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第四話

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○第四話「原田雅美の夢」
 地球の皆さん、こんにちは。この放送は月面基地から、地球の皆さんに向けて発信しています。地球は今、どうですか? こちらは相変わらずです。一人ぼっちではありますが、誰も私を悪く言いませんし、私も誰の悪口を言う必要がありません。限りない静寂の世界ですが、私の心音と呼吸音が私を慰めてくれます。

 基地の機械の大半は太陽電池で動いています。ですが、余りにも古いものの為、動かないものも多いです。この放送は、貴方に届いていますか? 私にはそれが分かりません。この放送は一方通行で、今はまだ受信ができないのです。
 ですが、私は信じています。きっと届いていると。地球の誰かが私の声を聞いて、私の存在を知ってくれていると。孤独である事は悲しくありませんが、誰からも忘れられてしまうのは辛いのです。我侭かもしれませんが、誰からも忘れられるという事は、自分が存在していないのと同じ事だと思うのです。
 私は存在していますか? 貴方の心にいますか? どんな形でもいいのです。私を忘れないでください。それが例え憎しみでも、侮蔑でも構いません。どうか私を忘れないで。私はここにいます。

 さて、今日は私がこの月面基地で何をしているのかをお話します。まあ実のところ、何もしなくたっていいのです。大抵の事は機械がしてくれています。幸いな事に、生活に必要そうな機械はちゃんと動いていますので。なので、ただ毎日を無意味に過ごすことも可能です。食べて寝て、トイレ行って……また食べて寝る。ですが、それだけでは退屈です。なので暇つぶしをするわけですが、今日は折角なので、月ならではの暇つぶしを紹介したいと思います。
 月ならではの暇つぶし……それは、月の砂漠を散歩する、というものです。月の砂漠……歌に出てくるような比喩ではなく、本当に月面に広がる砂漠です。まあ実際には、乾いた土が拡がっているだけなので、地球の砂漠とは少々イメージが違いますが……ともかく、この砂漠を歩き回るのが私の暇つぶしなのです。
 ご存知の通り、月面の重力は地球の6分の1程度しかありません。重い宇宙服を着込んでいても苦になりません。常にふわふわした感じになります。そんなところなので、運動不足になりがちです。なので、ただ歩くだけではなくちょっとした筋肉トレーニングも行います。自分磨きって奴でしょうか。誰に見せるわけでもないんですけどね。
 同じような景色ばかりでつまらなくないか、って思うかもしれませんが、案外そうでもないです。確かに地球に比べれば小さい星ですが、私一人で全部を見て回るというのは恐らく、不可能でしょう。もしかしたら思わぬ発見があるかもしれないと思うと、冒険しているみたいで楽しいと思いませんか?

 散歩の途中、寂しくなったら地球を見ます。この素晴らしい光景を上手く言葉にできたらいいのだけど、私は詩人でも小説家でもないので難しいです。ですが……とにかく綺麗です。地球は青く、輝いています。今でも地球には色々な紛争や争いがあるのかもしれませんが、宇宙の中から見た地球はただ、美しいのみです。そしてそれを見る事で、私は癒されます。
 地球の皆さんは、地球をどう思っているのでしょう。この星には不幸しかないとか……そう思っていませんか? でも大丈夫です。地球はこんなにも美しくて、雄大です。自信を持ってください。

 さあ、そろそろ今日もお別れのお時間です。お相手は、原田雅美でした。それではまた明日、この時間に……

 ――――

 地球のみなさんこんにちは。この放送は、月からお送りしています。さて今日は、月にある様々な施設についてお話したいと思います。

 前回の放送で、月にある機械の多くがもう動かないとお話したと思いますが、生活に必要なもの以外にも動いているものがないわけではないのです。例えば、無人電車というものがあります。
 その名の通り、無人で走る電車です。まあ命名したのは自分なんですけどね。この電車に乗ると、他の月面基地へ行けます。地球の皆さんから見ると、月の裏側です。月の裏には宇宙人がいる、なんて噂があったみたいですが……もしかしたら私の事だったのかも、なんて。
 無人電車の駅には、常に電車があります。まあ当然ですね、私しかいないのですから、私が降りた駅に電車が止まっているわけです。で、見た目はというと……普通の電車みたいです。一車両しかありませんが、地球の皆さんにも馴染みがありそうなデザインだと思います。私が乗り込むと扉が閉まり、自動的に発車します。
 月には私一人……作った人はもっと沢山の人が乗るつもりだったのでしょうが、座席に座っているのも私一人。ちょこんっと座って、窓から外を眺めます。いつもそうなのですが……不思議と、この窓から地球を見ていると涙が溢れてきます。自分でも何故なのか分かりません。ただ、電車がガタンガタンと音を立てて揺れて、流れる月の景色と、その向こうで遠ざかっていく地球を眺めていると……不意に涙が頬を伝うのです。

