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どうしようもない暇つぶし

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 ニートというのは総じて暇な時間と戦い続ける生き物である。
 ニートになってから五年と少し経つころにはそんなことを考えるようになっていた。この五年という長いようで短い時間の中でもはや自分が何故ニートになってしまったのかも忘れてしまったが、今はそんな話をしたいわけではない。ニートになるととにかく暇なのだ。ニートになると自分の処理能力を大きく上回る自由な時間を得ることになる。ニートになる以前の自分はその自由な時間が欲しく欲しくて仕方なかったのだが。全てを投げ出して案外あっさり手に入れてしまうと、もはや自分でもどう扱って良いのかも分からないほどの膨大な時間が僕に圧し掛かってきた。この時間をどう上手く料理するのか。もはやニートに出来ることはそれだけと言っても過言でもない。しかし、時間というものは我々が何をしていなくても勝手に生まれては勝手に流れ去っていってしまう。ただでさえ自堕落な生活に身を委ねているニートにこのとてつもなく巨大な時間という存在を飼いならすことができるのだろうか。答えは否だ。人間という生物はいつの次代もこの時間という存在に支配され続けているのだ。どんなに素晴らしい文化遺産だって時間が流れれば朽ちてしまう。どんなに素晴らしい活躍をしている鈴木イチロー氏だって時間がたてば老いていきやがてバットを握ることもままならなくなる。戦争だって時間が経てばお互い疲弊していずれ終結へと向かう。時間というものは人間を支配するものであって、決して人間が支配するものではないのだ。では自分のようなどうしようもないクソニートはこの時間とどう付き合っていけばいいのだろうか。答えは簡単だ。なにもしなければいいのだ。とてつもなく巨大な存在である時間に真正面から向かっていくなんて馬鹿のすることだ。だから自分はいつものように寝て起きて飯食って寝て起きて飯食ってと怠惰に生きていくのだ。これが時間との賢い付き合い方なのだ。時間との賢い付き合い方を見つけたのに何故自分はこんなにも暇を持て余しているのだろうか。きっとどうしようもない時間の流れのせいなのだ。きっとそうなのだ。だから僕は今日もなにもしないことに決めたのた。ああ、それにしてもどうしようもないほど暇だ。
 ニートになりたての頃は某大型掲示板に入り浸って大して面白くもない話題に阿呆みたいな書き込みをしては、その書き込みに対して阿呆みたいな返事がくるのがたまらなく楽しかった。しかし、そんなもの数ヶ月のうちに飽きてしまった。今思い出しても自分はなにが楽しくてあんな阿呆みたいな話題に笑っていられたのか思い出せない。多分どうしようもないほど頭が阿呆になっていたのだろう。
 そのうちに今度はその掲示板の影響でアニメを見るようになっていた。毎日毎日起きてから寝るまで、とにかくこの世に存在するアニメというアニメを見尽くすぞというような鬼気迫る勢いでアニメを見まくっていた。トイレに行くのも億劫でたまに糞尿を垂れ流しながらアニメの中の美少女に食いついていた。しかし、その血肉を削ってのアニメ鑑賞を経て僕が果たして得たものは一体なんだったのだろうか。なにも得られなかった、と一笑に付すにはあまりに悲しすぎる。だから、せめて僕の脳みその中でかわいいお嫁さんができましたよ、ということにしようと思う。現に何人かのお気に入りのキャラクターはフィギュアまで買ってしまっていた。思い出したように、そのフィギュアを手に洗面所に立ってそこに映る男を覗き見てみることにした。まったく笑えない。なにも面白くない。どうしようもない。やり場もなく床に思いっきりフィギュアを叩きつけた。バラバラに砕け散ったフィギュアもとい嫁。そのもげた首の変わらぬ笑顔だけは少しだけ面白いと思った。
