Neetel Inside ニートノベル
表紙

紐パン神様の研修
第一着「紐パン神様の降臨」

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   1

 俺、虎谷雄司が頭を悩ませてうんうんと唸っていたのは人に聞けばひっくり返るか、白い目で見られるような珍問ではあった。
 それは神様が紐パンを履いていた場合、その神々しさは保たれるか否かという問題だ。 
 俺がこんな事を言い出すのもちゃんとした理由があって、どうにかしてその理由を誰かに理解して欲しいと思えるほど疑問に思うことではあるのだ。
 もちろん理解してもらえるなんてこれっぽっちも、日本における小麦の食料自給率程にも思っちゃいないんだが。
……なあ、頼む。頼むから俺を白い部分がやけに多い変な目付きで見ないでくれ。
 俺だっていつも紐パンの事ばかり考えてるような変態ではないし、神様仏様にさえ紐パンの趣向を押し付けるような奴でもないんだ。
 そもそも紐パンが大好きって訳でもない。
 そりゃもちろん神様は紐パンが好きかと聞かれて速攻で頷く神様なんていて欲しくないし、ましてや神様が紐パンを履いているかと聞かれて本当に履いてる神様なんていて欲しくなんかはないだろう。
 そもそも、神様であるのならばもう少し神々しい物を着ている物じゃないか。
 天の羽衣とか、純白のローブとか、細やかな刺繍が施された衣装を着ていると考えるのが普通のはずだ。だけど神様がへんちくりんな格好、例えばスクール水着、裸エプロン、裸ワイシャツなんて格好をしてるなんて考えたくはないだろ?
 俺だって、そうさ。
 だけど、俺がそうも言ってられなくなったのにはちゃんとした理由があるんだ。
「ゆ~じ君、おはよ……ふぁぁ……」
 さて、春の気持ちの良い日差しを差し込んでくる窓から花弁の桃色に交じって緑色が見え隠れし始めた桜を眺めていた俺に、甘ったるく間の延びた寝起き声で朝の挨拶をしてきたこの少女。俺の家――虎谷神社に最近来たばかりの巫女、そして居候だ。
 見た目は俺の一歳下か、それ以下か。
 俺が十八歳の高校3年だから、年齢推定十七歳とはいえ、同じ年の他の大人びた女子と比べたら明らかに幼い。
 少し垂れ気味の大きく丸い瞳と、指でつつけばまるでバケツサイズのプリンが弾んだかのように震える柔らかな頬を丸顔気味の顔に張り貼りつけている。
愛嬌があって、可愛らしい顔だと言えばそうだが、まだ子供の年齢の俺から見ても、子供っぽい顔立ちだ。
 その身長は、170センチはある俺の胸の辺りにそいつの頭が来るくらいで、顎を少し下げるだけでその薄桃色の髪の頂点と、頭の上に浮かんだ金色の輪っかが見下ろせる程度の低身長ときたもんだ。大体150より下、という所だろう。要はちんちくりんだ。
 そいつは素肌の上に真っ白なワイシャツ一枚だけを羽織り、裸足に熊の足を象ったスリッパを履いている姿で寝ぼけ眼をこすっている。
「おはよう。ああ、それと……なんだ……」
 俺はそいつの頭の上で元気よく跳ね上がっているどころか、完全に天に向かって全てが逆立ちしてしまっているそれを指さした。
「寝癖酷いぞ、洗面所で直してこいよ。軽く閣下様になってるぞ」
「え、本当? うわ……」
 窓ガラス越しに悪魔教の教祖になってしまった自分の姿を見て、あんぐりと口を開いているのを俺は呆れた視線で見ていた。
 こいつの髪が金色だったら、「ありのまま今起こったことを話すぜ」とでも言ってやれたのだろうが、生憎こいつはまるで桜の花弁のような色だ。
 そう、桜。神社の邸内にある樹齢200年になる桜の樹が今のように葉桜をつけ始める頃ではなくて、満開になる一歩手前、おおよそ八分咲きくらいの頃だっただろう。
 その時に初めてこいつと出会った。俺があんなへんちくりんな疑問を抱くようになってしまった原因に。
 金の輪っかという言葉を言っておいてさりげな~くスルーしていたが、普通は人間の頭の上にそんな物は浮かんじゃいないのはご察しの通り。
 せいぜい死んだ人間が天国に行くと浮かんでたりするもんだが、ところがどっこい幽霊のように青ざめた肌はしていなくて健常者が持つような綺麗な肌色をしていて、しかもちゃんと触れられると来たもんだ。
 つまり幽霊とかじゃない、だけど天国に行った人間という所は否定はしない。しかし厳密にはほんの少しどころか相当な違い、蜂蜜をかけた胡瓜とメロンくらいの違いがある。
 単刀直入に言おう、こいつは神様なんだ。
「ちょっと髪直してくる!」
 さて、件の原因がトテトテタッタとフローリングの上を駆けていくあいつ――つまり神様に、俺は声を掛ける。
「慌てなくて良いぞ。ただでさえお前はそそっかしいんだから」
「大丈夫!」
……やれやれ、大丈夫も糞もないから言っているのだが。
 俺の心配を他所に、神様は洗面所のある方へと駆けて行く訳だが、やはりと言うのか何と言うのか、案の定バリアフリーもクソも無いこの家の床の出っ張りにつま先をおぶつけなさってお転びあそばせになった。
 その時に、あいつが着ていたワイシャツが思い切りめくれ上がり、何も着ていない白い背中と、俺がへんちくりんな疑問を抱くはめになった根本原因が顔を見せた。
 あいつの丸く小振りなお尻に貼り付いたピンク色の三角州だ。
「やあ、おはよう。お前も相変わらずだな」なんてそれに声を掛けて、悠長にそれをずっと見ている訳にも行かず、俺は頬が熱くなるのを感じながら慌てて視線をそらす。
「大丈夫って言った傍からそれかよ。ったく、気をつけろよな」
「えへへ……ごめんごめん。ゆ~じ君」
 俺に手を貸され起き上がる。めくれ上がったワイシャツを直すと、恥ずかしさで桜色に染まったプリンのような頬をぽりぽりと掻く桃色世紀末な神様。
 さて、このうちの神社の新米巫女、かつ春から居座ることになった居候、そして俺が神様と認めざるを得ない金の輪っか少女は何を隠そう(というか今は、ワイシャツで隠れてしまっているが)、真っ白なワイシャツの下に紐パンを履いている神様なのである。
 やれやれ、ほんとに俺だってこんなのが神様だって信じたくないぜ。まったくもう。