 さて、いくら電車とは言っても、月の裏側まで行くのには時間が掛かります。なので、音楽を聴いたり漫画を読んだりして時間を潰します。お腹が空いたら持参したご飯を食べて、残りの時間はひたすら眠ります。何せ私の為にしか動いていない電車ですから、寝過ごしてしまうという事はありません。安心して眠る事ができます。
 そんな感じで、大体2、3日かけて月の裏側へ向かいます。と言っても、時計がないので正確な時間は分かりません。いや、そもそも地球とは時間の流れそのものが違うのかもしれません。私の一日と、地球の皆さんの一日とは大分差があると思います。何せ私は、自分の感覚だけを頼りに一日をカウントしているので。

 こちら側の基地は、少々賑やかです。いえ、騒々しいと言った方がいいのかもしれません。表側と比べて多くの機械が生きていますが、その殆どが私とは関係のない機械で、しかもその機械から出る音が大きいのです。もしかしたらこっちの方がいいと仰られる人もいるかもしれませんが……私にはあまり居心地のいい基地ではないですね。便利な点もあるのですが……
 ああそう、便利なのです。大半は関係ない機械と言いましたが、中には便利なものもあって、例えば……音楽をダウンロードする機械。自由に、とまでは行きませんが、最新の音楽を入手する事ができます。他にも漫画をダウンロードする機械や、映画をダウンロードする機械もあります。難しい事は分かりませんが、とにかくできるのです。
 ですが、それをする為だけにこちらに来たわけではありません。一番の目的は、登録認証です。私がこの月にある機械を使う資格がある、という認証が必要なのです。これが実に面倒で、大変です。でも認証しないまま放置しておくと、全ての機械が動かせなくなってしまいますので、面倒でも時折こうしてこちら側にこなくてはなりません。

 こちら側に長くいると、不安になります。もしかしたら知らぬ間に地球がどこかに行ってしまって、私はもう二度と地球を見ることができないのではないかって。そんな事はないと自分に言い聞かせるのですが、時間が経てば経つほどその思いは強くなります。そして、認証が終わる頃には、地球が恋しくて恋しくてたまらなくなるのです。

 結局戻っても、手は届かないんですけどね、見られるだけで。

 無事認証を終えたら、再び電車に乗ります。ああ、そうそう、ちょっと話が逸れてしまうかもしれませんが……月にも幽霊っているみたいなんです。
 と、言うのも……さっきも言いましたが、この電車は無人で動いていて、乗客は私だけなのです。それなのに、私がいつも通りちょこんっと席に座っていると、時折他の座席に人がいるような気配がするのです。いや、人なのかどうかも定かではありませんが……ともかく何かがいる、そんな気がするのです。
 私も女性なので、お化けや幽霊はちょっと苦手です。なので、そういう気配を感じた時は身動きがとれず、席に座ってじっとしているしかありません。まあ、何かされたって事もないんですけど、やっぱり怖いじゃないですか。
 でも不思議とそういう気配を感じても、窓から地球が見えてくる頃にはいなくなっているのです。で、私はと言うと、帰ってきたという気持ちが高まって、また涙が溢れてくるのです。なんだか、涙もろいだけに思われそうですね。

 さあ、そろそろ今日もお別れのお時間です。お相手は、原田雅美でした。それではまた明日、この時間に……

 ――――

 地球のみなさん、こんにちは。今日も月からお送りしています。と、早速なんですが……今日は、昨日の最後にお話した件について、もう少し色々お話したいと思います。そう、月にも幽霊がいる、っていう話についてです。

 私が月に来てからは、とりあえず生きている人に会った事はありません。ですが、こうして基地があるわけですから、何人か人間がいたのではないかと思います。で、その内の何人かがここで死んでしまって、幽霊になったとか……ありそうですよね? 

