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AでもBでも

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 夜の十時に寝る。ぱちりと目を覚ます。時計を見る。夜の一時。
 何も出来ない。
 そのまま暗闇の中に蹲っていても発狂しそうな退屈の中で手足を揉みしだくだけだ。以前はそうやって夜に耐えていたがもはや我慢はできなかった。俺の中にある激しい長期記憶がすでに「そうやって耐えていてもお前の人生は何も好転しない」と告げて俺に不快感を惹起させる。耐えることはできない。俺は二階にある自室から出て階段を下りた。コの字型の、転落死は免れても駆け上がることができない階段。下りると親父がいた。背中を丸めてテレビを見ている。十年も前はがちゃりと玄関のドアが開いてぬっとこの男が現れると俺と母と妹の間に「シン」とした緊張が走った。母は台所に親父の酒を注ぎにいき、俺と妹はテレビのある部屋の隅に縮こまって怒鳴り声に耐えていた。いまはもう、親父にそんな体力は無い。親父は五十になっていた。
 どうした、と親父が言う。その目は半狂人か、あるいは自閉症の子供を見る親のそれに近い。哀れさを感じている目である。遊び人だった自分とはまったく違う人生を送ってきた息子を見る目だ。俺は少なくとも、誘った女の子をバイクのうしろに乗せてひっくり返ったりはしない。スピードが嫌いだからだ。親父とは違って。
 俺はイライラしてなんでもない、という。親父は部屋へ上がる。俺はバイトの朝番に入るまでの時間をどうにかして埋めなくてはならない。何もしない、はできない。それはもう飽きるほどやった。だから俺は映画を見ることにした。だが、途中で眠くなって部屋へ上がった。八重樫の再起戦を見たあとに始めて、一時間半ほど見たから、三時頃だったと思う。眠気を感じた。なかば奇跡だった。俺は嬉々として部屋へ戻った。布団にもぐり、真の闇の中に睡魔を求めた。
 一時間は、闇の中で悶えた。
 夢を見た。
 内容は覚えていない。なにか、俺の焦りを惹起させる夢だった。ぱちっといやな気分がした目が覚めた。八時半だった。バイトは九時半からだった。目覚まし時計は何者かに止められている。俺は止めていない。俺の肉体が止めたのだ。この呪わしい生物がやったのだ。
 俺はよろめきながら部屋を出た。朝起きるといつもこうだ。低血圧。そんな言葉で片付けるのは簡単だ。転落死寸前の足取りで洗面所へいき、親父をおしのけて歯を磨いた。接客でこの口臭はまずい。吐き出した水は血がまじっていた。
 食欲は、ない。
 したくても、できない。
 誰と食事をしても、俺は一番最後に食べ終わる。ほとんど同じ量でもだ。ロングスリーパーであり、ロングイーター。ひどいと俺は同卓者を待たせて三十分はもそもそ食っている。女の子に生まれればまだ可愛げもあったかもしれない、といつも思う。
 時計が俺を社会的な弱者だと叫んでいる。空腹で倒れそうになるのは眼に見えているのに飯が食えない。が、それだけならまだよかった。問題は腹痛だった。
 最初は、大したものじゃない。腹の一点を触れると、わずかにしこりと、熱がある。それだけ。痛いというよりも違和感に近い。が、それが俺にとってはこれから始まる一日がおぞましいことになる明白なサインだった。時計を見る。時間はない。トイレに入る。何もでない。ただ時間だけが過ぎ、そして何者かによって罠のように開け放たれた冷気によって冷やされたトイレが俺の体力と、そして腸の円滑な動きを奪う。うんざりしながら窓を閉めようとした。何かに触れる。
 罠のように、小さな植木があった。
 障害者だと思ってもらって構わない。
