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夕焼けの景色

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 昔から夕方を見るのがなぜか好きだった。朱に染まった太陽の光が町を茜色に染め上げ、憂いのある表情を作り上げる。見ているとどこか悲しくもあったが、懐かしくもあった。
 昨年の冬に入る前だった。親の仕事の都合で転校する事が決定した。昔からこうして転校すると言うことはよくあった。そのたびに学校の友達とお別れをしなければならない。もう何度も経験していたことだが、なれると言う事はなかった。
「絶対手紙書いてね」女友達がそう言った。
「大丈夫だよ、メールもあるんだし。ぜったいまた会おうな」男友達がそういった。
 彼らの優しい言葉に対して、僕は笑顔でうなずくと言うことしか出来なかった。
 新幹線に乗り、新しい街に到着した。駅前にあるマンションの一室が僕ら家族の住む家だった。四人暮らしにしては十分すぎるほど広く、学校からもそう遠くはなかった。部屋の壁は白く、マンションが新築されて間もないことが分かった。フローリングの床には傷一つない。和室もあり、入ると真新しい畳の匂いがした。
「荷物は明日届くみたい。布団だけ先に届けておいたから、今日は外で食事を取りましょう。あんた達、学校はもうちょっと落ち着いてからでいいから」
 母の言葉に僕と姉は頷いた。
 僕は自分の部屋になる予定である和室に干してあった自分の布団を取り込んだ。柔らかく、暖かい布団に身を埋めていると眠気に支配され、そのまま落ちた。
 起きると夕方だった。あの寂しさを感じさせる柔らかい陽の光が僕の部屋にも入り込んでいた。部屋の窓から外を眺めると、山に沈もうとしている太陽の光と、見慣れない町並みが目に入る。
 僕は窓を開けた。すこし冷たい風が室内に入り込み、僕の頬を撫でた。目を瞑ると近くの公園で子供が遊ぶ声や、車の音、日常に包まれた音が耳に入り込んだ。
「起きたんだ」
 不意に姉が声をかけてきた。僕は振り向かずに、「うん」とだけ言う。
 姉は高校二年であり、僕とは三つほど離れていた。大人びた姉の様子を見るたび、三年後自分は果たしてこんな姿になれるのかと思う。
「どうしてこんなに違う街にいるのにみんな同じ様に見えるんだろうね」僕は言った。
 姉は僕の横に来て一緒に町並みを眺めた。吹き付ける風に気持よさそうに目を細めながら大きく深呼吸する。
「それは私たちがその街に馴染んでないから。長いこと生活すると、同じ様な街でも全然違う匂いがするもんよ」姉が落ち着いた声で言った。
「どういう意味?」
「その街にしかない空気ってあるでしょ、ああ言うのが体に浸み込むのよ。遠くから聞こえる工事の音とか、電車が走る風景とか、街灯があたりを照らす様子とか、そういうのが体の一部になって記憶を充たしていくの。だから人は故郷に帰ってきた時懐かしいって感じるのよ」
「でも僕は、そんな感覚ないよ」
「私たちはよく引っ越すからね。そういうのとは無縁かも。でもその分たくさん友達は増えるし、色んな光景を目に焼き付けられるし、考え方によっては有利なのよ」
「それでも、僕は一つの街にずっと住んでいたかった。姉ちゃんの言う匂いや空気や音が僕の中に故郷を作ってくれてたら、僕はきっと幸せだったんだよ」
「じゃあアンタは今幸せじゃないの?」
「不幸とは思わないけど、幸せとも思わない」僕はそう言うと鼻から息を吸い込んだ。どこかの家から煮物のにおいがする。そんな匂いを嗅ぐと、無性に泣きたくなった。
「懐かしいって感覚が味わってみたかったんだ」
「でもこの光景、どこか懐かしいと思わない?」姉が柔らかな微笑を浮かべて言った。
「……ちょっと。何でかわからないけど」
「夕日って不思議よね、どんな人でも懐かしい気持にさせちゃうんだ」姉は楽しそうに続ける。「私たちにとっての故郷ってね、この夕日なんだよ。引っ越すたびに新しい街並みが目に入るけど、同時に夕日も目に入ってた。夕日だけはどこに行っても変わらないからね。私たちは『ここが』じゃなくて『ここも』故郷って言えると思うんだ」
「そうかな」
「そうよ」自信満々に正面を見つめる姉を見上げて、僕は微笑した。
「そうだね」
 そこで、母が僕らを呼んだ。夕食に出かけるためだ。
 昔から夕焼けを見るのがなぜか好きだった。それは、自分の故郷を眺めていたからなんだと思えた。音や空気が違っても、夕日だけは一緒だったから、僕らはどの街に行ってもやっていけたんだろう。
 夕日に照らされた姉の姿を見ながら、そう思った。
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