Neetel Inside ニートノベル
表紙

Fool in the Hole
ボリス・レーゲン

見開き   最大化      

 あいつは何も分かっていない。
 そんなことを何度も考えながら、私は何度も口を動かした。口に広がる風味とニコチンのおかげで、少しはイラつきも緩和されているのだろうが、それも微々たるものだ。何も根本的な解決にならない。
 男は”そこに穴があったら入れたい”生き物なのだ。その欲求を抑えるためにどれほどの労力が必要かを、あの女は分かっていない。
 イラつきと共に口内に溜まった唾液を吐きだす。そうしながらも、定時に酸素濃度、有害ガスの有無を細々と確認し、記録する。
 本日も地下都市はいつも通り、健全な環境が保たれている。それに反比例するかのように、私の心は荒んだままだ。
 公務員とはいえ、所詮は末端の下働き。下層階の連中から面倒事を全て任され、何かあれば市民の不満をぶつけられる様な役目だ。ストレスが溜まるのは仕方が無い。
 かといって、たまにストレスを発散させたかと思えば、浮気だなんだと妻に詰られる。もはや私のテンションのギアは、ローギアからバックギアにまでいきそうな勢いだ。
 そんな気持ちが下がっている時に限って、面倒な仕事というものは発生する。鳴り響く受話器のベルがその訪れを告げた。気乗りしないまま受話器を取り、用件を聞くと、私は新入りのジョージを連れて指定された場所に向かった。

 現場に到着すると青い顔をしたジョージが口を押さえながら、涙目で私に説明を求めてきた。
「ボ、ボリスさん!これは一体…」
「死体だよ。見ればわかるだろう?」
 血だまりが広がった床をまじまじと見てから、私は死体に近寄って腐敗具合を確かめる。すぐに申告されただけあって、そこまで腐敗していないことに私は安堵した。
「いや、でもこの死体達は…」
 まあ、はじめての死体処理でこれを見れば、うろたえてしまうのも無理はない。衣類は脱がされ、所持品はすべて奪われ、さらに状態のいい皮膚をほとんど剥がされている死体など、普通の生活をしていれば見ることはないのだから。
 報告によると、この死体達は懸賞金もかけられていないような小悪党だったらしい。そういった連中を賞金稼ぎどもに少しでも狩らせるために、殺した相手の所持品及びその肉体より発生する利益は、仕留めた賞金稼ぎが自由にしていいことになっている。大方、移植用の皮膚を取り扱う業者にでも引き渡したのだろう。死体の身元が分かるように、首から上と指紋部分には全く手をつけていない辺りは、流石はプロだ、と感心したくなる様な見事な手際だ。
「うっ、オゲェエエエ」
 ジョージが死体を見て胃の中のものをぶちまける。新人の仕事はまずこういった死体に慣れることと、自分の吐いた吐しゃ物の片づけと相場が決まっている。こいつは当分、肉は食えないだろう。
 私は死体を専用の台車に乗せ、血のこびり付いた床を洗浄する。こういった細かな衛生管理が、地下都市という閉鎖環境内では特に、厄介な病気や害虫などの発生を抑えるために重要なのだ。
 そしてこの死体の扱いにしても、我々の仕事に無駄はない。灰になるまで燃やし、後々肥料として使用することになる。資源の有効利用というやつだ。流石に食用作物の栽培には使われないらしいが、そこから先は私も知らない。案外街角に生えている街路樹の肥料等がそれなのかもしれないが、あまり深く考えない方がいいだろう。それは精神衛生上、非常によろしくない。
 一通りの作業を終えた頃にはちょうど昼時になっていたので、私は売店で買ったパンをかじっていた。いつもは妻の用意した弁当があるのだが、喧嘩中のため安い菓子パンで昼を手軽に済ませる。そして案の定、ジョージの奴は昼休み中、ほとんどトイレにこもりっぱなしだった。
 そんなジョージを見て、私も昔はああだった、などと考えるのは少々年なのかもしれない。
 しかし今では与えられた仕事を淡々とこなす日々だが、昔の私はやる気に満ち溢れていたのだ。
 150年前、太陽活動の弱体化により地上は凍りつき、生き物の生きることのできない死の世界となった。そんな中、人はあらゆる手段を使って、生き残ろうとしたという。宇宙空間で生活する方法を模索した者達、この星の大気組成を調整し気温の低下を防ごうとした者達、そして地下に潜ることで生きながらえようとした者達。
 その結果として、地下に潜った私たちが生き残ることとなった。しかし、それも全てが上手くいったわけではない。管理者と一般人の格差から来る不満や、技術的な問題によって起こる事故、人口増加による食料不足。それらが原因で壊滅した地下都市がいくつも存在する。最近では、この地下都市から最も近い地下都市が、市民暴動に便乗したテロリストのせいで全滅したというニュースがあった。
 こう言っては不謹慎かもしれないが、あのニュースは私達の住む地下都市”バルブシティ”には良い影響を与えたと思う。そのニュースが報道されてから、反体制派の行動がかなり制限され、私達環境整備局の権限もより一層強くなった。
 そんな時期に、私は自ら進んでこの仕事に就いた。皆の生きる場所を守る誇り高い仕事、先人達の努力を無駄にしないために今生きる人々を守る仕事。
 しかしやっていることは酸素濃度のチェック、機材の整備、死体の後片付けに清掃作業。そういった仕事に忙殺され続けていると、正直誇りだなんだといったものを考えたり感じる暇などなかった。人の思いは、志はいとも簡単に摩耗するのだ。
 そしてこの仕事は、時に命を奪わなければならないこともある。一応言っておくが、それは人の命ではない。動物だ。生物学者達や畜産業者が管理している動物以外は、すべて処分する決まりになっているからだ。
 死体の後片付けとは違い、動物とはいえ命を奪わなくてはならないのは、やはり心に負担が大きい。
 今日も2匹の野良犬が捕えられ、ケージに入れられている。
 ちなみに、見つけてすぐその場で殺さないのは、衛生面を考慮してのことだ。専用の部屋でまとめて処分すれば、清掃の手間も最低限で済む。
 そんな風に考えながら野良犬の入ったケージを眺めていると、見知った顔の客が来た。黒っぽい服にぼさぼさの頭で、死んだ動物の様な目をしたこの男は、ロイ・ウェアードという。こんな見た目ではあるが、そこそこ名の知れた賞金稼ぎだ。
 たまにふらっと現れては、捕獲された動物をはした金で買いに来る。勿論、捕獲した動物を売るようなことは規則違反なのだが、金をくれる上、処分の手間も省けるのだから断る理由もない。
「今日も…居るか?」
「ああ、犬が2匹だ」
 私がそう言うと、ロイは数枚の紙幣を私の机に置いて、ケージの方へゆったりと歩き始めた。
 はじめてこの男に動物を横流しした時、私は動物を買う理由を聞いたことがある。ロイ曰く、安い金で肉が手に入るから、だそうだ。まあ、つまりは食用に買っているらしい。
 ロイは犬達を薬で眠らせると、大きめの鞄に入れて運び出す。
「また頼む」
 そう言うとロイはここに来た時と同じように、ゆっくりとした足取りで帰っていった。
 私は空になったケージを見て、ホッとしていることに気付く。頬を叩き気合を入れると、私は普段通り仕事を始める。
 噛みタバコを噛んで少し落ち着いてくると、帰るまでに妻に良い言い訳を考えなければならないな、と思った。

       

表紙

興干 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha