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あかいくつ(遅筆その2)

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『一日だけ足音を忘れさせてください』

 そんなネットの書き込みが気になって、俺はその書き込みの主とコンタクトを取った。足音とはなにか、一日だけ忘れさせてくれとはどういうことなのか。気になったことを彼女が建てたトピックに書き込んだ。こればっかりは流れとしか言えないのだが、とにかく俺は、彼女と会うことになった。俗に言う、オフ会というやつだ。しかしオフというほどの交流があるわけでもなく、俺達はただ、一言二言の言葉を交わしただけだ。それでも彼女は、俺と会いたいと言い出し、気になった俺は、それを了承した。
 待ち合わせは、みなとみらい、桜木町駅、ランドマークタワー側の出口。
 時間は昼の十二時。俺の腕時計は、十一時五五分を指している。目印は、お互いに持った横浜ウォーカー。休日ということでそこそこ多い人混みを、巨大スクリーンの前に立ち眺めながら、彼女を待っていた。ここまで彼女という呼称を仕様してきたが、そも本当に女性かはわからない。性別を偽ることなどネットでは簡単だ。まあ別に、彼女が彼であっても、俺には大した問題などないのだが。
 俺が求めているのは出会いではなく、究明。彼女が忘れたい、足音の正体。それが気になって、会うことを了承した。
 時間ちょうど。針二つが頂上を指した時、俺の耳に、かつかつと高い音が聞こえる。ハイヒールの音だ。目の前には、横浜ウォーカーを持った、白いワンピースに淡い黄色のカーディガン。赤いハイヒールを履いた、茶髪のボブカット。血管が透けそうなほど白く、不健康なほどに痩せた彼女は、俺を見て「ワンズさん、ですか?」と、俺のハンドルネームを呼んだ。その声はか細く、やっと聞き取れるものだった。
「ええ。あなたは、ステップさんですか?」
 頷く彼女。ハンドルネームは、ステップ。俺がネットの掲示板で出会った、足音を忘れたいと言う彼女。俺と同い年――二十歳そこそこくらいの年齢だろうか。
「うーん。ハンドルネームで呼び合うのって、ちょっとむず痒いですね。ここからは本名でどうですか?」
 その提案は俺にとってもありがたい。オフなんて初めてで、ハンドルネームを現実で口にされるというのは、居心地が妙に悪い。
「じゃ、ここからは本名でお願いします。俺はワンズこと、市原智也です」
「私はステップの、有島雅です。今日はありがとうございます」
「いえ。気になったもので。あなたの言う、足音について」
「気になりますか」
「ええ。かなり」
「まだ秘密です。なんか、教えたら帰っちゃいそうですし」
 クスクスと笑い、彼女はきょろきょろと周りを見渡す。俺はそこまで薄情に見えるのか訊こうと思ったが、その行動が目について、代わりに「横浜は初めてですか」と尋ねた。
「ええ。そうなんです。前から興味はあったんですけどね。智也さんは?」
「たまに来ますよ。歩くだけでも面白いんで」
「じゃあ案内は任せてもいいですね。私、ランドマークタワーに登ったり、中華街を見て回ったりしたいんですよねー」
「なるほど。今日一日付き合ったら、あなたが忘れたがっている足音の正体、教えて下さいね」
「いいですよ。最後まで付き合ってくれたら、ですけどね」
 いたずらっぽく笑った彼女は、早足でその場から離れると、少し距離を置いた場所から「まずはランドマークタワーに登りましょう!」と、そびえ立つ大きなビルを指さした。彼女を追って、横浜のシンボルであるそれに向かう。
 動く歩道を、コスモワールドという遊園地を横目に越えて、ランドマークタワーに入り、券売機で売っている入場券で高速エスカレーターに乗ると、すぐに展望台へとやってきた。さすがは高速というだけあって早いし、なにより揺れなかった。
「うわー……っ」
 エレベーターを抜け、展望台に出た彼女は、目を輝かせて、窓際へと走っていく。その足音は酷く楽しそうでだ。俺もゆっくりと、徐々に開けてくる景色を堪能しながら、彼女の隣へと歩み寄る。
「すごいですね。高いですね!」
