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御手洗喜多根はケツ拭かない

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「あなた方は、地球を殺す気ですか」

 御手洗喜多根(みたらい きたね)は、前方120度から掃射される侮蔑と嫌悪の視線を、仲間たちと目を伏せて浴びていた。
 焚かれるカメラのフラッシュ。会見は佳境を迎えていた。
 記者たちのバリケードの中心で、ひとりの少女が、マイクを握ってフラッシュよりも明るく熱い目で喜多根たちをねめつけている。
 憎悪、嫌悪、恐怖……その視線の強さはメドゥーサの母であり、またその不在証明でもあった。眼力が戦闘力だったら喜多根は炸裂して百回は死んでる。

「今、たくさんの人が地球を守ろうとしています。木を守り、空気を守り……そういった人たちの気持ちを踏みにじっているのが、あなた方です。そうだと思いませんか、紙業者さん?」

 バシュバシュバシュッ。
 そんなに御手洗の冴えない四十面を撮ってどうするつもりなのだろう、記者たちは汗でてかった広いデコにシャッターを切りまくる。
 御手洗はバケツリレーされてきたマイクを受け取り、のろのろと立ち上がった。
 そして、何気なく放たれた彼の一言で、場内は一撃で凍りついた。



「わたしは、ウンコしてケツを拭きません」



 ガココココココココ
 会場全員の顎が、落ちた。
 女の子が女の子が見せてはいけないまぬけ面を全国ネットでさらし、フラッシュの一斉掃射がつんのめり、喜多根の横で社長が急性心不全で死んだ。そんなことお構いなしに喜多根は喋り続ける。
「わたしどもは確かに、南米の密林を伐採しておりますし、その面積は人口過密の地球の全人口に酸素を供給しかねるレベルに達しております。そんなことはわかっております、そのデータを調べたのはわたしどもであり、それをいまあなたがたの手元にあるプリントに印刷したのもわたしどもです。わたしどもは、逃げも隠れもしません。お嬢さん、あなたの言うとおりです」


「地球、殺す気満々です」


 唐突に少女が彼岸から電撃着陸した。
 震えるほどマイクを握り締め、つばを飛ばしながら叫ぶ。
「聞きましたかみなさん! 彼らは悪魔です! われわれ『ロングアフタヌーン協会』は断固として彼らの所業を許」
 少女の怒声を超えて、喜多根が吼えた。
「所業だって!?」
 罵声の激震がホールをわななかせ、その衝撃でうな垂れていた社長が蘇生したが誰も気づかない。
「お嬢さん、勘違いされちゃ困る。われわれは地球を壊したくなんかない。誰が自分ちに穴を開けるものか、そんなのは思春期のガキだけで十分だ」
 見る見る間に喜多根の形相が凄絶になっていく。歯茎をむき出しにし、吐く息が寒くもないのに白く見えそうだ。
「いいか、メスガキ、これはな、仕事なんだよ。おれたちゃこれでメシ食ってんだよ。ガキ養って嫁さんのコーヒーカップ買ってんだよ。
 どうしておれらが食っていけるかって? 決まってる。
 需要があるからだよ。
 あんたらさっきおれのこと引いてたよな? ケツ拭くんだろ? ゴシゴシゴシゴシいぼいぼまみれのケツ穴こすって糞ぬぐってるわけだ?」
 袖を引いて静止してきた同僚を喜多根は張り倒した。冴えない四十男の青春はバイクとハタとマスクでパラリラパラリラであった。
「おい、どの口が紙を節約しましょうだ。森が泣いてますだ。そんな綺麗事いったっててめえら小便も漏らせば糞もたらすんだよ。人間だからな。生きてんだからな! おい」
 まっすぐに眼を見据えられて少女はびくっと身体をすくめた。空気の玉を押し込まれたように声が出てこない。
 喜多根は会見席を飛び越えて少女の眼前に仁王立ちする。少女はいまにもトイレットペーパーが必要になりそうなほど怯えきっている。すっかり現役時代の目つきに戻った喜多根が、左手でぐいっと少女の顎を掴んだ。ひいっ、とそばにいた記者たちが飛びのく。
 当の少女はぽかん、とし、すぐに頬に幾筋も透明な道ができた。
 喜多根は動じない。
「本当に地球のこと思ってるってんなら、もうやめろよ。トイレットペーパー使うのやめろよ。紙袋もらうのやめろよ。ミスプリすんのやめろよ。ジャンプ買うのやめろよ」
 少女の顎を掴む大きな黒々とした手が、震えていた。
 喜多根は、泣いていた。
「もし、だよ。もしあんたが本物ならさ、本当に、いまの状況やべえって思うんならさ。
 おれを失業させてくれよ。本当に、なくならねえんだよ、需要。
 この世から紙業者をなくしてみせてくれよ。
 なあ……おいったら」

 誰も身じろぎさえしなかった。
 凍てついたホールのど真ん中で、四十男と、少女が、泣いていた。








 二年後。
 少女と喜多根は再会した。
 檻越しに。
「面会は十五分間です」
「ええ、わかっています」
 警務官に答えたのは、制服を着ることがなくなったかつての少女。
 赤いスーツを着こなし、すっかり垢抜けてしまって成長したのはめでたいのだが世の中のロリコンがまた一歩樹海に近づいた。
 子どもがいたずらで空けたような無数の穴の向こうに、喜多根はいる。
 あの会見のあと、フェミニスト団体にとっ捕まりあれよあれよという間に投獄されてしまったのだ。まったくのフェイントで、サッカーしてたら面打たれたようなもんだった。納得できない投獄は初めてだった。
「ごめんなさい、あなたの言っていたことは正しかったと思う。でも、あの態度はやっぱり許せなくて……」
「あんたいろんな協会のトリプルクロスなんだな」
 喜多根は顎ひげをなでながら暗い目でいった。
「ふふ……。ほかにも捕鯨に反対したり、出版物の規制の強化にも組してるわ。でも、負けたと思えた相手は、あなただけ」
「そりゃどうも」
「あれからね、わたしも、拭いてないんだ。本物になりたくて、ね」
 さらっと流された女のセリフに、喜多根の目が細められた。
「あれ、あんた水をろ過する際のエネルギー過多の協会にも入っていなかったっけ」
「? そうだけど?」
「じゃあおかしいぜ。矛盾してる」
「してないわよ。なに?」







「だって、あんた、ウォシュレットだってタダじゃないんだぜ、おれは気にしないけど…………」

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