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無限の猿にも及ばない

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 書籍化の際のインタビューは、なるべく知的な感じの方がいいとか、中学の時の物書き仲間にはどんな風に自慢してやろうとか、いつもそんなことばかりを考えている。そんな事ばかり考えている奴は大成しないと良く言われるが、なるほど、私も三十路を目前にして未だにインターネットの小説投稿サイトなんかで油を売っている。これでも高校の時には小説で鼻の高い思いをしていて、このまま小説家になろうと野心を燃やしたものだが、今ではネット上の虚無な活動が私の全て。とは言え、それに対して何か不満を抱いているということでもなく、ぬるま湯のような執筆の日々だけが私の楽しみになっていた。
 なにしろ、独り身女性にアフターファイブは手持ち無沙汰なのである。飲み会は月に一度や二度だし、外で遊ぶお金も無い。まるでここにしか逃げ場がないかのように、私は帰宅するやいなやパソコンを起動した。今にも寿命を迎えそうな私の愛機がゴウンゴウンと唸りを上げたので、私は「焦らなくていいのよ」と言うように立ち上がると台所のヤカンに水を注いだ。
 パソコンが無事起動されたらしくても、老体が完全に落ち着くまでは暫く手を触れられない。シュー、とかギー、とか小さく蠢いているのを黙って眺めながら、さすがにコイツも限界かと考える。けれど機械に弱い私がパソコンを買い替えるとなると実家を巻き込んでの一大事になるし、そもそもそんなお金も無い。と、毎回こんな風に考えているところでパソコンが準備万端の構えを見せるので、やっぱり私にはお前しかいないよ、とたまには声にも出してマウスに触れる。
 ジャニーズの壁紙の邪魔にならないよう控えめに配置されたアイコンの一つをダブルクリックすると、インターネットの世界に行ける。ホームページに設定してある小説投稿サイトが表示されて、いつもとなんら変わり映えないことを確認したところで、そろそろお湯が沸いたかと後ろを振り返るのがこれまで何百何千と繰り返されてきたいつもの動きだ。ゆらゆらとヤカンの口から湯気が立ち上っていると、私は急いで自作品のコメントページへと飛ぶ。連載小説の続きを更新した翌日は、コメントの有無が気になって一日中そわそわしている。何をしていてもその事が頭から離れず、仕事もほとんど手につかず(それはいつもか)。そんな告白の返事を待つかのような緊張感が、実は妙に心地良い。
 しかしコメントがあると喜びもひとしおだが、逆に一つもコメントがついていなかった日の失望感は凄まじい。その日を過ごしてきたのが無駄に思えて、「何が悪いんだよ」とデスクトップの向こうの読者を罵倒しさえする。残念ながら今日もそのパターンらしく、私は力無く立ち上がってカップラーメンの蓋を開けた。そしてそんな日は、半泣きになりながら新たな連載を始めるのが私の通例である。こんな調子で次から次へと新連載を繰り出すから、私名義の作品がサイトにはどんどん溜まっていくのだが、大抵は二度と更新されることもなくゴミになる。
 いわゆるこういうところが、本気で小説家を志す者としてはあるまじきなのだろうが、少しばかり気付くのが遅すぎた。こうして私は今日も新しい連載を書き上げ、大した推敲もせず投稿サイトに放り込むことになるのだが、私の場合に限り、いつでも投稿していいという訳ではなかった。私は新連載を始める際、必ずもう一人誰かが新連載を始めるのを待っている。サイトに張り付いてこまめなチェックを繰り返し、他の誰かが新連載を開始したのを確認してから、私も慌てて小説を投稿する。いわば、この瞬間にスタートの雷管が鳴ったのだ。同時に小説を投稿して、先にコメントがつくのはどちらなのかという短距離走。勝手にライバル視される相手方の作者さんには申し訳ないが、これも私の定例というか、欠かさず行ってきたささやかな楽しみなのである。たまに「つまらん」とか「うんこ」という罵倒コメントがつくこともあるが、もちろんそれはノーカウントである。
 まあ、カッコつけて短距離走と称してみたものの、大抵その勝負の行方は翌日以降に持ち越されてしまうのが悲しいところ。インターネットの投稿サイトにもヒエラルキーのようなものがあり、面白い小説を書ける人は人気が出てコメントもたくさんつくが、私やその他大勢の場合、そうそう簡単にはコメントがつかない。更新分を投稿した後、数日経ってからぽつんと一つコメントがついている、ということも多い。よって勝負の行方は翌日以降、最悪の場合、どちらにも半永久的にコメントがつかないという死んだ方がマシというくらいの引き分けも存在する。
 ところが、この日はあっさりと決着がついてしまった。なんと私のコメント欄である。