     

   2

 時は2週間ほど前にさかのぼる。
 まだ四月になったばかりの時分だ。
 春一番の強い風もようやく収まってくる頃には、物寂しかった桜が桃色に染まり始める。
 うちの神社も境内の桜が例年通りの時期には満開になっていた。
 舞い落ちてくる桜の花びらは、春の温かさの訪れを告げるその年で最後に降る雪なのかもしれない。
……なんて、そんな少しばかり格好付けた事でも言えれば良かったのだが。
「うぅ、さっぶいな」
 今年は四月になっても冬並の寒さが相変わらず残っていた。
 正直、春一番どころか春二番、三番と思い切り吹き付ける強い風は全然春の訪れを告げてくれているようには思えない。
 もしかすると今年はこの冷たく強い風が、除夜の鐘よろしく大晦日まで百八番ほど吹き続けるんじゃないかとさえ思えてくる。
「やれやれ、もう四月だと言うのに小笠原気団はまだ冬眠中なのか。地球温暖化はどこ行ったんだ。まったく、気団がニートになってちゃ社会問題どころじゃないな」
 そうだとも、地球が氷河期になったら世界的な問題なんだよ、これが。
 そんな事をぼやきながら、強風で散った花びらを竹ぼうきでかき集める。
 親父に境内の掃除を頼まれてまだ春休みなのを理由に、朝から始めたのは良かったが、これが昼まで経っても一向に終わる気配がない。
 虎谷神社は俺達が住む神谷市では、まさにザ・平凡。神社オブザヘイボンのベストヘイボニストに選ばれてもおかしくないくらいに、どこにでもある普通の、小さなボロっちい神社だ。
 そのはずなのだが、なかなか掃除が終わらない
「くそっ、何で終わらないんだ。もう三時間もやってるのに」
 それもそのはずだ。一向に片付かないのは、薄情な勁風が桜の枝を揺り動かしてくれるもんだから、片付けたはずの場所に花びらが落ちて大して広さのない境内を散らかし放題にしてくれるのが原因なのだ。
 このご立腹気味な風が機嫌を直してくれて、排除しては復活するこの広壮な花ござを一発で吹っ飛ばしてくれれば良いものなのだが、しかしながら、そんな事も望めるはずもないようだ。
 そんな事を考えながら、俺は傍らにあった桜の樹の幹を見上げていた。

