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新機軸列車同盟

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 新機軸列車同盟と呼ばれる組織をご存知でありましょうか。
 ともすれば、いわゆる列車をこよなく愛して止まぬ方々の組織と思われるかもしれません。確かに愛から芽生えた組織ではありますが、しかしダイヤグラムを訥々と暗記致しましたり、流線型の先端フォルムの違いから型番までを推察なされたりと、そういった方面での組織というわけではありません。もちろん、そういった方々を批判するわけではありませんし、事実そういった事柄に精通した方もこの組織には多く属しておられます。
 しかし、この新機軸列車同盟の芯たるところは別のところにございます。
―――新しい列車の可能性を切り開く。
 それこそが新機軸列車同盟の芯たるところ……いわゆる核であるのです。
 かつて、人々は列車に強い憧れを抱いておりました。頑健な鉄の出で立ちに少年たちは心を奪われ、噴出す蒸気に興奮を隠せなかった時代があったのです。それが今では当たり前のものとして生活の一部におさまり、最早便利な道具に過ぎなくなってしまいました。先ほども述べましたとおり、一部の方々にとってはそうではないかもしれませんが、大多数の方々にはそういった印象しかないのでございます。
 財産の一部と引き換えに望む場所へといける道具。その程度でございます。
 私の主であり、新機軸列車同盟の会長である坂上草一郎(さかがみそういちろう)様は仰いました。『決して交じらぬ二本のレール。それを繋ぐのが列車であるように、俺が人と列車を結んで魅せる』そして新機軸列車同盟は様々な車輌の研究と開発を繰り返してきました。今や定番ともなりました三次元レールシステムを構築しましたのも、この新機軸列車同盟でございます。実際に発表したのは鳳鳥重工様でございますので、勘違いしている方も多々おられますが、研究、開発から実用に堪えうる品質にまで昇華させたのも、すべてこの新機軸列車同盟でございます。
 我が主が『俺らは裏方でいい。代わりに俺らの子供が表に出てくれる』と仰られたために一般公開はされておりませんので、知らないのも当然でございます。新機軸列車同盟は表立たない方が色々とやりやすいのでしょう。そのため、基本的に研究から開発まですべて同盟が請け負ったにも関わらず、発表はすべて別名義となっておりました。
 例えば、かの有名な『七天宝寺列車学校』。
 例えば、三次元レールシステムを活用し実現させた『銀河鉄道 ~夜空をクリエイト~』。
 例えば、精巧さをそのままに極小化させた『ポケットの中の列車』。
 例えば、乗り物酔いに対抗するために開発され、今ではほぼ全ての車輌に実装されている『対大地並行化システム』。
 例えば、牽引車輌をまるごとスピーカーに置き換えた『train of speaker』。
 すべて、新機軸列車同盟の作品でございます。そして、今回お客様の乗っておられるこの列車こそが、我等が新機軸列車同盟の新作にして、初の正式名義での発表作品となる列車でございます。