『ザキ山と申します。これ面白いですね! つづきを楽しみにしていますので頑張って下さい!』

 瞬間、「うわぁ」と目を覆った。コメントは匿名での投稿が基本であり、このように自ら名乗ってコメントする者はごく稀である。こんなコメントは「なんだこいつ」という周囲の視線に晒されるのがオチであり、せっかくコメントを戴いた身としても美味しくない。というか、このザキ山って奴が今回の勝負の相手だった。これで勝ちと言えるのかどうか、脳内で審判団の判定が割れている。
 とりあえずこのザキ山という作者の作品も確認してみようと思い私はページを飛んだ。すると、なんとこちらも既にコメントがついている。これは私の負けという判定が下るかと思ったが、「うんこ」というコメントが一つ残されているだけだった。
 私は頭を悩ませた。あまり関わりたくはなかったが、こんな風に名乗っているのにまったく無視してしまうのは申し訳ない。どんな文にするかでかなり苦悩したが、結局無難なコメントを一つだけ残してきた。

『コメントをいただいた者ですが、ありがとうございました。ザキ山さんの小説も読ませていただき、早くも続きを楽しみに思っています。応援しています』

 ふう、となんだか嫌なため息が出て、私はぐんと腕を伸ばした。ちなみにザキ山さんの小説は読んでいない。部屋のカーテンが開きっぱなしなことを思い出して立ち上がると、もう一時を回っていることに気が付いた。カーテンを閉めた足でそのまま洗面所に向かい、時折あくびをしながら歯を磨いた。
 居間に戻ると、パソコンを閉じる前にもう一度自分の小説のコメント欄をチェックした。するとコメント件数が二件になっており、私は小踊りしながらコメントを確認した。

『ザキ山です。コメントありがとうございました! これからもお互い頑張っていきましょう!!!』

 こいつ、だめだ。
 高校生ぐらいなのかなと勝手に想像したり、これに対して更に返信するべきなのかとか頭を悩ませたが、私はそれ以上考えるのが面倒くさくなり、そのままパソコンの電源を落とした。結局、ザキ山さんとの勝負がどうなったのかは微妙だが、それももうどうでもよくなっている。きっと、この小説はダメだろう。軋むベッドの中ではさっそく新しい小説の構想を練りながら、私はそのうち眠りについた。
 * * * * *