 希求諸恋の桜。

 うちの神社の御神木だ。
 この、ずんどうで立派に育った桜に込められた言葉の通り。
 希求、得たいと願い強く求め。諸恋、互いに愛し合う。
 互いを強く求め愛し合う関係になれるよう、男女を結ぶ。
 虎谷神社が祀っているの神様のご利益は、今でこそ身体堅固、家内安全、商売繁盛、疲労回復、美肌効果、動脈硬化、発毛促進と色々よくわからない効能まで代々の神主に後付けされてきたものの、真のご利益というのは恋愛成就なのだ。
 つまりは縁結びの神様って事だ。
 昔はこの恋愛成就のご利益が信じられていて、この桜の枝には盛り沢山に縁結び絵馬が垂れ下がっていたらしいが、今はそんな様子は見る影もない。
 この桜が全部散る頃には春が完全に訪れる事と、ついでに進級して新しいクラスメイトと顔合わせを終えているだろう俺にも春が訪れる事を、少なからず願いたいものなのだが。
「ま、本当にご利益が本当なら、今頃うちの神社もこんなボロじゃなくて、綺麗な本殿が建ってるんだろうけどな」
 文句を言いながら、樹齢何百年かの図太い幹から背を向ける。
「ん……? 何だアレは……?」
 見上げてみると、勢いよく飛び出すように長く一文字に伸びた枝から何かがぶら下がっているのを見つけた。
 枝にぶら下がった桃色のそれは、頭の上を吹く風にゆらゆらと揺れ動いていた。
 それにしてもやけにでかい花びらだ。こう、まるで布みたいな。
「あのぶら下がってるのから生えてるの、紐か……? え、紐!?」」
 思わず俺は我が目を疑った。
 桜の花弁の色に交じるようにしてぶら下がっているそれは、本当に布きれだった。
 二枚重なった台形のひらひらした布、その角張った頂点二つ紐が繋がっていて、片方は蝶々結びだが、もう片方はほどけて風になびいている。
 それは巨大な花びらなんて珍しいものじゃなかった。
 枝にぶら下がっている布きれの正体に気づき、俺の顔がかあっと熱くなっていくのを感じた。
――紐パンだった。
 一応、間違いが無いように正確に言及しておこうじゃないか。
――サイドがリボンで結ぶデザインになっている女性物の下着だった。
「何でこんな所にこんな物が……!?」
 地べたに落ちてるのなら理解できる、いや、思わず何故こんな所に落ちているんだとツッコんでしまうくらいに理解できないが、そもそも何であんな場所に引っ掛かっているのか。
 この神社は高台の上、四方は林に囲まれたようなへんぴな場所だ。紐パンの持ち主のセクシーなお姉さん(できればそうであって欲しい)が住む近所の家から、洗濯済みの物が飛んできたと考えるのは不自然な事だ。
「うーん……、ずっとあのままにしておく訳にもいかないよな。境内の桜に紐パンがぶら下がってる神社なんてありえないしな……」
 思案する事数秒。
 以下が、脳内で繰り広げられた思考の模様である。

   第百八と三十六回 虎谷雄志の脳内会議

 議題「紐パンをどうするか」

 議長の俺 : じゃあ、この議題について何か意見のある俺は手を上げてくださ~い。
 他の俺全員: 取る!!(一秒)
 議長の俺 : 満場一致なので議会を閉幕しま~す。

 その間あれこれ悩んではみたものの、割と高速で執り行なわれた脳内会議は結局取る事で可決となった。
 いや、本当だって! 俺だって色々悩んだんだぞ!?
 俺の話を聞いているあんたは、悩みもせずに即決したと思っている事だろうけどな。
 い、いいか、一応否定しておくぞ、俺はあの紐パンが欲しかった訳じゃないんだからな。絶対そうなんだからな。
 な、何を勘違いしているんだ。そんな目で俺を見るなよ。
 御神木に紐パンがぶら下がっていたら、ご利益もクソも無い事ぐらいわかるだろ?
……すまなかった、本当は出来心だったんだ。
「この竹ぼうきで届くのか……? よっと、このっ、こなくそっ!」
 俺は手にした竹ぼうきで叩いて、枝を揺らす事にしたんだ。
「ひゃああん、揺らさないで! 怖いよぉぅ!」
 その時、誰かの叫び声が俺の頭上から降り注ぎ、俺の鼓膜を震わせた。
「ん? 何だ?」
 それは、だいたい俺と同じ年か少し下くらいの舌っ足らずな、高い声。幼さの残る可愛らしい雰囲気をした声だ。
 女の子の声だ、と俺は思った。
 よもやこんな声が男に出せるはずがない、試しに出してみせたとしても俺は男だとは認めないね。例え男が出していたとしても、聞いただけだったら女の子だと思うはずだ。
 しかし、その時の俺はそれを無視するようにバシバシバシと竹ぼうきで枝をリズミカルに叩いたんだ。まさか、あんな場所に何かがいるとは思ってなかったからな。
「ひゃっ、いやっ、揺れる! やっ、やめ……怖いぃ!」
「……上からか?」
 俺が声のする方に振り返って見上げた視線の先、桜の樹の幹が数多の細い枝に分岐している所、ちょうど人が登ってしゃがみ込むのにちょうど良いスペースがある。
 そこからさらに先、ちょうどピンクの紐パンが引っ掛かっている枝の根元に、それはもう大きな桃の実が成っていた。
 実は豊潤に育ち、その重みで枝をぎしぎしとしならせているように見えた。
 包丁を入れれば中から赤子が飛び出てきそうな程に成熟した桃ではあったが、何故かその桃は肌色をしており、人間みたいにすらりと脚が生えていて、膝の裏で枝を掴んでぶら下がっている。桃の頂点はずんぐりと成長してワイシャツが被せられており、そこから生えた二本の腕が枝を掴まんとばたばたと――
「み、見ちゃダメぇぇぇぇ!!」
「えっ、えぇっ!?」
 女の子の叫び声が俺の思考を遮った。そしてある事実に俺は驚愕する。
 桃が人語を喋った!! 
 そうじゃない。
 そもそも桜に桃が成る事自体がおかしいだろう。この場合、正解を言うなら
こうだ。

