「おれは何かをやりたいと思ってるよ。とりわけ物語をつくることについて関心がある」
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はっきりとは判らないが、なんらかの理由により少年期をいじめられっ子として過ごした。少年期と言うのは、要するに小学三年あたりから中学卒業までという意味である。
その間どうやって暇を潰していたかといえば、父親の目を盗んでスーパーファミコンをやるか、自室に引き篭ってゲームボーイか、本屋に漫画雑誌を買いに行くか、ほとんどゲームか漫画かの二者択一であった。
テレビは祖父母と父親とがチャンネル権を把握していたため、全くと言って良いほど学校での「きのうのテレビの話」にはついていけなかった。そのかわり船越英一郎と降谷一行と片平なぎさの名前だけは覚えた。あと橋爪功。アーノルド・シュワルツネッガー、ニコラス・ケイジ、ジョン・トラボルタ、ハリソン・フォード。そういえば洋画劇場は家族ぐるみで観ていた。
ちなみに三倍録画のビデオデッキは深夜のエロ番組網羅の為に全力で献身してくれたわけであるが、学級の話題に乗り遅れぬため、ゴールデンタイムのトレンディなドラマや音楽番組を録画してまでチェックしよう、という気にはさせてくれなかった。と言うのも、依然としてチャンネル権は祖父母か父親の手中にあったのである。再生ボタンが押される機会は少なかった。
小学三年生、運動神経の絶望的欠乏により、放課後のサッカークラブにお呼ばれしたものの三日で挫折。そもそも根気が無く、呼ばれて参加しただけで興味すらなかったようである。根性無しとそしられ、仲間外れが一層顕著になってゆく。
外で遊ばず、家に引き篭って、この世に生を受けて四半世紀経ってしまった今んになって顧みると、現在の素地は小学三年生の時点で既に完成の域に達していたかのように思われる。
その他、エロガキであることに関しては、日焼けしたスポーツ刈りの少年と、髪を伸ばした色白の引きこもりとにも大した差はないものである。しかしながらスケベの方向性は、外向的であるか内向的であるかという区分に、前者と後者はそれぞれピタリと対応する。少なくとも経験上では対応した。中学校時代に耳にした彼氏彼女の閨事諸事情は、自身の内省的な態度を更に更に深化させて行った。
それ以降のことは今の私にほとんど関係がない。私にとって中学校舎は墓標のようなものである。憧れは、今でもその場所を漂泊っている。彷徨っている。
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前職は自動車整備業に勤めていた。今も大雑把にいえば自動車整備でめしを食っている。
整備に関して言えば、熱意だけでは最適な整備はできない。いくらやる気があれども、知識のない人間に、他人の命をあずかる仕事を任せられるわけがないのである。
だからといって整備に関する情報ばかり持っていても、その後の経験を、蓄えている情報と照合させ反映させることがなければ、知識として役に立たせることはできないように思う。経験のない人間も、知識のない人間同様信用ならない。
上のことは、しかし現場主義の経験さえあれば、即ち優秀な整備士であるとは必ずしも言えない、ということも暗示している。
職場の話になるが、実際に今の現場には年功序列で整備能力が判断されるらしい糞みたいな不文律がある。
様々の特殊な要因がこの工場にあるにしても、勤続年数が長いならば彼の整備能力が成長し続ける、などということは有り得ない。
肩書きに見合った責任を負わせると言う意味で、それは理に叶った運用であろう。しかしながら自動車は人命を乗せて動くということを忘れてはならない(理屈を知らない人間は常に最適な判断ができるとは限らないのだ)。
詳しくここに書くことを控える私の臆病が、いかにももどかしいくらいの反面教師たちとその組織図である。
話を戻して(しかし、また飛ぶが)、これは小説技法に関する個人的な印象として、そっくりそのまま反映できると思っている。
小説表現の物語は、ただ書いていれば上達する(=おもしろいと評判になる)わけではないらしく、創作に関する情報やヒントも、その利用法を実地に研究しなければ、すぐさま役に立ちそうにはないのである。こう考えると、上達とは継続の読み替えであることが容易に予想できる。