 俺はそれをひっつかんでトイレの壁に投げた。何か叫んだとしたらまた近所で悪いうわさが流れる火種だ。植木は二つあり、野球ボールサイズだったが一個は粉々になり、もうひとつは縁が欠けていた。俺は苦痛に悶えた。なぜ俺の思い通りにならないのか。なぜ俺がこんなにも苦境な時に誰も助けてくれないのか。俺がこれほど苦しんでいるのになぜ神様は俺に「ご都合主義」の名のもとにちょっとした気を利かせてくれないのか。こうして書いてみると笑い話だがその時目の前に俺を笑うやつがいたらどちらかが不具になるまで殺しあった可能性が高い。腹痛に苦しんでいる時の俺には植木と人間の区別がついているかどうか、あやしい。
 怒鳴りながらトイレを出た。屁ばかり出て何も出ない。いま出せば救われるのに。時間は刻々と過ぎていく。食欲は湧かず、母は朝飯を作っていない。それでいい。すべては金がないのが悪い。金さえあれば、母は朝飯を作ってくれる。金がないのが悪い。すべて金のせいだ。
 時給820円のはした金のために俺は、食器棚に一発鉄鎚をくれた後に玄関から飛び出した。母の障害者を見る目が背中に当たっているのを感じる。俺は目の前をコントラストにしながらバイクに乗った。コントラストになる、というのは、普通は真っ赤になったとでも書くところを、実際は真っ赤にならないので俺が作った組み合わせだ。ものの焦点が薄くなって光が強くなる。俺が怒りに駆られているときはそういうことが多い。少なくともものを冷静に見れていれば植木は投げない。
 俺は発狂しながらバイクに乗った。いまから誰かに電話してバイトを代わってもらうことなどできない。遅刻の連絡? この程度のことでいちいち連絡していては俺はバイトを務めることはできない。いままでずっと、我慢してきた。いままでずっと、痛かった。
 俺はバイト先についた。この時点で腹部の違和感は幼虫からサナギぐらいになっている。孵化はもうすぐ。俺はエプロンをつけてバイトに出る。社員さんに挨拶。腹にいちもつ抱えている身としては自然な笑顔が出てこない。そうして俺はまた、愛想が悪い、何を考えているのか不明瞭というレッテルを頂戴する。好きにしろ。
 開店。
 面白いくらいにタイミングよく痛みが孵化した。一度体験してみるといい。面白いから。
 まず、腹部に焼けた鉄を突っ込んだような痛みが走る。これが序の口。これだけで済めばまだ軽い。痛みのショックは水に投げた波紋のように身体を走り、胸を通り、なんと両腕に達する。痛みを感じている時の俺は自分が腹部―胸―両腕の一個の不具、奇形になったような気分がする。実際そうなのかもしれない。とにかく俺の中を走った苦痛の電流は氷が張るように指先までなだれこむ。この時点で下痢を下すことが確定する。処置なし。
 休憩まで、一時間半。だが出勤してすでに三十分の苦痛も見込んで、二時間耐えなくてはならない。
 映画まるまる一本分、俺は苦しみ悶えることになる。
 人は言う、簡単に言う。トイレにいけと。そうだろう。それは俺にもわかる。だが、言えるか? それほど歳が変わらない女性にうんちがしたいのでトイレにいってもいいですかなんて。言ったら最後、自分がフロアにいない時間はすべてその女性にとって「バイトくんがうんちをしている時間」として計測されてしまう。男として、情けない。シンプルに、それだ。俺はそれが嫌だった。ただでさえ肉体を苦しめられているのに、この上、精神まで殺されてたまるか。もちろん、あなた方の言うことは分かっている。都合のいい嘘で誤魔化せ。これだ。分かっている。そんなことは十全に分かっている。俺が考えなかったと思うか? 考えた。考えに考えた。だが、嫌だった。嘘をつくことが、まず俺は嫌いだ。嘘を一度つけば、際限なく辛い時に嘘をつく羽目になる。そういう風に人間は出来ている。理屈はどうあれその流れからは逃げられない。だから駄目だ。嘘はつけない。それにこの程度のことで嘘をつけば次第に嘘のネタがなくなる。遠からず、同じこと。
