――私が何をしたというの?――
そういう風に昔はよく考えていた気がする。でもそんなことに意味なんて無かった。つくづくそう思う。
ろくでなしの父が作った借金返済のために、原子力発電施設で働かされる羽目になり、好きでもない男達に体を売る毎日だった。
嬉しくもないのに笑うことを覚え、男の好むような仕草を学び、感じてもいないのにあえぎ声を上げる毎日。長く、苦しく、寒い日々だった。
私はそんな苦行に耐え、ようやく借金を返済し終えて地下都市へ帰るために大型エレベーターに乗った。
――なんで私ばかりがこんな目に?――
気が付くと覆面をした男達にコイルガンを突きつけられ、私達は大型エレベーター内で人質になっていた。
「悪いがあなた達には人質としてここに居てもらう。横暴な管理者に虐げられた我々の言葉を、意思を、地下都市全体に伝えるために!」
リーダー格らしき男が、声高々と人質達に話しかける。私達はただ怯えながら、エレベーターの隅で静かにその言葉を聞くしかない。
さっきまで抵抗をしていた警備員の人が、その男の足元で呻き声を上げる。リーダー格の男は警備員を一瞥してから再び私達の方へ視線を向けた。
「抵抗しなければ悪いようにはしない。だが、私達の邪魔をするならば…」
皆まで言う必要はないだろう、とでも言うように、男は私達を睨む。皆の視線が右腕を折られた警備員へと注がれ、ここに居るほとんどの人間が息を呑んだ。
そんな中勇気があるのか、無謀なだけなのか、人質の一人の青年が彼らに話しかれる。
「あの、ひとついいですか?」
「…何だ、言ってみろ」
反体制グループの男も暇だったのか、ただの気まぐれか、青年の問いを許した。
「私達を人質にとって、要求が飲まれなかったらどうするんですか?」
皆の視線が青年に集まる。そのほとんどが驚きと、非難の視線だ。
皆自分達の状況を明確に知るのが恐ろしいのだろう。勿論、私もその中の一人だったが。
「安心しろ。いきなりお前たちを殺すような真似はしない」
その言葉で皆に安堵が広がっていく。たとえその言葉を100パーセント信用することができないとしても、私達が捕らわれているという状況が変わらないとしても、心を落ち着かせるためには十分な材料だった。
「まあ、もし要求が飲まれなければ、我々が育てたこの虫をばら撒くだけだ」
リーダーらしき男は、彼らの後ろにある大きめのケースに目を向ける。
「虫?」
さっき質問をした青年が聞き返すと、リーダーらしき男はまるで酒場で軽く自慢話でもするかのように、笑いながら話し始めた。
「ああ、そうだ。虫だ。それも我々が培養した病原菌を数種類宿した虫だ。こいつが地下都市に広がり被害が大きくなれば、管理者はその責任を取らざるとらざるおえないだろう?」
場が静まり返る。
人間が地下へ潜ってから早150年。極力清潔に保たれた空間の中で人は生活し、あらゆる面で弱くなったと言われている。もしそんなものがばら撒かれれば、多くの死者が出るだろう。
「だが、ここのエレベータには隔壁が…」
「残念だが、今このエレベーターが静止している位置がその隔壁部分だ。それに管理者の連中にはこの虫のことを伝えてはいない。阻止は不可能だ」
その言葉を聞いて、私は静かに目を閉じた。
体の力が抜ける。
またか、という想い。
どれだけ私が頑張っても、どれだけ私が普通の幸せを望んでも、”理不尽”が全てを壊してしまう。
私が全てを諦めたその時、後ろから小さく暗い声が聞こえた。
「ふざけたことを考えやがって…!」
声は小さくとも、恐ろしく感情のこもったその声に私は恐る恐る振り返ろうと首を動かす。
その直後だった。
パリィン パリィン ガシャーン
そんな音がエレベーター内で響き、急に視界が真っ暗になる。
「え?」
「なに?なんだ!」
騒ぎ始める人々、その中には覆面を被った男達も含まれていた。
「と、とりあえず、明りを…」
覆面をした男達の中の一人がライトを取り出し、明りをつけようとしている。それに気付いたリーダー格の男が大きく声を上げた。
「ま、待て!やめろ!明りをつけるな!!」
その言葉は間に合わず、覆面男の一人が手持ちのライトをつける。
「へ?な、なん…」
――シュバッ
風を切る様な音と共にライトが地面に転がり、光はやや赤みを帯びて私たちを照らす。
「チクショウ!やられた!!」
「ど、どこだ!クソがああああああ!!」
覆面の男達は、大声を上げながらコイルガンを構えた。うす暗い視界の中、声を荒げて威嚇している。
シュバッ シュバッ シュバッ
「ギッ!」
「あああ!!」
「…ツッ、は!」
覆面の男達は無残にもエレベーターの床に崩れ落ちていく。彼らの居た場所には血の池が出来上がり、滑って転んだのか、撃たれて倒れたのかの区別もつかない。
数人の叫び声と床に倒れた音の後に訪れた静寂。怯える声と荒い息遣いだけががエレベーター内で響く。
「痛っぁ!!」
不意に腕を折られた警備員の呻き声が聞こえた。
私がうっすらと目を開けると、覆面男のリーダーが警備員を盾にしてコイルガンを構えている。暗がりや人影にコイルガンを向けては警戒し、挙動不審で切羽詰まった様子だった。
――カッツン
不意に金属音がエレベーターの隅で響く。皆の視線がそちらへ向いた瞬間、ひときわ大きい風切り音が、私の横で鳴った。
――シュバッァ!!
警備員の胸の辺りが大きく、赤黒く染まる。
「な、なんで…?」
そう言いながら、覆面の男は警備員と共に床に沈んだ。
私の横では金属の焼けた様な匂いを漂わせながら、大きな影が死体の方へゆっくりと歩き、手に持っていたコイルガンのカートリッジを入れ替えると、再び床に伏せっている彼らに2発ずつ発砲した。
皆が怯え、震えている中で、私はこの影の様な男性から目が離せずにいる。
理不尽を、不幸を前に諦めていた私とは違い”理不尽”をさらに大きな”理不尽”で塗り潰す彼が、私にはとても恐ろしく、そして羨ましく感じた――。