カジノで働いてみた
カジノのディーラーになることにした。
食い詰めて、食い詰めて、裏の求人に手を出した。俺はどうしても、肉体労働もできなかったし、オフィスワーカーにもなれなかった。昔、ギャンブル小説を書いていたからか、やっぱりそういう切った張ったの世界に憧れがあったのだろう。無理して買ったスーツを着て、面接に行った。
昔、ギャンブル小説を書いていて――それ以上のことは何も言えない。志望動機も不可解だし、ディーラーとして役に立つスキルもない。カードを切れるわけでもなく、配当をすぐに計算できるわけでもない。どう頑張ったって向いていないのはわかっていたのに。一種の躁状態だったのだろう。
面接官のおじさんは、俺を見るなり、ため息をついた。
「採用」
「あの、……え? あ、はい……採用?」
「うん。今日からいける?」
「あ、行けますけど……えっと、これはなにかのテストですか?」
「いや? そんな時間ないよ」
おじさんはニコニコして、店の裏からディーラー用の衣装を持ってきた。俺の背中にそれをあてがいながら言う。
「君みたいなタイプはね、目を見りゃわかるよ。すぐわかる」
○
俺が知っていたのは創作の中のカジノだけだったが、現実はずいぶん様変わりしていた。
そもそも、俺はカジノのゲームのディールができない。何を言っているのか自分でもわからないが、なのにディーラーとして立たされた。
何もできないまま舞台に立たせてメンタルを鍛えるとかいうあれかな、と思ったが、どうも様子がおかしい。
俺がルーレットの玉をこぼしても、客が賭けたチップの場所を間違えて配当し損ねても、誰も怒り出しもしなかった。それどころかニコニコしている。慌てているのは俺ばかりだ。
すいません、店からお詫びのお金を払います、などとテンパった俺がなんの権限もないのにとんでもないことを言い出しても「いいよいいよ、新人さんだろ? ご祝儀だと思って忘れるよ」と言って、優しそうなおじいさんが去って行った。そのおじいさんは毎日来るので、俺は都合六回、配当をミスった。自分でもわざとやっているのかと思うが、おじいさんの『ご祝儀』は今も続いている。ただの一度もクレームは来ていない。
健康麻雀みたいに賭けていないならまだしも、このカジノのレートは1チップ1000万円だ。客はみんなアフィブログの管理人とか、大物ユーチューバーの裏方とか、タワー型月極駐車場の経営者らしい。月極駐車場を縦に伸ばすとお金がたくさん入って、何もしなくていいらしい。すごく羨ましかった。
金があるから、余裕があるのかと思った。たかだか一億とか十億とかくらい、どうにでもなるのかと。確かにそれもあるんだろう。普通の賭場は負け続ければ来れなくなると聞いたことがあるが、たとえ何百億負けてもそのカジノの客はニコニコしながら毎日来た。だが、逆にそれだけ金があるなら、こんなカジノでちまちま遊んでいても、かえって空しくなるんじゃないだろうか。ただの気晴らしと言えば確かにそうなのかもしれないが。
あるとき、ついうっかり、そんなに負けて大丈夫なんですか、とお客さんに聞いてしまったことがある。すると、俺と同い年くらいの兄ちゃんはニコニコしながら言った。
「ここで負けたほうがマシですよ。外に出て、金のにおいを嗅ぎつけられたら、どんなにひどいことをされるか。どんなにひどい裏切りをされるか。わからない。でも、ここならルールに沿った負けしかないでしょ? 僕を殺したり、友達ぶって詐欺を働いたり、恋人だと思ってイチャイチャしてたら宗教組織の勧誘だったりしないでしょ? ああ、ここはなんて平和なんだ! チップもう100枚お願いします」
「やめといたほうがいいですよ……」