 実は、幽霊の気配を感じるのは、電車の中だけではないのです。月の砂漠を散歩していると、時折遠くの丘に人が立っているように見える時や、背後で自分以外の足音が聞こえたりする事があるのです。最初は光の加減だろうとか、私が歩いた事で巻き上がった粉塵が音を立てたのだろうとか思ったのですが……どうもそれだけではない気がするのです。
 もしかしたら、私がまだ歩いていないところに、何かあるのかもしれない……私がそう思うきっかけになったのは、こういう現象も少なからず影響しているのです。私以外に誰かがいて、それがこの月で暮らしているのではないか。私が幽霊だと思っているのは実は、そういう生き物なのではないか、という風に。

 時折、この広大な月の砂漠を行けるところまで行って、確かめてみようとも思うのですが……いつも途中で断念していました。基地から離れすぎて、基地が見えないくらいのところまで来ると、不安になってしまうからです。基地から出る時は宇宙服を着なければなりません。当然ずっと外に居られるわけではなく、宇宙服に着けられた酸素ボンベの中身がなくなったら、死んでしまいます。もし帰りの方向が分からなくなって、いつまで経っても基地に戻れなかったらと思うと、怖いのです。

 そこで……私は考えました。どうにか遠く離れても、この基地の位置が分かるようにする方法はないものかと。で、思いついたのは……童話みたいに、歩いた道に何かを置いていくという方法でした。童話と同じ、パンくず……って言うのは不安なので、地面に杭を打ち込みながら歩いてみようかと。これなら、昨日はどこまで歩いた、とかが分かりますし、帰りは杭を辿ればいいのです。我ながら名案という事で、早速杭を沢山用意しました。明日から少しずつ、探索範囲を広げてみようと思います。明日からの放送は、探索の結果を中心にお知らせする事になると思いますので、お楽しみに。

 それでは少し早いですが、明日に備えてゆっくり眠って起きたいので、今日はこの辺で。お相手は、原田雅美でした。

 ――――

 地球の皆さんこんにちは。早速なんですが、探索の結果を報告させていただきたいと思います。
 今までは散歩がてらの探索だったので、近場をフラフラしていただけだったのですが、今日ははっきりと目的を持って歩いたので、結構な距離を進む事ができました。杭は、大体10メートルくらいの間隔で打ち込んで行き、基地が見えなくなってからも、手持ちの杭が無くなるまで進み続けました。やっぱりちょっと怖かったですが、杭があるのでまっすぐ戻れましたし、明日はもっと先まで行きたいと思います。
 ああ、勿論酸素の事もありますので、行きだけで残量が半分を切らないようにはしています。その辺はご心配なく。
 それでですね、特に何か見つかったっていう事はないんですが、心なしか地球が近くに見えたんですよ。基地から見える地球は半分くらいですが、なんとなく見える範囲が広がったように思うのです。このまま歩いていけば、まん丸の地球が見られるかもしれませんね。

 それでは、今日もちょっと短いですがこの辺で。何せ、明日は今日よりもっと遠くまで歩かないと行けないので。お相手は、原田雅美でした。

 ――――

 皆さんこんにちは。今日も探索の結果をお伝えしたいと思います。

 えーと……とにかく、手持ちの杭が無くなるまで歩きました。でも、やっぱり今日も特に何も……ありませんでした。はい。何もありませんでした。

 地球は大きく見えました。凄く大きくて、手が届くんじゃないかって思うほど。その点で言えば、今日は凄くがんばったと思います。でも…………

 すみません、今日の私は何か、変ですよね。その、何ていうか……杭があって、帰れるのは分かってるのに、月の砂漠にぽつんと立っているのは、凄く……怖かったのです。杭がなくなって、ああ、今日はここまでかなって思って、地球を見て……急に怖くなってしまいました。だから、思わず早足で帰ってきてしまいました。
 明日は……あれよりもっと遠くに行かなきゃいけない。探索を止めれば楽になれるかもしれないけど、でも……あの先を見てみたいとも思う。まん丸の地球を見てみたいとも、思う。皆さんに、少しでも近づきたいって……そう、思います。