 ぼくは、ほう、と一息ついた。それからずきずきと痛む頭部をさする。話によると、どうやらここはけっこう凄いところらしい。道理で豪華な部屋なわけだ。今、僕が寝ているベッドも信じられないほど柔らかいし暖かい。ぐるりと辺りを見回してみても、目に入るものでみすぼらしいものなんて一つもない。どれ一つとっても、今まで生きてきた中で一度も見たこともないような豪華絢爛なものばかり。それになによりこの女の人。
 すごく綺麗だし、とても優しい笑顔をしている。見ているだけで、暖かい気持ちが胸に広がっていく。しかしその温かさが、逆に僕の心を悩ませる。
「ねえ」
 女の人はやわらかい笑顔で応えてくれた。
「なんでございましょう?」
 本当に、すごく上品で、それに、美人。もし女の人が大好きな兄が見れば、興奮して倒れてしまうのは間違いないと思う。……そういうぼくも、実はすこしどきどきしている。だけどそれを表に見せるほど子供ではないつもり。必死で冷静な顔をつくりあげる。
「あのさ、僕、なんでだかは分からないんだけど……記憶がないんだ。僕がここに居る理由が全然思い出せない。そもそも僕はこんなに豪華な列車に乗るお金なんて絶対持ってない。財布見たけどやっぱり切符も入ってなかった。僕は大事なものはいつも財布にいれてるから、ここに無いっていうことは持ってないってことだ。だからさ、もしかすると、僕はお金を払わないでこの列車に忍び込んだんじゃないかな……」
 そう喋りながら、僕はとても不安になってきた。こんなに優しい笑顔のお姉さんを怒らせてしまうのではないだろうか。笑顔を壊してしまうのではないだろうか。優しくなくなってしまうのではないだろうか。会ったばかりの人にも関わらず、その考えがひどく重く僕の心にのしかかってきていた。
 だけど、だからといって黙っているわけにもいかない。僕はさっき話を聞きながら考えていたことを全部話すことにした。ベッドから起き上がり、女の人の正面にあぐらをかいて座り込む。
「こ、心当たりはあるんだ。忍び込んだ記憶は無いけれど、忍び込んだ理由ならよく分かる。だって僕は、列車が、列車が大好きだから。どんな乗り物よりも列車が一番好きだから。一番かっこいいと思ってるし、一番凄いとも思ってる。だから、こんな、こーんな凄い列車が目の前に現れたら、きっと僕は興奮して、お金を持っていなくても、どうしても乗りたくなって忍び込んじゃうかもしれない!」
 女の人は怒らなかった。目を細めて、やわらかい笑顔をより深くした。
「お客様はとても素直でございますね―――大丈夫ですよ。何も心配することはございません。お客様は我が主の意向によりお客様として認められております。……いえ、正確にはこの列車が認めたのでございましょう。我が主の意向により創造されたこの列車が、お客様がお客様であるに相応しい、と」
 なんのことかよく分からなかった。しかし忍び込んだにしろ、そうでないにしろ、僕はどうやらこの列車に乗っていてもいいらしい。
 居てもいいと言われ、そこで初めて列車のことを意識した。自分がこの列車の一員であると考えると―――背筋から震えが走った。心の底が脈打っているのがよく分かる。顔がほんのり上気しているような気もする。もう我慢出来なかった。 
「そ、それじゃあさ、すこし見てまわってきてもいいかな。僕、好きなんだけど、実はあんまり列車って乗ったことないんだ。お金、もってないからさ」
 女の人はきょとん、と、少し面食らったような顔をしたけれど、すぐに柔らかい笑顔を取り戻した。
「はい、勿論でございます。もしよろしければわたくしめがご案内致しますが……いかがいたしましょう?」
 今度はぼくがきょとんとする番だった。これまで、人に丁寧にされたことなんて一度も無かったから、どう反応していいかしどろもどろになってしまった。でも、もちろん断る理由なんて一つもない。むしろ是が非でもしてもらいたいぐらい。だけどここで必死になってしまうとかっこ悪いような気がしたから、ぼくは喜んでいるのを悟られないよう……まあ、ちょっと今更な感じはあるけれど、冷静な振りを崩さないようにして、答えた。
「うん、もしお姉さんがいいなら、お願いします」
 お姉さんは、ふふ、と小さくかわいらしく笑い、
「かしこまりました」
 と、そう言うと深く、ゆっくりと、少しだけ芝居がかった動作でお辞儀をして、ちょっとだけいたずら味のある声色でこう言った。
「それでは、新機軸列車同盟会長である坂上草一郎の従者であり、同同盟の書記を務めさせていただいておりまする不肖桜天路雪夜(おうてんじゆきよ)が、暫しの間、案内人を務めさせて頂きます」

