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孤独と喧騒

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 手にはシルバーのブレスレッドをはめ、お気に入りのジーンズを穿き、上は最近買ったポロシャツ。財布などの小物は、買ったばかりのボストンバッグに入れてある。
 今日は祇園祭宵山。つまり祇園祭本番の前日となる日だ。そしてこの日は毎年、祇園祭で最高の盛り上がりを見せる日でもある。
 そんな宵山で盛り上がる京都の四条に、僕はいた。
 既に太陽は半分沈んでいて、空には悠然と輝く白い月が姿を現していた。もし月からこの場を眺めている人がいるなら、さぞかし驚くだろう。何せここにはたくさんの人が密集していて、夜をも忘れさせるほどの活気を見せているのだ。
 僕の周囲では浴衣を着た人々が楽しげに会話し、顔を笑顔で崩していた。あまりの熱気に額に汗がにじみ出てしまうけれども、僕はこの場所の空気が好きだった。
 僕が人ごみに紛れて、半時ほど経ったときだ。その日、一人で祭りに来ていた僕は、特に話す人もなく、祭の喧騒を耳で感じていた。
 そんな時、不意に目の前に二本の手が見えた。
 それは指を絡ませ、手をつないでいた。
 一本は白くて細く、爪にはピンクのマニキュアが塗ってある。恐らく女性の腕だ。そしてもう一本は少し日焼けしていて、たくましい腕。薬指には銀色に輝く指輪がはめられている。恐らく男性の腕だろう。
 女性のほうは右手だからわからないが、恐らく彼女の左手の薬指には同じように指輪がはめられているはずだ。
 どうやらこの二本の腕の持ち主達は、恋人同士のようだった。彼らの繋がれた手からは、お互いを決して離さないという強い意志が感じられた。
 すると隣にも手が現れた。先ほどと同じような男女の手だ。やはり、お互いを大切にする気持ちが表れている。その後、手は僕の周囲に現れては消えた。不思議なことに、繋がれていない手はなかった。まるで手をつなぐことが、この場にいる絶対条件のように感じられた。
 不意に、誰かにぶつかってしまった。僕があまりに手を眺めすぎていたため、進行方向に注意が行っていなかったのだ。
「痛いわね」ぶつかった女性が言った。
「すいません。大丈夫ですか」僕が言う。すると、女性の隣から金髪の怖そうな男性が現れた。おそらく彼氏だろう。
「どこ見て歩いてんだよ、お前。だいたい、何でここにいるんだよ」
 男性は僕に鋭い目線を投げかけてきた。僕は彼の言葉にムッとした。
「別に、どこにいようが人の勝手だろうが」
 僕が言うと、今度は背後から女性の声がした。先ほどぶつかった女性とは別人だ。
「あなた、繋ぐ手も無いのに、ここにいるの?」
 彼女はまるで嘲笑するように言った。
「お前、ウザいんだよ」
「お洒落なんかして、恥ずかしくないの?」
「家で引きこもってれば」
「臭いんだよ」
「死ね」「屑」「変態」「オタク野郎」「痴漢」
 次第に僕を非難する声は数を増していった。みんな、僕を見下していた。

