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日本:四ツ目の自宅

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 あれは確か一週間程前、チリの空港での事だった。「チリ」と聞いて、俺は思い出したんだ。
「今月の最後って……確か、期末テスト無かったっけ?」
 疑問系になったのは、既にそこから現実逃避が始まっていたからだ。はっきりと、担任の教師が「二十五から一週間テストだからな。風邪ひくなよ」と言っていたのを覚えている。
「覚えてないわね」
 とぼけてるのか素なのか。分からない所が四ツ目らしいと言えばらしい。
「いや、確かあったよ。絶対あった」
 肯定しつつ、教科書の範囲まで思い出してきた。県庁所在地は覚えられないのに、こんな事ばかり覚えられる。腕力やら走力と比べて、記憶力の不自由さは異常だ。
「それで?」
 と、四ツ目。まーたそういう顔をする。
「この旅、十一月にならないと終わらないんだろ? テストどうするの」
「丸一ヶ月欠席するのだから、今更成績も何も無いと思うのだけれど」
 確かにそりゃそうだ。仰る通り。百点満点。だけど成績優秀な四ツ目様と違って、俺は崖っぷちの三歩手前くらいでブレイクダンスしている人間なんでね、あ、はい、そうですか、とは引き下がれない。
「まずいってまずいって。二年の成績はもろに推薦とか響くし、俺、普通に受験して受かる気がしないよ? 勉強やだよ?」
「私が教えると言っても?」
 その一言で地球の自転が止まった。
 四ツ目の部屋で、四ツ目と、二人きりで、仲良く、楽しく、お勉強。うわ、空気重そうだな耐えられねえ。だけど少し期待してしまうのは男子高校生の性だ。
「もしかして……冗談?」
 俺は疑いの眼差しを向ける。四ツ目はそれを斜め四十五度で反射して、
「いいえ。あなたが良ければ、だけれど」
 こ、これがデレって奴か。初めてお目にかかる代物だぜ……。
「でも、心配はいらないかもしれないわね」
 俺が「?」を頭の上に浮かべると、四ツ目はあっさりと言い放った。
「今月で人類は滅亡するのだし」
「ええええ」
「冗談よ」
 生まれて初めて聞いた四ツ目ジョークは、レベルが高すぎて俺には意味が分からなかった。


 宇宙で地球見学を終えた俺は落ちて落ちて、オゾン層を突き破り、成層圏から対流圏へと超スピードで下った。気づくと恋に落ちてた俺からすれば、大した事の無いレベルの落下だ。
 空港に戻ってくると、四ツ目は現地の関係者と何やら話をし始めて、俺は放っておかれた。しかし不思議と仲間はずれにされてる感は無かった。あのキスは俺の心のどこかに錨を打って、安定させてくれたのだろう。
「そろそろ次の国に行きましょう」
 話を終えて戻ってきた四ツ目は、いつもの声でそう言った。
 ああ、こうなったらもうどこだろうが行ってやるさ。そんな気分になったのは、十月一日以来の事だった。
 飛行機を乗り継ぎ、大陸から大陸へと飛び回る。この旅の総移動距離を計算したら、どのくらいになるのだろう。相変わらず、俺は飛行機の中で映画見たりラジオ聞いたり暇を持て余しながら、四ツ目は隣で眠っていた。しかし良く寝る子だ。昔からそうなのだろうか。
 昔から、といえば、四ツ目の過去をこれっぽっちも知らない自分に気づく。どこで生まれて、どういう風に育てられて、両親はどんな人で、何が好きで、何が嫌いで……。何せ、聞いても教えてくれないからね。だから俺が四ツ目の事で分かるのはせいぜい、とんでもない秘密主義者だって事くらいだ。
 そういえば、あの質問の返事だって、俺はまだ聞いていない。日付変更線がどこにあるかは知らないが、持ち前の体内時計では、四ツ目の言った「明日」になっていてもおかしくはない。かといって、わざわざ起こして聞くのもなぁ……本音を言えば、聞くのが少し怖くもある。
 キスをしたという事は、そりゃ当然、四ツ目も俺の事を好きだと言ってくれているのと同じな訳で、それはつまり、付き合ってくれる。OKだよ! という意味だと解釈しても差し支えない訳で、なのにはっきりと四ツ目はこう言った訳で……。
「明日、きちんとした答えを出しましょう」
 答えを出す。という言い回しは、今は答えが出ていない。とも解釈できる。
 なんで出ていないんだ? 単純な話じゃないか。俺の事が、好きか、嫌いか。Love vs Hate。人類が何万年も続けてきたゲームだ。酷く不完全で霧のように曖昧なルールの遊びじゃないか。
 四ツ目は……同級生で、謎が多くて、基本無口で、いつもつまらなそうにしていて、何でも知ってて、なのに教えてくれない事はとことん教えてくれない。どうして好きになったのかと聞かれれば、俺は目を逸らして鼻歌を歌うだろう。
 俺は割り算で答えを出した。何も俺には四ツ目じゃなくたっていいんだ。別の女の子でも、年上でも年下でも、男でもいい(ごめん嘘)。でもでも、今実際に隣にいるのは四ツ目で、それは世界中を回っても唯一変わらなかった事だ。
 四ツ目は答えをどう出すのだろう。