 人だ!! 女の子の身体の一部が桃になっている!!

 いやいや、そもそもそこはお尻だろうと。
 ま、それはさておき、何でこんな所にワイシャツ一枚しか着てない女の子が木登りなんかしているのか、それがいささか疑問ではあった。しかもワイシャツの下は何も履いていないのだ。
 俺は慌てて視線をいまだ片付かない花ござに落としたが、いまいち腑に落ちなかった。
 何で、何も履いてないんだ?
 というのか、そもそもそんな状態なのに何で木登りなんかしているのだろうか。
 まあ、そんな状況だったからこそ、昼間からあんな過激な光景を目の当たりにする事になってしまった訳だが、如何せん刺激が強い。
 特にその刺激は鼻の奥の粘膜とかを強く攻撃して、俺の顔の真ん中から赤色をした二本線で地面に向かって弧を描かせた。
 そうこうしている内に、ずるずると枝に掛けられていた女の子の脚が滑っていく。
「わわ、落ちるぅ!」
「あぶなっ……!!」
 そう言い出す頃には女の子は既に限界、桜の樹から逆落としになろうとしていた。
 俺は今にも落ちそうな彼女に向かって叫んだ。
「おい、聞こえるか!? 俺が受け止めるてやる!」
 腕を広げるが、彼女は俺の顔を見て怯えるようにふるふると首を横に振った。
「嫌……、絶対に……イヤッ……!! 鼻血出してシリアスに言われて信用できるわけないよ……! ぶっちゃけ、マジでありえないから……! 『崖から飛び降りて死んじゃえば良いのに☆』ってこれほどまでかっていう笑顔で言われた挙げ句、何度も鳩尾をブン殴っちゃえるくらいにありえないから……!」
 まったくもってひでぇ言われようである。
 俺は変態か、それ以上もそれ以下もなく変態か、見た目は紳士頭脳は変態か、まあ結局その程度にしか思われていないらしい。ともかくただの変態ということだ。
 力一杯の拒否の言葉を受け、俺は鼻から景気良く飛び出していた赤い液体を拭い去る。
「と、ともかくだ! このままじゃ危ないだろ!」
「飛び込んだら最後、一時の慰みに弄ばれるんだ……! あたしが裸にワイシャツっていう格好だから、それを良いように――」
「だああああ!! もういい加減にしろ! とにかく、飛び込んでこい!」
「う、うん……」
 おずおずと頷いて、枝に掛けた脚を滑らせ、彼女が落ちてくる。それに合わせて俺は彼女を抱き止めれるように腕を差し出した。
 重力に身を任せ、段々と速度を上げ彼女が近づいてくる。段々と視界いっぱいに広がっていく肌色の桃。
「へっ!?」
 いや、桃じゃない。
 丸見えになったお尻が迫ってくるのに、俺の鼻から熱を帯びた赤の二本線が吹き出た。
 それに気付いた彼女が叫ぶ。
「やっぱり、いやぁぁぁぁぁっ!! 見ちゃダメぇぇぇぇ!!」
「え、ちょっ……待っ……!? ぐげぁっ!!」
 鋭い衝撃が俺の神経を駆け巡るのに俺は蛙が潰れたような声を上げたが、何とか彼女を受け止める事ができた。
 ただし、空中でくるりと体勢を立て直した彼女が突き出した右脚を、顔面で。
 この状況を格闘小説の第一人者、夢枕獏先生を真似て表すならこうなることであろう。
 跳び足刀蹴り。
 みごとな攻撃であった。
「鮮やかな蹴り……だぜ……」
 俺は彼女の蹴りの素直な感想を述べ、
「ぐふっ」
 まるでこと切れるかのように俺の意識は天国の彼方へと旅立っていった。鼻から出た赤い物をまき散らしながら。
 そんなこんなでかなり酷い状況ではあるが、それが俺とあいつとの出会いだった。

     

