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第十三話 魔界

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 おれが言うのもなんだが、うちのカツミは大バカ野郎である。
 だが、やつは自分が底抜けのバカでマヌケでアホだとは気づいていない。
 例の晩、戻ってくるなり女子陣に折檻された理由もよくわかっていない。
 やつに言わせれば、誠意とは正直であることだそうだ。
 そんなものはイヌに食わせてクソにして出すべきだとおれは思う。
 正直や信頼というものは口に出したりマニュアルに沿った言動のことを指さない。
 残念ながらそれは、この世のどこにも解答のない問題集のようなもので、なにが答えなのかは自分で身をもってして確かめるほかにない。
 それができないのなら――この先はおれの口からとても言えない、残酷すぎて。
 しかし一例として正直で誠意ある若者がどういう奈落へ落っこちる羽目になるのか、エン先生の実技をもって諸君に紹介しよう。
「ねえねえカツミ! ぼくたちの実世界での行動がほかの五人にどういう影響を与えるか試験してみたいんだ。だから毎朝六時に一時間のマラソンをしてほしい。どうしても確かめなくっちゃいけないんだ。きみならできる。頼りにしてる。愛してる」
「よし、わかった」
 ほらバカだろう。
 おかげでカツミは毎朝のこのこ自分のかけがえのない青春を、マイナスイオンに満ちた大気とイヌを連れたおばさんの挨拶にくれてやることになり、おれたちはクソつまらない寝起きのシフトから脱出することに成功した。
 やはり歩くのは燦々と太陽が輝く真昼間に限る。
 人間は吸血鬼とは違って、デイ・ウォーカーなのだから。
 偉大なる功労者、へきさ幼稚園アナーキー組のエンちゃんには、よかったマークを十個ぐらいスタンプしてやりたいところだ。
 しかし、己の策の出来栄えに得意になって、欠けたマグカップのなかの泥水にしか思えないコーヒーをすすっていたエンは、かわいそうなことにおれとの花札勝負に惨敗しシフトの調整権を奪われることになってしまった。
 もちろん聡志もついでにぶっ潰してやった。
 文字通り『人生』を賭けた勝負、なかなか熱いものがあったが、ここでは割愛させていただこう。
 最後に笑うのは、やっぱりいつでも、このクロさまなのだ。
 あとはリカとエン――と思っていたところに、どうも電波少年終了以後ガッツを失ったテレビ局がまた愛と平和に唾を吐き始めたらしく、リカは七時からのバラエティタイム、マナは九時からのドラマタイムを烈しく希望し、二人ともしばらくはテレビ漬けの――自分の部屋の14インチのなかの異世界ではない景色が映るテレビ――生活を送ることになった。
 リカとマナがすぐ飽きないよう、あらゆる番組のプロデューサーたちには逮捕されるまで明日なき暴走を続けて欲しいものだ。
 まったくドミノが倒れるような鮮やかさで、おれは神様の愛というものを感じずにはいられないよ。
 バカどもが潰しあってくれたおかげで、おれはかなり自由に昼間動くことが可能になった。
 そう、デイ・ウォーカーだ。
 おれは、このとき、六人のなかで一番日常を取り戻している男と言えただろう。
 まさか、自分が一番面倒な羽目に陥っていくとは、このときはまだ知りもせずにのんきにお日様を見上げていたのだ。





