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一日目/その3『ビューティフル・サンデー』

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 目が覚めるとそこはまっしろな病室だった。上半身を起こすと須田が椅子に座り本を読んでいるのが見えた。ベッドに足をかけ、スカートだったきっと限界までめくれあがっているような角度だったが、しかし彼はズボンをはいており、そもそも見たくなるような生足を有していない。
「お、おきたか」
 と奴は言った。
「あー。うーん」
 と僕は言った。というか、うめいた。まだ思考がぼやけており、上手く会話が出来ない。寝ぼけた子供のような僕を見て、須田はちいさく苦笑した。
「まあまだ頭はっきりしてないか。なにせドラゴンと真正面から視線ぶつけ合っちまったからな。まったくあの団長、なにが演出だよ。今は警察の事情聴取受けてるけど、また改めてお詫び来るって言ってたぜ。たっぷり慰謝料せしめてやれ。そんで俺に半分よこせ」
「……ドラゴン? 団長? なんだそれ」
 混乱。困惑。意識がぐるぐる渦を巻いているようだ。記憶がよくわからないほつれ方をして、しちゃかめっちゃかになっている。
「あー。そっから説明しなくちゃいかんか。そかそか。お前はさ、今日、サーカスのパレード見に来たんだよ。んで、駅前で先輩に会って、話してる内にパレードはじまっちまって、走って、人ごみばっかで、なんとか場所確保して、でも途中からで、ダルマで、でかくて、……いやあ、しかしあれはよかった。びびった。なんていうの? 迫力? いや、ちょっと違うか。なんかこう、胸に訴えかけてくるというか、頭ん中をめちゃくちゃにされるんだよな。俺、わけもなく泣いちまったよ。あんまり凄いもんだからさあ……」
「感想はいいから。うん。だいたい思い出してきた。で、そっからなんでドラゴンがでてくるんだ?」
「パレードのトリにドラゴンが用意されてたんだよ。檻に入れられて、目隠しされてさ。でも檻があっさり吹っ飛ばされて、俺らの前まで飛んできてさ。いやあ、格好よかったよな。見とれちまったよ。パレードとはまた違う感じ、というかさ。人間には到底思いつかないすごさだよ、あれは。……っと、また感想ばっかだな。んでさ、吠えたかとおもったら、急に目隠し外したんだよ。こう、頭を振って、鱗っつうか剣っつうか、そういうのでびりびり破ってさ」
「いや、そもそもなんで目隠しされてんだ? まずそこが分からん」
「知らんのか? ドラゴンの瞳は魔力を持ってる。視線を合わせただけで気絶しちまうんだ。だから目を隠す。世紀末の軍人は夜でもみんなサングラスしてたって話だ。……つっても、布が破れちゃ意味ないんだけどな」
「なるほど」
 須田の話でだいたいの展開は理解できた。パレードに行ったらドラゴンが暴れて僕は気絶した。単純明快だ。だいたい大筋に疑問はない。しかし。
「で? なんで僕はパンツをはいていないんだ?」
「あー、それはな……」
 須田が珍しく語尾を濁して、ふいに嫌な直感に襲われた。と、同時にドアが開き、先輩が部屋にはいってくる。
「須田くん、パンツ、洗ってきたけど、どこに干しとけばいいかな? ……あ」
 目が合った。先輩は恥ずかしそうに目を伏せた。
 状況が、すこし理解できない。
「なあ、須田。どうして先輩は僕のパンツを持っているんだ? できればなるべくショックの少ない言葉でやんわりと伝えて欲しい」
「あー、なんていうかな、その、ほら、気絶するとさ、よくするじゃねえか。なんていったかな? し、し、し」
「失禁」と先輩は言った。
「そう、失禁! それ! そういうわけだな」
 驚くくらいに単刀直入、簡単明瞭な言葉だった。僕は死んだ。
「しっきん……」
 鼻の穴から魂が漏れ出るのを感じる。下の穴から小便を漏らし、上の穴から魂を漏らす。僕はそういうちょっとどうしようもない人間になってしまった。いや、まて。
「あの、先輩。正直に答えてください」
「うん、なに?」
「漏らしたのは、小だけですか?」
 先輩はなんの脈絡もなく鼻歌をうたいだし、あからさまに話を無視した。それはどんな言葉よりも雄弁に出来事を語り、沈黙は心を突き刺すナイフだった。よって、僕はここにある格言を記そうと思う。――いくら語りづらいからといって決して沈黙してはならない。
 気遣いはときに凶器にだってなりうるのだった。
「いやあ、まさかコゲ爺の言葉が現実になるとはな……」
 ぼそりと須田が呟いた。よっぽど殴ってやろうと思ったが、先輩の前である。歯をくしいばり、殺意をむりやり押し殺す。ふかふかの羽毛布団の下、あまりに強く握った拳は爪がくいこんで血にまみれていた。
「あ、そうだ。ぼくは先生を呼んでくるね」
 気まずい雰囲気に耐えられなくなったのか、先輩は部屋をでていった。
「先生?」
 須田に聞くと、注射器のジェスチャーのつもりなのだろうか、奴はなにやら卑猥な手つきをしながら答えた。
「あ、ここ病院なんだわ」
「へえ、そうか」
 頷いて、僕はおもむろに立ち上がる。羽毛布団がずり落ちて、むきだしになった裸の性器がやけに涼しい。驚き、ひきつった表情の須田に、僕はそっと告げた。
「さて、死ね」
「は? おいおい、急になんなんだよおまぎゃああああああ」
 迫力のフルチン・キックをボディにきめて須田を沈める。その後、先輩が置いていったパンツを履いた。まだ生乾きだった。さきほどとままた違った意味で股間がひんやりと冷たい。思わずどうして人間が生きている意味について考え込んでしまいそうになった時、咆哮が聞こえた。
「てめえ、何するんだよ! 今回という今回はもう許さねえぜ。我が麗しの胡蝶拳、喰らいやがれ! うおおおおおおお!」
 そして僕らは殴り合いの喧嘩をはじめ、病室内を所狭しと立ち回り、打撃組み付き投げ寝技、腕をきめ、足を引っかけ、垂れた鼻血に思わず謝り、その隙をついて蟹挟み、あははは、となんだか楽しくなってきてなお殴り合っていると、やがて医者を連れて戻ってきた先輩に延々と説教された。先輩はいまどき正座させて説教する人間なので、僕と須田は足の感覚がまったく無くなってしまった。一部始終を呆れ顔で見ていた医者は一言。
「まあ、これだけ元気なら大丈夫でしょう」
 だいたいそんな感じであった。