   3

 俺が人事不省から立ち戻るのには寸陰、さほど時間も掛からず五体満足に覚醒することができた。
 いや、確かに五体満足ではあるのだが、俺の目の周りにはこってりと青アザができてしまっていた。
 その後、俺は彼女をこのままにしておくのもいけないと思い、本殿の御堂に上げた。
 もちろん、履いてなかった中身はちゃんと取ってあげてだ。
「で、お前は何であんな所に登ってたんだよ」
 俺の質問に、彼女はこう答えた。
「研修先に行こうとしてる途中で、落とし物しちゃって……」
「それで、その落とし物がうちの御神木に引っ掛かったという訳か」
「うん、風にさらわれていっちゃって、登って取ろうとしたんだけど……」
 失敗してへこむ子供のように彼女は目をしょぼ濡れさせ、ぺたんと座った上腿の間に挟まった、彼女の小さな体躯には不釣り合いなぶかぶかのワイシャツの裾をぐいと伸ばして当の落とし物を隠すようにしていた。
 よくもまあそんなご大層な物をぽとんと落とすことができるもんだ。
 そんな彼女の格好を見、俺は一つ長大息をもらした。
「まったく、そんな格好で外を出歩くからいけないんだろ」
「しょうがないよ、だってこれがあたしの制服なんだもん」
「制服? 俺にはどう見ても何かのコスプレ程度にしか見えんが」
 こんなのが制服だとは、どんな研修先なんだよ。
 実際、彼女の姿容は『珍妙』という言葉が脳裏に浮かび上がるほど、日常生活で一目もしたことがないものだった。
 彼女は雪白のワイシャツの下には紐パンしかはいていないのだ。
 ここでは、その「紐パンしか」というのがポイントだ。
 申し訳許りの厚みしかないワイシャツでは、包み隠された中の物が薄く拝見できてしまうのだ。
 さほど大きからず大きからず、小さからずという言葉をつけてあげられないほどに小振りな仲良く並んだ二つの丘、その頂上が小さく尖っているように見える。
(いや、それは色々とまずいだろ……こう、モラル的な意味でというのか……都市条例的な意味で……)
 実際じろじろと注視した訳ではないが、一瞥しただけでも明らかに上の方の下着は身に着けていないのがわかる。
 それを意識してしまうと、つい俺の頭の奥がかぁっと熱くなってしまうのは避けられず、視線をまともに彼女に向けられないところではあるのだ。
 だいたい、そんな格好では暖房のない御堂のうすら寒さの中では身震いしてしまいそうなものだが、彼女はその薄着を本当に制服だと思い込んでいるのだろうか恥ずかしげもなく、それでいて、寒いと感じてないのだろうかいたってへいちゃらな顔をしていやがる。こちらは例年通りの暖かさが訪れないから袴の隙間から入る冷たい空気に身を強ばらせているというのに。
 それだけでも珍妙ではあったのだが、更に気にかかったのは彼女の髪の色だ。
 座っていれば御堂の床にとぐろを巻くほど長いストレートロングの髪は、けったいな桃色に染まっている。一瞬、そういう色のカツラなんじゃないかと思えてくるほどだ。
 まあ、どこぞのイベントにでも行けばお目にかかれるかもしれない物でもあったし、ここまではまだぎりぎり寛容に受け止めることができる範囲なのかもしれない。 
 だが、中でもその見目姿が珍妙であると認めざるを得ない物は、彼女の頭上にあった。
「なあ、この輪っかいったい何だ?」
 俺が彼女の頭の上に浮かんでいる金色の輪っかを指し示すと、彼女は一驚した。
「えっ!? これが見えてるの!? 何で何で!?」
「え? 見えることがそんなにおかしいのか?」
「だって、これは普通は見えない物なんだよ!?」
「どういうことだよ」
「えっと、それは……」
 言いかけ、彼女の言葉が淀む。
「言えないことなのか?」
 俺が聞くと、彼女は棒を折ったように口を開いた。
「あたしが……神様だから……」
「神様……だぁ?」
 彼女が言い出した言葉があまりに突拍子もなくて、思わず俺は笑止顔を浮かべるしかなかった。
