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葬儀屋

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 その実を供えることが、彼らの葬儀の伝統だった。誰かが死ねばできうる限り、その実を捧げることによって、故人の冥府での安寧が約束される。その実はあまりにも甘く、現し世の人間には食べられなかったから、もし葬儀の際に供えられなければ、ただ実をつけては落ちて腐るだけだっただろう。名前は無く、誰もが「あの実」と呼んだ。
 樹の根本に葬儀屋の男が佇んでいる。黒の外套を羽織り、時計でも見上げるように若樹へ首をかしげている。まだ実は成らない。花すらついていない。それが枯れ木ではないと言えるのは樹木医でもある葬儀屋連中だけだったろう。だから誰も今の時期は丘の上には近寄らない。墓地のそばは死を招くとでも思っているのか。寂しい話だ。
 草を草履で踏む音がする。葬儀屋が視線だけで振り返ると、国製の喪服に身を包んだ、まだ少女あがりの女が味わうように丘をあがってくるところだった。葬儀屋を見て、ぺこりとお辞儀をする。葬儀屋も帽子のつばをつまんで目礼した。

「まだ、実は成りませんか」
「花すらついていません」と葬儀屋は答えた。そう、と女は目を伏せた。血色が悪く、泣きはらした赤みがまなじりにある。
「思いは通じないのですね。奇跡も起きない」
「残念ながら、どう祈れば樹が応じるのか、私も知りません」
「もし話せたら、お願いすれば聞いてくれるのかしら」

 そんなことあるわけないのに、と自嘲気味に言う女に葬儀屋は表情を変えなかった。ただ、まじめ腐って答える。

「急いで咲けば、腐るだけだと言うかもしれませんね。やってみても構わないが、と」
「それでも、やってみてほしいわ。……明日はあの人の葬儀ですもの」

 葬儀屋は頷く。あれからずっと、女はこの丘に来ている。

「葬儀は、盛大に?」
「いえ。物静かな男でしたから。……身内と、親しい友人だけで執り行うつもりです。もうこれ以上、苦しんでほしくないから」
「そう思ってもらえているだけで、ご主人も浮かばれると思います」
「だから、あきらめろと? 『あの実』がなくっちゃ、主人は彼岸でひもじい思いをしてしまいますわ。命を落としただけでもつらいのに、もう……ただ安らかに送ってあげたいんです。もう何も考えなくていいところへ」

 女は細く息を吸い、胸の奥で怒りと混ぜて吐き出した。

「あの、どうにかして、『あの実』を手に入れられませんか。どこか、温室のような清浄なところで栽培された、人工の実でいいんです。あれがなくっちゃ、あの人の葬儀をしたとは言えない」

 葬儀屋は首を横に振った。

「あの実を栽培できたという話は聞いたことがありません。この土地で、この丘でしか育たないのです。置かれた場所で咲けるような、強い花じゃない」
「でも……いままでだって、葬儀のたびに奉じられてきた実のはずです、だから」
「昨年は凶作でした。それに落盤事故で大勢が死んだ。首一つ、実一つでは最初から足りるわけがないのです。だから今までも、『あの実』なく送られてきた死者の方はいます」

 それでも誰一人として冥府から戻ってきたりはしなかった、そんな刃物めいた冗談を言うほどには葬儀屋は自分の仕事が好きではなかった。だから要らない口を閉ざし、未亡人の心に現実が浸透するのを待った。実はまだ成らない。間に合わない。
 乾いた土の上に涙が落ちていく。女はしゃがみこみ、童女のようにすすり泣いた。葬儀屋は大切な誰かを乗せた電車が過ぎ去っていくのを見送るような顔でそれを見つめていた。いままでも、誰かが味わってきた苦しみだ。すべての死者へ実は行き渡らない。誰かが我慢し、誰かが満たされる。それがこの世界の都合――

「この仕事をしていると」

 葬儀屋は、言わなくてもいいことを言う気になった。顔もあげず、耳に入っているかどうかもわからない女に葬儀屋は言う。

「花や実を得るためには、待つしかないとつくづく痛感させられます。我々が泣いても喚いても、枯れた花が咲き直したり、つぼみもなかったところからポンと実が落ちてきたりはしない。すべて正しい順序に沿って、上流から下流へ、そして海へと流れ落ちていくように決まりきった道があります。それに逆らうことはできない。仮にそれができたとしても――あなたの言うように、人の手でそれを変えられたとしても、それは歪な物になるでしょう。願いは叶うかもしれない。それは失ったもの、切り捨てたものをまばゆい光で消してしまうほど輝かしいものかもしれない。でもその間違いが消えたりはしません。死者が生き返ったりしないように」

 言葉の選択を間違えれば、自分は人殺しよりも罪深くなる。外科医の小刀さばきを思い出し、嫌な汗をかきながら、樹木医は顔を覆ったまま泣き止んだ女に語り続ける。

「もともと、あの実は供えられるためにあるわけではありません。天がそうしろと命じたのではなく、我々の祖先、そのうちのやはり誰かが死んで悲しかった者が、死者を弔うために供え始めたものです。伝説はあとから作られたものかもしれないし、その誰かが伝え聞いて真似したのかもしれない。いずれにせよ、その最初の誰かが始めるまでは、あの実が無くても葬儀は執り行われていた。誰かが誰かを悼んでいたのです」

 女の呼吸が浅く早くなる。麻酔の切れかけた患者のようだ。すぐに開きかけた心の傷を縫合しなければ、ただ八つ裂きにしただけだ。葬儀屋はそれでも口調を抑えた。焦れば相手も動じる。

「仮に、あなたの言うように、何がなんでも『あの実』で死者を送れるようにしたとしましょう。科学の力で、四季を問わずに収穫を行える体制ができた。それでみんなが、あの『実』を手に入れることができる。誰も『実』が手に入るかどうかやきもきしなくて済む。科学の力の勝利です。でも、それで作られるのは、ただ甘いだけの実です。誰も食べることのできない実なんです。労苦なく、何かを捻じ曲げてまで作り出したものを、大切な人の棺のそばに添えることが、本当に間違っていないと思いますか? 本当に添えるべきなのは、あの『実』ですか?」

 女はしばらく黙っていた。風が吹き、雲が晴れた。そして顔をあげた未亡人は、満面の笑顔を浮かべていた。とめどなく、その目から涙を溢れ出させて、彼女は言った。











「ごめんなさい、それでも私は、『あの実』がよかった。『あの実』が欲しかったんです」











 葬儀屋は心臓を撃ち抜かれたように身体をすくめた後、ゆっくりと力を大地へ流した。そして細く短く、風よりもかすかに呟いた。


 わかります。
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