってもなければ、緊張もしていない。要は、これまでに培ってきたものが戦で出る。これだけが頭にあるのだろう。
「だが、心配なのは俺の兵だぜ。当たり前と言えば当たり前なんだろうが、やはり俺より弱い。最初に比べるといくらかマシだが、それでも弱い。戦で死なないか心配だ」
「死なないように調練すれば良い」
 言って、俺も酒を呷った。
 戦で死なないために、調練をする。俺は実際にそうしていた。その結果、残ったのが七百人だ。そして、この七百人は精鋭だ。戦ではやはり何人か命は落とすだろうが、千人の時に比べるとその数はずっと少ないだろう。
「お前の調練は苛烈すぎると思うがなぁ」
「戦で死ぬよりはマシだ」
「まぁ、そうかもしれん」
 そう言って、シグナスはちょっと考えるように目を天井に向けていた。
「軍師としてルイスが付くそうだな」
 俺は話題を変えた。
 俺は遊軍なので、主軍とは離れる事になる。遊軍に軍師は居ない。つまり、遊軍の全ては俺の裁量で動かす、という事になるのだ。これについては、あまり不安は無かった。
「あぁ。ルイスは言葉に棘があるが、俺は良い奴だと思うぜ。何せ、頭が良い」
 それを聞いて、俺は苦笑した。ルイスとは何度か話してみたが、良い性格とは思わなかった。嫌味な性格なのである。そこを本人は自覚していないようで、直情型のシーザーなどは極端に嫌っていた。シグナスは、そんなルイスの嫌味を言葉の棘として捉えているようだ。
「あいつが軍師として付いてくれるなら、俺は存分に戦える。しかし、兵がな」
 シグナスの調練は、はっきり言って甘かった。もちろん、官軍のそれとは比較にならない程、厳しいのは間違いないのだが、俺の調練と比べると甘い。動きの悪い兵が居ても、部隊からは外さないし、その兵に何度も動きを教え込もうとするのだ。これは悪い事ではないのだが、調練でする事ではない。何故なら、調練の先には戦が控えているからだ。戦は命懸けだ。その命懸けの中では、動きの悪い兵は全員の命取りになりかねない。だから、部隊からは外すべきだ。
 しかし、これは俺の考えだった。シグナスにはシグナスのやり方がある。それに、俺の考えを伝えた所で、シグナスはやり方は変えないだろう。理解は示すが、やり方は変えない。これはシグナスの悪い意味での真っ直ぐさだった。
「俺は兵を失いたくないぜ、ロアーヌ」
 ぽつりと、シグナスが呟いた。俺は黙って、自分の杯に酒を注ぐ。
「俺は指揮官に向いてねぇのかな」
 そんな事はない。心の中で言った。口には出さない。まだ、シグナスは言葉を続けると思ったからだ。
「戦じゃ、兵が死ぬのは当たり前の事だ。だが、俺はそれを嫌だと思っている」
「シグナス」
 俺は酒を一口だけ飲んで、声を掛けた。
「俺もそれは嫌だ。だからこそ、俺は苛烈な調練をする。お前はお前で、調練をしたのだろう」
「あぁ」
「だったら、兵を信じる事だ」
 それにお前は、兵に慕われている。どの将軍よりもだ。新参者であるお前が、一番、兵に慕われている。これは凄い事で、指揮官にとって、最も必要とされる資質の一つだ。口には出さず、俺は心の中で言った。
「あぁ、ありがとな」
 シグナスは、それを聞いていたかのように、微笑んでいた。
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