 そうして僕はエロゲー、ネトゲー、読書など様々な暇つぶしに時間を費やしてきたが結局それらは長くて数ヶ月で飽きてしまったのだった。ある夜、自分は果たしてニートに向いていないのではないかと考えるようになった。例の某大型掲示板の中には自分はプロのニートであると胸を張って宣言するような輩がいる。彼らの威風堂々とした、いわば開き直ったような書き込みを見るに、やはり自分はニートに向いていないのではという確信が生まれた。僕のようなアマチュアニートではきっと彼らプロニートのマイナス年俸には足元にも及ばない。僕の親のすねかじり金額などきっとささやかなものだ。そんなことを考えているうちに、僕の中には底知れぬやる気のようなものが濁流のように溢れかえった。数年に一度のビックウェーブ。僕はこの波に乗るべく、思い切ってアルバイトを募集していたコンビニに電話を掛けていた。深夜の電話であるにも関わらず、快くそのコンビニの店長らしき人は後日面接にきてくださいと言った。そのとき僕はここ数年で一番大きな声で返事をしたと思う。しかし、そのバイトの面接の当日。結局家から一歩も外に出ることはなかった。後日という時間の流れは僕の中に生まれたビックウェーブが消えてなくなるには充分すぎる時間だった。こうして僕はまた怠惰という海の中で数年に一度起きるかも分からないビッグウェーブを待ち続けて漂うことになったのだった。どうしようもない。
 ニートにプロなんかいない。ニートは言わば状態なのだ。最近はそんなことを考えるようになっていた。状態。そう、ドラクエやらなにやらゲームでよくある状態異常。毒やら混乱やら眠りやらの状態だ。人生というクエストに挑み続けている僕たちの中には稀にそのニートという状態に陥る人間がいる。一見するとどこにも異常が見受けられない健康体のような立ち振る舞いを見せるのだが。そのニートに陥った人間はすべてのやる気というやる気を根こそぎなにかとつもない大きな闇に奪い取られてしまうのだ。ニートに陥った人間はもはや手がつけられない。現役とは言いがたい状態でいまだ人生のクエストに挑み続ける両親の重荷となったニートは、ただ両親の旅の資金を食い荒らすだけの存在と成り果てる。両親はニートに陥った子供を半ばで捨てることもできず、その重みに押し潰されるまで永遠に足を引っ張られ続けるのだ。だが両親は必死にニートの状態異常を治療しようとは躍起になる。しかし残念ながら現代の医学ではその明確な治療方法は発見されておらずもはや手も足もでない。そうしてニートに陥った人間は遊び人も青ざめるほどの図々しさで両親の旅の資金を食い散らかし、やがてそのパーティー全滅を迎えることになるのだ。ニートになってしまったらもうどうしようもないのだ。こんな下らないことを真剣に考えていた自分がもう本当にどうしようもなくて泣けてきた。
 夏になるとニートはさらにその自堕落ぶりに拍車がかかり、本当にもうどうしようもなく手がつけられなくなる。暑くて大人しく寝ていることも出来ない。パソコンを起動してなにか暇つぶしをすることもできない。食事を取ってしぶとく生命維持に努めることも出来ない。もちろん雌を見ても雄の象徴である息子がその存在感をやたらめったら主張することもなくなった。もはや病気ではないのかと、一瞬不安を覚えたが尿意を催すからきっと大丈夫だろうと気にしないことにした。誰かこんな僕を要介護としてどこかの福祉施設に収容してはくれないだろうか。しかし、もちろん税金など納めていないようなこのニートを誰が介護してくれるというのだ。僕がその施設の所長でそんなニートが収容されてきた日には全職員に要虐待の指示を与えて、職員たちのストレス発散に活用することしか思いつかない。あ、これならニートでも人の役に立てるかもしれない。はあ、馬鹿馬鹿しい。天井に向かってばーかと叫んでみたが誰も返事はしてくれない。もう暑くて本当にどうしようもない。
 しかし、こんな三大欲求に抗い続ける僕でも煙草だけはいつでも吸いたくなるのだ。煙草を吸っているときだけは、なぜか心が異様に落ち着く。何故かは分からない。しかし、吸いたくなるのだからしかたがない。ある人が「喫煙は緩慢な自殺だ」と言っていたのを思い出した。きっと僕は死にたいのかもしれない。しかし、自殺する勇気もやる気も勿論持ち合わせてはいない。だから煙草なのかもしれない。人はいずれ死ぬ。そんなこと言われなくても分かっている。しかし、いずれとは何時なのだ。一年後なのか。一ヶ月後なのか。明日なのか。数時間後なのか。それはだれにも明確には分からないのだ。そんな明確には分からないいずれが少しでも早く訪れるよう僕は煙草を吸い続けているのかもしれない。喫煙によってゆっくりとゆっくりとじわじわといずれ訪れる死に一歩ずつ確実に近づいていくために。そう考えることによって僕の気分が落ち着くのかもしれない。戯言だけどねと呟きたくなったが口からはどうしよもねえという言葉が自然とこぼれていた。どうしよもねえ。
 よっこいしょと立ち上がって玄関を出た。僕はいつも煙草は外で吸うようにしているのだ。理由はいろいろとあるが、やっぱり外のほうがおいしく感じるからとただそれだけの理由のような気がする。
「あー……幼女とか攫いてー……」