 だから、最初の休憩までの二時間、俺は耐えなければならない。
 客の応対をしつつ。自分の仕事をやりつつ。気の遠くなるような、しゃがみこみたくなるような痛みの波と闘って。うっかりこいた屁の悪臭に青ざめて、それを必死に吸う男の気持ちがお分かりだろうか? 笑い話だ。面白いだろう。だが、俺は、ここまでしなければ時給820円の仕事を続けられないのだ、ということを考えると今度は怖い話になる。面白い。
 二度、こいた。
 洒落にならない。文章書きとして形容する言葉が浮かばないことが悔しくて悔しくて仕方ないほどの悪臭が立ち込める。周囲に客がいなかったことがたったひとつの救いだ。吸いに吸って誤魔化す。死にたくなる。
 俺にどうしろというのだろう、と朦朧とする意識の中で考える。十時に寝た。夜起きた。体調が優れない。眠気を感じてすぐに寝た。起きた。体調が優れない。おまけに腹痛。朝起きてトイレに入った。出なかった。
 どうしろというのだろう。
 教えて欲しい。どうすればよかったのか? そしてこれが一年に一度などという甘っちょろいスパンでなく、おおよそ三度に一度、多ければ五度に三度はある人生をどうやって乗り越えればいい? この痛みは誰にも分かってもらえない。俺が苦痛に悶えながら笑顔で接客しても、誰もそんなことは知らぬげに去っていく。チップももらえず。努力もみとめてもらえず。時給も上がらず。評価も上がらず。
 この苦痛から逃れうるなら、俺はいつでも死を拝す。
 文字通りくそったれの人生だ。いつでもくれてやる。俺と同じ痛みを受けて「おならをこきながら、ぼくはいきる」なんて言い出すやつは金持ちか周囲に恵まれているか側頭葉癲癇持ちが血縁者に溢れていない健常者だ。くそくらえだ。そいつがどれほど頑張ろうが知ったことじゃないが、少なくとも俺はごめんだ。こんな人生はいらねえ。いつでもくれてやる。
 この痛みさえ、なくなるのなら。
 病院にいけ、と人は言う。面白いことを言う。まず第一に家にいるときは腹痛になんぞほとんどならない。ケロリだ。それがまた俺を小学生来「仮病の卑怯者」として周囲から扱わせる原因だったわけだが、痛くないのに文句を言われても困る。九死に一生を得て助かった人間に、「心配したんだから、ちゃんと死んでよ」というレベルの極悪さ。俺はそんな目にばかり遭ってきた。「今日は痛まないの? よかったね!」そんな言葉は脳の中でしか響かない。
 話を戻す。病院にいかないのは鬱のためだ。俺はひどく鬱になると外出を拒み始める。いけば、いけるだろう。だが疲労して次の日はどこにもいけなくなる。週四で大学に通い、週一でバイトがある身で、継続的な長編執筆を二本平行してやっていたら時間なんぞ余るわけがない。俺は一分一秒が惜しい。たかだか自分が死ぬぐらいで執筆をやめてたまるか。俺の命なんざくそくらえだ。
 それに、金がない。人間ドック? いってみたいね、一日三万。検査してみれば出るわ出るわで異常が溢れ出し即入院。費用が払えず翌日退院。笑える。それともまた借金をして今度は八十になるまでの長期ローンを組むか? ただでさえ四十になるまで一月三万のテラ銭を奨学金として返納しなければならないのに。この俺に、金を返せというやつの気がしれない。馬鹿か。
 それに異常が出なくても、なんの解決にもならない。「体質ですね、お薬出しましょう」そうしてちっとも効かない腹の薬に俺はいままで何百万費やしたのか。お薬なら消費期限が切れていても効くはずだと一年前の薬を平気で出す俺のお袋は、ただ自分を安心させたいがためにビオスリーを買い続けていたとしか思わない。本当に効かない、あれは。恐らく腸よりも神経の問題だからだろう。
 どっちにしても、意味なんかない。