 空港に着いて、案内板の文字が読める事に気づいた。それどころか、周りの人の喋っている言葉が理解できる。どこに行けば出口で、どこが売店なのか分かる。いよいよ俺も、長きに渡る海外旅行で英語を体得できたのか?
 いや、そんな訳が無い。俺が今いる所は、日本だった。
「え!? 終わり?」
 日付は二十日の水曜。まだ十月は十日残っている。
「いいえ。行きたい所がここにあるだけ」
 どこにでもついていくと言った手前、こんな風に言うのはアレなんだけど、
「ちょっと自分の家寄っていいか? 着替えたいんだけど」
「時間が無いから駄目」
「そこを何とか頼むよ」
 俺は頭を下げる。チャンスはもうここしかない。俺は叫ぶ。
「もうパジャマは限界なんだ!」
 十月一日、俺は「世界旅行に行く」と言った四ツ目の言葉を信じていなかった。だから何の準備もしていなかったし、余裕で寝ていた。朝になって、四ツ目がタクシーで俺を迎えにきて、あれよあれよという間にエジプトにやってきた。寝起きのまま、パジャマのままだ。
 それからずっと俺は、世界中をしましま模様のパジャマで回った。パジャマで宇宙まで行った。前代未聞っつーか意味が分からん。面白いもんで、奇異の目は世界共通らしい。でもそれは罰なのだ。四ツ目を信じなかったあの時の俺に対する罰なのだ。
「似合ってるわ」
 この上無く辛らつな言葉。それはつまり、いつも寝ぼけているという事ですか。
「どこに行くんだ?」
 俺は尋ねる。四ツ目は答える。
「私の家」


