八月に転がる
赤坂桂馬
今までずっと都合のいい人生を送ってきた。小学校から野球にハマり、阪神タイガースの「湯舟敏郎」のカーブに憧れて延々とカーブを練習してきた甲斐があって、中学にはエースとして県大会で優勝を果たした。その成果があったせいか、全然勉強なんでできないのに高校にもすんなり入学できて、高校二年の夏に甲子園に出れることになる。
そこらへんで僕の中で野球の熱は完全にさめてしまっていて、もうあの白い球を見ることすらうんざりする。野球ができるからって、ボーっとしていながらポンポンとイイ感じの努力もせずに思い出を積み上げることは、なんというか釈然としなかったからだ。甲子園の一回戦で三年生の藤堂先輩が五回までで十二点も取られてマネージャーが泣きだして、控えでベンチに入っていた僕が、思い出作りになのかどうか知らないけれど監督に寂しそうな顔で呼ばれて七回表に白い球を握らされた時に、完全に野球から逃げだすことを決める。僕は得意のカーブと覚えたてのフォークとスローボールとそんなに早くないストレートで三振を三つ取って、ヒットを六発撃たれて、一点奪われた挙句、いつの間にか八回裏で最後のバッターと向かい合う。このとき点は十五対二。僕は最後のバッターがドヤ顔で僕の顔を睨めつけてくれたので仕返しに、そんな早くないストレートをプレゼントすることに決める。
もう野球をやめようと思っていたし、最後になんていうか「青春」っぽいものが欲しかったのかもしれない。一発目はバッターが避けて頭の上をボールが掠め、二回目にようやく肩に僕のそんなに早くないストレートが突き刺さる。
「ってえ!なんじょこりゃさらしんとんえなああああ!」
最後のバッターがバットを放り出してナニカを大声で叫んだあと、ヘルメットを地面に叩きつけてこっちを睨みながら走ってくる。坊主頭の日に焼けたごつい顔は本当に巨人の清原にそっくりだったので僕は「ハハッ」っと笑ってしまう。
「おどれなにわらっとんのじょああああ!」とキヨハラ君(仮名)が叫びながら握った拳を振りかざすのを見て、ちょっとビビる。殴られるのも嫌なので、ピッチャーマウンドのから二歩ほど助走をつけてぴょーんとドロップキックをしたら上手いことキヨハラ君の胸に当たりキヨハラ君が倒れる。スパイク刺さって痛いだろうなと思った瞬間にチームメイトや相手選手に捕まえられて、揉みくちゃにされてどっちが上なのかもわからなくなる。目を真っ赤にした藤堂先輩にドサクサにまぎれて腹を殴られたことは一生忘れないだろう。
結局、僕とキヨハラ君(松本竜君)は退場処分にされ、交代枠を使い切った僕の高校は放棄試合を余儀なくされて藤堂先輩をはじめとする三年生の夏は終わってしまったのでした。チャンチャン。
そして日本高等学校野球連盟によって半年間の出場停止処分と高校から無期停学を頂戴して、僕は野球をやめる。
野球をやめたら何かが変わると思っていたが、実際そうでもなかったようだ。心を震わす「一五少年漂流記」のような熱い冒険はなく、僕は友達と今まで通りワイワイと過ごし、先輩に目を付けられることを恐れ(実際は完全に目を付けられた)勉強もせずにグダグダと過ごし、いつの間にか卒業を迎えて、僕は近所の不動産会社でサラリーマンをすることになる。
いつの間にか、三二歳になってて、結婚して、子供もできている。おっさんになってようやく僕「赤坂桂馬」の物語が始められる。
僕が仕事から帰ってきたときに、もう娘の小萌は寝てしまっていて、僕はリビングで映画を見ている妻のあゆみに「ただいま」と言う。