        ○

 治療費はすべてサーカス側が払ってくれるらしい。すくなくとも受付のお姉さんはそう言っていた。そんなの当然だよ、と先輩が言い、保健きくのかなあ、と須田が言った。僕としても払ってもらえるのなら異存ない。
 病院の外に出ると、すでに陽は沈みかけている。
「あ、そういえば、あのあとパレードってどうなったんですか?」
「もちろん中断だよ。そりゃあ、ドラゴンが逃げ出したとなっちゃねえ。みんなあっちこっちに逃げ回るし、おまわりさんとか本当に余裕無い顔で、ばんばん鉄砲撃ってたし。すごかったよ。まさしく混沌! って感じで」
 先輩は危うい興奮に溺れて目つきがぎらぎらと歪んでいる。こわいので、一歩引いて距離を置く。
「いや、それにしても、こんな時間までわざわざすいませんでした。いろいろさせてしまって、申し訳ないです」
「いいのいいの。後輩はそんなこと気にしないでいいのです」
「そうだそうだ。そもそも俺たちってあれだろ? 友達だろ? なあ」
「いや、須田なんかを友達と思ったこと一度もないしそもそもてめえには感謝してねえよマスかいて死ね」
「こら、まだ喧嘩なんてしてるの? もう一回お説教しようか?」
「あ、すいません先輩。いえ、喧嘩などではありません。これは僕らの正常なコミュニケーションでありまして。な、須田?」
 須田はぶんぶんと猛烈な勢いで頭をたてにふる。蝕むような足の痺れは今やトラウマとなって僕らの心に刻みつけられているのだった。
「ふうん。ま、ならいいんだけどさ。……あ、ぼくはそろそろ塾行くんだけど、きみらはどうする?」
「あー、じゃあ僕もそろそろ帰りますかねえ」
「うん。きみはそうしたほうがいいね。お母さんに電話してたら心配してたよ」
「どうせ、医療費が大変だわ、どうしましょう心配だわ! とかなんとか言ってたんでしょう」
「……なんでわかるの?」
「わかります。余裕です。まあそういう性格の人なんで」
 僕はため息をついた。
「本人としては冗談のつもりなので、気にしないでください」
「まっくろジョークすぎてびっくりしちゃったよ、ぼく」
「妖精遣いはわりとあんなんばっかですからね。慣れるとけっこう面白いですよ」
「ああ、なるほど。そういえば妖精遣いだものね、ああ、そうだったね」
 と、先輩はしみじみ呟いて。
「えっと、帰ったらお母さんに謝っておいてくれない? ちょっと言い過ぎました、って」
「……まさか母さんにも説教を……」
「しました……。二時間くらいしました。電話越しに」
「うわあ」
 僕は母のことを思う。妖精を駆使し、三千世界をあまねく見わたす現代の魔女。まさか自分の息子と同年代の娘に二時間も説教をされるとは、彼女以外の誰も予期してはいなかっただろう。それが二時間延々と続くとは、彼女すらも予期していなかっただろう。そして、それでもなお、母がその状況を楽しんでいたであろうことは、彼女を知る者なら誰でも予期できるのであった。
「しかし母さんも相当ですけど、先輩もなかなか難儀なお方ですねえ」
「な、なに? 難儀ってなんなの? どういうこと?」
「いや、まあいいんですけど」
 まさか先輩の趣味が説教だとは思わなかった。僕は先輩の新たな一面を知り、人はそう単純なものじゃあないんだなあ、とうんうん頷くのだった。
「と、とにかく! お母さんには謝っておいてね。それじゃあぼくはこっちだから。また明日、部活で! 須田くんもまた会おうね。じゃ、さよなら~」
「「さようならー」」
 と先輩は右に曲がり駅へと向かってしまった。そうして、夕暮れの街中に男ふたり、ぽつんと取り残される。
「……これからどうするぜ?」
「ゲーセンでも行こうぜ?」
「いいんだぜ?」
 そうして僕らは駅前のゲーセンに行き、エアホッケーに夢中になり、UFOキャッチャーに金をごっそり吸い取られ、格ゲーに乱入しては返り討ちにされ、そこそこ楽しく過ごしてからそれぞれの帰路へとついた。