 ごめんなさい、ごめんなさい、もう、ここには来ません。一人で祭を楽しむなんて、僕には無理だったんです。僕は、ここに存在しては、いけない人間だったんです。

 僕は泣きながらその場を走り去った。人ごみが、僕を避けるように左右に分かれていく。
 しばらく走って、僕は本屋にたどり着いた。大きな本屋で、そこではどんな種類の本でも買える気がした。
 中に入ると、外のムッとした空気が嘘のように涼しくなった。店内には緩やかなクラシックが流れ、たくさんの客がいた。
 そこでは誰も手を繋いでなどいなかった。みんな、一人で立ち読みをしている。ウォークマンを聞きながら、くすくす笑いながら。
 安堵した僕は、その立ち読みに加わろうとした。すると、あることに気がつく。
 そこでは誰もが太っていた。肩にはやけに大きなリュックサックを掛け、手にはアニメのキャラクターが描かれた紙袋をぶら下げ、髪はばさばさに伸びきっている。みんな、近くのスーパーで買ったような服装をしていた。
 僕が困惑していると、店のカウンターから青白い顔をした店員がやってきた。彼は僕をじろじろと見回した後、言った。
「どうしてそんな格好をしているんです?」
「えっ?」
「どうして、そんな無理して周囲についていこうとした格好をしているのか、と聞いているんです」
 僕は店員の言っている意味が分からなかった。だが、彼は相当怒っているらしく、彼の青白い顔は段々と赤みをおびてきた。
「あなたにその格好はふさわしくない。彼らを見てください。彼らはみんな、自分と言う存在をわきまえ、自ら進んであのような無様で醜い格好をしているんですよ。それなのに、あなたの格好はなんですか。恥ずかしくないんですか? 彼らはああやって醜い豚と化す事でなんとか生きる資格を与えられているんです。そうやって懸命に生きているんです。だからあなたのような自分をわきまえない人間には生きる価値がありません。死んでください」
 彼はそう一気にまくし立てた。僕の中に、絶望にも似た感覚が生まれた。
 僕がひるんでいると、近くにいたバンダナを巻いた青年が話しかけてきた。彼は僕の体重の三倍はあるだろうといえるほど太っていて、鼻息が荒く、臭かった。
「君は、どうしてこの店に来たんだい?」
 僕は怪訝な顔をして、答えた。
「その……居場所が無くて」
 すると彼はまるで仏のように朗らかな微笑を浮かべ、言った。
「違うね。きみがここにきたのは、偶然じゃない。なぜならここは素質のある者以外見ることも入ることも出来ない絶対空間だからだ」
 僕は戦慄した。目の前のデブは頭がおかしいのだと思った。だが、それと同時に、彼の言葉に少しだけ興味を抱いた。
「素質って、何ですか?」
 すると彼はフンッ、と鼻を鳴らした。それと同時に鼻水が周囲に飛び散る。思わず飛びのく。
「素質は素質さ。君の中に、僕らと同じような感覚があるって事。つまり君も、本来なら豚となって世間様から隠れるようにして生きるべき人間なんだ。そう、僕らと同じようにね」
「同じにしないでくれませんか。僕はあなた達とは違う。あなた達はしょせん美少女ゲームに夢中になりすぎて現実が見えていないだけじゃないですか。わざわざ豚となって人からウザがられるなんて、僕には出来ません」
 僕がすかさず言うと、彼はウフフフと笑う。
「またまたそんなこと言って。僕は知っているんだよ? 君の部屋の中に、赤と黒の安っぽいチェックのシャツがあるってことを」
 僕は驚愕した。そのシャツは、だいぶ前に母が近くのスーパーから買ってきたものだった。
「どうして、そんなことを知っているんです?」
 僕は声を震わせて言った。額から汗が滴るのを感じる。
「当然だよ。僕達は、同士なんだから」
 彼は勝ち誇ったように言った。僕は、たまらなくなって、叫んだ。
「違う! 僕は、ただ目立たずに普通に生きていたいだけなんだ」
 僕が叫ぶのと同時に、店内の空気が止まった。クラシックはもう流れていなかった。
「卑怯者」
 目の前のデブが言った。
「君は、卑怯だ。僕達の苦悩も知らず、君はのうのうと毎日を過ごしている。似合いもしないお洒落までして」
 すると別の客が僕に近づいてきて言った。
「つまり君は、中途半端な人間なんだよ。実力以上のことを無理にしようとするから、誰にも受け入れてもらえない。結果的に、地球を汚す」
 また、別の客が近づいてきた。太った女の人だ。
「あなたはいつまで自分をごまかすつもり? 自分が水道を詰まらしているゴミだって、まだ気付かないの?」
「君は卑怯だ」
「あなたは屑よ」
「君のような人がいるから今日も地球が汚れるんだ」
「カメムシ」「紙屑」「消しカス」「メガネ」

ごめんなさい。ごめんなさい。僕は結局何も出来ないただの無力なニートなんです。自分をごまかしたかったんです。諦めたくなかったんです。助けてください。僕は、僕は……。

 気がついたら僕は地下鉄に乗っていた。車内には、先ほどの祭の喧騒など微塵も無く、また、人もいなかった。僕の他にはおじいさんが一人座っているだけだ。地下鉄は定期的な揺れを繰り返して僕を故郷へと運んでいく。
 しばらく経って、地下鉄がとまった。駅名を見る。表示されていない。どうやらここが終着駅のようだ。僕が立って車内から出ようとすると、背後から声を掛けられた。振り向くと、先ほどのおじいさんが僕の目の前に立っていた。
「君はそれでいいのかい。ここを下りると君は生涯、永遠の孤独となるんだよ」
 彼の目には光が宿っておらず、全てを飲み込みそうな漆黒の闇だけが漂っていた。彼は酷く悲しげな表情をしていた。彼も、僕のように世界から拒絶されたのだろうか。
「僕にはもう、何も残っていないんです。鞄の中に入っているのは、お気に入りの小説が一冊だけ」
「それでも君には生きる資格があると、私は思うがね」
 僕は微笑した。今日、初めて人から肯定された言葉だった。
「ありがとうございます。でも、もういいんです」
「どうして?」
「僕はあの世界が嫌になったんです。あの世界には全てがありました。悲しみも、苦しみも、喜びも。でも、あの世界は、それが皆に平等に与えられていなかった。それなら、一人でいるのも悪くない。そう思えたんです」
 僕は老人を見た。彼は何かを測るように僕を眺めていたが、やがて、静かに目を閉じた。
「それが、君の決めた答えなら、私は何もいわない」
 僕はおじいさんにお辞儀した後、地下鉄を降りた。そこは、僕の地元だった。人は誰もいない。そこでここは僕だけの世界なのだと実感した。
 流れる時の中で孤独を感じ、死にたくなる時だってこれから幾度もくるだろう。そんな時、僕はあの世界の事を思いだす。人がたくさんいるあの世界には、唯一、自由がなかった。人のしがらみに縛られ、いつだって何かが拘束される。あの世界で自由と読んでいた物は、まがい物でしかない。だがこの世界は自由だ。孤独なこの世界に来た僕を止めるやつなど誰もいない。そう思えば、少しは気も楽になるじゃないか。
 僕は身を包む風の音に耳を澄ませ、一人、小説のページをめくった。
 
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