 一ノ瀬が気合一発、商店街のくじ引きで一等を引き当てて大喜びしていた。
 あの公園での死闘以来、犯罪者を見る子連れの母親の目で見られていたのだが、そんな些細ないさかいも吹っ飛ぶほど南の島行き六人様ご招待券は破壊力バツグンだったらしい。
 ただの紙っぺらを「ねえねえ見て見てすごくない?」と見せびらかして歩く一ノ瀬はどう見ても残念な子で、おれと溝口はゲリラ豪雨に流されていく子犬を見るような目で一ノ瀬の奇行を見守っていた。
「やっぱり日頃の行いがいいんだねぇ」
 一ノ瀬は窓から手を出してチケットを太陽に透かしてにんまりしている。
 突き落としてやろうかと思ったが、五階から落ちたらさすがに受身は取れないだろうからやめておいた。
「チケット燃えるぞ」
「バカだねぇクロは。虫眼鏡でも当てないと燃えないよーだ」
「ふうん」
 よしよし、すっかり機嫌は回復している。
 まァ構ってくれるのがおれくらいだと気づいたのだろう。
 ほかの男子どもは一ノ瀬に捕まっても「にこ……」ととても穏やかでどこか悲しげな目をして去っていく。
「わたしも溝口くんみたいに恋人作っちゃおっかなぁ。五人も連れて行けばひとりぐらいそのままお持ち帰りしちゃってもいいよね」
 変態発言してチラチラ汚れた視線をクラスにばら撒くのはやめてほしい。
 安達がいつの間にか校庭にサッカーしにいっているし、清水にいたっては鞄ごと消えている。
「誰かわたしと一夏のアバンチュール過ごしたい人いないかな~?」
「おい変態」
 溝口がずーっとおれに苦しげな視線をぶつけてくるから、仕方なくおれがでしゃばった。
「そのワイセツ物をさっさと仕舞え」
「はァ? これのどこがワイセツなのよ」
「おまえさっきから『わたしとHしよっ!』って言いながら歩きまわってんだぞ? つまりそれはH券ということだ。立派な売春罪だ、とっとと腐れこの淫乱」
 一ノ瀬が怒るのも忘れて顔を真っ赤に染め、チケットを後ろ手に隠した。
「べ、べつにそんな意味で言ってたわけじゃないっ!」
「あっそうなの? ふうん、でも勘違いしたやついると思うぜぇ。おまえそのチケット持ってたらオッケーなんだって思われるよ?」
「え……」
 真っ赤だった顔から血の気が引いてみるみる青ざめる。
「おれに預けとけって。知り合いの陰陽師に頼んでお払いしてやる」
「ほ、ほんと……?」
「もちろんだとも。親友だろ? ささ、そのおっかないブツを早くこっちへ……」
 来るわけがなかった。
 一ノ瀬はひょいっと伸ばしかけたおれの手からチケットをすり抜けさせ、べえっと舌を出した。流行ってんのか?
「ふっふーん、いつまでもあんたの手駒の一ノ瀬さんじゃないのよ」
「こないだはずいぶんいい格好だったくせにな? 写メに撮りたかったぜ」
「クロ友達少ないもんねぇ、誰かに『ねぇねぇ見て見て! これがぼくの友達!』って言うんじゃないの? 『嘘じゃないよぉ~信じてよぉ~』ってさ、あっはっはっは! かわいそー!」
「んだとこの……」
「ちょ、ちょっと、また破いたりしないでよ! 結局また一着ブラウス買ったんだからね!」
「減るもんじゃねー」
「減ったよ!」
 一ノ瀬の財布がパンクしようが破裂しようが構うもんか。
 だがそれでも、あまり大事になる前に機嫌が回復してくれて助かった、と少しだけ思う。
 慰謝料請求なんてされたら一族根絶やしにして被害者ゼロにするしかないしな。
 結局、一ノ瀬の無料配布H権利は誰にも取得される気配がないまま、放課後を迎え、おれは珍しい客と一緒に消沈する一ノ瀬を残して教室をでた。
「な、なんかあのひと、ものすごくイヤな雰囲気が……」
「あれはな、ゆくゆくは婚活パーティに金出してあくせく通い始める売れ残りの、貴重な発売直後の姿だよ」
「え……でも……うしろにいるのは男の……」
 あっ、と風止は口を両手で塞ぎ、哀れみの籠もった視線を突っ伏した一ノ瀬のつむじに注いだ。
 そりゃあ南の島への旅行に誰も乗り気になってくれなかったら自分の人望を疑問視するようになってもいたしかたないわな。
 おれたちは、人目の少ない空き教室帯の外れまでやってきた。去年の文化祭のポスターがいまだに貼ってあるし、いくつかの部活勧誘ポスターのなかには廃部したものもある。おれは黄ばんだ広告を見ながら風止に尋ねた。
「で、なんの用だ。おれは忙しいんだ」
「ごめんなさい……」
 風止はしゅんとして俯いてしまう。そんなにあっさりへこまれるとこっちもやりづらいが、まァ風止が空気読めるとはおれも思っていない。
「相談があって」
「いいぞぉ。なんでもおにいちゃんに話してごらん?」
「わかった、おにいちゃん」
 おれは思い切り風止の頭を引っぱたいた。怯える間もなく神速のツッコミを喰らった風止はフリーズした。
「誰がおにいちゃんだ」
「え、だ、だって」
「冗談の通じねえ野郎だ」
「すみません……あと、アマです……」
「冗談の通じねえアマだ。普通に呼べよ。おれのあだ名ぐらい知ってるだろ?」
「いえ」
 これは地味にへこんだ。
 あ、そうなの、と返したが、おれの声は小さくていまにも消え入りそうだった。これでも有名人のつもりだった。恥ずかしくて穴があったら入って中から埋めたい。
「クロって……呼ばれてるんだ……」
「は、はい!」
 パァッと明るくなる風止の顔の向こうにひまわりが見えた。
「わ、わたしのことも、ミィって呼」
「呼ばねぇ」
 ひまわりライトがオフになった。しょんぼり肩を小さくしてしまった風止におれは決して同情したりしない。
 おれはやられたらキッチリやり返すのだ。
「クロ……」
「ああん?」
「……くん、あの、お願いがあります」
 かしこまった風止は、頬を染めて、じっとおれを見上げてくる。
 その視線に気おされておれは一歩引いたが、向こうはすぐに一歩詰めてくる。こいつはおれのスタンドか?
「わたしに、闘い方を教えてくださいっ!」
「逃げろ。以上。じゃあな」
 すぐさま教えを実践してみせようとしたものの、あっけなく弟子(候補)に襟首を掴まれてしまった。
 最近どこかでおんなじようなことがあった気がするが、まァ気のせいだろう。
「待って待ってお願いだから待って話を聞いてお願いなんでもするから見捨てないで!」
「いてててててて髪掴んでる髪!」
「あっ」
「じゃあな!」
 おれは脱兎のごとく駆け出した。風止が悲鳴をあげて追いかけてくる。
「嘘つきィ!」
「嘘も布もあるか。賢いってなァこういうことを言ぶべっ」
 突然の衝撃と共に視界が暗転する。晴天の霹靂。
 なぜこんなところに柱があるのだろう。
 この学校の構造はよくわからない。ウソッキーかもしれないから今度ゼニガメじょうろで水かけてみようと誓う。
 おれはひっくり返って、どくどくと自分の鼻から流れる血を胸に覚えながら、視界一杯に広がった風止の顔を見上げた。
「だ、大丈夫……?」
「うるせー」
 涙ぐみかけたが、ずずっと鼻血をすすって、なんとかした。
 男の子は、女の子の前では泣けない。