 紫煙と共に自然とこんな言葉が口から吐いて出ていた。もはや本当に手遅れかもしれない。しかし、幼女を攫って自分の部屋で一緒に過ごしたらそうとう長い期間暇をつぶせるかもしれない。愛でたいとか、悪戯をしてみたいとかそんなことではなく暇を潰すという目的で攫ってみたいなんて思っている自分が可笑しくて可笑しくてしょうがなかった。幼女を攫ったとしたらまずなにがしたいだろうか。別にしたいことなどなにもないような気もするがやはり一つだけどうしてもしたいことが思い浮かぶ。殺してみたい。殺すというただそれだけのことがどうしよもなく魅力的な暇つぶしに思えてくる。ここ数年なにもする気が起きないという気持ちとともに、してみたいという欲求がいろいろ思い浮かぶようになってきていた。死んでみたい。飛んでみたい。壊してみたい。殴ってみたい。揉んでみたい。叫んでみたい。色々としてみたいことがあるがやっぱり一番は殺してみたい。それに尽きる。次点で核ミサイル発射ボタンを十連打。これもなかなか魅力的な暇つぶしになる気がする。しかし、そういう欲求というのは案外叶ってみると大したことではなかったと思えるようなことが多々あるような気がする。果たして幼女を殺したとき自分はどんな気持ちになるのだろうか。想像がつくようなつかないような、しかしやってみないことにはやはり分からないことだ。今度殺人の罪で刑務所に収容されている人に聞いてみようかな。人を殺したときどんな気分でしたかと。出来れば自分の手で直接殺した人がいいなあ。刃物とか鈍器で直接的に殺したことのある人。まあ、そんなこと億劫でする気もおきないが。はあ、どうしようもねえ。
 ぼーっと空を仰ぎ見ながら煙草を燻らせていると、足になにかが這っているのに気がついた。一匹の蟻だ。ニコチンを摂取して気分が良いので一思いに踏み潰してやろうかとも思ったのだが、しかし寸前で思い留まった。僕の家は玄関を出てアスファルトの段差を降りるとすぐ道路に出る。庭などない。つまり土がないのだ。この蟻は一体どこからきたのだろうかと思ったが、辺りを見下ろすと普通に蟻があちこちで這い回っている。別に珍しいことでないのかと少し残念な気分になったがなんとなく暇なので蟻さんをストーキングして巣を見つけてみようと思った。暫くウキウキ気分で蟻っころを追跡していたが、これが存外につまらなかった。どうしよもねえと呟き蟻を踏み潰した。こんなくそ暑い中自分はなにが楽しくて蟻の後など追っていたのだろうか。なんだか急に自分が恥ずかしくなってきた。はあと肩を落として家に帰ろうとしたところでしかし辺りに蟻が結構な数いることに気がついた。むむむと、地面をつぶさに探査してみると道路の端のアスファルトの亀裂から蟻が大量に這い上がってきていた。蟻の巣! と心の中で叫んでなんだかだんだんと楽しくなってきている自分に気がつく。自分がどうしようもないほど餓鬼みたいに思えてきたが童心に返ることは悪いことではない、気がする。それに日々の繰り返しに忙殺されている大人たちはきっとアスファルトを砕いて巣から這い出た蟻の力強さに気がつくことはないだろう。それにニートである自分は気がつけた。なんと素晴らしいことだろう。ビバニート! アスファルトに咲く花はたびたび美化して語られるが、アスファルトを砕いて巣から這い出る蟻に目もくれない大人なんて腐っている。自分はそんな大人にならないようにと心に誓った。些か歳を取りすぎている気がしないでもないが。どうしよもねえ。先ほど踏み潰した蟻さんに黙祷を捧げてから僕は再び蟻さん観察を続行した。
 アスファルトの亀裂に開く巣の入り口を目指して蟻が大軍を成して威風堂々と行進していた。その背に担ぐのはどろどろに溶けかけたチュッパチャップス。自分の体長を遥かに上回るチュッパチャップスを何十匹もの蟻が群がり互いに協力して巣まで運び込むのだ。改めて観察してみると蟻のその力強さ、その巨大なチームワークに感嘆とさせられる。蟻たちは女王蟻のためにと小さな身体でこの広大な世界に挑み一匹一匹が各々の役割を果たしそして一つの社会を構築するのだ。まるで人間社会のような一つのコミュニティ。素晴らしい。蟻たちの巨大さを目の当たりにして涙が出そうだ。そして自分の情けなさが浮き彫りになって本当に泣きたくなってきた。暫く煙草を吸いながら蟻の巨大さに触れて我が身の愚かさに打ちひしがれていた。蟻は素晴らしい。こんなにふうに僕の暇をつぶしてくれるとは。最近してきた暇つぶしのなかでも蟻観察は断トツに楽しかった。蟻さんぱねーっすと心の中で賞賛を送っていると一つ不思議なことに気がついた。