 ……はあ……すみません、今日も早いですが、これまでにさせてください。明日はきっと、元気に報告できるようにしますので。それでは……原田雅美、でした。

 ――――

『落し物やで?』
「え!? あ……そ、そんな!!」

 ――――
 ――――
 ――――

 探索なんてしなければよかった。何かを探そうなんてしなければよかった。地球に近づこうなんて、思わなければよかった。

 私は忘れていた。私には何もない。私の月には何もない。どこまで行っても荒野で、遠くから地球を見詰めるだけだった。

 私は忘れていた。私には何もない。私の世界には何もない。どこまで行ってもつまらない女で、遠くからみんなを見詰めるだけだった。

 何もない。私には何もない。手を伸ばしても届かない。ただ、見詰めているだけでよかったのに……


 誰かの声に振り返った私の目の前にあったのは、杭の山。今までに打ち込んできた杭が、何者かに全て抜かれてしまったのだ。なんとなくの方向は憶えているけど、まっすぐ歩いていける自信はない。酸素はまだ余裕があるけど、迷ったら……死んでしまう。
 誰が、こんな事を……やっぱり私以外に誰かいたの? さっきの声は一体……ああ、でも今はそんな事どうでもいい。私はここから、どこへ行けばいいの? 勘を頼りに、戻る? ああそうだ、酸素は限られている。この先に何かがあったとしても、それによって私が生き長らえる事になるとは思えない。生き残りたいなら、戻らなきゃ。

 私は歩いた。初めは、自分が打った杭の跡を頼りに……だけどしばらく歩くと、杭の跡はもう見つからなくなってしまった。あとはもう、自分の感覚だけが頼りだ。

 どれくらい歩いたのだろう。本当に真っ直ぐ歩いているだろうか。一応遠くにある小山を目印に歩いているのだが、正直似たような山が幾つもあるので、本当に同じ山を目印に歩いているのかどうか……

 酸素はまだ半分ある。けど……不安が呼吸に現れているせいか、今までよりも酸素の減りが早い気がする。
 帰りたい……帰りたい。どんなに退屈でもいい、あの基地へ……
『あははははは』
『ははははは』
 背後から、誰かの笑い声が聞こえてくる。幻聴だ、幻聴のはず。でも……
『うふふふ! あはははは!』
『はははははは』
 人々の笑い声……何人もの、声……ここは月で、私しかいないはず。だからこれは幻聴で、私の恐怖心から生まれた錯覚で……
『ふふふふ』
『あはははははは!』
 楽しそうな、声。私の事などこれっぽっちも気にしていないかのような、笑い声。私はそこから逃げるような形で、歩き続けている。

 ああ……無理なんだ。私はあの輪には入れない。なのに、なんで……近づこうとなんてしたんだろう。

 気がつけば、酸素はもう残りわずか。その分、沢山歩いたはずなのに……基地はその姿すら見えない。見渡す限り、月の砂漠が広がっている。ああ、もうだめだ。きっとどこか途中で、方角を間違えたに違いない。

 もう、酸素が足りない。これ以上歩いても、無駄だ。私は近くの岩にもたれて座り、地球の方を見る。さっきまでは地球とは逆の方向に歩いていたので、ずっと地球を見る事ができなかったが……改めて見ても、やっぱり綺麗だな、半分だけしか見えないけど。私も……そこに、行きたくて……

 あ……そうか。今わかった。誰が杭を抜いたのか。

 私が抜いたんだ。もう戻る必要がないって、そう思って。地球に……あの輪に入れるつもりになって、もう孤独じゃなくなるからって……ああ……どうして手が届くつもりになっていたのか……私にはこの孤独な世界がお似合いだと、分かっていたつもりだったのに。
「はは……あははははは……あはははははははは……」
 乾いた笑い声が、私の口から漏れ出す。ああ、そうだ、この感じだ……これが、私の月。私の世界。最期の時を、こうして地球を外から眺めながら迎えるっていうのも悪くない……

『悪夢、終わらせたろか?』
 ……誰かの声が聞こえてきた……この声は、あの時の……
『御代はアンタの夢の欠片……お安くとしときまっせ』
 悪夢……そうか。これは悪夢だったのか。私を夢の中でさえも孤独にする、悪夢。
「消して……終わりにして」
『承った』

 その時、私が見ていた地球に、何か……光の筋が一瞬、突き抜けたように見えた。そして……その光が突き抜けたところから、なんと地球が砕け始めた!
 宇宙空間なので、音はない。無音のまま、地球に無数の亀裂が走る。そして、ほんの一瞬の間の後……遂に地球は弾けとんでしまった! まるで巨大な花火のように、大量の光の粒が私の目の前で四方八方に飛び散っていく。

 その光景を、私は黙って見ていた。あんなに渇望していた、憧れの存在が無残に砕け散っていって……

 でも、次に私の心に浮かんだ感情は、自分でも意外なものだった。そして、その感情はとても大きくて、遂には私の口を割って言葉を紡ぎだす。
「……ざまあみろ」

9, 8

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