 ●

 てくてくと通路を歩きながら、列車の説明を受ける。
「―――ということでありまして、この列車は動力分散方式を採用するに至ったのであります。最大のネックであった振動という大きな問題も、草一郎様が考案し、構築なされた対大地並行化システムのプログラムによりクリアし、こうして……」
 難しい話に突入はしたけれど、列車に関係することだと何故かすんなり頭にはいってくる。勉強をしろ、というのは色んなところでよく言われるけれど、これほど集中することはまず出来ない。自分もゆくゆくはその草一郎という人のように、列車を扱う仕事をしたいと強く思う。自分もこんな立派な列車をつくってみたい……と考えたところで一つ疑問が浮かび上がった。列車の説明を受けながら、辺りを軽く見回してみる。車輌の境目を越えて次の車輌にうつったところで、お姉さんがここまでで何かご質問はありますでしょうか? と尋ねてくれた。
 一つ、ある。
「えーとさ、ぼく、あんまり列車に乗ったことないから自信もって言えないんだけどさ……列車って、こんなに豪華なものだっけ? 列車の写真はよく見るけれど、こんなに豪華なものは見たことない。もっと、こう、質素っていうか。なんていうか」
 さっきの部屋といい、この通路といい、とんでもなく豪華。あんまりにも立派過ぎる。壁は大理石なうえに何だか緻密な彫刻がされてるし、床には真っ赤な絨毯がしきつめられてるし、天井にはきらびやかに光るシャンデリアときたものだ。確かにそういう列車があるというのは聞いたことがあるけれど、お姉さんの話を聞く限り、草一郎さんという人は『人』と『列車』を結ぶことに関してとても強い拘りを持っているようだし、最終的に必要な最低限のお金はともかくとして、変にお金をかけるようなことはしないタイプの人だと思う。だから、この列車にはなにか違和感を感じた。でもそれをどう表現すればよいのか分からず、かなり曖昧な表現になってしまったのだけれど……どうやらお姉さんはぼくの言いたいことを分かってくれたようで、優しく頷いてみせてくれた。
「お客様は本当に頭がよろしいのでございますね。その通りです。私も不思議に思って草一郎様にお尋ねしたのですが……残念ながら、教えていただけませんでした。草一郎様曰く、時が来ればおのずと分かる……とのことです。外装、内装、ともに手を加えるべきところはもはや一つも無いはずなのですが、この列車は未だ完成しておらず、完成するときが、全て分かる時なのだと仰られました。……申し訳ありません。実はわたくし、自ら案内人を買ってでたものの、この列車に関してはあまり精通していないのです。機関関係のことならばそれなりに分かるのですが、他のことに関してはあまり知らされておりません。これからお乗せすることになるであろうお客様に対して、満足していただけるサービスをご提供するためにも、当列車の出来うる限りを把握しなければならないと思いマニュアルの申請をしたのですが、どうやら今回の運行が終了するまでは極秘扱いだそうで、教えていただけませんでした」
 きれいな顔に一筋の影が差す。しかしそれも一瞬のこと、すぐに表情は元の笑顔を取り戻した。
「しかしそれも、草一郎様のことですから何かお考えがあってのことでしょう。……それに、この列車はもうすぐ完成いたします。詳しいことは何も教えていただけませんでしたが、完成する条件だけは、教えていただけたのです。その条件とは『目的地到着』。そこから考えましたところ……おそらく、もうすぐのはずなんです」
 それからお姉さんは、ぼくに向ける笑顔とはまた違った微笑みで列車の進行方向へと目を向けた。
 ……たぶん、楽しみなんだろう。

 ●

 でかい。
 第六車輌に足を踏み入れた瞬間、ぼくは初めてこの列車の大きさを痛感した。
「ここはイベントホールになります。この車輌についての用途は先ほどもお話させていただいたように詳しいことは分かっておりませんのであまり明言は出来ませんが、おそらくイベントホールという名称から察せられますように、展覧会、博覧会、結婚式、または会議室などに使われるのではないでしょうか。何にせよ、この列車ならばきっとご満足いただけることでしょう」
 そう言って、またふわりと笑う。
 今までは一つの車輌の中にたくさんの部屋にたくさんの壁、という形だからわからなかったけれど、これは本当に凄い。確かに少し広いなとは感じていたけれど、まさかここまで大きいとは思わなかった……凄い!
 思わず、走り出していた。列車の中なのに、こんなに広いというおかしな状況から、走り出さずにいられなかった。こんなの、普通の列車では絶対に出来ない。楽しすぎる。我慢できずに笑い声がもれる。
「あははははっ! すごい!」
 しかし勢いあまって足がもつれ、そのままごろごろと転倒してしまう。幸いなことに床が豪華なカーペットだったということもあり、怪我もなく、痛みもさほどではなかった。それよりも、まだ興奮のほうが遥かに大きい。
「あはははっ!」
 そう笑っていると、お姉さんが少し焦って駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫でございますかっ」
 そう言いつつ、ぼくの身体を入念にチェックする。大丈夫です、とは言ったのだけど、手をまったくゆるめてくれない。かすり傷の一つもないことを確認して、ようやく目を離してくれた。
「ごめんなさい、お姉さん。つい楽しくてはしゃいじゃった。……それにしても、ほんとに凄いね、この列車!」
「ありがとうございます、でも、お気をつけてください。一応お医者様も同乗されてはおりますが、万が一ということもありますので……おや?」
 お姉さんはぼくの服から何かをつまみあげた。
「なんです? それ」
「これは……桜の花びらでございますね」
 まじまじと見てみると、それは確かに桜の花びらだった。でも、どうしてこんなところに……転んだときにくっついたんだろうか、と考えていると、お姉さんがぽんっ、と手を打った。そしてふわりと笑う。謎は全て解けた、といった具合だ。
「この列車が運行する直前に巨大な貨物が積載されておりました。布で全体像は隠されていましたが……あのシルエットとこの花びらを関連付けて考えれば、まず間違いなくその貨物こそがこの花びらの大本である、桜の木でございましょう」
 ぼくたちが入ってきた入り口とは真逆の位置にある車輌を指差す。
「あちらにございます。おそらく搬入時にひとひらだけこちらの車輌に混じったのでしょう……ふふ、実はですね、あそこの車輌は目的地に到着したときだけ開く仕組みになっているのです。つまり、秘密の車輌です」
 ふわりではなく、にやりと笑う。綺麗なだけの人ではないらしい。そしてそこがまた、なんというか、魅かれてしまう。胸が少し高鳴りながら見つめ返す。
「私たちで秘密を少し、暴いてしまいましたね」