 先程までのか細い声はどこへやら。少し大きめな声を出しながら、子供みたいにはしゃいで、窓の外を見ていた。
 広がる横浜の景色。遠くに見えるベイブリッジや、工業地帯。港。
「智也さん。あのヨットの帆みたいなビルはなんですか?」
「インターコンチネンタルホテルっていう、ホテルです」
「変な形してますねー。あっちの三つならんだ、大中小のビルは?」
「クイーンズスクエア。ショッピングモールですよ。あとで行ってみますか?」
「いいんですか?」
 頷く俺。「今日は案内しますよ」
「ありがとうございます。よっぽど気になるんですね、足音の正体」
「まあ、それもありますけど。こういうのは男の役目かな、と思いまして」
 くすくすと、口元を手で隠し、彼女は上品に笑った。
「今時そういう事を真顔で言う男性は珍しいと思います」
「そうですかね」
「ええ。ちょっと古臭いと思います」
「古いというのは、それだけでいいことなんですよ」
 俺は少しだけムキになって、子供みたいに拗ねたみたいに、そっけない言葉を口にしていた。それがまた彼女の笑壺を刺激したみたいで、また口元を手で隠し、声を押さえた上品な笑いを見せた。品の良い人だ。
「私も、そういうのは素敵だと思います」
「それはどうも」
 軽く頭を下げ、再び窓の外へと目線を向ける。穏やかな、抜けるような青空が広がっていて、眼前にはキラキラと輝くビル達が群れを成している。彼女はそれを、宝石でも見るようにして、窓に手をついて、横浜の街を見下ろしていた。
「あの、智也さん」
 それにも飽きたのか、雅さんが突然、景色から俺に視線を移した。
「お腹空きませんか? もうお昼は食べました?」
「ああ、そういえば、まだ食べてないな……」
 思えば、昼はどこかで済まそうと思っていたのだが、忘れていた。そうなると、空いた腹が突然に存在感を増し、胃に何か詰め込めと訴えてきた。
「じゃあスカイカフェにでもいきましょう。高い景色を見ながら、食事できますよ」
「それはいいですね。じゃあ、スカイカフェに」
 スカイカフェというのは、ランドマークタワー六十九階フロアにあるカフェのことだ。そこでは、地上二七三メートルの絶景と楽しみながら、コーヒーも楽しむことができ、俺達は、底の窓際、カウンター席に二人並んで座り、絶景を前にしながら、コーヒーと、軽めの昼食――俺はカレーライス。彼女はサンドイッチをそれぞれ頼み、食べた。景色がいいと、なるほど、普段より美味しく感じた。
「普段とは違う感じで、美味しいですね」
 彼女も同じ事を考えていたらしく、そんな事を言って、俺に笑いかけてきた。俺も、すこしだけ微笑んで見せ、カレーを頬張る。彼女もリスみたいに、両手でサンドイッチを持ち、少しずつサンドイッチを食べる。
 そうして、俺達は地上から遠く離れた庭園での昼食を終え、ランドマークタワーから降り、隣のショッピングモールであるクイーンズスクエアへと向かった。途中、畝る銀の柱を模したオブジェに彼女は感動したりしていた。そこで、服屋に入って、適当に服を見たりしながら、少しだけ話す。
「雅さん」
「はい?」落ち着いた、スカイブルーのワンピースを体に当てながら、鏡を見て自分とのマッチングを考えていた雅さんは、楽しそうに、こちらも見ずに返事をする。ワンピース好きだなこの人。
「随分楽しそうですね」
「ええ、こういうことは久しぶりなので」
「こういう?」
「ええ。出かけて、気ままに服を見たりが」
 今度は違うワンピースを手に取り、鏡の前で体に当てる。
「うーん……ねえ智也さん。どっちが似合うと思いますか?」
 先程のスカイブルーのワンピースと、黒いワンピースを両手に持ち、俺に突き出してきた。頭の中で彼女に両方を着せてみて、思案し、俺はスカイブルーの方を指さす。
「こっちですか。私もこっちが気に入ってました」
 ではなぜ訊いたんだろう。
 気に入った方を買えばいいじゃないか。そうは思うが、気持ちとしてはわからなくもない。似合わない物を買うわけにもいかないし。
「私は明るい色の方が好きなんですよね」
「まあ、確かに雅さんは明るい色のほうが似合ってると思いますよ」
 すると彼女は、花開くように、にっこりと笑い、「嬉しいです」とつぶやいて、そのワンピースをレジへと持っていった。