 恥ずかしながら、女子の家に行くのは初めての事。しかも美少女。しかもキス済み。
 覚悟などそう簡単に出来るはずがない。
 四ツ目に連れられてやってきたのは、一見普通のマンション。八階建てくらいの、そこそこの都会ならその辺にある、何の変哲も無い建物だ。広大な庭と、城みてえな家と、執事とメイドと世話焼きの家庭教師を想像していた俺としては、何とも拍子抜けする家だった。
 何せ相手は宇宙船をチャーターする相手だ。それくらいはあっても不思議ではない。
「分かったぞ。このマンション自体が、四ツ目のなんだろ? しかもそれは別荘で、とか?」
「いいえ」
 テンション上がり気味な俺をばっさり斬って、四ツ目は中に入っていく。
 外見に比例してか、中身も驚くほど普通だった。管理人のいない管理室。オートロック。広告の入った郵便受け。どこも特筆すべき所は無い。行く所行く所、驚愕と感動に溢れていたこの旅においては、あるまじき「普通さ」だ。
 エレベーターに乗って五階へ。突き当たりのドアを開くと、そこが四ツ目の自宅だった。
 玄関に入った瞬間、確かにここは四ツ目の部屋なのだと認識した。まず匂い。それから、学校で四ツ目が履いている革靴。それまで半信半疑だったのが、急に現実味を帯びてきて、緊張メーターが一気に上昇した。
「おと……父上と母上はいらっしゃらない?」
 お父さん、と呼びかけてやめて出た言葉がそれか。
「いないわ」
「あ、そうですか」
 俺が敬語になる時は、大抵テンパってる時だ。
 気にもせず、廊下の脇にある扉を開けて、四ツ目は部屋に入った。俺も続けて入って、ドアを閉めようとしたら止められた。
「開けたままにしておいて」
「はい。すいません」
 警戒されてる!?


 四ツ目の部屋は、「四ツ目らしくない」部屋だった。ベッドと机と、壁にかけられた制服。小机の上にはティッシュと爪きり。ゴミ箱、それから本のぎっしり詰まった本棚。あとガンプラ。……ガンプラ!?
 俺の抱いていた四ツ目のイメージから導き出される部屋は、何というか殺風景で、一つとして生活感のある物は無く、本当にここで人が住んでいるのかと疑いたくなるような部屋。もしくは、様々な物がごちゃごちゃと乱雑に置かれていて、珍妙不可思議なアイテムで満ち溢れた錬金術師の研究室みたいな部屋。
 ところがどうだ。今実際にいる四ツ目の部屋は、「十代の女の子の部屋」としては大人しめではあるが、まだ普通だと思える範囲。ラッセンのジグソーパズルが飾ってあるのとか、特にポイントが高い。
「ここ、座って」
 俺は言われた通り、キャスター付きのイスに座った。
「案外……何というか、普通だな。ガンダム好きなの?」 
 四ツ目は俺に背を向けて、ベッドに座った。
 それから三分ほど、無言が続いた。俺の質問がスルーされた事もそこそこショックだが、何よりこの謎の沈黙が圧倒的重力となって俺の両肩にのしかかってくる。
 目の前にあるのは、ベッドの上で体育座りしている四ツ目の背中。この二十日間ずっと見てきた物だ。俺はこの背中についていって、色々な物を見た、聞いた。いつも四ツ目は俺の前を歩いて、俺が迷わぬように先導してくれる。だが、今は違う。
 ……ひょっとして、四ツ目は俺の行動を待ってるんじゃないか。
 女子がベッドの上で、背中を向けている。この状況に適切な解釈をすると、導き出される答えはおのずと……。
 俺が立ち上がりかけた時、四ツ目が口を開いた。
「これから私の話をするから、帰りたかったら、黙って帰って」
 扉を開けたままにした理由と、俺に背を向けた理由を俺が理解するのと同時に、四ツ目は語り始めた。
「初めて症状が現れたのは確か……小学生くらいの頃だったかしら」
 湧き出る疑問。
「症状? 何かの病気なのか?」
「ええ。物の大きさとか、遠近感が不安定になる精神病の一種。色が変わる事もあるし、歪んだり、伸びたり、縮んだり。実際にそんな事はありえないと認識していながら、確かにそう見える事があるの。言葉では伝わりにくいと思うけれど」
 確かに、ピンと来ない。
「風邪で高熱を出したり、中枢神経の炎症を起こす事によって発病する事が多いらしいわね。偏頭痛に襲われる人、うつになる人、別の精神病を併発する人もいるそうよ」
 あっさりと言う四ツ目に、俺は尋ねる。
「……病名は何て言うんだ?」
 四ツ目はひと呼吸おいて答えた。
『不思議の国のアリス症候群』
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