 ●

 細かに天使が刺繍されたダイニングクロスに、紅茶のいれてある真っ白金縁のティーカップ。籐のバスケットにはスコーンというらしいお菓子が盛られている。あまりに上品すぎて、どう対応すればよいのか分からない。これまで、食べ物というものは食べられれば良し、マナーなんてなんのそのという気構えでいたが、ここまで上品に並べ立てられるとそうもいかないだろうという気持ちになってくる。……どうしよう。
「申し訳ありません。本来ならば専属のコック長に腕を振るっていただくところなのですが、今回に限ってはテスト走行という名目になっておりますので必要最低限の人員しか乗車しておりません。そこで拙いながらもわたくしがご用意させていただきました。お口に合うと良ろしいのですが……」
 雰囲気的に、手をつけないわけにもいかなくなったところで腹を括る。食べれるものがあり、飲めるものがあるのだから、食べればいいし飲めばいい。自分の出来る限り丁寧な動きでそれをやってのければ、不恰好だろうと子供だからという最終手段できっとなんとか乗り切れる。そう思って、カップを手に取り口をつけた。
「……おいしい!」
 自然とお菓子に手が伸びる。スコーンはチョコチップが散りばめられたクッキーのようなものだった。口に含んだ瞬間、これは美味し過ぎる、と瞬間的に認識した。噛めば口の中でチョコの甘みと生地の程よいサクサク感がハーモニーを醸し出し、大の甘党である自分はたまらなく虜になった。一つ食べ終わると、口の中が水分を欲したので先ほどの紅茶を喉に流し込む。それがまた、先ほど飲んだ時に比べて更においしくなっていた。おそらく、甘いものを食べた後に本領を発揮するようにいれられた紅茶なのだろうと勝手に推測し、一気に飲み干す。それからまた、一つ、二つ、とスコーンを食べる。それからまたティーカップに手を伸ばす。自分がティーカップを手に取るときには紅茶がいつの間にか注がれている、ということに気づいたのはスコーンを全部食べ終わり、最後の紅茶を飲み干した後だった。
「ごちそうさまでした!」
 お姉さんは、いつものふわりとした笑顔で、
「お粗末さまでございました」
 と言ってくれた。これが粗末であれば、これまで食べてきたものは全部ごみと言っても差し支えないだろうと思ったが、さすがにそれは口に出さない。
 この頃にはマナー云々の考えも、すっかり消え去っていた。
 お姉さんは失礼します、と言って空になったバスケットとティーカップを片付けにいってくれる。待ってる間に、自分は何故ここにいるのかを考えてみた。
 記憶を失う前、一体何をしていたのだろう。
 さっきお姉さんが言っていたことを思い出す。『……テスト走行という名目になっておりますので、必要最低限の人員しか乗車していないのです』つまり、ここはまだ一般的には非公開の列車。しかも、この列車は新機軸列車同盟という凄い組織が初めて正式に発表する列車だっていうし、簡単に入り込めなるようなものでは無いはず。最初は忍び込んだんだろうって思っていたのだけれど、いくら興奮していたとはいえ、果たして自分はそんなことをするだろうか? もしかすると何かピンチに陥っていたのかもしれないけれど、それにしたところで、この列車に忍び込めた理由にはならない。どれだけ僕が考えたところで、こんな子供が忍び込めるほど甘いセキュリティではないはずだ。
 話を聞いている限り、草一郎という人はその辺りしっかりしていると思う。かなり大掛かりな仕事を裏方としてずっとやってきた人なんだから、きっとそうだと思う。
 結局、何も分からない。
 考えたところでどうしようもなさそうなので、今はこの列車を満喫することにしよう。そのうちひょんなことから思い出すさ、と、そう楽観することにした。
 お姉さんが戻ってきて、向かいの椅子に座る。その動きは相変わらず綺麗だった。見た目も動き方も本当に全部綺麗で、思わず、じっと見つめてしまっていた。それに気づいて急に恥ずかしくなり、慌てて目線を外す。しかし特に見るべきものもなく、次々と目線をずらし、結果きょろきょろと挙動不審な動きをしてしまって余計に恥ずかしい思いをする。しかしお姉さんはその行為を少し勘違いしたらしく、ちょっと的外れな質問をしてくれた。救いの一言と言い換えても間違いでは無いけれど。
「ふふふ、本当に列車がお好きなんですね」
 きょろきょろしていたのを列車に興味を持っているからだと勘違いしてくれたのだ。挙動不審を誤魔化すために、ここぞとばかりにその質問に乗っかった。