一匹の蟻が少し離れたところで大群の行進を見ながらうろちょろとしていたのだ。その様子を見て某大型掲示板で誰だかが自慢げに書き込んでいた内容を思い出した。蟻の中にはなにひとつ働かずにだらだらと過ごしている蟻が一匹は必ずいるというような内容。すぐにピンときた。ああ、こいつがその一匹なのかと。その蟻は大群から一定の距離を保ってただ立ち止まって大群の様子伺っていたり、突然うろちょろと動き出したりとしているだけだった。僕はそのニート蟻の様子ただぼんやりと見つめた。お前も俺と同じなのかなんて同情の念はまったく浮かばなかった。ただこいつはなにをうろちょろしているんだろうと、ぼんやりと眺め続けた。大群の様子を見てうろちょろ、大群の行進を確認してからまたうろちょろ。その様子がなんだか仲間の輪に混ざりたいけど混ざらせてもらえないそんなふうに僕には見えた。そのニート蟻を指で一突きすると慌てたように逃げ回った。仲間にハブにされた状況でも生きていたいらしい。ああ、やっぱり少しこいつに同情してるのかも。なんとなくそんなふうに思ってしまった。どうしようもねえ。本当にどうしようもねえよ。はあと溜息を吐き出してからその蟻に煙草の火を押し付けた。
 帰り道にカマキリが道路で威嚇をしていた。誰にだ。僕にかもしれない。ニート蟻を殺してやりきれない気持ちがもやもやと心の中で渦巻いていて少し気が立っていたのでそのカマキリを思いっきり踏み潰してやった。足を上げるとカマキリがぺしゃんこになっていた。自慢の鎌もあらぬ方向に折れ曲がっている。これは存外に気分が晴れた。ヘイ! コックローチ! ヘイヘイ! コックローチ! と上機嫌に叫んでカマキリを何度も何度も踏み潰した。カマキリの英語など知らんから気の赴くままにだ。踏み潰したカマキリを暫く観察しているとカマキリの死骸からにょろにょろとハリガネ虫が現れた。おお、これが噂に名高いハリガネ虫。しかし、物凄い気持ち悪い。ハリガネ虫はカマキリの中に寄生して生きているそんな虫らしい。さきほどのニート蟻よりこっちのハリガネ虫のほうがその気持ちの悪い見た目も合わさってより自分に重ね合わせられた。他の虫の体の中でその虫の栄養を横取り貪り食らう。その姿は親のすねを齧って生きている自分の姿そのものではないか。どうしようもなく苛立ちを覚えいますぐにでもハリガネ虫をぶち殺してやりたい衝動に駆られたがあまりにも気持ち悪すぎるのでそそくさと家に引き返した。自分の親も僕があまりにも気持ち悪いから殺せないでいるのかもしれない。いっそ虫けらのようにぺしゃんこに踏み潰してくれたらお互い楽になれるのに。どうしようもない考えが思い浮かんだ。
 夕方頃、一服のついでにもう一度蟻の巣を観察しに行ってみた。カマキリの死骸は早くも蟻の大群に囲まれて巣までの道のりを御神輿のように担がれていた。蟻たちの行軍のなかには先ほどのようなニート蟻の姿はなく、皆が一丸となってその役割を果たしている。これで蟻の社会の歯車は順調に回りだすことだろう。頑張れ蟻さんたち。心の中で密かに声援を送っておいた。しかし、どこか物悲しいのは何故なんだろうか。どうしようできない感情がいつまでも心の中に燻っていた。
 数年後。僕は蟻の学者となり世界を飛び回って蟻の研究に没頭していた。なんてことが起こるはずもないどうしようもねえ毎日が続いていた。あの後気になってインターネットで調べてみたところ、あの蟻のようなニート蟻が死ぬとまた蟻の社会には新たなニート蟻が出てくるそうだ。蟻の社会もどうしようもねえらしい。しかし未だに蟻観察は僕の唯一の暇つぶしとして続けていた。小さな蟻っころの巨大さに触れるているのが喫煙に次いで僕の心を落ち着かせるものとなっていた。たまに蟻さんたちが重そうに餌を運んでいるのを見るとつい手助けをしてしまう。虫けら以下のニートが虫けらの生存活動を手助けをしている。どうしよもないほど自分にお似合いのお遊びだ。本当どうしようもない。それと、あれ以降ニート蟻を殺すこともしなくなった。虫けら以下のニートが暇つぶしに虫つぶし。そんなどうしようもないシャレが思い浮かんだからやめたのだ。どうしようもないほど意味が分からない。
「あー……擬人化蟻の幼女とか現われねーかなー……」
 蟻の観察をしながらそんなことを呟いてる自分はやっぱり手の施しようもないほどどうしようもないのだろう。
 蟻の観察は今後しばらく続けていこうと思う。どうしようもない人間のどうしようもない暇つぶしとして。
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