        ○

 陽は沈み、あたりは暗い街の闇。一面にひろがる夜が頬をなで、その冷たさが心地良い。息を吐けば、白。月高く、静寂がしいんと澄み渡っている。足音だけがやけに響く。
「……ドラゴン」
 呟きは、しかし路地の暗がりへと吸い込まれていった。
 気絶したのだという。ドラゴンの瞳の魔力によって。しかし、どうにも実感がわかない。記憶はいまだ曖昧で、もやがかかったように不明瞭だ。ふたたび息を吐く。白。白いもや。
 僕は今日おきたことを順に思い出して、記憶を整理する。目覚めたベッドの中、朝のニュースの内容、家を出た瞬間、うんこと叫ぶ須田、突然現れた先輩、間に合わなかったパレード、……そこからはよく思い出せない。いや、それだけじゃない。なにかを忘れている気がする。なにかとても大切なことを。
 ぎ……、ぎぎ、ぎ・ぎぎぃぃ……。
 ふいに、アスファルトの上を引きずられる、重い金属の音がした。
 どこかから聞こえる。確かに聞こえる。近づいてくる。鼓膜を震わせる。狂気の音。
 ――なんでも、でるらしいよ。
 ――聞く限りでは、例外なくぐっちゃぐちゃになってるって話だけど。
 ――凶器はたぶんバールだね。あれで滅多打ち。
 身構える。いつでも逃げられるように。反転し、全力で走り、大通りにでる。簡単なことだ。イメジトレーニングなどするまでもない。
 音は目の前の曲がり角から聞こえてくる。ような気がする。
 ぎぎぎ、ぎぃ……。ぎぃ……。
 来る。来る。来る。それは予感でも予想でも予期でもない。圧倒的な現実だった。
 足音がして、出てきた影は黒い。
 来た。確かに来た。それは来た。しかし、だけど、
「子ども……?」
 女の子だった。まっくろな、女の子だった。バールなど持っていない、ごく普通の。……普通の?
「あっ」
 瞬間、記憶が鮮やかにきわまって、思わず大声をあげる。
「あああああっ!」
 少女はきょとんとしたような顔をして、それから、にっこり、笑った片手をあげてなごやかに挨拶をしてくる。
「いよっす」
「う、うん。いよっす。……じゃなくって! おまえあれだろ? ドラゴンの背中に乗ってた! 何者? きみ、何者なん?」
「どうして関西弁」
「それはいいやん。ちょっとびっくりしすぎて思わずなだけやん。今はそういう問題じゃないやん。聞きたいのはきみがどうしてドラゴンの背中に乗っていたというその一点のみであって僕のことはこのさい無視してしまってください」
「……」
「……」
「……」
 沈黙。長い長い、そして終わりの見えない類の。少女はつんとすまし顔で、あからさまに視線をそらしたきりなにも言わない。少女がなにも言ってくれないので、僕の方もなにも言えない。そういった時間が、過ぎて、僕は痺れをきらし、まるで水面で息を吸う海獣のように、言った。
「あの、ごめんなさい、無視しないで」
「いや、しかし今さっき無視しろと」
「わかった。さっきの発言は全て撤回しよう。その上でもう一度聞きたい。きみは誰だ?」
「私の名前はタマハミだが。なにか用か?」
「たまはみ?」
「ああ。長いのでタマと呼んでくれてかまわん」
 なんだ。これはなんだ。どうにも話がかみ合っていない気がする。というか、そもそも少女自体がなにか景色から浮いている風体だ。黒いタンクトップはこの寒い季節においてどうにも妙だし、いくら上着の裾があまっているからといってスカートすら履かないのはどうかと思う。ももの半分までしか隠れていない。足下を見れば裸足につっかけだし、ここが日本でないのだったら、完全に乞食と見間違える格好だ。
「じゃあ、タマちゃん。名前以外にもなにか教えてくれないか?」
「タマちゃんはやめろ」
「わ、わかった。なんて呼べばいい?」
「タマちん」
「……タマちん」
「それでいい。で、なにを教えればいいんだ?」
 と、そう聞かれれば僕も困ってしまう。なにを。なにをだ? なにもかもだ。
「えっと、確かきみは、ドラゴンの背中に乗っていたよね」
「乗っていた」
「どうしてだ?」
 しかし少女は首を傾げ、きょとんと目玉をまんまるにしてあどけない表情。
「べつに、いつものことだが?」
「僕をゆびさしたようにも見えたけど」
 と聞けば、こんどはにっこり笑って、
「おまえのことを見つけたからな。あの人数から見つけるのは手間がかかった。ほめてくれ」
「……それはすごいな」
「あっはっは。やめてくれよ。照れる」