「おかえりなさぁい。ご飯にする?お風呂にする?それともあ・た・し?」と僕が一人であゆみの真似をして声をひっくり返して返事をするとジャッキー・チェンを見ていたあゆみが目を細めて「きもー」と言う。「んじゃ、うんこしてくるー」と僕が最近『うんこ』というフレーズを気に入っている保育園年長さんの小萌の真似をすると、あゆみは「ブハッ」と笑う。僕はそれに満足して食卓に座る。金曜の夜というものはとてもテンションが高くなる。次の日が休みということは、それだけで僕の心を癒してくれる。
こんな単純でアホな僕と暮らしてくれるあゆみは高校の時の同級生で、甲子園のあの事件で僕が精神的に落ち込んでいると思い込んで、僕に色々気を掛けてくれたのがきっかけで、仲良くなり、付き合いだして結婚した。料理上手で、人当たりが良くて、夫を見てすぐに「きもー」と言う、素晴らしくやさしい妻である。映画を一時停止にして、料理を温めてくれているあゆみには今現在なんの不安もない。ふかふかの布団で寝ているだろう小萌にも同じくなんの不安もない。これが幸せなのだろうと思う。
ただ、最近の僕は何かおかしなストレスが心の奥でウズウズと疼いている。こんな順調な人生があっていいのか、大きな問題も抱えておらず、抱えたこともない順調すぎる生活があっていいものなのか、母の子宮の中であったかい何かにずーっと包まれているような幸福感を感じ続けて、僕は一体どうなるのだろう。そんなストレスが少しずつ蓄積されていっているのである。ただ順風満帆な生活を送っていることは確かなのだ。だから積極的に問題に頭を突っ込むようなことはしたくないし、しようとも思わない。
「ご飯食べ終わったら洗っといてね」「うん。ありがとう。もう寝るの?」「うん。明日お弁当作らないといけないし。」「そっか。おやすみ。あ、映画は?」「あ、忘れてた。映画観終わってから寝るわ。」「映画あとどのくらいあるの」「うーん。一時間くらいかな」「そっか」「桂馬も早くお風呂入って寝てね」「食べ終わったら入るよ」「了解」「映画観おわって僕がお風呂入ってたら洗い物……」「やだ」「ちょっとじゃん」「やだ」「何があっても?」「やだ」「あれだ!今度あ」「やだ」「早いなぁ」「やだ」「バック買ってあげようか」「やだ」「……」「……」「……引っかかってやンの」「意地悪」
僕はこれでとても幸せなのだ。満足しているんだ。と僕は思いこもうとする。不安はないんだ……。明日は家族で海に行く。僕も早く寝よう。
洗い物が終わって、早めに寝た僕は、いつもよりちょっと早めに起きて海に行く準備をする。僕より早く寝たはずのあゆみはまだ起きてこない。海で遊ぶための道具を僕は外にある物置から出そうとうっすらを明るくなり出した空を見ながら思った。懐中電灯を持って、倉庫を漁るときの気分はなぜかどこか知らないところで宝探しをしているような幸せな気分に浸れる。僕の趣味で集めたスポーツ用品ばかり入っている倉庫なのでお宝なんでどこにもないんだけどね。
キス釣りのための投げ釣り用品、ビーチパラソル、ビーチボール、浮輪、砂のお城を建てるためのバケツとスコップ、あとは大きめのクーラーボックス。確か水着は昨日あゆみが準備してくれたはずだから、このくらいあったら小萌も文句は言わないだろう。
一通り倉庫から遊び道具を出した後、少し奮発して買ったカメラが倉庫にあることを思い出して、僕はもう一度倉庫の中で懐中電灯を付ける。外はもう明るかったが、気分的に懐中電灯をつけたかったのだ。カメラは奥でほこりをかぶっていた。