  ■

 そんなことを何度か繰り返すと、たくさんの紙袋が彼女の物となった。しかし、彼女がそんな物を楽々と運べるような腕自慢には見えず、結局俺が持つことになった。
「すいません智也さん……調子に乗って買ってしまい……」
 ランドマークタワーの前に戻ってくると、雅さんは目を伏せ、頭を下げた。
 俺は紙袋を持った手を前に出し、ひらひらと振る。かさばりはするが、言うほど大変という事もなく、だからそんなに謝られる理由もない。
「いやでも、私の買い物ですから、私が持つのが筋というか、道理なのでは……」
「いいんですって。ほら、昭和の男としては、当然ですよ」
 荷物持ちは男の役目、というやつだ。俺はギリ平成生まれだけど。
「ふふっ。またそんな古臭い事言って」
「どっちにしたって雅さんには持てないでしょう。ここは俺が持ちますから、次の目的地を決めてください」
「あ、それじゃあ、馬車道というところに行ってみたいんですが」
 馬車道。関内の桜木町側にある道路のことだ。所謂欧風の街並みになっており、開国当時、外国人が馬車で行き交っており、その姿を珍しがった人たちが馬車道と名付けた。
 そこに行くとなると、バスでもいいが、電車の方が早そうだ。
「じゃあ、電車で関内に行きましょう。一駅ですから、すぐですよ」
「わかりました」
 先ほどまで抱いていた罪悪感は消え失せたのか、彼女は俺の半歩後ろをついてきた。振り返ってはいないが、ハイヒールの足音でそれがわかる。やっぱり彼女の足音は、酷く楽しそうだった。楽しそうすぎて、すこし心配になるほどに。
 しかし、ここで俺が無用な心配をしても仕方がない。考えを破棄して、大人しく横浜を案内することにした。
 京浜東北線に乗り、一駅だけ行った所に、関内はある。
 電車を降り、改札を抜け、駅を出ると、みなとみらいからはガラリと雰囲気の変わった街が、そこにあった。一般的な繁華街のような街だ。すこしごちゃごちゃしていて、生活感が溢れている。桜木町周辺の整頓された感じも好きだが、俺はこの、関内の雑多な感じも好きだった。
「こっちの方は結構、人がいるんですね」
 物珍しそうに首を振っている雅さん。その評定はどこか嬉しそうでもある。
「こっちは繁華街ですから、遊ぶ場所も多いんですよ。馬車道、行きましょうか」
「はい!」
 関内駅から馬車道というのは、まあ少し遠いが、歩けないほどではない。
 横浜の散策は徒歩が基本だ。もちろんバスに乗ってもいいが、徒歩の方が景色を楽しめる。気になれば立ち止まって、その場所を眺め、観察することができるのだから。横浜は気になる景色が多い場所だし。
 だから、馬車道につくまで、彼女の好奇心が途切れることはなかった。「あれはなんですか?」「これはなんですか?」と、好奇心を満たそうとする子供みたいにはしゃいで、質問をたくさんしてきた。それに答えてやると、彼女は満足そうな笑みを向けてくる。その様は、俺にとって、少しだけ羨ましくて、少しだけ引っかかった。彼女の好奇心の源は、どこなんだろう?

 馬車道につくと、その好奇心は爆発した。
「智也さん! あの立派な建物は何ですか?」
 ミント色した丸い屋根の、茶色い外壁の建物を指さし、彼女は声を弾ませた。
「歴史博物館ですね。昔は銀行だったんだけど」
「すごいですねー。なんだか外国みたい」
「ここら辺は昔、外国人がたくさんいましたからね。そういう意味では、ある意味外国かもしれません」
「へぇ……なんだかワクワクしますねえ」
「そうですか」
 俺はまったくしないが。いや、すごい建物だとは思うけど。
「なんだか、こう欧風だと、『ローマの休日』を思い出しますね」
「あの、オードリー・ヘップバーンのですか?」
「ええ。私あの映画好きなんですよ。派手さはないけど、ロマンが詰まってて」
 なるほど、そうすると俺は、アン王女を案内するジョーということか。
「それにしても、横浜って観光地いっぱいあるんですね。なんだか少し疲れちゃいましたよ」
 細い体をしているのに、たくさんはしゃいでいたから、それも当然と言える。どう贔屓目に見ても、彼女は体力があるタイプには見えない。
「じゃあ、まあ、そろそろ暗くなってきましたし、晩御飯でも食べますか」
「そうですね。じゃあ私、中華街に行ってみたいんですけど」
「中華街か……。いいですね、んじゃあ行きますか」