 なんだ。これはなんだ。話が見えない。まったく見えない。ドラゴンに乗っていたのだという。僕をゆびさしたのだという。それは確かなのだという。しかし言葉は日常のできごとを語るような調子で、昨日の夕飯はなんだったとか、だれそれの漫画が面白いだとか、そんな何気ない調子で、ドラゴン、稀代の幻想には決して似つかわしくない雰囲気だ。
「なあ、おまえは今なにをしてるんだ?」
 少女に声をかけられ、思考が中断する。
「いや、家に帰っている最中だけど」
「……じゃあ、暇ではないのか?」
「どっちかといえば暇かな」
「よかった」
 と少女は言って、僕の手を握り、ひいて、
「公園に行こう」
 と連れて行こうとする。
「公園? なんで?」
 と聞けば、
「トランプ遊びをしよう」
「いや、こう暗いと絵柄が見えないと思うんだけれど」
 なんて我ながらずれた返答をしたのは、きっと少女の雰囲気に呑まれてしまったからだ。が、そのぶん少女の会話用歯車にかみ合ったようで、彼女は、はた、と立ち止まり、
「たしかにそうだ」
 とうんうん頷く。なんだか、ようやくまともなコミュニケーションを取れたような気がして、達成感。
「そうだよ。だから――」
 公園に行くのはよそう、と言おうとしたところで、
「ならば、そうだな、鬼ごっこをしよう」
 とふたたびすたすたと歩いて行く。この場合なんて返せばいいんだ、なんて考えているうちに、近くの児童公園に連れ込まれて、僕は間抜けかなにかのようにキャッキャウフフと追いかけっこをしているのだった。全身全霊で走りまわっているのだった。体力が尽きるまで遊び続け、はっと気付いた時には時刻、午後九時二十五分。二時間以上も鬼ごっこにふけっていた。ふけりすぎであった。間抜けであった。まごうことなき間抜けがそこにいた。いや、無論、初めのうちは乗り気ではなかったのだ。だらだらと小走りで、ガキの遊びに付き合ってやっている、という風情だったのだ。しかし、タマちんと名乗るこの少女、割合身体能力が高い。ちんたら走っていては捕まえられない。そこでこちらも速度をあげる。すると向こうもあげてくる。そんなこんなしているうちに楽しくなってしまって、いつのまにやら童心に返りきって、気分は小学生。全力で追いかけ、全力で逃げきり、それが無性に楽しい。
 今はふたり、芝生に寝転がり、荒い呼吸混じり、お互いがお互いを褒め合い、もはやスポ魂漫画の主人公、ライバルの気分。
「子供のくせに……はあ、はあ、なかなかやる、はあ、はあ、……じゃないか」
「おまえも……な。はあ、はあ、はあ、見たところ、はあ、はあ、ひょろひょろとしているけれど……、はあ、はあ、まさか私の全力に……、はあ、はあ、ついてくるとは……」
 空にはすこし欠けた月。白銀の月だ。さっきからパトカーのサイレンがうるさいな、なんて思っていると、この公園にも一台、赤いランプ点滅させながらやってきて、警官のひょろ長い影法師が、言う。
「おい、きみ、そんなところで何やってんだ」
 声には聞き覚えがあった。通学途中の交番、いつもやる気なさげにぼーっと空を眺めている、平和な時代の象徴みたいな若い警官だ。小さい頃、といっても小学生くらいの頃だが、幾度か飴を貰ったことがある。
「あ、ちょっと遊んでいて」
 久しぶりに会ったな、とすこし嬉しく、にこやかに返事をする。が、
「もう遅いから、さっさと帰りなさい!」
 言葉にはわずか怒気がこもり、なぜ公園に寝そべっている程度でそこまで言われなければいけないのか、多少反発も覚えつつ、
「すいません。すぐ帰ります」
「おお、頼むよ。充分に気をつけて帰るんだぞ」
「はーい」
「あ、それと、なにか怪しい人物は見かけなかったか?」
「怪しい? いや、ここらには全くですね」
「そうか。なにかあったらまた連絡してくれ。じゃあ、また」
 と、それきり、手も振らないまま警官はパトカーに乗り込み、どこかへ走り去ってしまった。そういった態度が従来の警官のそれと繋がらず、しきりに首をかしげていたが、こういった問題は考えて理解するようなことではない。あきらめ、少女に声をかける。
「というわけで、僕はそろそろ帰る。きみの家はどこだ? 送ってくぞ」
 しかし、返事はかえってこない。はっとして辺りを見わたすが、彼女はすでにどこにもいない。
 ――怪しい人物。
「はっ」
 ふと沸いた妄想を鼻で笑い、僕は家に帰っていく。結局彼女がなにものなのか、聞きそびれてしまったが、まあ次会ったときにでも聞けばいいだろう。なかなか楽しい時間を過ごせて、僕は満足だった。足取りも軽く帰路を歩む。