「だって、帰りたくないんですもん。家に帰ったら、誰が待っているかわからない。その誰かが、僕の味方かどうかわからない。そんなの家じゃないですよ」
俺は何も言えなくなって、ブラックジャックの適当なカードを配り、カードを滑らせすぎてそのお客さんの手の甲をスパッと切ってしまった。すみませんすみませんと謝ったが、なぜかそのお客さんはゲラゲラ笑っていた。ちょっと怖かった。
そんな客層だった。
裏切られるもなにも、俺がよく場を見てなかったせいで、何億も損するのは、いいんだろうか。俺は働いていると眠くなる習性があって、瞬きを一瞬しただけで、もう場にどれだけチップがあるのか、いまゲームのどのあたりにいて、自分は誰とプレイしているのかわからなくなる。だからその場その場で臨機応変、テキトーぶっこくんだけども、それがまるで狙ったかのように上手くいかない。本当に、負けたやつに勝ったやつのチップをまるごと押し込むなんて日常茶飯事だった。
あまつさえ、俺は昇進した。
負け続け、配当を間違え続け、一向にゲームのルールを覚えない。俺はバカラのルールを百回は読んだけれども、必ず忘れる。じゃあ、ルーレットのボールスローに天才的な才能があるかというと、今でも三回に一度は盤面から銀玉を飛び出させる。ついこの間、とうとう俺がこぼした銀玉をみんなで追いかけるというゲームが自然発生した。やっぱりこれはいじめの変種なのだろうかと勘ぐった。
そんな俺が、ディーラー長である。もう、一年も働き続けているし、一般的な三十代より少し多めの月給ももらえている。本当に現金なもので、金が増えたら彼女もできた。これが幸せかどうかはともかく、俺は自分を不幸だと思うことが少なくなった。
昔みたいな裏カジノ、ピリピリした鉄火場はどうなったんですか、と店長に聞いてみたが、店長はニコニコしながら、
「そんなの終わったよ」
と言った。
終わるとか、そういう話なのか? と思ったが、誰に聞いても答えは同じだった。
そんなのが終わったというのなら、この裏カジノはなんなのだろう。ピリピリした刺激を求めていないなら、ここの客たちは、何を求めて、何億円も損しながら、毎日毎日このカジノに来るんだろう。
俺は同僚のリサに聞いてみた。リサは美人なのに、あまりお客さんがつかない。普通は華があるディーラーは人気なのに、リサはいつもリサ自身の親戚だという田舎の道端にひっそりとある小地蔵みたいな顔をしたお婆さんとルーレットをしている。そういうとき、リサはとても寂しそうな顔をしている。
リサは言った。
「ここはね、カジノなんかじゃないの。わかってないのはあんただけなの」
「は? どういうことだよ」
「あたし、意地悪だから、あんたに教えてあげる。みんな黙ってたけど、知ったこっちゃないわ。ここはね、アイドルを愛でる場所なのよ」
「アイドルって……おまえのことか?」
「あんたのことよ」
俺は開いた口が塞がらなかった。リサはこれぞ怨敵見つけたぞという顔をして、「それ!」と俺を指さして叫んだ。
「なんて、なんてムカつくんだろう。どうしてそんなにバカでいられるわけ?」
「おまえな……言っていいことと悪いことがあるぞ」
「みんな、あんたを見に来てんのよ」
「そんなわけがあるか。俺みたいな冴えないやつを見てどうするっていうんだ。それこそ本物のアイドルの追っかけでもしてたほうがいいだろ」
「本物のアイドルなんていないの。テレビにいるのは、地方をまわってライブをしているのは、ううん、別にアイドルじゃなくてもいい。芸人でも達人でもインフルエンサーでもなんでもいい。
この世界は作り物で出来ている。真実なんて、どこにもない。
そして、それを知って、利用して、お金を作った人たちが、次に何を求めるか、わかる? 欲しいものは全部手に入れた。人も家も金も。わかる?