 男らしく腕で鼻血を拭いたらファンタジー小説の主人公の刺青みたいな模様になった。
 たぶんに鼻水も混じっているから大変汚いがまァ気にすることもない。
 おれはずきずきする鼻を気にしながら、風止から逃げることを諦めた。
 こいつは何気に足が速いのだ。弟子入りする先を間違えている。
「闘い方ね……」
 階段を登るおれのすぐうしろを、ちょこちょこついてきながら風止がぶんぶん頷く。
「そう、わたし、強くなりたい」
「おまえ最終兵器になって死ぬんじゃないの?」
「最終兵器にはなれなくても、サブウェポンぐらいにはなりたい」
 ずいぶん小市民な理想である。が、まァ、小柄だしロケットランチャーやアサルトライフルよりはデリンジャーの方が似合うだろう。
「おれは高いぜ。いくら払う?」
 屋上への扉に手をかけざま、おれは振り返って風止を見下ろした。やつは眉を下げて泣きそうな顔になった。
「え、お、お金……取るの?」
「当然だ。人間の信頼関係とは金で繋がっているのだ」
 風止はごそごそとポケットからがま口財布を取り出して、あっけに取られるおれの前でその口をパチンと開けた。
 なかから、くしゃくしゃになった諭吉さんが出てきた。見た限り、まだまだお仲間がいそうな気配がする。
「とりあえず、前払いで」
「…………」
「あ、あの?」
 おれは諭吉を両手で受け取り財布に仕舞うと、力強く右手を差し出した。風止はぽかんとしている。
「握手をしよう」
 おれは持ち前の紳士さをフル発揮した。
「これでぼくときみは師匠と弟子、先生と生徒、男と女になったのだ」
「お、男と女っ!?」
 髪を逆立てて硬直している風止の右手を、おれは無理やり掴んでぶんぶん振った。
「必ずやきみを立派な戦士の一員に仕立て上げよう。ついてきたまえ! 我々の闘争は始まったばかりだ、死体の山を乗り越え血のりの河を越えていく術を教えてやる!」
「は、はいっ!」
 おれたちは笑顔を浮かべて仲良く屋上に降り立った。



「まず今日は受身の指導――――」
「――――いま使ってんだけど?」



 夏空の昼下がり。
 入道雲を左肩に背負って、蒼葉桃子が、両の拳を握っていた。
 茶髪のデブと短髪のガリ、蒼葉の腰ぎんちゃく二人が、なにか重たそうなものを挟んで持ち上げている。
 どうもそれをサンドバッグにして蒼葉は午後の運動に汗を流していたらしい。
 おれの横で風止がひきつけを起こしたようにぶるぶる震えていた。おれは凍りついた空気を溶かそうと陽気に言った。
「いよぅ蒼葉、いいサンドバッグだな」
「でしょ?」
 蒼葉は目元はそのままに口だけで笑った。
「生身の人間でできてるからさ」
「うん、風止くん。教練はまた後日にしようか」
「は、はい」
 おれと風止は仲良くバックして魔界の扉を閉めた。
 数秒後、扉越しに重たい音のスタッカートが再開し、おれたちはその場からダッシュで逃げた。
 戦略的撤退であったことは疑いようもない。

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顎男 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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