ファンノベル『ドミニウム』
「――入ります」
と言って、あさぎ色の着物に身を包んだ少女が手拭の下にさっと木の札を入れて澄ました顔を見せた。
家具など何一つない高層マンションの空き室に集まった一同は、少女の膝前に積み重ねられた『報酬』に目が釘付けになっている。
俺はちょっと気を抜こうと思い、壁に背を預けて痛む頭を支えていた。
テホンビキ――
百年以上前に考案された古いギャンブルだが、いまだに地下賭博の代名詞を張っている種目だ。
それはまァいい。
問題は、部屋の中に他にも何人かいる少女たちが張っている『ブツ』である。
勝負、の掛け声と共に胴(おや)である銀髪の少女が手拭をはぐった。
六、の札が現れる。
ああっ――という絶頂の時のそれにも似たため息が方々から漏れ聞こえ、張り散らした木札をカラリと下げる音があちこちで響いた。
合力(配当係)が映画の小道具のような輪ゴムでまとめられた一万円札の束を少女の方へ飛ばした。
薄く微笑む少女。
しかし、少女の膝前にあるのは目を瞠るような大金ではない。
写真だった。
思わず、ため息が出てしまう。
世も末になったものだ。
専門の盗撮屋に撮らせた何が写っているのか計ることもできない自分の『生写真』を賭けて美少女たちがこんな賭場に出向いてくるようになったとは――ちなみに一枚二十万円。写真の内容はただの通学風景から風にはためくカーテンを縫って撮られたプライバシーの向こう側まで様々だ。
もちろん、高額なだけにここには選りに選られた美少女たちしかいない。
隣を歩かれただけで聞いたこともない銘酒のにおいを嗅いだような心地になる。
俺は張り取りで奪った数枚の少女たちの写真を見下ろした。
いずれもあまりいいアングルとは言えない。
もっといいものを――男なら挑まずにはいられない。
俺は立ち上がった。
白布を鋲で打たれた盆茣蓙の前にドサっとあぐらをかいて、和装少女の親へと挑む。
すでに彼女の胴前には自分の秘蔵写真の束(ズク)以外にも数百万相当の現金が積まれていた。
ギャンブラーとしてはそのカネもおいしく喰いつきたいところだ。
それに、彼女たち美少女から現金と写真をすべて巻き上げれば、つまりゲーム続行不能にすれば――ご褒美として彼女たち自身が『景品』となるボーナスもある。
もちろん、男ならば挑まずにはいられないのだ。
俺の周囲でも顔なじみの博打狂いたちが顔を赤くしながら張り取りしている。
俺は手元の木札をチョキチョキとシャッフルした。
少女と視線が合う。綺麗な色の目をしていた。
テホンビキのルールは簡単だ。一定額のカネを用意した親が一から六までの数字が描かれた札を白布の中に入れる。子方はその数字を当てる。それだけである。張り方にも色々あって、ルーレットにたとえると分かりやすいか。一点張りなら高配当だが、誰もそんなことはしない。いくつか狙った目に絞って、ギリギリの配当で勝負していく。
さて――勝負の読みだが、親は今まで出した目を公開しておく決めになっている。少女の膝元にみみずののたくったような博打文字で漢数字を描かれた木札が六枚並んでいるが、それは『モク』と言って出た目(もく)を示しておくものだ。少女が一番最後に出した目は六なので、六が一番右側に来ている。続いて三、一、二、四、五。
五はもうしばらく出ていないことになる。というと五か――俺は隣にいる青白い顔の男に顔を寄せ、札を見せた。
「これはあるかね」
子方同士は別に敵でもないので結託してもよいことになっている。
胴からしたら誰かが当たって誰かが外れるよりも、結託した連中がみんな沈めば丸儲けなのでかえってホクホクだろう。
青白い顔の男はちらっと俺の札を見て薄く笑った。
「ないね。ないと思う」
「そうか――」
まァ確かに大戻りの五は親としては出すのに勇気がいる目だ。みんなの注目も五に集まっている。
俺は五を除き、残った五枚の中から上から順に六、三、四、二と札を裏返して並べた。
六はいま出したばかりの引きずり根っこだが、親というものは常に意表をついて大もうけしたいものなのだ。
その蛮勇を打ち殺す。
あのおっぱいは俺のものだ。
勝負、と掛け声があり、少女がモクに手を伸ばした。
これは手拭を開ける前にやらなければならない。テホンビキの親が自分の目を見ずに入れることはチョンボである。
少女は、五に手を伸ばした。
すうっと俺の口から息が漏れる。
震える手で自分の張り札を下げた。その前に出していた、虎の子の現金が弾けるように消えてなくなった。
美少女相手には写真は賭けられないので、現金を出すほかないのだ。
俺の隣で五を見切った男もカラ落ち。少女の前の生写真を悔しそうに見つめている。分かる、わかるぞその気持ち。
俺はゴシゴシと顔を擦って少女を睨んだ。銀髪の少女はニコニコ笑っているだけで胴を降りようとしない。
つまり、胴を洗う(やめる)ことをせずに、続行するということだ。
