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大人の世界

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「これがあなたが救いたかった世界なの?」
 真摯な顔をして正しい台詞を吐けばそれでいいと思ってる。だから俺はこの女のことがキライなのだ。わざわざ違う世界まで乗り込んできて、俺が忘れかけていたものを思い出させ、責めるような憐れむような目で俺を見てくる。それでいいのかだと? 俺は詰め襟の学生服――前の世界では俺はブレザーを着て高校に通っていた――の歪を直した。ピンと。
「そうだよ。なにが悪い? これこそ平和というもんだ。誰も悲しいことを言ったり、苦しいことが起きたりしない。永遠に終わらない学校生活――幼馴染に起こされて、学校へいき、授業はぼーっとしてるうちに終わったり気の利く教師に誤魔化してもらってサボタージュ。まるで何事もなかったかのように長過ぎる放課後が続いて、満足してオチがついたところでまた明日。そうしてコメディは繰り返される。なにが不満だ?」
「気に入らない考え方を持った人間を殺し尽くすのは、悪よ」
「悪?」俺は足を組み替えて、異世界からの追跡者を睨んだ。俺は動揺している。少女はあの黒く長い髪の奥から俺をロックオンしている。捕まったら逃げられない。腕前は知っている、こいつは弱くはない。いまの俺で殺せるかわからない。
「もしお前みたいな無粋な女が、たとえば庭園を持ったとしよう。いいか、お前はそれにずっと憧れていたんだ。おうちにとっても素敵なお庭があったらちゃんと毎朝お花にお水をあげるわって思ってるんだ。そんなお前があるとき理想の庭を手に入れた。理由はなんだっていい、空からワンセット落ちてきたとか、掘ったら出てきたとか、理由なんてクソどうでもいい。だがお前はそれを手に入れた。理想通りのお庭だ。ずっとそこで寝転がって全身で喜びを感じたい――でも、虫は出る。どんな庭にも。そこが庭である限り」
「それをあなたは駆除している。そう言いたいの?」
 わずかに顔を傾けた女の左目のすぐ上を一房の前髪が流れた。
「虫のように人を殺している。そう言いたいの?」
「人じゃない。ここにいるのはレプリカだ。俺が望んだから存在している偽物だ」
「たとえそうだとしても。彼らが作り物だとしても。あなたのしていることは許されない」
「許すとか、許されないとか、いったいお前、何様だ? 俺はここにいたいんだ、元の世界なんてうんざりなんだ。何人仲間が死んだと思ってる? お前こそどうかしてるんじゃないのか」
「――なに?」
「あれだけ亡くしてまだ正気なんて、お前ちょっとおかしいぞ」
 少し痛いところを突けたようだ。女が一瞬、息を止めるのが俺には見えた。人を傷つけるのには慣れている。こういうときばかりは自分に生まれてきて都合がよかったと思える。
「望むなら、この世界はなんでも叶う。なにせ俺は世界を救ったんだ、それぐらいの役得があってもいいだろ? 無料の昼飯はないっていうよな、それなら誰かが俺の働きの分だけのランチを提供してくれるべきだ。世界と等価は永遠だって見劣りはしないだろう。それでいいじゃないか、なにが不満だっていうんだ? 俺はこの世界で生きていく、ずっと終わらない夢のなかにいる。邪魔だては許さない」
「邪魔だて、ね」
 女が目を逸らす。そこにある表情がもう今の俺には読めなかった。悲しそうに見えなくもなかったが、気の毒がられる俺じゃない。
「あなたがこの世界にとどまり続ければ、私達の世界は間違いなく崩壊へと突き進む。――あの世界を守るために戦ってきた者たちの想いも、意志も、無為になる。それでもいいというの?」
「特攻思想だな、騙されないぜ。ああ、俺は騙されない――何をどうしようが、死んだ連中は戻ってこない。過去に縛られるのはやめるんだな、そして自覚しろ。――俺たちなら逃げられるって単純明快な事実をな」
 溶けかけた氷が、コーヒーグラスのなかでカチンと音を立てる。沈黙が気詰まりになるには、俺たちはお互いを知りすぎていた。
 俺は世界を救った。その対価として、世界を見捨てた。俺は立派にやり遂げたんだ。これ以上、何と戦えというんだ。
「逃げたって、苦しいだけよ」
 少女が、ストローで氷水をかき混ぜる。それは夏色に濁っていた。ミルクと冷水がコーヒーを黒から白へと寄せようとしていた。黒い瞳が、俺のいない世界を見渡す。
「ここには、なにもないもの」
「俺がいる。俺がここにいる」
「あなたはまだこっちで眠っている。ここはあなたの夢のなか、それに等しい世界の像に過ぎない。わからないの? あなたは死にかけているのよ」
「脅しは通じない――」
「もし、脅しだとしても。私が嘘をついているのだとしても。それならなぜあなたは、泣いているの?」
 俺は手の甲で顔を拭った。
 泣いたりするもんか。
 俺は、大人になったんだ。

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