 件のコメント勝負に勝てた翌日は、一日を鼻歌交じりのうきうき気分で過ごすことができる。次回更新分の話を練るのに夢中になり、ふわふわとした気分で仕事も上の空。逆に、敗戦の翌日はもちろん全てが下降線。苛立ちや相手への嫉妬に駆られ、どんよりとした気持ちで仕事にも力が入らない。こんな風に良い日と悪い日を繰り返すのが私の生活サイクルなのだが、今日はそのどちらでもなかった。ザキ山さんとの勝負が不思議な展開を見せ、一日中もやもやとした感情に包まれている。一体、あれは私の勝ちと言えるのか?
 とは言え、こうして悩んでいる時点で答えは出ているんだろう。元々私の中だけでの勝負だし、自分で納得できないなら無理矢理勝ってもしょうがない。そんな事をうだうだと考えながら、やっぱり仕事は手抜き作業。
 私は上司の目を盗んでインターネットに接続した。会社のパソコンは私の愛機より数段上のスペックで、さすがに回線もスムーズだ。家では味わえない快適なインターネットに浮気心を覚えながら、検索サイトで「小説の門」と打ち込んだ。いつもの小説投稿サイトである。
 うわ、と思わず声が出そうになった。ぱっと頭を下げ、上司の死角に逃げ込んだ。
 ザキ山さんの小説にコメントがついている。それも、四件。一件は昨晩の「うんこ」だが、あとの三件は素直な賞嘆の声。私は右手のコピー用紙をぐしゃぐしゃに潰した。
 嘘だあ。高校生ぐらいだと思ってたけど、すごく面白いのかな? まだ読んでいなかったが、幸いにも今は仕事中。暇つぶしのような気持ちで、私はザキ山さんの小説を読み始めた。
 ザキ山さんはファンタジーなバトルものを書いていた。文芸作品というよりは今風のラノベといった感じで、正直、三十路前のオバサンには何が面白いのか分からなかった。でも、私の経験上、作品登録時にコメント四件はただ者ではない。私の小説に一度に四つもコメントがついたら豪勢な食材を買って一人でパーティーを開いているところだけど、ザキ山さんはどうなのだろう。昨晩の様子だと、ベッドの上で歓喜にのたうち回るタイプだと思う。
 ともかく、これで私は完全に負けてしまった。ふつふつと悔しさがこみ上げてきて、それと同時に、こんな高校生(と思しき人)にまで惨敗する自分が情けなくなってくる。創作に年齢は関係なく、才能のある人がのし上がる世界だとは言え、もう十五年も書いているのに。
 悔しさが情けなさを上回り、小説の冒頭に戻るともう一度読み始めた。
「おーい小浜くん、お茶くれ」

 その日から私は、二話以降の更新までザキ山さんをマークし始めた。つまり作品登録時だけタイミングを合わせてコメント競争するのではなく、次回更新以降もザキ山さんに合わせたのである。生活サイクルは近いのだろうか、お互い更新は夜だけだったので助かった。執筆速度は私の方が早いようなので(毎晩書いてるから)、ザキ山さんが更新しない日は私も更新せずに書き溜めておいた。単に早くコメントがついた方が勝ちというのではなく、一度の更新でより多くコメントがついた方が勝ちというように勝負の形式も変化していった。
 そんな事を半月も続けた頃、私の連敗は七にまで伸びた。ザキ山さんはすっかり私を突き放し、七度の更新で三十件ものコメント数を稼いでいる。一方、私はその半分にも届いていなかった。完膚なき敗戦だけが続いていたが、明確な目標を抱いた執筆はそれまでと一味違い、私は今までとは違った楽しさを感じていた。
 ところが、その七敗目を期にザキ山さんの更新が止まった。何の前触れもなくぱったりと活動を止め、小説は放置されてしまっている。
 まずは、高校(高校生かどうか知らないが)が忙しくなってきたんだろうと考えた。私もザキ山さんに合わせて更新を止めた。
 しかし二週間経ち、三週間が過ぎた頃、飽きてしまったんだと悟った。これまで二日に一度くらいのペースで更新してきたザキ山さんが急に更新を止めたというのは、多少早計ながらもそういうことなんだろう。別に珍しいことではない。こんな風に作品を投げ出す作者さんは多いし、高校生ならなおさらである。ただ、私も何十作と作品を放置してきたが、それはコメントなんてほとんどつかないものばかりで、ザキ山さんのようにたくさんコメントがあるのにやめてしまうのは理解し難いというか、勿体ないと思ったのが先だった。
 張り合いが無くなった私は一気にやる気を失くしたが、書き溜めておいた分が大量に残っている。とりあえずはそれを一話ずつ更新していくことにした。
 更新された小説は「最新作品更新情報」のページに名前が挙がり、サイトを利用している読者の目に留まるようになっている。ぱっぱと更新作業を済ませて、私はそのページを確認した。

 23,59,04『毒の花火』スモールハマ
 00,02,52『INNOCENT WORLD』ザキ山

 ザキ山さんだ。
 私の更新の直後に、ザキ山さんが来た。
2, 1

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