クーラーボックスの中をざっと洗った僕は、一旦家に戻ることにする。玄関を開けるとリビングの明りがついていて、あゆみが起きているんだな、おもったら小萌が眠たそうに眼をこすりながら「おとーさん。おはよお」と言ってきて、ウワー可愛い。ピンクのウサギちゃんが描かれているパジャマも可愛い。一晩中惚気られるくらいに可愛い。
「おう。小萌。おはよう。ゆっくり寝れた?」
「うん!海楽しみだね!」
「そうだね。小萌はもうちょっと寝てていいよ。お父さんは準備してるから。」
「小萌も手伝うう!」
「そっか。ありがとうね。じゃあ、釣り竿を雑巾で拭いて、ほこりを落としてもらおうかな。」
「わかったぁ!」
「よし。任せだぞ。あ、お母さんはまだ寝てるの?」
「ううん。トイレ。」
「そっか。分かった。」
「うんこ!」
「なはは。小萌はあんまり汚い言葉言っちゃダメ―。」
「はーい。」
この子が大きくなったら美人になるだろうなぁ。反抗期来てほしくないなぁとか思いながら僕はあゆみのためにコーヒーを入れる。
きっと美味しい甘いコーヒーができることだろう。
田舎の一軒家から海まで車で一時間。赤坂家一同でお弁当を作ったり、いろいろと準備をした後、朝ごはんを食べ、車で出発してからもう二十分ほど経ったかな。運転手の僕はなぜかしらん、ドキドキしている。「ブルース・ブラザーズ」のサントラが僕のテンションを高めているのかもしれない。僕はジョン・ベルーシの真似をしながら海を目指す。
「あ。おとーさん。ケータイなってるー。」
カバンに入れて後ろ座席に置いておいた携帯が鳴りだしたようだ。小萌が運転座席の後ろをバフバフ叩く。
「おう。小萌。携帯出してお母さんに渡して。」
「はーい。」
「え。私開いてもいいの?」
「うん。急な用事だったらアレだし。」
「はい。おかーさん。」
「ありがと。」パカッ。「お父さん。松本の竜馬さんから。」
「お。竜馬か。なんだろ。ちょっと車止めるよ。」
「私が運転する。」
「頼むわ。」
車を停止させて僕はあゆみから受け取った携帯の通話ボタンを押す。そしてドアを開けて外に出る。
『もしもし』「おう。久しぶり。」『ヒヒッ。元気してるか?』「何事もなく。元気にしてるぜぃ」
松本とは甲子園のアレ以来何かと仲良くなって(はじめはとにかく恨まれてたけど)今でもちょくちょく一緒に飲みに行ったりしている。高校時代から変わらず、生粋の体育会系で、日焼けが染みついてしまったのか冬でも色が黒い。ガッツリ抉られた胸の傷のせいで「ニセ拳志郎」と呼ばれていたらしい。今でも筋肉隆々でプロ野球選手を目指している。そんなかわいそうな男だ。まぁ僕の数少ない親友の一人だと言えるだろう。
『でな。お前JEAって知ってるか?』「JEA?知らないな」『ケッ。田舎もんが。』
「お父さん。車出すから早く乗って」
「おう」ガチャ。バタン。
『お。今外か?』「家族で海行く途中」『だったら手短に話すわ』「そうしてくれると嬉しいな。」『JEAってのはジャパンエマージェンシーアーミーの略よ。最近特殊部隊が日本で組まれることになったらしくてな。俺召集されちゃったのよ』「え!お前戦争すんの?」『さぁ。それはわからんけど、なんか明後日から島根に行く。』「そっか。まぁ頑張れよ。」『んでよう。今車で兵庫まで来てんだわ。お前がいる鳥取でゆっくり酒飲んで祝賀会しようと思ってたんだけど。無理そうだな』「わざわざ神奈川から車でよう来るなぁ。」『へへへ。ホントは国から移動費からなにから出るらしいんだが、あえて車で行く俺の美学?』「お前らしいよ。」『また帰るときにお前ン家寄ることにするぜ。』「了解。まぁまたな」『ウィーっす』
