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吸血木

■1

 電車に乗りながら、窓の外を眺めるのは日常的な行為であろう。座席に座りながら、日本風の町の景色や、自然の景色を広く覗けるのは、ある意味で幸福な時間帯とも言えるだろう。
 ただ、ぼうっと見ていて普段見落としがちな、細かな風景にまで目を運ぶ人間は少ないだろう。横に流れていく景色の中、ほんの少しの差異を気にすることは、普通のサラリーマンや学生たちにはめったにない。あったとしても、明日には忘れているだろう…。

 ここにある写真家の女性がいた。
 名は田中A子…ここ最近、カメラ関係などの雑誌によく風景の写真を投稿していた。目の付け所が斬新であると評判で、その雑誌内でよくある賞などを手にしていた。
 彼女はプロになることを目指し、新しい被写体を求めていた。それは…電車の窓の風景であった。ただの町並みとは少し違う。電車の中から流れていく風景は、言わば町をハサミで切って、横から眺めたようなもの。注目すべき一点を探すのではなく、町全体を横から眺めることで…何かの発見の可能性を感じた。

 彼女はその日、近くの駅に向かい、電車の切符を買った。何処がいいだろう?まずはこれまでよく見ていた景色をもう一度、見渡してみよう。近場だからこそ、”これまで見落としていた何か”があるように思った。そんな普段見落としがちなもの…それを見つけることが、今回のテーマだ。
 夕暮れ前の涼しい時間。
 太陽はすでに高度を下げ、傾き始めていた。

 電車に乗ると、彼女は揺られる中、椅子に座り窓の外に見入っていた。
 動く町並み…川…歩道…見渡していると、色々なことが彼女の中にインスピレーションを与えた。ビルの大きさと人と車の大きさ…。普段はよく動き回る人々は、電車の中から見渡すと、止まって見えること…。こういったものを、彼女はカメラに写していく。自分は人並み以上の才能を持ち、この道で成功する自信がある…そう確信しているからこそ、周囲の目は気にならなかった。
 そんな中、電車は山に差し掛かる。その先は洞窟で、電車はその中を通っていく。
 A子は少し見る角度を変え、接近する山の迫力を感じた。
 その時、緑の山の斜面に、ある一本の木が彼女の中に、写った。
「あれは…」
 小さくつぶやく彼女。
 電車は暗闇のトンネルを通過していった。
 A子は先ほど見た映像を、しっかりと頭の中に記憶していた。
 緑色の山の中…たった一つだけ、真っ赤に染まる木があったことを。



■2

 A子はその次の駅で降りた。
 そしてしばらく待つと、今度は反対車線から来る普通電車に乗った。引き返すつもりらしい。
 そしてもう一度、見ようと。緑色の中にたった一本だけある、赤い木を。それはとても寂しげというか、不気味だった。何という名の木なのだろう?彼女は大学時、一般科目の中で生物の講義を取り、レポートを書いたことがあった。対して興味のない分野ではあったが、写真家を目指す彼女にとって、木々などの名称を多少なりとて知ることは有益に思えたし。そして群生のことをレポートし…たった一つだけの種が、ある範囲の中で生き延びる可能性は少なく…そのようなものがあればそれは、新種である可能性が高い…などと、適当な考察文を出した。こんなことは普段なかったのだが、その時は時間がなかったのだ。

 今にして、あの時の成績表を思い出した。……。…A子は自分を認めない人間が嫌いで、真実は常に自分にあると思っていた。だからあの時出したレポートは、鉄壁の精神を自ら崩した汚点として残っていた。だからこそ、あの時の清算…事実確認をし、心のけじめをつけねばと思った。同時に、日常の中にふと写る非日常…という次なる表現の明確なテーマが構成され始め、彼女の頭の中は反骨と興奮でメラメラと湧きあがった。
 電車が前の駅に着いた。降りて山の方を見ると、歩いても何とかたどり着けそうな距離であると感じた。もし何なら、タクシーでも拾って適当なところで降ろしてもらおう。そう考え駅を後にした。

 … … …

 そして、山のふもとまでたどり着いた。
 隣の石垣の上では、列車の道筋が洞窟に向けて走っている。
 徐に、彼女は山を見上げた。当然だが、まるで整理されてない藪であるし、斜面もきつい。このようなところにスーツ姿で入っていくことは難しいと思った。
 引き返そうかどうか…そう考え、あたりを見回していると…どうやら山の中につながっていく山道が存在していることが分かった。A子は驚き、その小道のスタート地点に駆け寄った。そして、そこから先につながる道を見た。森に隠れて、暗闇が深く目の前に広がってくる。A子の鼓動が急激に高鳴った。…まだ明るいというのに、こんなに暗いなんて…。

