Wedding DAY
棺がある。その中で、彼女が眠ってる。
真っ白な繻子の上に横たわって、静かに両手を組み、いまにも開きそうなまぶたを閉じて、なにか飲みたがっているようにわずかに口元を開けている。
俺はそれを見て、見続けて、きっとすぐにでも彼女が目を覚ますはずだと、そうならないわけがないんだと思い始める。
死んでなんかいないんだから。
確かにそうだ、彼女は心臓も動いているし呼吸もしている。それどころか栄養剤をガンガン取り込んで以前よりちょっと太ったくらいだ。
いい神経をしてやがる、俺をこんなに心配させておいて、当の本人はぐっすりと夢見心地だ。俺一人を置き去りにして。
跪いて、棺の中を覗き込んで、俺は思う。
目を覚ましてくれるならなんでもする。
もう一度、笑顔を見せてくれるなら八つ裂きにされてもいい。
どんな大金だって用意してみせるし、どんな王様だって殺してみせる。
だから起きてくれ。
むっくりと身体を起こして、ふわあと猫みたいにあくびをして、きょとんと辺りを見回してくれ。
なにがあったのか分からないって、あれからほんの少しだけ成長した顔で笑ってくれ。
そのためならなんでもいい、俺は棺の中の彼女の手を掴みながら思う。
どんなことでもする。
それでも彼女は眼を覚まさない。
最初から、そうあるべきだったのだと言うかのように、静かに眠り続けている。
どんなに呼びかけても答えてはくれない。
あの時間は全部なにかの間違いだったと俺に思えというのだろうか?
あの日から。
俺の時間は止まったままだ。
あの日、彼女の瞳を直視してから、俺のすべては始まった。そして同時に、何もかも奪われた。こころなんていう安価な玩具なんかじゃ到底無い、俺の全て、俺の全部、俺の魂――何も知らなければ、出会わなければあったのかもしれない、俺の別の未来も、こいつは全てぶち壊しにした。もう何も、戻ってきたりはしないのだ。やり直すことはもう出来ない。二度と前には戻れない。
寝顔を見ながら思う。
愛されなくてもいいと思った。
この女が、恣意私欲のままに、こころの赴くまま、願いの進みゆくまま、生きようとするのは分かっていた。
それがどう頑張っても俺には変えられないことも、そしてそんな彼女を好きになってしまった自分の愚かさも、俺はなにもかも分かっていた。痛いほどに感じていた。そう絶対に、この女は俺の思い通りになんてならない。いまだって、どんなに肩を揺さぶったって、夢の中からほんのちょっとでも目を覚まして、俺の顔を一目だけでも見に戻ってくる、たったそれだけのことさえしてくれない。
俺は置き去りにされたまま、独りぼっちで、彼女の背中の寝顔を見守り続けることしかできない。どれほど強くなろうとも。
それでもいいと思った。
あの日から、あの日に出会ったあの瞬間から、こうなることを俺は分かっていた気がする。
どうしようもなく避けがたい瞬間というものが人生にはやっぱりあって、それが俺にとっては、耐え難いものだったとしても、必ずいつかやってくる。
なにも足音は死ぬ時ばかりに聞こえてくるわけじゃない。
手を握る――
半分死んでるくせに、半分しか生きてないくせに、俺よりずっとあったかい手。
どれほど放したいと思っても、それを許さない何かを宿しているそれを、俺は握り締め続ける。どうしても手放すことだけができない。そうすればラクになると分かっているのに、散々俺を苦しめてきたのはほかでもないこの女なのに、俺はそれに逆らえない。せっかくここまで近づけたのに、また離れてしまうのが怖い。そうすれば二度と一緒にいられなくなるような気がして。
いつだってこの女は、俺より楽しそうに生きていた。
だから、ただ眺めているだけじゃ我慢できなかった。
その手を取りさえすれば、俺だって、いままで誰も辿り着けなかったような素晴らしい景色に出会える――無理やり口の中に砂を詰め込まれるだけみたいな毎日が、一瞬で理想郷に塗り変わる。
俺は、それが欲しかった。
たとえほかの誰かに
「好きだ」と言ってもらえたとしても、俺のこの気持ちは続いていく。
手を取って、また目を開けてくれさえすればそこから始まる彼女の物語が、またきっと俺を奴隷にする。逆らうことなんて絶対できない――だって、
手を伸ばすだけで、
それはそこに『ある』んだから。