「夏だ!」
土曜の昼のマックの店内に、きょうこの少しハスキーな声が広がった。
休日の店内は、昼時ということもありかなり込み合っていた。四人の周囲に座っていた他の客が何事かといぶかしむような視線を送ってくる。
そんなきょうこの突然の奇声と、周囲の好奇の目に他の三人は気まずそうな苦笑いをしていた。
八月はもう目前に迫っていた。窓の外では駅前の街路樹でセミが必死の求愛活動を催行している。
学校はもう夏休みで授業が無いために、暇を持て余した彼女たちはこうしていつものマックに集結したというわけだ。学校帰りのワイシャツとは違い、涼しげな私服のいでたちである。
件のきょうこはといえば、白のショートパンツに薄いピンクのチュニックという組み合わせだ。とてもよく似合ってはいたが、折角の引き締まったウエストが隠れてしまっていた。
「……確かに夏なのは認めるが、それがいったいどうしたというんだ?」
きょうこの発声に対する問いを真奈がぶつける。いつもは制服をきっちり着こなしている真奈だったが、今日は淡い色のハーフパンツにキャミソールというなかなかに大胆な格好をしていた。
それでもどちらかといえば幼児に近いその体型は、悲しいことに決して色気を放つことは無かった。
きょうこは真奈の言葉を無視してもう一言声を発する。
「若さだ!」
またしてもきょうこ以外の三人は苦笑いをする。
「……とくれば、旅行だろー!」
これでとどめとばかりに、きょうこがコレまでで一番大きな声で吠える。
夏、そして若さとくれば旅行。よくわからない論理展開ではあるが、世の若者たちがこの時期に海に山にと旅をしているのもまた事実。
ようやくきょうこの意図を理解したサヤはこぼれ落ちそうな胸を持ち上げるように腕を組んで話し始めた。夏らしい白いワンピースが凹凸の大きなシルエットをくっきりと反映している。腰を下ろしている席の背もたれには麦わら帽子が所在無さげにぶら下がっていた。
「なるほど。きょうこちゃんは旅行に行きたいのね!」
「それで今日はあたしたちをわざわざ集めたわけかー」
これまた合点のいった様子の鈴の言葉によれば、今日の集まりの発起人はきょうこであったらしい。
まだ高校二年であり受験もずいぶん先である彼女たちにしてみれば、時間のあまりある夏休みにこういった誘いはなかなかにうれしいものなのかもしれない。
デニム地のショートパンツにカットソーという涼しげな格好の鈴は、ソファ席に深く腰掛けて背もたれに体重を預けていた。
「そういうことさー。せっかくの高校二年の夏休み! このまま地元にとどまりっきりで遊びほうけてていていいというのか! 否! みんなでどっか遠出して遊びほうけようぜー」
「うーん、確かに旅行はしたいんだけどなー。結局補修も免れたからバイトもできて、お金はなくはないし……」
夏休み突入前の試験でやらかしてしまった鈴だったが、運良く補修は免れていたらしい。鈴の金銭事情はきょうこも気にかけていたようで、すこし安堵したような表情を浮かべていた。
「……しかし旅行と言っても目的地に候補はあるのか? 私としてはあんまり遠くへの旅行は家族以外としたことが無いから少し不安なんだが……」
真奈が少し不安そうな声を上げる。見た感じ遊んでいるイメージの無い真奈であったが、見た目と内面のギャップはないらしい。
「……真奈。あたしたちはもう17歳だ! 法的に結婚も認められている! そんなあたしたちが自分たちだけで遠出の一つもできないでどうしようというんだ! 今までの臆病な自分に別れを告げようじゃないか……」
「は、はい……」
きょうこの突然の大演説に、真奈は目を丸くして大人しく従ってしまう。どうやらきょうこの旅行へのモチベーションは並大抵ではないらしい。
「それはわかったけどさー、結局候補地っていうのはどこなんだ? あたしは海がいいなぁ……」
「海! いいわねえ。でもあたしはちょっと山でキャンプとかしてみたいような気もするんだけど……」
鈴とサヤがそれぞれに自分の希望を口にする。海と山。夏のレジャーはたいていの場合このどちらかになる場合が多い。