        ○

「おかえり、おつかれ、おそいぞ、この野郎」
 家に帰ったなり第一声がこれだった。
「うるせえな、息子が病院はいってたんだぞ。すこしは心配くらいしろよ」
「はっ。ドラゴンに睨まれたくらいでどうにかなる根性だからいかんのだろうが。貧弱貧弱! いいか、どら息子よ。男ならば強くあれ。これすなわち家訓なり。分かったな」
「これだから世紀末世代は! なにかにつけては根性、根性、根性だ。それ以外言葉知らないのか! ばか!」
「おいおい、母をなめるな。あとは、そうだな、愛という言葉なら知っている」
「息子に対する愛はねえのかよ」
「はっ。このマザコンが」
「死ね! くそばばあ!」
「てめえが死ね、うんこもらし男!」
「あ、おまえ、それを言ったな? それを言ったんだな? 今日という今日はもう許さねえぜ! 喰らえ、我が驚愕の胡蝶拳! うおっちゃあああああああああ!!」
「はっ。馬鹿め、きさま、飛んで火にいる夏の虫よ! 母の力、なめるでないぞ!」
 とか、まあ適度にじゃれあって、びんた一閃吹っ飛ばされて、その後、ラップもされずに放置されたテーブルの晩飯を食べ、風呂に入り、我が家でのんびり、今日一日の疲れをしっかりと癒した。

        ○

 布団に入るとひんやり冷たく、風呂上がりの火照った身体に心地が良かった。いろいろあったが、今日はいい日だった。と、僕は思う。明日もきっといい日だろう。うなずいて、ゆっくり眠りに沈む。

        ○

 通り魔がでたのだ。と、翌日、学校で、そんな話を須田から聞いた。
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