「うん、大好き。ずっと前から、本当に大好き。列車は決められたレールの上しか走れないっていうけどさ、そのレールだってみんなで考えに考えて決められたレールな訳だし、レール自体も綺麗だからすごく好きだ」
 お姉さんが、それで? と優しく目で促してくれる。
「ぼくの家ってさ、山の麓にあるんだ。列車なんて通るはずがないすごい田舎なんだけど、レールだけはあった。ぼくの家のすぐ近くに、錆びたレールがあった。大昔のレールで、草とかも生え放題だったし鉄も錆びてた。一度、それを辿っていったらこのレールの上を走る列車があるんじゃないかと思って辿っていったんだけどさ、全然駄目。なんにも見つからない。どこまで行っても木しか無かった。それでもなんとか頑張って山のてっぺん近くまでは行ったんだけれど、とうとうそこで力尽きてさ、あーこりゃもう死んじゃうのかなって思ったところで……ぼぉーってなんかなったんだ。最初は空耳かとも思ったけど、違った。……そう、汽笛。蒸気機関車がやってきたんだ。もう、衝撃だったよ。ぼくは慌ててレールから這い出した。そしたら、目の前を鉄の塊が疾走していったんだ。がしゅっがしゅっがしゅって唸りながら、ぼぉーって叫ぶその姿、もうたまらなくかっこよかった。それから、ぼくがすごい苦労して登ってきた道を一瞬で通り過ぎて行った。そのときに、ぼくの世界は打ち砕かれた。ぼくの狭い世界はあの列車の疾走によって、こっぱみじんに粉砕された。一気に新しい世界が広がったのを感じたよ。……それが、僕と列車の初めての出会い。どうして今まで通らなかった列車が通ったのか、それは今でもわからない。実際、それ以降その錆びたレールの上を走る列車は無かった。もしかしたら神様が遣わしてくれた列車なのかもしれないとも思ったよ。なんせ、その列車が通ったおかげで、ぼくの親がレールを辿ってぼくのいるところまで探しにきてくれたんだからね。両親曰く、お前は好奇心が強いから、絶対に列車のきたほうへ探しにいくだろうと思った、だってさ。列車の方じゃなくて、列車の来た方ってところがまた、なんか僕らしいなって思ったよ。本当は、列車が来る前から行っていたんだけれど、そこは面倒臭いから説明しなかった、あははっ」
「……それは、とても素適な出会いをなされましたね。出会いというものはとても大切でございます。……もしよろしければ、わたくしの昔話に少し付き合ってもらってもよろしいでしょうか?」
 こくり、と頷く。
「―――わたくしの出会いの物語は、今からおよそ十年と少し前に遡ります。
 その頃のわたくしは……恥ずかしながら、実に荒れておりました。人を信じることは偽善に過ぎず、人と相容れることは弱さであり、人とは悪意の象徴であると、そう確信していたのです。そんなわたくしであったために、差し伸べられた手は全て虚飾に満ちた偽善の手だと払いのけてまいりました。……いいえ、払いのけるという言葉ではまだ甘い。大抵はその人を陥れ、身包みを剥いで、それで生活をしていたというような状況でございます。そんな負の連鎖とも言えるべき生活を続けていくうちに、一人の男性……草一郎様が、わたくしに目を掛けてくださったのです。わたくしは当然の如く、差し伸べられた手に噛み付きました。しかし何度噛み付こうとも、あの方は絶対に諦めてくれませんでした。とても寒い、雪の降るような夜であるにも関わらず『お前の目がとても綺麗で気に入った。ここでくすませるわけにゃいかねえな』なんて仰いながら、何度も何度もいらっしゃるんです。まだ十五程の少女であったわたくしに、そこまで過大な評価をしていただいたのです。……信じられますか? 詐欺と暴力で生活をしてきた女に、まっすぐな目でそんなことを言うんですよ。もちろん、世界は悪意で出来ていると確信していたわたくしの心はそうそう簡単に開くものではありませんでしたが……このように、変わることが出来ました。もしかすると草一郎様のいいように洗脳されてしまったのかもしれませんが……しかしそれでも良いのです。わたくしはとても幸せですから―――という、お話です。出会いというのは人をどこまでも変えてくれます。良い風にも、悪い風にも、変われます。それは人と人との出会いに限ったことではありません。だから……是非ともその出会い、大切にしてください」
 まっすぐに、まっすぐに、どこまでもまっすぐに見つめられた。それから胸にじんときた。きっと今の話は、お姉さんのとても大切な部分だったんだと思う。それをぼくに晒してくれたというのが、とても胸に響いた。ぼくは黙って頷いた。お姉さんはふわりと笑い、窓にちらりと視線を向けた。
「……そろそろ、目的地に到着の時間でございますね」