カコッ。ツーツー。パタム。
「竜馬さん何て?」とあゆみ。
「りゅうのおっちゃん!うち来るの?」と小萌。
「なんかJEAだかの軍隊?に召集されて今から島根行くんだと。」
「あららー。大変じゃない。戦争するって?」
「りゅうのおっちゃん来ないのー。ぶー。」
「いやぁ。戦争するンかどうかは分かんないって。テレビでも新聞でもそんな物騒な話聞かないしなぁ。帰るときに家寄っていいかって。」
「家寄るのは構わないけどなんか心配だわ。」
「ヤター!りゅうのおっちゃんいつ来るのー」
「いつ来るかとは言ってなかったな。」
「ぶー」
あともう少ししたら海が見えてくるはずだ。竜馬の事は僕もちょっと心配だがあいつならなんでもヒョイヒョイこなしてしまうだろう。ひとまず僕の今の一番の問題は海ではじめになにをして遊ぶかだ。ブルース・ブラザーズいいね!ヘイ!バーテンダー!チキチキ。
「あ。おとーさん。ケータイなってるー。」
カバンに入れて後ろ座席に置いておいた携帯が鳴りだしたようだ。小萌が運転座席の後ろをバフバフ叩く。
「おう。小萌。携帯出してお母さんに渡して。」
「はーい。」
「え。私開いてもいいの?」
「うん。急な用事だったらアレだし。」
「はい。おかーさん。」
「ありがと。」パカッ。「お父さん。松本の竜馬さんから。」
「お。竜馬か。なんだろ。ちょっと車止めるよ。」
「私が運転する。」
「頼むわ。」
車を停止させて僕はあゆみから受け取った携帯の通話ボタンを押す。そしてドアを開けて外に出る。
『もしもし』「おう。久しぶり。」『ヒヒッ。元気してるか?』「何事もなく。元気にしてるぜぃ」
松本とは甲子園のアレ以来何かと仲良くなって(はじめはとにかく恨まれてたけど)今でもちょくちょく一緒に飲みに行ったりしている。高校時代から変わらず、生粋の体育会系で、日焼けが染みついてしまったのか冬でも色が黒い。ガッツリ抉られた胸の傷のせいで「ニセ拳志郎」と呼ばれていたらしい。今でも筋肉隆々でプロ野球選手を目指している。そんなかわいそうな男だ。まぁ僕の数少ない親友の一人だと言えるだろう。
『でな。お前JEAって知ってるか?』「JEA?知らないな」『ケッ。田舎もんが。』
「お父さん。車出すから早く乗って」
「おう」ガチャ。バタン。
『お。今外か?』「家族で海行く途中」『だったら手短に話すわ』「そうしてくれると嬉しいな。」『JEAってのはジャパンエマージェンシーアーミーの略よ。最近特殊部隊が日本で組まれることになったらしくてな。俺召集されちゃったのよ』「え!お前戦争すんの?」『さぁ。それはわからんけど、なんか明後日から島根に行く。』「そっか。まぁ頑張れよ。」『んでよう。今車で兵庫まで来てんだわ。お前がいる鳥取でゆっくり酒飲んで祝賀会しようと思ってたんだけど。無理そうだな』「わざわざ神奈川から車でよう来るなぁ。」『へへへ。ホントは国から移動費からなにから出るらしいんだが、あえて車で行く俺の美学?』「お前らしいよ。」『また帰るときにお前ン家寄ることにするぜ。』「了解。まぁまたな」『ウィーっす』
カコッ。ツーツー。パタム。
「竜馬さん何て?」とあゆみ。
「りゅうのおっちゃん!うち来るの?」と小萌。
「なんかJEAだかの軍隊?に召集されて今から島根行くんだと。」
「あららー。大変じゃない。戦争するって?」
「りゅうのおっちゃん来ないのー。ぶー。」
「いやぁ。戦争するンかどうかは分かんないって。テレビでも新聞でもそんな物騒な話聞かないしなぁ。帰るときに家寄っていいかって。」
「家寄るのは構わないけどなんか心配だわ。」