 中華街は思いの外広い。関内、その次の石川町に跨っており、たくさんの中華料理家が軒を連ねている。
 実は中華街、地元の人間はほとんど行かない。利用するのはほとんど観光客だ。かく言う俺も、あまり行ったことはなく、案内できるほど美味い店は知らない。
 朱雀門をくぐって中華街へと足を踏み入れる。踏みれたばかりでは、まだまだ中華街という感じはしないが、歩を進めていくにつれて、段々と中華街らしくなっていくのだ。
「変なおみやげやさんがありますね」
 中華街の中心に近づいた辺りで、何かがまた、雅さんの好奇心に触れたらしい。彼女の視線を追った先にあるのは、土産物屋で、店前にあるカンフースーツが気になったようだ。
「ああ、まあ結構似たり寄ったりな品揃えですよ。持って帰るのが大変なくらい大きい、龍の置物なんかもあったりしますし」
「ふーん……スーパーボールのガチャポンなんかもありますけど……。スーパーボールの発祥って中国だったりするんですかね?」
「さあ……聞いたことないですけど。それより、何が食べたいですか?」
「あ、そっか。何か食べに来たんでしたっけ」
 困ったように、眉を潜めながら、俺の前に出て、ぐるりと体ごと回る。その時、何かが目に止まったらしく、彼女の動きが止まる。
「ああ、アヒルですね」
 店先に吊るされた鳥の肉。それは紛れもなく、アヒルの肉だった。
「あれアヒルなんですか。っていうか、アヒルって食べられるんですか?」
「食べられるんでしょう。結構美味しいって聞きますよ。っていうか、北京ダックとかあるでしょう」
 俺はまだ食べたことがないけれど、あんな風に店前に吊るしておくということは、美味いのだろう。
「智也さん。アヒルにしましょう!」
「そうですね。食べてみたいですし」
 そのアヒルの店に入ると、ウェイターがやってきて、席に通してくれた。店の奥、一番端という、ある意味いい席に通された。いい匂いがしてきて、空腹感が増したような気さえしてくる。
 メニューを選び、二人とも決まると、ウェイターを呼ぶ。先程席に案内してくれたウェイターがやってきた。
 北京ダックを中心に、適当な料理を頼むと、メニューの端にあった紹興酒が気になって、それも注文した。
「あ、私もお酒飲もうかな……」
「雅さん、お酒は飲む方ですか?」
「いえ、あんまり……」
「じゃあ紹興酒はやめたほうがいいですよ。クセがあるし……飲むなら、そうだなあ。杏露酒とか。杏の香りがするお酒だから、飲みやすいですよ」
「へー。じゃあ、それでお願いします」
 ウェイターは注文を取ると、会釈して去っていく。すると突然、それに引きずられたみたいに、雅さんも頭を下げた。「今日はありがとうございます。得体の知れない私に、横浜を案内してくれて」
「いや、俺も楽しかったんで、別に気にしなくていいですよ。ただ、いくつか気になったことはありますけど」
「気になったこと、ですか」
「その前に、こんな話知ってますか? 象は、足音で会話するんだそうですよ」
「……鳴き声とかではなく?」
「ええ。足踏みで信号を発し、足の裏でそれを感知して、コミュニケーションを取るんだそうです」
「そうなんですか。――でも、それが何か?」
「いや、別に。ただ、足音からわかることは、意外とたくさんあるんですよ。履いている靴の種類や、走っているか歩いているかだけではなく。今日のあなたの足音は、楽しそうでしたね」
「それはそうですよ。楽しかったんですから」
「光栄です。けど、少し、その。はしゃぎすぎているという印象を持ったんですよ。まるで初めて遠出した子供みたいな感じでした」
 なんだかミステリで、犯人役を追い詰める探偵みたいになってしまった。
 そんなつもりはなかったが、彼女も顔を伏せてしまっている。これ以上突っ込むのはやめたほうがいいかもしれない。
「そうですね。実はこうして出かけるの、初めてなんです」
「初めて?」
 その歳で? もう二十歳にはなっているはずだ。
「まあ、そこら辺は、私が忘れたい足音とも関係がありまして。多分、予想はついてると思いますけど」
 静かに頷いて、「まあ、一応は」と言葉を濁した。
 確かに予想はついている。予想というか、ほとんど確信だ。
「でも食事前にする話じゃないですね! この続きは、ご飯食べてからにしましょう」
 先ほどの沈んだ表情から、突然の笑顔。無理しているのがバレバレだった。
 足音を忘れさせる為に来たのに、どうも思い出させてしまったようだ。迂闊な発言を、少し後悔した。
 それからしばし無言で居た俺達の元に、料理と酒が運ばれてきた。
 暗い雰囲気の中、箸を進め、たまに気のない会話をして、味気ない食事をした。そこそこ高い中華料理だったのに、なぜか、昼間のカレーが恋しくなった。