 イベントホールの車輌をお姉さんと横断する。
「ついに、列車が完成するんだね」
「その通りでございます」
 ときめく心が抑えられない。浮き足立つというのはこういうことなのかと納得する。お姉さんの方を見てみると、同じ様に楽しそうにしているのが見て取れる。お姉さんは「この先が桜だとわかっていても、知らないふりをするのがマナーでございます」と言っていたけれど、知っているからといって楽しみが減るというわけではないらしい。
 一緒に扉の前に並び立ったところで、ぷしゅうっと、列車が停止した。
 すると、同時にかちゃりと鍵の外れる音がした。ついに開かずの扉が開いたのだろう。
「よろしいでしょうか?」
 お姉さんが尋ねてくれる。ぼくはもちろんです、開けてください、とお願いした。
 扉を開けるのは、お姉さんでないと駄目な気がしたからだ。

 ―――そして、扉は開かれる。

 ●

 桜天路雪夜はあまりの光景に絶句していた。
 予想を遥かに超えた光景に、完全に言葉をなくしていたのだ。
 最初に予想をしていた桜というところまでは正しかったのだが、そこから先がまだ不十分。桜を見るだけならば、普通に桜見をしにいけばよいということに雪夜は最後まで気が付くことが出来なかったのだが……しかし、そのおかげで雪夜は生涯で最大の感動を得ることが出来た。

―――満点の星空に飾られ、やさしくきらめく雪の絨毯に、満開の枝垂桜。

 淡く鮮やかな白色と、優しくも儚い桜色が空間を彩る。
 さらさらと舞い降りるやわらかい雪に、風に舞い散る桜の花びら。
 通常であればそうそう見ることの適わないはずの、雪桜。
 この幻想的な世界に、雪夜は己が名を心に描き出した。
 『 桜天路 雪夜 』
 そして、気づく。
 この列車が何故自分には秘密にされていたのかを。
 どうして草一郎があのような真似をしていたのかを。
 全てを悟り、雪夜は涙を頬につたらせながら……ふわりと笑んで振り返る。
「レールっつうのは、一本じゃ駄目なんだ。必ず二本無いといけない。理由は説明する必要もないだろう。子供でもわかることだ。つまり、俺は子供でもわかるくらいに、お前が必要なんだ。雪夜」
 そこに居たのは最早幼い子供ではなかった。世の中の辛酸を嘗め尽くしてきたような老練な大人である。その大人は堂々とした言葉とは裏腹に実に照れながら財布を取り出して―――大事なものは財布にいれておくという子供の頃からの癖である―――指輪をつまみあげた。
「えー……、その、なんだ、好きです。これからも、どうか、よろしく頼む」
 尻すぼみにそう言って、顔を真っ赤に染め上げる。
 雪夜はふわりでもなく、にやりでもなく、小さく小さく、しかしとてもかわいらしく、やさしく笑った。
「もちろんでございます」