 俺はただ、死ぬなら死ぬで早いところサクリとケリがつけばいい。それだけ。
 人は言う、簡単に。なんとかなると。阿呆か。なるわけねえだろ。だがなんとかならねえ程度でくたばってたら俺はとっくに死んでいる。それでも生きているのは惰性と悪運と、そして最後の最後に残った俺のきちがいっぷりのためだけだ。死んでたまるか。負けてたまるか。そう思って、トイレの壁を痛みの概念そのものと見立てて泣きながら蹴りつけてきたのはこの俺だ。
 だが、あまりにこの世は俺に報いを与えてくれない。
 もともと神経過敏で読書には適さない身で、大学の授業のテキストならば二年はかけて通して読む本を五日くらいで読破して神経をやった。しかも二冊やったからさらにタチが悪かった。それだけじゃない、映画を見たり、マンガを見たり、本を書いたり読んだり線を引いたり。ここ一年で俺は並みの大学生よりある種の学問について勉強したが、おかげで脳がいらない情報は即削除しなければ追いつかないというので平常生活における記憶能力が退化した。はっきり言えば、いま聞いた与えられた仕事を思い出せない。耳が「その情報は創作にいらない」と削除してしまう。笑える。おかげで親父やお袋が俺を見る目がバイト先まで感染し始めた。思い込み? そうかもしれない。だがもしそうなら俺のセンサーはやはり壊れて狂っているというわけで、どっちにしろ、だ。
 どっちにしろ――……
 Aを選んでもBを選んでも、うまくいかない。手牌すべてがロン牌に思える。打つ気が失せるし、ましてや楽しくなんてない。たまにはサクッとメンタンピン三色をツモ上がってみたい。なのに来る手はチャンタチャンタチャンタ。ドラの影さえ見えない。麻雀の話じゃない、人生の話だ。
 俺はもうウンザリになった。いや、とっくのとうにウンザリしていた。それを我慢して我慢して我慢して、得たものがこれだ。この生活だ。家では禁治産者の狂人扱いされ(当然と言えば当然)、外では役立たずで鈍間な眼鏡。いいなと思った子に勇気を出して映画にいかないかと誘ってみれば手元にあった雑誌をぺらぺらめくられ時間を稼がれ聞いた言葉が「映画は一人で見たい」ふざけるなと言いたい。自分を磨かないから? 勝手に言ってろ、自分なんて磨いた瞬間に俺の指は間違いなく死ぬ。俺の指がだ。
 俺が、人生で、知らない人間に褒めてもらえた唯一の部位が死ぬんだ。
 俺には、そんなことは耐えられない。そして、だれもそれを望んではいないと思う。俺の指を殺して得たもの、そのどれに「俺」がいる? 創作をやめた。新都社の作品もすべて削除した。机の上に札束のように丸めて輪ゴムでくくられたメモをすべて焼き捨てる。完璧だ。俺は真人間になれる。いつまでも痛み続ける腹、いつまでもよくならない耳、いつまでも好きになれない「普通」、いつまでも愛されない心でおべっか使ってよいしょしながら、黄金を求めた指先を小銭数えに使うんだ。
 心から聞いてみたい。
 そんな俺が見たいのか? と。
 見たいなら別に構わない。そうなってもいい。ただし俺と心中するならだ。一目見て笑って済ませるのでなく、永遠に、俺のその姿を眼窩の奥に焼きつけて、昼も夜もわからぬようになっても、俺のその姿が見たいというのなら創作をやめてもいい。誰もが口にする「あきらめろ」を採ってやってもいい。それこそ腑抜けになった俺のケツを一生拭く覚悟があるなら、やってもいい。だが、その覚悟がないなら俺の耳は、誰の言葉だろうと、親兄弟だろうと、「あきらめろ」を受け付けない。神経的に不可能だ。
 だから俺は、このまま生きていくしかない。
 オナニー三発抜くより疲れる下痢を喰らって、頬をげっそりこけさせて、「大丈夫?」に「大丈夫」と嘘をついて生きていく。大丈夫じゃない、と言ったところで誰も俺を助けてはくれない。それを責めはしない。仕方ない。俺の神経を相手のそれと接続するわけにはいかない。