 ただ、そこで諦めるような性格ではなかった。一般の人が踏み込むのを躊躇するような場所だからこそ、何らかの宝…貴重な被写体が得られるということは感覚的に知っていた。そして彼女は山道を、一人歩き進んでいった…。だが、これまで感じたことのないような圧迫感…恐怖を、彼女は無意識に胸の中にしまいこんでいた。



2, 1

  

■3

 山道を歩いていく。
 木々に隠れて見えにくい空の色は茜…真っ赤に染まっていた。
 異様に暗く感じるのは山陰だからか?
 いくばくか歩いていくと、その道の横の崖に、大きな穴が開いていた。
 古く、壊れた柵が入り口付近に散乱していた。
 昔、戦争があった時、防空壕として使われたのだろう…とA子は思った。

 そして、更にその少し先に向かったところで彼女は気がついた。
 その防空壕のすぐ上には、木が存在していた。あの真っ赤な木だ。
「見つけた…」
 A子は目的の達成にほっと心をなでおろした。普段は更にここからアクセルがかかるのだが、今回ばかりは気持ちが前に進んでいかなかった。
 A子は恐る恐る、その木の近くに近寄っていった。
 木の幹からして、かなり真っ赤だった。そしてところどころに、青い筋が浮かんでいる。コケが斑のように張り付いている。根元にはもこもことこぶが付いている。…なんて、グロテスクなんだろうとA子は思った。その中で、A子はふと気がついた。
 …木の最初の枝分かれの部分に存在する、それに。
 それを発見した瞬間、A子の肩がぞくりとし、怖気が走った。
 その枝分かれの間にあるものは…まるで…目。
 目のような形をしたこぶが、A子の顔をみるようにくっついているのだ。

 彼女は数歩後ずさりをした。
 そしてはっと気がついた。本格的に暗くなる前に、写真を撮っておかねばならない。そうしないとここに来た意味がないではないか。こんな恐ろしい思いまでして…いや、本当に恐ろしいのはこれからで…今、ここで写真を撮ってしまえば、後戻りできなくなる…。
 湧き上がった思いを振り払った。そして、無造作に…見る場所から顔を遠ざけて、視線も合わさずにシャッターを数回押した。
 撮れた。これでいい…帰ろう。
 そう思った瞬間

 ガサリ。

「きゃあ!」
 彼女は絶叫して、倒れた。倒れた拍子に、足をくじいた。しかもヒールの踵が壊れた。
 痛みにこらえて歩いてきたのに…今日は付いてない。そこから生まれた怒りが、彼女の心を狂わせたのかもしれない。そのガサリと動いた方向に、彼女はヒールの角を投げつけた。
 ガツンッっと板を叩くような音が鳴った。彼女はふと気がつく。その先にもまた、何かあるようだ。
 うっかり投げつけたヒールの踵。お気に入りだったのに…。
 くじいた足を支えながら…彼女は森の先に進んでいく。
 そこには、朽ち果てた小さな家があった。



■4

 昔風の家だった。
「誰かいるんですか…」
 A子はそう声をかけた。言葉は返ってこない。さっきの音は…小動物でも跳ねたのだろうか?
 ヒールの角は?そこら辺には落ちていない。
 扉が半開きになっていて…そのすぐ傍まで近寄ると、何かにぶつかった跡のようなものがある。扉に当たりに、反射して家の中に?
「…もう、やだぁ…なんでよぉ…」
 思わず泣き言を口にした。取りに行こうか?もう帰ろうか?
 でも帰るにしろ裸足で山道を降りなくてはならない。夜だし、うっかり見えずに蛇にかまれたりするかも…。
 携帯電話だ!…いや、誰に電話すると言うのか?こんな所に友達を呼ぶことは出来ない。それなら警察に…いや、たかがこれだけのことで、警察を動かすなんて…様々なことを思い、彼女は途方にくれた。

 兎に角、ヒールの踵を手に入れよう。
 彼女はそう思い、おそるおそる中に入った。

 小屋の中にあるものは、昔ながらのもの…ふとん、机、鏡…など。
 埃がかかっていて、天井には蜘蛛の巣が張っていた。
 携帯電話の明かりを使うしかない…電池の残量は2/3。かすかな領域を照らす明かりを頼りに…A子は床を調べまわった。その時、ヒールの踵ではなく、床に落ちているあるものを見つけた。
「これは…」