  ■

 会計を済ませ、俺達は関内駅へと戻ってきた。関内駅の三番ホームに二人並び、お開きを迎えようとしているのだ。
「ありがとうございました。おごってもらっちゃって」
 中華街の料理は俺が会計を出した。こんな機会でもなければアヒルなんて食べなかったろうし、そういう意味で感謝を込めて、だ。それに、最後暗い雰囲気になってしまったのは、俺の迂闊な発言が原因でもある。だから、罪滅ぼし。
「じゃあ、足音の正体、教えます。多分もう、知ってると思いますけど」
「……言いたくないなら、無理しなくていいんですよ。そもそも俺は、それを忘れさせる為に来たんですから」
「いえいえ。報酬ですから。――私、病気なんです」
 やっぱりそういうことだった。俺は少しだけ後悔した。
「とは言ってもですね、手術すれば治るかも、なやつですから。不治の病ってやつじゃないですよ」
「そうなんですか?」
「はい。でもまあ、失敗する可能性もありますから、やっぱり怖いんです。今日は思い出作りってやつで」
「なんでまたネットで募集したりなんか」
「両親は反対するし、友達に話したら両親にバレますから。完全な第三者がよかったんです」
 そういう意味で言えば、確かにネットは効果的だ。遠く離れた第三者とコミュニケーションが取れるツールなんて、ネットくらいなものだし。
「そういうことですか……。じゃあ、今日はちょっと、無理させすぎたかな」
「いえいえ。楽しかったです。できればまた来たいです」
「それなら、また来るといい。俺は大抵いますから」
 彼女は、あの上品な笑いを見せてくれた。
 電車の到着を告げるアナウンスが鳴り、彼女は手を差し出した。
「じゃあ、また横浜で会いましょう。私も治ったら、きっと来ますから」
「待ってます」
 その時、ホームに電車が滑りこんできた。ゆっくりと速度を落とし、完全に止まると、ガスが抜けるみたいな音を立て、ドアが開いた。
 彼女は赤いハイヒールを上機嫌に鳴らしながら、電車に飛び乗って、俺に向かって手を振った。
「またいつか会いましょう、智也さん」
 ドアが閉まった。
 電車が動き出し、徐々に速度を上げ、ホームから出ていく。まだ手を振っている彼女に、見えなくなるまで手を振り返した。
 完全に電車がホームから出ていって、俺は次の電車を待つため、近くにあった冷たいベンチに腰を下ろした。
 きっと治って、また来るだろう。その時まで俺は、ここで待っていればいい。
 横浜は退屈しない街だ。きっと、俺が考えているより時間はあっという間に過ぎて、また彼女の楽しそうな足音と、上品な笑いが見れるだろう。
あかいくつ

 二回目の遅筆短編に出したヤツ。
 言うなれば横浜版ローマの休日。この頃から、『バッドエンドも書ける様になっておきたい』と考え始めて、こうなりました。この後智也は、来ない雅を待ち続ける事になります。という、自分の中ではバッドエンドな作品が精一杯だった頃。でもそれだったら生きてた方がいいよ、と、最近はもう手術は成功してるんだろうなって思ってる。
 そして、一回目にめっちゃ余裕の提出をしたので、これはデットラインを越えて出してしまった。反省。デートの描写は何回かやってるんですが、どうにも慣れない。デートって、恋人同士、あるいは当人同士にしか出ない空気感があって、それを再現するのが難しいんですよね。
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