 雪夜と草一郎は枝垂桜の根元に座り込み、これまでの思い出話に華を咲かせていた。
「ところで草一郎様、いつ記憶が戻られたのでございますか?」
「おいおいさすがにもう様付けはよそうぜ、俺たちはもう、その、なんだ、オーケーな間柄だろう? 水臭いじゃないか」
 草一郎はははっと笑ってそう言った。
「あれだ、桜を見た瞬間に記憶が蘇った。……ったく、変態兄貴め。『お前は土壇場にならないと告白なんか絶対に出来ない……』なんてことを言ってやがったが、結局は自分のところの研究成果を人体実験したかっただけだろうよ。記憶操作に催眠洗脳。体つきが大人のままにも関わらず自分が子供であると信じ込ませるだなんて、とんだパラドックスを成立させちまったもんだな。しかし―――雪夜もよくこんな茶番に付き合ってくれたな」
 うふふ、と雪夜は笑う。
「お兄様が『最近は仕事仕事で張り詰めているから、ちょいと子供時代に戻ってリラックスさせてやるのさ』って仰ってましたよ。『だから、雪夜君も少しばかり協力してくださいね』とも仰っておられましたね。わたくしは喜んで協力させていただきました。草一郎…さんは、子供の頃からとてもかわいらしかったのですね。あまり子供の頃の話をしてくださいませんから、本当に楽しかったんですよ。精一杯背伸びをしている様がもうかわいらしくてかわいらしくて仕方がありませんでした。うふふふ」
 寒さのおかげで上気していた顔が元に戻りつつあったのだが、一瞬で元の赤さを取り戻す。
「や、やめてくれ。記憶はまだ鮮明に残ってるんだ。いい年こいたおっさんがあんなこと言ってんだぜ? 気味悪いったらありゃしねぇだろ。死にそうなほど恥ずかしい」
 そういって俯く草一郎。それを見て、微笑む雪夜。
「やめてください草一郎さん。冗談でも死にそうだなんて言わないでくださいね。もう、草一郎さんは草一郎さんだけのものでは無いのですからね」
 少しからかうような声音だが、草一郎にはこれ以上ないぐらいの効果を発揮した。まるで蒸気機関車のように顔に熱をこもらせる。あまりに照れて、言葉が何もでてこない。
 だから代わりに、繋いだ手をぎゅっと握った。
 絶対に離さないという想いを込めて。







 ● 蛇足中の蛇足。甘いの苦手で、台無しにしたい方だけこの先をご覧ください。

―――草一郎が雪夜に告白する前日。

「……ウェディング専用トレイン『雪桜』。なるほど、これが草一郎の奴が雪夜君に告白するために創った新しい車輌というわけですか……なるほど、なるほど。確かにこれは馬鹿みたいに気合が入っていますね……。素材一つ一つ、全てが選りすぐりの逸品で、しかも列車のあらゆるところに入れられた彫刻も素晴らしい。美術的価値としても相当なもの……。それにこのシステムは良い着眼点といえる。ちょっとぐらいなら褒めてやってもいいかもしれない。移動型の借景庭園とは、なるほど、確かに列車ならではの作品と言える。差し詰め借景トレインといったところか。隔壁開放システムを応用し、目的地到着と同時に、枝垂桜を搭載した最後尾車輌の後方と左右の壁が完全開放され、車輌の風景と車輌の外の風景が一体化する。そして、普通では決して見ることの出来ない景色を作り出す……というわけか。ふむ、美しい。これならば桜に限らず、様々な借景庭園がつくれることだろう。三次元レールシステムと組み合わせれば更に幻想的な光景をつくりあげることも出来る。人工ながらの超自然的光景というわけだ。素晴らしい。素晴らしい……が、あいつには豚に真珠というやつだ。せっかくの舞台を自分で必死に積み上げて積み上げてつくっておきながら、あいつは絶対に告白出来ない。間違いない。本当の本当に、ここまできたらもう引き返せないというところまで追い込まなければ、奴は絶対に逃げる。自分で最高の舞台を設定していながらも、絶対逃げる。……まったく奥手にも程がある。これでは雪夜君が可哀想だ。仕方が無いから私が一肌脱いでやるとしよう。そうしたら、きっと雪夜君もお礼に一肌ぐらい……見せてくれるだろうよ。うん」
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