 だが、俺が幸福になるには本当に狂気だが、誰かとそうするしかないと思う。
 それが出来ない以上、俺にはどんな人生を送ろうが幸福は来ない。時々は、笑えるだろう。たまには、いいなと思える。だがそれは焼けついた地獄の真っ赤な渓谷に、時々ぬるい風が吹くのと同じだ。悪くない、心地よくさえある、でもそれは、救いじゃない。
 結局。
 今日、俺はこの体調と精神でクレームにぶち当たった。それも俺のせいじゃない。レジを点検している時に客が並んで、その時、レジの中に三人いた。客がなぜかそれに切れた。二人いるうちで俺の方に向かって、
「何人でレジやってんだよ――」
 次の瞬間には胸倉を掴まれそうな声だった。
「客並ばせてんじゃねえよ、あ――?」
「はい――」
「はいじゃねえよ。なんだァお前――ああっ!! もういい、お釣り、お釣り!!」
 点検は、お釣りの渡し間違いがないように行われる。
 俺が決めたわけではない、もちろん。だが、どこでもやってる。
 そして、そういう点検の時間帯に客が並ぶこともあるわけで、そういうときに、レジ点検をパパッと済ませてしまうかそれとも一端レジを開けて客を流すのかはその場の人間の裁量による。
 正論なんか聞きたくない。
 そいつは汚ぇ顔してた。
 その男が帰った後、俺は震えた。俺は親父の影響で男の怒鳴り声を聞くと全身が震えてしまう。身体がカッカしてしまい、涙が出そうになる。情けないことだが、俺はこういうとき、逆に自分が恐ろしい。相手を殺す一歩手前でないと言い切れないからだ。少なくとも、お互いが不具になる喧嘩がこれから始まりますか逃げますかというコマンドが出たら拒否する。その方がいい。相手の汚ぇ指が俺の目をつくとか、俺が相手の目玉をえぐりだすとか。それなら決着がつく。そんな馬鹿なことを考えながら休憩に出た。声がまともに出なかった。やはり目の前がコントラストした。物に当たらなかったのはギリギリ俺の自制心の表れだった。笑える。朝から下痢で、頑張って来て、休憩中に糞を垂らして疲れ果て、とどめにこれか。大したことじゃない。そうだろう。知ってる知ってる。その言葉、よく聞くよ、俺の耳ン中でな。でも、何も変わらない。何の変化も、俺の人生には起こらない。アクションを起こしても起こさなくても。AでもBでも。
 突発的衝動でバイト先を飛び出し、休憩時間を目一杯つかって周囲を散歩しながら俺は思う。Cしかない。死ぬにしろ、負けるにしろ、Cになればいい。もうAもBもゴメンだった。まともな解答をしていては、俺の人生は変わらない。なんの意味もない。葬式をやる必要さえない。この際だからはっきり言っておくが俺が死んだ時、俺の死体に触ったやつはぶっ殺す。湯灌だと? なめんじゃねえ、俺は俺でしかなかった。いつ死ぬにしろ、それは変わらない。この肉体を、俺を苦しみ続けた器を「俺」だなんて言うやつは許さねえ。絶対にだ。俺は、俺でしかなかった。だから、こんな身体はいつでも捨ててやる。大事な時に何もできず、声も聞こえず、不器用で、冴えないこの変わり映えのない不良品なんぞは。
 愛することも、愛されることも、満足にできず、言えず、もつれる俺の舌に、俺は少しも魅力を感じない。いっそ唖になればいい。すでに似たようなものだが。――もし、俺の指で誰かとすぐに心を通わせられたら。もし、俺の指が作る擬似的な回想を相手に読ませることができれば、こんなにも苦しまなくて済むのだ。俺の苦しみが、視神経から言語野を通じて相手の心に、砂粒一滴分、届くかもしれない。少なくともこの穢れた肉声よりは。この芯から腐った肉体を、介すことさえしなければ。何かが。何かが。何かが……
 何かが……

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