「ふっふっふ……。海? 山? 甘い、甘いぞ鈴! そしてサヤ! よかろうあたしの考える候補地を教えてやろう! それは……!」
きょうこはそこで少し間を空けてもったいつける。
「盆地だ!」
人差し指を残りの三人に突きつけて、ばばん! という効果音のなりそうなポーズできょうこは宣言した。
当然ながら他の三人はよくきょうこの意図が飲み込めず、ぽかんとした表情で固まってしまう。
その状態からどうにか復帰してきょうこに尋ねたのはサヤだった。
「え、えと……盆地って、具体的にはどこに行くつもりなの? 」
「よくぞ聞いてくれたサヤよ。あるじゃあないか。日本が誇る都市で、毎年何千何万と外国人観光客が訪れるあの都市が……」
きょうこがあまりにも引っ張るので鈴や真奈はじれて来ていた。さすがにその気配を悟ったのか、きょうこもようやく結論を言う気になったらしい。
「京都だよ! そうだ、京都に行こう! ってやつさ」
「……たーらった、たーらった、たーらった、たったー」
京都行きの案を出すきょうこに大して、真奈がすかさず某JRのCMのBGMを口ずさむ。
「なるほど京都ね……まあ観光地だし、いいとは思うけどなんで京都なんだよ。夏だ! 若さだ! 京都だ! ってなんかおかしくないか?」
「確かにわりと若さとはかけ離れた感じの土地ねえ……。疲れたOLが行くイメージよね♪」
鈴とサヤが京都行きの真意をきょうこに尋ねる。確かに京都は一大観光地ではあるが、盆地であるために夏暑く、冬寒い。観光のピークは春と秋だ。
「もちろんそんなことはわかってるぜー。ただ新幹線で京都に行くだけじゃあ老人会の旅行になってしまうだろう……。そもそもあたしがなんで旅行に行こうと言い出したのか、そこから話す必要がありそうだなー」
きょうこはそう言うと、自分の鞄をごそごそとまさぐり始めた。少しして取り出したのは細長い一切れの青っぽい紙だった。
きょうこがテーブルの上にそれを置くと、真奈が素早く覗き込んだ。
「……これは、青春18切符だな。しかもあと4回分残っている……」
「その通り! 親戚のお兄さんにもらったのさ! 青春18切符で行くと言えば、やっぱり東海道本線で京都だろ!? どうせもらいもんだから、みんなにタダで使ってもらおうと思ってさー」
きょうこがうれしそうに言う。
青春18切符とはJRが発行している、一日だけ特急をのぞいてJR全線が乗り放題となる切符のことだ。11500円で5回、もしくは5人まで利用できる。
きょうこの持って来た切符は5回分のうち一回分が使われていたため、ちょうど4人分余っている計算になる。
「なるほど交通費タダか。そりゃあいいや。他にも行ける場所はあるだろうけど、切符の持ち主のきょうこが京都に行きたいならあたしはそれでいいよ」
「電車の旅とかすてきねえ……☆ あれ、でもちょっと待って」
交通費がかからないことにほくほく顔の鈴に対して、サヤは何かに気がついた様子だ。
「これで行きは行ったとしても、帰りはどうするの? さすがに鈍行で日帰りはできないわよね?」
「ふふふ、いいところに気がついたなサヤ君」
サヤの疑問に対しても、きょうこはちゃんと答えを用意していたらしい。またしても演説が始まってしまった。
「そもそもあたしたちは高校生だ! やはり贅沢はするべきではない。そこでこの切符を使って移動しようと考えたわけだが……確かにこの切符は片道分しかない。しかし案ずる事なかれ。コレは片道は片道でも、行きじゃなくて、帰りの切符なのさ!」
残りの三人はやはりきょうこの行った意味が分からない。青春18切符を帰りに使うのなら、行きはいったいどうするというのだろうか。
その当然の疑問を、真奈がきょうこに投げかけてくれた。
「……それなら行きはどうしようって言うんだ」
「そう! それだ! それなんだけど……」
きょうこはそこで一泊置く。これから発表する自分の提案が受け入れられる自信がないのか、少し不安そうな表情が混じっていた。
「自転車で行こうぜ!」
「「「……マジで?」」」
女子高校生4人による東海道中膝栗毛は、ここから始まった。