「冗談きついな、ぶかぶかのワイシャツ着た女の子が神様だなんて。そんな事言われて信じるわけないだろ」
 俺が一笑に付すように言うと、彼女は顔を寄せてきて、真剣な表情をした。
「この輪っかは神様でしかつけられない物なの。それに、普通の人間では見ることはできないの」
「どういう意味だよ」
「だって、これは人間の世界の物じゃないから人間は見えちゃいけないんだもん!」
「実際にこうやって俺が見えてるじゃないか。だったらお前の言う反対だろ。これは人間の世界の物なんじゃないのか?」
「本当に違うんだって。触ってみればわかるよ」
 そう言って、彼女はこくんと頭を下げて俺の眼前に金の輪っかを招いた。
 これを触れということらしいが、こんな物触っていったい何の意味があるというのか。
「あれ?」
 触れようと手を伸ばしてみるが、確かにそこに存在して見えるはずなのに、俺の手はその輪っかを掴むどころか触れることさえできず、素通りしていく。
「何でだ?」
 何度も触れてみようとするが、やはりまるでそこには何もないように、虚空を掴むかのように掌は通り過ぎていくのだ。
 しきりに頭をかしげてみるが、ホログラムか幻覚か、それとも明後日の方向から考えて超局地的に彼女の頭上のみで湧き起こっている蜃気楼か、ともかく理由がわからない。
 あれこれと潜心する俺を前に、彼女が頭を上げた。
「触れないよ。だって、この輪っかは神様の勲章みたいなものだもん。人間の
世界の物質じゃなくてあたし達の世界、天界(パラデイソス)の物質なの」
 俺は聞いたことのない言葉に頭を捻る。
「パラ……なんだって?」
「パラデイソス、神様の世界のことだよ。天界(パラデイソス)の物は知覚することしかできない概念的な物だからね。なんでキミに見えるかは、あたしにもわからないけど」
「うーん、言ってることがよく理解できんが。つまり、どういうことなんだ?」
「この金色の輪っかが神様である証明書なの。早い話が神様免許だよ。これは天使と神様にしか見えない特別な物なの」
「ふーん、なるほどな」
「これであたしが神様だってわかってくれた?」
「まあ、信じるしかないみたいだな。だけど、輪っかの隅についてるこれ何だ?」
 俺は金の輪っかの隅っこについた初心者マークを指さして言うと、彼女はびくりとうろたえた。
「はう!? そ、それは……神様の初心者マーク……」
「それは見ればわかるよ。この初心者マーク、どんな意味なんだ?」
「えっと……、それは……研修中の神様がつける物で……。えっと……その……ああ、もう! つまりあたしはまだ本物の神様じゃなくて、神様見習いなの!」
 彼女が顔を真っ赤にして叫ぶ。
 多分、見習いと言わなくちゃいけないのが恥ずかしいのだろう。
 なるほど、つまりこいつはまだ『神様(仮)』などというまっこと中途半端な状態にあるらしい。
「その神様見習いがいったいここで何しに来たんだ? 研修先がどうとか言ってたが」
「うん、それなんだけど……」
 彼女が困り果てた表情を見せる。
「どうしたんだ?」
「うんとね、あたし、確かに見習いの神様なんだけど……」
「ああ」
「本当は言っちゃいけなかったんだけど、キミは何でか輪っかが見えるみたいだし、たぶん大丈夫……だと思うけど……」
 そしてまた言い淀むのに、俺は焦れったく思い、畳み掛けた。
「つまりどういうことなんだ? 言わなきゃ何もわからないぞ」
「うん……。研修中の決まりで本当は人間に自分が見習い神様だって言っちゃダメなんだけど……あたし、今度の試験で正式に神様になるために人間の世界で修行をすることになったの」
「ふぅん、なるほどな。それで?」
「だけどね……」
 そう言って彼女はうつむき、瞳を涙で潤ませた。
 思わず俺はそれに慌てる。
「わっ!? 何で泣き出すんだよ」
「だけどね……あたし……あたし……」
 溢れ出てくる涙が堪えきれず、彼女は大声で泣き出した。
「迷子になっちゃって、研修先の場所がわからなくなっちゃったのぉぉぉ!!」