 A子は手に取った。
 それはとても古びた日記だった。
 彼女は恐ろしかったが…携帯電話の明かりによって、その表紙を見ることが出来た。

『孫の成長日記』

 どうやら、昔…ここに住んでいた人がいたらしい。
 孫ということは…これを書いているのは誰だろう?もし戦時中の日記ならば…男ではないだろう。多分祖母が書いていたのだろう。そして孫と祖母が暮らしていたということは、その孫の親は…戦時中ということを考えるに、おそらくは死んだのだろう…。

 A子は携帯の明かりを頼りに、ページをめくり読んだ。
 そこには幼い孫との出会いから、育っていく経緯が書き綴られていた。
 パラパラとめくっていき…真ん中あたりにまで達した。そこにはこう書かれていた。

『孫が死んでしまった。栄養失調で…。』

 A子はそのページで、思わず手を止めた。そうか…結局は孫も幼いうちになくなってしまったのか…。
 だが。
 日誌は更に続いていた。次のページに、こう書かれていた。

『孫がはじめて来た時に一緒に植えた木…それを、孫だと思って育てることにしようと思う。』

 一緒に木を植えた。このあたりにある木といえば…A子の脳裏に真っ先に思いつくのはあの赤い木だ…。でも、あんな気持ちの悪い木が、こんな思いやりのある家族のものであるわけがない…そう思った。そして更にページをめくっていく。それから先は、木のことばかりが書かれていた。…めくってめくってめくってめくって…A子は”あること”に気がついた。

『孫がおなかをすかせている…また、食べ物をとりに行かなければならなくなった』

 A子は目を見開いた。日誌の後半…どうして再び、孫が?
 A子はその前後のページを何度も見直した。そうすると分かった。
 孫と共に植えた木の成長記録が、いつの間にか孫そのものの成長記録に摩り替わっていたのだ。少しずつ壊れていく祖母の心…。それに気がついたとき…A子は更なる疑問に達した。

 食べ物をとりに行かなければならなくなった。
 …食べ物?

「何よこれ…狂ってる…」
 A子は思わずつぶやいた。
 それ以上、何も考えたくなかった…そして、日誌を投げ捨てた。
 パラパラとページがめくれた。

『もう食べ物をとりに行くことが出来ない。仕方ないので、私自身を食べ物にするしかない。』
 最後のページがめくれた。



4, 3

  

■5

 A子は外に出た。
 そして何とか決心して、山道を降りようと思った。
 すでに周囲は暗く、風がざわざわと吹いていた。
 A子は携帯の残量に目をやった。残りは1/3。
 山道を降りる前に、尽きてしまったらどうしよう…と思った。

 はだしの足が細かな石や木切れを踏むたび、痛みが走った。
 そして、その時…ゆらりとした光が見えた。
「え?誰か…誰かいるの?」
 A子は言葉をかけた。
「誰かいるなら助けて!私、この山から下りたいんです!」
 しかし言葉は返ってこない。A子は光が映った方に駆け出した。
 足はひんやりとしたのが気になったが、彼女は恐怖に心が崩れそうになっていて、それどころではなかった。

 暗い。携帯の明かりを使って、光が見えた先に進んでいく。
 しかし行き着く先は行き止まりだった。
「ここは…防空壕の中…?」
 ふとそれに気がつき、彼女は呟いた。
 明かりで周囲を見渡すと…彼女の頬が一瞬にして青ざめた。

 人が。人であったものたちが。
「いやああっ!」
 彼女は叫び、後ろ向きに倒れた。そして防空壕の上を見る。そこには深く根が張っていた。真っ赤な根。まるで皮をめくった後の、人の腕のような根が。そしてその根は深く下に沈み…人であったものたちの肉片に食いついている。

 それをみた時、A子はすでにそこから走っていた。
 洞窟の奥…背後からガサゴソという音が聞こえた。
「助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて助けて」 
 A子は走った。走って防空壕の外に出た。
 震える手で、携帯の番号を押していく。1、1、0…その時、バッテリーが尽きた。

 充電してください。

 闇。
 ガサゴソという音が大きくなり、近づいてきた。
「助けて助けて助けて助けて助けてたすけてたすけてたすけてたす」













 三日後。
 山の中で死んでいるA子の姿を、近くの人が発見した。
 死亡解剖の結果、旧防空壕内の落石により、出血多量死だと確認された。

 遺品としてカメラがあった。写真を焼いて、見た人は少し驚いた。
 写っていた木は膨らんだ子供の顔に見え、その後ろに白い老婆のような何かが映っていた。


5

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