地下賭場で『姫』、と呼ばれているその少女は、どうやら子方が両手を挙げて全滅するまで退くつもりはないらしい。
入ります、と言って無造作とも思える素早さで札を手拭の下に入れた。
なんとしても喰ってやる。
俺は身を千切られるような痛みを予感しながら、張り散らした札の前に札束を投げた。
○
もう誰も声もない。
結局、姫の攻勢は止まらなかった。
ひらめくように札を繰り、風が吹くように俺たちから現金を奪っていった。
とうとう全員が音を上げて潰れ、事実上、今晩は解散になった。
「仕方ねえからフーゾクいこう」と前向きなのかどうしようもないのか元気を出して靴を履き出て行く男たちの背中を、俺はぼんやりと眺めていた。
「お続けになります?」
誰が言ったのかと思った。
盆茣蓙の向こうを見ると、雛人形のように姫が小首を傾げて笑っていた。
「私は、続けても構いませんよ」
「続けたいんだけどね――」
気が抜けて我に返り、俺は改めて自分が美少女の生写真めがけてまっしぐらに突き進んでいたザマを思い出し苦笑いを浮かべた。
「もうカネがないんだ」
「お金でなくても結構ですよ」
「かといって、俺の写真を渡すわけにもいかねえだろ」
姫はくすくす笑った。
「それはそうですね――では、こんなのはどうです」
「こんなのって?」
「腕一本」
俺は合力の方を見た。知らん振りをしている。
「――怖いことを言うね」
「冗談ですよ」
「でも、俺がやると言ったら受けるんだろう」
姫は笑った。
「ええ――」
俺は斜めに傾いでいた身体を伸ばした。
「カネはいらない」
「え――?」と姫が目をぱちくりさせた。
「腕は賭けるが、あんたは金を賭けなくていい。写真だけで勝負しよう」
「これは驚きました」姫がくすぐったそうに身をよじる。
「私は、オールインにしようと思っていたんですけれど」
「俺はあんたの顔を家に持って帰りたいだけだ。カネが欲しくて勝負していたわけじゃない」
「本当に?」
「――取られた金は死ぬほど痛いが、まァ、ここまで来ると意地だね。さ、やろうぜ。札を入れてくれ。俺が逃げ出す前に」
姫は頷いて、
「入ります――」
たった一人残った敵の前に、自分の札を入れた。
「さァ、どうぞおあがりになってください。簡単ですよ」
「よく言うぜ――」
俺はチョキチョキと札をシャッフルした。
腕一本を配当で分割するわけにもいかない。
自然、札は一点張りのスイチになる。
モクオキは二、六、五、三、一、四。
サイコロをでたらめに振っても六分の一で当てられる確率が、今はとても遠い――
俺は、今夜の主催者である廻銭の貸元の視線を背中に感じながら、一枚の札を盆茣蓙の上に投げた。
姫の白い手が、モクオキに伸びる――
○
朝日が目に染みる。
俺はゲン担ぎにふらりと立ち寄ったパン屋でサンドイッチを五個ほど買い込み、公園でモグモグとそれを喰った。
夜通し遊んで、後は巣に戻って寝るだけなのだが、普通の人間たちが動き始めるこの時間帯にのんびりと風を浴びる贅沢がどうしてもやめられない。
最後のサンドイッチを口に頬張り、手についた粉を唇に擦り付けて、俺は今夜の報酬に目をやった。
どう考えてもかわいい。
写真の中で、制服姿の少女が、つるぎのような銀色の髪をたなびかせて、誰かと喋っているのだろうか、視線を斜めに飛ばして微笑んでいる。
俺はチャキチャキと三十枚にもおよぶ写真の束を繰った。
もちろん爽やかな写真なんてクソ喰らえである。腕の一本まで賭けたからにはおっぱい以外に用はない。まずおっぱい、話はそれからだ。
だが、最後の一枚に至るまで、日常風景の写真しかなかった。
泣きたくなったが、まだ最後の一枚がある。
徹夜明けで性欲がとんでもないことになっているので今ここでお目当てのブツに出くわすと公衆の面前で止まらなくなる恐れがちょっとあったが、ここが公園でよかった。公衆便所を今ほどありがたいと思ったことはない。
俺は、最後の写真を繰った。
四角い枠の中で、少女が片目を瞑っている。斜め上からのアングルだが、はっきりとファインダーを意識している。桜色の、まだ治りかけの傷のような唇が薄く微笑みを浮かべ、青い静脈が透けている白い手が制服のスカートを少しだけ持ち上げていた。そこから水を張ったような滑らかな太股があらわになり、そしてその根元で、チラリとピンクのパンツが見えていた。
「秘密ですよ」とばかりに、プロの盗撮屋が撮ったはずの写真に向かって微笑む少女の表情が、俺の劣情を溶かしてしまった。
まったく、してやられたというわけだ。
この分だと、最後の勝負もひょっとしたら――いや、やめておこう。俺は勝ったのだ。それだけだ。
これだけの美少女の写真だ、オークションにでも流せばまた新しい勝負に出かけられるぐらいの現金にはなるだろう。
が、俺はきっと売らないだろう。
通行人と逆向きに道を歩きながら、いたずらっぽい銀髪の少女の笑顔を青空にかざした。
ため息が出る。
――パンチラ写真一枚に、ずいぶんとキリキリ舞いをしたものだ。