     

   4 

 神谷市はそこそこの都市ではあるのだが、一言で言うと何もない。まだマシな言葉に置き換えたとしても、えらく広い上に所々に昔の雰囲気が残るような所と言及ぶことしかできないような土地だ。
 しかもそこそこの都市ではあっても特に大した観光できるスポットがなく、地元民からしても大して遊びに行けるスポットがない。そこに住まう者達から大いなる田舎と言われる由縁はそこにあるのだ。せいぜいあるとしたら、数えれば十指に余る程に存在する神社仏閣くらいだろうか。
 伊勢へ七度熊野へ三度。
 今時、そんな言葉が似合うような信仰心のある人も稀なのだから、結局の所何もないのと一緒なのだが。
 この女の子、もといワイシャツ紐パン姿の神様見習い――以後、神様(仮)とする――は研修先が書かれたメモを、紐パンをすとんと落とした拍子に一緒に落としてしまったらしい。
 今日の日没までには研修先に辿り着いておかないといけないらしく、それができなきゃ研修も受けることさえできずに、正式に神様になることでもできずに落第という素晴らしくも美しい現実を突きつけられているらしい。
 俺は何故か輪っかが見えるからという理由で、彼女に神様の研修先を探す手伝いをさせられる羽目になった。
 そりゃ、涙をぼろぼろ流した異性にお願いされて断れるほど、俺もろくでなしってわけじゃないからな。
 ま、早い話が「泣く子と地頭には勝てず」。いや、訂正。「泣く神様にも勝てず」、わんわんと泣く神様からの頼み事じゃ断るに断れないということだ。しかし逆神頼みとはなんとも珍妙な現象だよ、まったく。
 幸いなことに、その研修先というのは俺の家、つまり虎谷神社がある神谷市神領区の中にあるらしく、自転車の後ろに神様を乗っけてのご近所さんの探索と相成ったわけだ。
「なあ、本当にっ、お前のっ、研修先って……、神領区内にっ、あるのか?」
「グンゼだよ」
「は?」
 背中越しで荷台で脚をぶらぶらさせている神様(仮)の俺の問い掛けに思いもよらない言葉が返ってくるのに、俺は上り坂を抜けるのに立ちこぎでペダルに足を踏み入れながら、彼女に聞き返す。
「グンゼって、何っ、だよっ!?」
「グンゼ・ヒモパムーニ・ヨウジオスキー。あたしの名前だよ」
「グンゼの紐パンに、幼女好き……だと……!?」
「違うよ。グンゼ・ヒモパムーニ・ヨウジオスキーだよ」
「妙な、名前だなっ……! それにっ、やたら、長いっ……!」
「グンゼでいいよ。研修先はちゃんと神領区の神社だよ」
「でもっ、どこの神社かはっ、わからないんだろ!?」
「あたしの研修先の神社で祀られてる神様が、神領区での他の神様のお仕事を統括する業務を受け持ってるの。その人はあたしの教官だから、その人に会えさえすれば――きゃあ!?」
 坂を登り切って、立ちこぎのスピードのまま自転車の車輪が小石を咬む。荷台に乗っていた神様(仮)、もとい、グンゼが跳ねた。
 そのまま、ゆるやかな下り坂に差し掛かり、道は神領商店街の入り口へと続く。
 自転車が再び安定した走行に立ち直ると、グンゼが安堵の息を吐いた。
「ああ~、びっくりした……」
「大丈夫か? 落ちたりしてないか?」
「うん、大丈夫だよ!」
 後ろで健やかな返事を返すグンゼをからかってやりたい気分になった俺は、彼女に付言してやる。
「いや、お前の紐パンとかだよ」
「えっ!?」
 言われ、グンゼが慌ててぺたぺたと自分の腰回りを触って確認する。
 落としていないことがわかると、
「も、もう落としたりなんかしないよぅ! むぅ~~~~~っ!」
 グンゼが頬をゴム風船のように膨らまして文句をたれた。
 背後でぷりぷりするグンゼを余所に俺は自転車をすいすいと下り坂を抜けさせ、神領商店街の入り口の、どでかい鳥居に辿り着く。
 そこからは自転車を降りて歩きだ。
 神領商店街は、神谷市では祭りがある時期には一番人が集まるような所で、そこを中心にして枝分かれするような位置に多くの神社が存在している。
 俺は自転車を引きながら、隣をちょこちょこと歩くグンゼに聞いた。
「それで、その神様のお仕事っていうのは?」
「いわゆる神様の奇跡だよ。与えられた神様免許にもよるけど、神様は人間に奇跡を与えることをお仕事にしてるの」
「奇跡、なあ。具体的に何をやってるんだ?」
「基本的には人間のためになることをするんだけど、神様免許で認められたことしかできないんだ。たとえば、勝利の女神様免許だと奇跡の力で勝負に負けそうな人間達に勝ちをもたらしたり、商売の神様なら商売繁盛でお金回りをよくしてあげたり、かな。ゆ~じ君、あっちを見て」
「ん?」
 グンゼが指さす先に視線を向けると、そこにはセーラー服姿の高校生がいた。
 流れるように艶やかで、日光の下では薄く光を返す長い黒髪。それにつけて、清楚な目鼻立ちははっきり言って可愛いを通り越して美人、しかも絶世という冠詞を余裕でつけることのできる領域にまで到達するほどに色っぽい。
 だが、どこかが普通と違う。それは何故かと聞かれれば、彼女の眉目秀麗な顔立ちから視線を上に移すだけでその答えを返すことができるだろう。