「ヤター!りゅうのおっちゃんいつ来るのー」
「いつ来るかとは言ってなかったな。」
「ぶー」
あともう少ししたら海が見えてくるはずだ。竜馬の事は僕もちょっと心配だがあいつならなんでもヒョイヒョイこなしてしまうだろう。ひとまず僕の今の一番の問題は海ではじめになにをして遊ぶかだ。ブルース・ブラザーズいいね!ヘイ!バーテンダー!チキチキ。
海はとても広くて大きくて、青かった。天気もとても良くて、遠くにある大きな入道雲がまるでお化けみたいに口を開いているようにはっきりと見えた。チリチリと音を立てそうな日差しはちょっときつかったけれど、ちゃんとビーチパラソルも用意してあったから大丈夫だった。
小萌もあゆみも水着になって、僕も海パン一丁で海に飛び込んだ。まだまだ僕も若いんだ!そう。きっとそうだ。ちょくちょく休憩を挟みながら、小萌に釣りを教え、あゆみと三人で立派な砂のお城を建築し、ビーチバレーをポンポンはずませ、浮輪に乗ったあゆみと小萌に水を掛け、アイスボックスの中に入っていたお弁当を食べ、うっかり砂のお城を踏みつぶし、小萌に泣かれ、ご機嫌取りにアイスを買って食べさせたりなんかしているうちに夕焼けになってきたので、帰ることにする。
あゆみと小萌の水着姿をカメラに収めることができたので、僕は満足だ。おっと。鼻血が。
まだ水際で貝を拾って遊んでいる小萌をチラチラと監視しながらあゆみと後片付けを始める。
「小萌は元気だなぁ」
「若いっていいわね」
「僕だってまだまだ!」
「もうおっさんじゃない。」
「いいや。まだ若いんだぁあ」
地元の小学生たちが砂浜野球をしていて、飛んできた球を僕は少年たちに投げ返す。とびっきりのカーブをかけて「おじさん。球めっちゃ曲がるで!」「すげえ!あんなんはじめて見たー」「ありがとう。おじさん」
「ほらな。」
なんて二人で話しながら僕らはビーチパラソルをたたみ、ビニールシートを巻いた。
オレンジ色に変わってきた空がとても美しかった。程よい疲労感と海の懐かしい香りが心地よく、ずっとこの瞬間が続けばいいなと思った。月並みだけど幸せだった。
「おーい。小萌帰るぞ!」
「はーい」
パタパタと砂を蹴りながら小萌がかわいらしくこちらに走ってくる。
「おとーさーん!」その笑みが何とも愛しい。
ゴガーーン。
真っ白い何かが目の前の小萌を呑みこむ。一瞬で視界が真っ白になって轟音にやられた僕は尻もちを付く。ぼんやりとした頭であゆみの方を振り向くとすごい目を見開いて絶叫しているあゆみがいる。
「こもえーッ!」
僕はまだ真っ白な余韻が残る小萌のいるであろう場所に叫ぶ。
雷だ
そう気がついたのは僕の前髪がチリチリになっていることに気がついたときだった。
小萌もあゆみも水着になって、僕も海パン一丁で海に飛び込んだ。まだまだ僕も若いんだ!そう。きっとそうだ。ちょくちょく休憩を挟みながら、小萌に釣りを教え、あゆみと三人で立派な砂のお城を建築し、ビーチバレーをポンポンはずませ、浮輪に乗ったあゆみと小萌に水を掛け、アイスボックスの中に入っていたお弁当を食べ、うっかり砂のお城を踏みつぶし、小萌に泣かれ、ご機嫌取りにアイスを買って食べさせたりなんかしているうちに夕焼けになってきたので、帰ることにする。
あゆみと小萌の水着姿をカメラに収めることができたので、僕は満足だ。おっと。鼻血が。
まだ水際で貝を拾って遊んでいる小萌をチラチラと監視しながらあゆみと後片付けを始める。
「小萌は元気だなぁ」
「若いっていいわね」
「僕だってまだまだ!」
「もうおっさんじゃない。」
「いいや。まだ若いんだぁあ」