どうしてもあきらめきれない、という意味である。
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私の中の死んだ憧れが私に物語をつくれと命じたわけである。それが漫画でもなく動画でもなく詩歌でもなく舞踊でなく彫刻でなくその他の色々な創作活動をすっ飛ばして小説であるわけは、ただ単にノートと鉛筆があれば始められた、というアットホームな理由からである。
そもそも絵を描く技術がない。動画製作の設備もない。小説は文字を知っていれば始められる。小学六年生のときに初めて書いた話は、へんてこな服を着た少年がへんてこな博士にへんてこな機械によって異世界に飛ばされ、もとの世界に戻ろうと各地でだいぼうけんをくりひろげる話であった。未完の大作である。服装等々の設定画も描き殴った記憶がある。
中学生になると幼馴染みの女の子と放課後に連れ立って様々なぼうけんをくりひろげる話を書いていた。高校生のときは機械とパイプと蒸気と高炉の要塞都市で少年が悪の企業と対決する話や、相も変わらず幼馴染みの女の子と様々なぼうけんをくりひろげる話を書いた。いつのまにか三角関係になって、主人公の男が二人の女子に板挟みになっていた。
幽霊とか、つくもがみ的なものを題材にしたり、いたって健全な理想の大学生活を描いた話もあった。それらは高校卒業後に書いた。
新都社を知ったのはそのころで、投稿し始めたのはアルバイトで小金を稼いでネット回線を引いたあとの話である。それまで我が家にネット環境は存在しなかった。
そしてぼっこぼこにやられた。世界は広いんだなあと自覚し、泣きそうになった。つまりそれまでの自分の世界がいかに狭かったかを思い知らされたのである。そして泣いた。
その後現在に至るまで、安定の空気作家として街道を驀進中である。ペンネームは三度変更した。
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絵を描く技術がないので小説を書き始めたわけであるが、だからといって小説を書く技術を持ち合わせているということでもない。ただ伝達のための記号としての文字が、パソコン上で画一的に出力され、パッと見ではなんとなく様になっているようにみえることが、私をここまで自惚れさせた要因のひとつである。それは、罫線の引かれた大学ノートに書き綴っていた少年時代からずっと、物語としてなんとなくの体裁を保ち続けていたのである。
これが本当に落とし穴であり、平成二十五年4月4日木曜日午後8時ごろ、ほんのついさっきに気づかされた。考えもすれば思い当たるようなことであるが、情けない。盲点であった。
ただ続けていれば上達するというようなものではないらしいのである。
情報やヒントも実地に研究し尽くされねばすぐさま役に立つような代物ではないのである。
新都社に創作物語を掲載するという行為、目的は「面白いと言われたいため」手段は「小説」経験は「小六から書いてました」知識は「漫画とかゲームとか映画とか好きなんで大丈夫です」やる気は「あります。やる気だけはあります」
熱意だけあっても仕事はできないのである。純粋に熱意しか持たない人間のことを俗に自惚れといったりする。平たく言うとバカである。なまじ経験だけあって偏屈である。断片的な情報ばかり仕入れて頭でっかちである。真に役立ちうる知識を持たず、その方法を見つけ出す努力には無関心である。
新都社は企業であり、企業で評価されるものは技術ある職人の仕事である。技術ある職人とは経験と知識を兼ね備えた者のことをいう。経験とは言語を超越した閃きを与えてくれる素養であり、知識とは、雑多な情報を第六官や言語処理を通して応用の利くかたちに昇華させた唯一の道具、武器である。
素人は熱意しか持たないのであれば一向に評価されないままということである。熱意は、必ずしも創作の原動力になりうるものとは言えない。
そして私は熱意しか持っていないことを最近気づいたばかりなのである。熱意のみによってつくられた物語はその作者に対する関心を寄せはしても、それは物語の評価とはほど遠いものであることを理解しておかねばならない。
あんたがおれの文章を読むのも、きっとそういう理屈であろう。
だからもうそろそろさよならを言いたいわけである。みなさん白い犬はもうすぐ死にます。これは自らに掛ける呪いの詞である。