 その子の頭上に、グンゼと同様初心者マーク付きの金の輪っかが浮かんでいたのだ。
「……あれも、お前と同じ見習い神様か?」
「うん。あの子は美の女神候補だけどね」
「美の女神候補? それはどんなご利益があるんだよ」
「特に何かご利益があるって訳じゃないよ。彼女たちはちょっと特別なんだ」
「特別?」
「あたしのように、神様学校普通科の、どこにでもいる普通の見習神様とかじゃなくて、美神科っていう……言っちゃえば人間の世界での芸能科みたいな物かな。美神科を卒業して正式に神様として配属される神達は、シンボルとしての神様らしく活躍できるように神としての勉学はもちろん、厳しい礼儀作法を叩き込まれたエリートなの」
 グンゼが解説するのに、俺はほうと一つ感嘆して言う。
「堀越学園みたいなもんか。まるで芸能人だな」
「美神科の出身の神様は、美男美女が多いから、正式に神様になったら神様らしい仕事をすることになるんだよ」
「そうだろうなぁ、紐パンを落として研修先が書かれたメモも落とすような奴とは違うよな。あっちの方が、神様だと言われても納得できる」
「むぅぅぅぅ!!」
 俺が話に水を差すのに、グンゼが柔らかなプリン頬をぶくぶくに膨らました。頬に指を押し込んだら、そのままブーとか言いそうだったが、やらずにおいた。
 グンゼは散々、『むーむーむーむー』と牛のような鳴き声をまき散らすと腕を組んで、これでもかというくらいに胸を張った。
 頑張ってその存在感を示そうとする小振りな物は、やはり小振りなままだった。
「神様の見習いになるんだって大変なんだよ? かなりの倍率を勝ち抜いて、神様学校に入校するんだから」
「お前もそんな倍率を勝ち抜いて来たって? 嘘くさいな」
「嘘じゃないよ。じゃあ、あれを見て」
 グンゼが次に指さした先に居たのは、犬を散歩させている爺さんだった。
 彼女の指先が示す位置に、俺は一瞬だけ首を傾げたが犬の頭上を見てその理由がわかると、浮かんできた疑問をとりあえず口にする。
「何で犬の方が神様なんだ?」
「神様はひっそりと人間の世界のどこかに紛れてるからね。姿が犬だったとしても別におかしくはないよ。だけど、あの子は神様じゃないんだ」
「神様じゃない?」
 じっと見てみるが、やはり犬の頭上には輪っかが浮かんでいる。グンゼとは違い、二段重ねになった銀の輪っかではあったが。
 俺はグンゼに聞き返した。
「じゃあ、一体何なんだ?」
「天使だよ」
「天使?」
「私も見習い神様になる前は天使だったんだよ。あの二段に重なった銀の輪っかあるよね」
「ああ、それがどうした?」
「銀の輪っかの数は天使のランクを示す物だよ。良いことをしてその結果を認められると輪っかが増えるの。あの銀の輪っかを五つ集めると、大天使様から金色の輪っかと交換して貰えて神様になれる機会を得ることができるの」
「銀を五つ集めると……? まるでチョコボールみたいだなぁ」
 しみじみと言う。
「向井?」
 きょとんとして、グンゼが間の抜けた言葉を発したので俺は思わず呆れ顔を向けた。
「意味わかって言ってんのかよ、バカ」
「バカじゃないもん。これでもちゃんと銀の輪っかを五つ集めて、自力で神様学校に入校したんだからね! えっへん!」
 自信満々に言うグンゼを見、俺はふと脳裏をよぎった疑問を言う。
「じゃあ、お前は何の神様なんだ?」
「えっ!? れ、恋愛成就の神様……」
 グンゼが先程とは自信なさそうに答え、
「になりたいんだけどな……。でも、本当ひどいよ……あんな適当な決め方ないよぅ……ぶつぶつ……」
「?」
 後ろに愚痴を付け足して嘆息すると、俺の耳に届かないような小声で文句を垂れる。
 そんなグンゼに疑問の視線を送ってやると、それに気付いて、
「あ、あはは! 何でもないから!」
 笑って誤魔化そうとした。その様子に脳裏の豆電球にピーンと明かりが灯った。俺は意地悪く笑った。
「どうせ、口に出せないようなしょうもない物の神様にされたんだろ。紐パンの神様とか」
「ぎくっ!」
……図星のだったらしい。
 俺の言葉ーー特に後半の方にグンゼが著しく反応を見せたのに、俺は更に付言する。
「しかもその理由がそれくらいしか特徴がなかったから、とか……」
「ぎくぎくっ!」
 どうもこっちも図星らしい。
 それにしても、こうもわかりやすい反応を見せてくれるとは、こいつも本当にわかりやすい奴である。そういうところが神様らしくなくて、逆に親近感さえ沸いてくる。
 今まで神様(仮)なんて言って悪かった、今度から神様(笑)にしてやろう。
「あたし、紐パンしか特徴がない訳じゃないもん……」
 涙目になっているグンゼ――もとい神様(笑)に俺はこれでもかというくらいに満面の笑顔を向けてやる。
「はは。悪かったよ、本当の事言ってな」
 桃色の髪に掌を置き、そっと頭を撫でてやった。
 神様(笑)からは、怒りの跳び足刀蹴りが返ってきた。

       

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