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病気軍と健康軍

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 健康な人間と病気の人間の間でとうとう戦争が起こった。



 べつにおかしな話ではない。ことの発端は、脳科学分野におけるある一つの発見だった。脳科学者たちによって、ついに社会不適合者が病気であることが判明したのだ。もちろんミツバチやアリのたとえのようにどんな集団でもその絶対数にかかわらず三割はサボタージュするという法則も間違ってはいないが、しかし、それでもどう足掻いても社会に適合できない類の人間の中に脳の異常がとうとう発見されたのだ。これでようやく確実になったのだ。
 脳に異常がある人間に対して世間がしてきた冷遇は、足のない人間に向かって
「頑固だね、どうして歩こうとしないんだろう?」
 と言っているのと同じだということが。

 健康な人間はそれを認めようとしなかった。自分たちの優越性を守るために、そんな病気はないものにしようとした。
 病気の人間たちはそれを拒んだ。
 戦争が始まった。
 人間がどんどん死んだ。だが、最初に予想された結果とは違う戦況が起こり始めた。
 病気の人間が、押し始めていたのだ。
 2082年現在、戦争はパワードスーツによって行われるが、その性能は健康軍と病気軍の間で圧倒的に開き始めていた。不規則な睡眠、偏った食事、妄執的な細かさ、対人関係の不和、人間性に欠けた人格を有した病気軍の研究者たちのほうが、よりよい性能のパワードスーツを創り始めていた。
 健康軍の人間は目の前で死んでいく仲間を見ながらも薄笑いを浮かべながらそれを認めようとせず、何かの間違いだと決め付け、睾丸から上を爆弾で吹っ飛ばされながら死んでいった。
 しかし、あくまで局地的な戦争では勝利をおさめていた病気軍だったが、快勝と呼ぶにはその陣中はあまりにも荒れていた。もともと他人と協調できるような面子ではないのである。些細なことからイザコザを起こし、自分が一番でないと気が済まず、手塚治虫が苦笑するほど他人を猛烈に妬んだ。しかしだからこそ、彼らは常軌を逸した才能を発揮していた。健康軍と病気軍の戦争レベルは十五年の開きは確実にあった。それでも、ほとんど内紛と言っていい軋轢のせいで優秀な人材が自壊するように死んでいった。これはよくない。そう司令官は考え始めた。この司令官も滅茶苦茶な脳をしていたが、科学者よりは将棋が上手かった。病気軍は数が少ない。マイノリティーズだ。女性も少ない。
 何もチェスは最高のゲームではない。
 奪った駒を使っていけないルールなど戦争にはない。
 司令官は命令を下した。全軍の士気が奮発した珍しい作戦系統だった。
『敵軍の女性を生け捕りにして、犯してよし』
 最高の命令だった。



 女性が戦場に多かったのは、健康軍の中で溢れ返っていた『男女平等』というくそったれな幻想のせいだった。もともと生物学的に差異が多すぎる男女を平等に軍配するのは馬鹿のやることなのだが、健康な男性の考えることは簡単だ。男女平等、これほど卑劣漢の好む流行語はない。女性を大事にしているというガセを自分のプロフィールから垂れ流し、なおかつ戦場という絶対的な危険地帯へ自分の代わりに女性を送り込む理由付けにもなる。健康な男の考えそうなことだった。
 それが裏目に出た。
 人格破綻者は性欲が異常に強いことが多い。エロスという極上のご褒美を用意された病気軍の科学者たちはそれまでの諍いをむかつくほど綺麗さっぱりやめ、昨日のライバルと肩が触れるほど顔を寄せ合いながら新型機の製造に没頭した。これこそ男という生き物の姿である。おまけにその新型機の性能が冗談みたいに高かった。病気軍と健康軍の間に広がる戦争レベルの差は十五年から三十五年に跳ね上がり、堀越二郎もニヤニヤ笑いを止められそうにない最高の機体たちが試作どころか量産された。いまだに司馬遼太郎を引用して維新がどうの組織がどうのと繰り返している馬鹿で頭でっかちの健康軍の人間がかなうはずがなかった。
 新型機の欠点を挙げるとすれば、敵を殺す能力をギリギリまでオミットし、敵パイロットを生け捕りにするギミックをボンド・カーよりも豊満にぶちこみまくったところだろうが、有り余ったリビドーの士気向上がその殺傷能力の低さを補った。
 女性兵士を戦場から排除する動きが起こった時にはもう百万の若い女性が病気軍に捉えられ、最新鋭の脳科学手術を受けて人格を奴隷化された後だった(この残虐非道を病気軍では『良妻化』と呼んでいる。彼らはそれが間違っていることを誰よりも知りながらそれをやる)。民主主義を歌い、誰もがそれなりの権力っぽいものを回し飲みできるようにした社会機構の末路がこれだ。健康軍の男たちの笑顔がいよいよ引きつり始めた。自分が大事に手なづけてきた妻や恋人がキチガイに連日連夜犯されて、その模様がビデオレターになって届くのだ。健康軍の若い兵士が、それを部隊全員と一緒になって食堂で見ながら、そばにいた先輩に尋ねた。
「ぼくは怒ったほうがいいんでしょうか?」
 自分が怒るべきかどうかも、理屈がなければできなくなった精神的な去勢動物を表す最高の皮肉だった。この異常さに比べれば、病気軍の狂人たちはまだストレートに生きていた。女性からすれば憎悪しか湧かない世界かもしれないが、それを上回る憎悪を腹に詰め込んで生きている存在を男と呼ぶのだ。そうでない人間は、ただ顔が整っているだけのものだ。


 病気軍にはうれしいことに、完全に女性の戦場から排斥する動きに最後まで抵抗したのは、健康軍にいた戦争哲学アナリストの五十台の女性だった。彼女は言った。
「わが軍の男どもは、あれほどの屈辱を受けながら、病気軍の男に屈するのですか。いまここで男女平等の理想を捨てれば、キチガイどもの思う壺です。そしてわたしには見えます、あなたたち男性が、キチガイを隠れ蓑にしてやはりわれわれ女性から権利や資格を剥奪しようとしているのが!」
 高齢処女、万々歳。
 きたねぇブスのババァがゴネたおかげでさらに三十万の若い女性兵士が良妻化された。病気軍の兵士や科学者たちにとても和やかなムードが流れるようになってきていた。なにせジョークが過ぎるかジョークが通じないかの二択しかなかった病気軍の作戦指令本部でお茶を点てながら俳句を詠じ始める風流人の集いまで出来たほどだ。戦前では考えられなかった光景だ。それを見ながらある若い天才学者は言った。
「この素晴らしい光景の前に、あらゆる女性の権利などというものは吹き飛んでしまって正解だ」
 そうかもしれない。
 結局、戦争は病気軍の勝利にて終わった。健康な人間は一人残らず捉えられて奴隷化された。そして病気の人間をサポートするためだけの改造アンドロイドとなり、病気の人間が独創的なアイディアを脳という名の悪夢から引きずり出してくることを喜び、讃え、褒め、認めた。理解することは最後までなかったが、瑣末なことだ、いまや世界は大宇宙時代。スペースコロニーが太陽系に繁殖し、その向こう、外宇宙への遥かな夢と希望がもたらされた。
 かつて障害と呼ばれた、悲しく冷たい病気によって。
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