みんな、『天然もの』が欲しくなるの。誰の手も加えられていない、本当のものが欲しくなるのよ」
「……それがどうして、俺がアイドルになる理由なんだよ?」
「あんたが底抜けのバカで、何をどう頑張っても上手くできないからよ。
いい? このカジノが、どんなに手を抜いても、ミスをしても、怒られもしなければ、給料も下がらない。そういうとき、普通の人はね、手を抜いて、順応していくの。これでいいんだ、こんなもんかって。
あんただけよ。それに気づかないで一生懸命ちゃんとディーラーをやろうとして、何一つ、ああ本当に感動するくらい、何もできず上達せずいまだに銀玉ひとつ満足に投げられないやつは。
残酷なことを言ってあげようか。
みんな、どんなに頑張っても報われない、あんたを見て安心するの。ああ、こいつよりはマシだって。そして同時に、勝つには勝ったけど、大事なものを失った自分と、負けに負けてきたはずなのに、何一つ変わらずにいるあんたに、心の底から嫉妬してるの。その矛盾、ジレンマを味わうために、このカジノに来て、あんたと遊んでるのよ。あたしじゃなくね。
あたしには、あんたみたいな純粋さがないから。
あたしはどうしても、あんたみたいになれないから。
このカジノは、ピリピリしたスリルを味わうための場所じゃない。なんの手も加えられていない、純粋なバカと一緒に遊べる『しゃべれる動物園』なのよ」
俺は途中から、リサの剣幕に押し負けて、リサの言っていることがリサの被害妄想だとしても、しっかり受け入れてあげよう、という気持ちになっていたから、自分のセリフを作る時間がうまく捻出できずモゴモゴした。それもリサにめざとく見つかり「それ!」と言われる。
「ちゃんと返事をしなきゃ、でもなんて言ったらいいのかわからない。ここのお客さんたちが生きている世界に、それこそ本物の鉄火場に、あんたみたいなやつの居場所なんてないの。だから、彼らは彼ら自身がやってきた生き方のツケを払ってるわけ。あんたに依存することで。銀玉一つ投げられないやつを、『許す自分』を味わってるの。現実世界で誰かを許したりしたら、その瞬間に食い殺されるから」
俺は『家に帰ったら、誰がいるかわからないし、そいつが味方かどうかもわからない』と嘆いていた兄ちゃんを思い出した。
「これが、このカジノの経営理念。この『娯楽』一本で、このカジノはそれこそ無限の資金とそれにまとわりつく人の情念を集めてる。
スリルに人は飽いたのよ。当然、あたしみたいな美女にもね。本当に、こんなに可愛くも美しい顔を持ちながら、ああ、あたしはなぜこんなところでくすぶっているの……? 理不尽だわ」
リサは俺を純粋(なバカ)だと言ったが、俺もリサが純粋(なバカ)のような気がした。が、口に出したら怒られそうなので黙っておくことにした。
だいたいわかったありがとう、と言い置いて、事務所に戻ろうとした俺の背中にリサのツンケンした質問が刺さる。
「ちょっと、どこいくのよ。まだ話は終わってないわ」
「いや、練習しないと」
「……何を」
「俺はうまくカードは切れない。配れない。計算なんか苦手だし、これからもチョンボするだろう。
でも銀玉は上手く投げられるようになる気がする。
大切なのは、得意なことを伸ばすこと。いろいろ手を出して、誰に見られても恥ずかしくないディーラーになろうとするよりも、自分の得意なことに絞ったほうがいい。なんとなく、おまえと喋ってて閃いたんだ」
「……いくつか言いたい。まず、あたしが言ったことは、そんな努力して明日に向かって頑張ろう! なんて発想とは真逆な話をしたつもりだし、そもそもあんたは、銀玉投げ始めて一年で、まともに盤内に落とすこともできてない。
それがなに、『得意なことを伸ばす』ぅ?」
リサは頭を抱えてよろよろと後ずさった。
「つまりあんたは、これだけ失敗経験を積んでおきながら、『カードはちょっと苦手だけどルーレットならなんとかなるかも』と言ったわけ? いま、このあたしの目の前で?」
「まあ、多分そう」
「……本当に」
リサが盛大な、毒ガスみたいなため息をついた。やぶにらみに俺を睨みながら、恨みがましそうに、
「人気が出るわけだわね、あんた」
そんなセリフを吐く割に。
そのときのリサは、なぜだか、笑っているように見えた。