地元の小学生たちが砂浜野球をしていて、飛んできた球を僕は少年たちに投げ返す。とびっきりのカーブをかけて「おじさん。球めっちゃ曲がるで!」「すげえ!あんなんはじめて見たー」「ありがとう。おじさん」
「ほらな。」
なんて二人で話しながら僕らはビーチパラソルをたたみ、ビニールシートを巻いた。
オレンジ色に変わってきた空がとても美しかった。程よい疲労感と海の懐かしい香りが心地よく、ずっとこの瞬間が続けばいいなと思った。月並みだけど幸せだった。
「おーい。小萌帰るぞ!」
「はーい」
パタパタと砂を蹴りながら小萌がかわいらしくこちらに走ってくる。
「おとーさーん!」その笑みが何とも愛しい。
ゴガーーン。
真っ白い何かが目の前の小萌を呑みこむ。一瞬で視界が真っ白になって轟音にやられた僕は尻もちを付く。ぼんやりとした頭であゆみの方を振り向くとすごい目を見開いて絶叫しているあゆみがいる。
「こもえーッ!」
僕はまだ真っ白な余韻が残る小萌のいるであろう場所に叫ぶ。
雷だ
そう気がついたのは僕の前髪がチリチリになっていることに気がついたときだった。
「小萌―ッ」
僕は真っ白な頭で娘の名前を叫ぶ。
雷で焼かれた砂浜は地獄のように熱く、四つん這いになっている僕は手と膝と足が酷いやけどになることが想像できたが、そんなことはどうでもよかった。
愛しい我が娘が少なくとも生きていることを祈っていた。
どうか神様、小萌を助けてください。どうか神様、僕から小萌を奪わないでください……神様……。
ゆっくりと白い光の柱が細くなっていってそこに小萌はいた。ペタンとお尻をついてポカンと僕の方を見ていた。火傷のあとすら見あたらず、僕はちょっと涙が出た。
「小萌―ッ」
「あ、おっさん。お前来週死ぬよ。」
「え」
小萌の口から小萌の声で変な声を聞いた気がした。僕の耳がおかしくなってしまったのかもしれない。僕は小萌の顔を見つめる。
「いやぁ。言いづらいんだけどさ。おっさん、あんた死ぬよ。って細木和子か!ハハッ」
小萌の可愛い顔は変わらなかった。その口が小萌の声で変なことを言っているのも確かだった。
僕はあゆみの方を振り返ったけれど、あゆみは気絶しているようだった。
「小萌?」
「小萌?じゃねぇよ。俺はあんたに予言をするために来たんだよ。だからお前は来週死ぬんだよ。どぅゆーあんだすたん?」
「……」僕はなんも言えない。頭の中が真っ暗になったようで、白と黒との点滅しかなかった。とっても変な顔をしているんだろう。
「ははっ。変な顔してんなおっさん。あんたは明日軍隊に呼ばれて、いきなり戦争に出されて必死に鉄砲持って逃げ回るけど、地雷踏んで手足無くなって芋虫してヒィヒィ言ってるところを戦車に踏まれて「うっせえええ!小萌はどこにやったんだよおらあぁあ!なめんどしばぐぞごらあぁ!」死ぬんだよ。」
小萌の顔をした何かは僕が死ぬことを伝えに来たらしい。本当の小萌はどこなのか。僕は廻らない頭で必死に考えながら、デッドボールを受けた松本竜馬のように叫んだ。理不尽なことに出会って混乱すると人は意味の分かんない言葉をしゃべるんだと思う。
「小萌ちゃんは生きてるよ。死んでるかもしれないけど、多分大丈夫だよ。」
「なんでだよ!」
「今は神様のところにいるから。」
「オカルトこいてんじゃねぇぞこの野郎!」
「ほんとだよ、あんたは日本の軍隊に入って神様を殺しに行くんだよ。軍隊が殺そうとしているのは偽物の神様だけど。ははっ。馬鹿だねぇ。はははっ」
「おどれなにわらっとんのじょああああ!」僕は小萌の姿に飛びかかるが、小萌の姿はロップキックで僕の胸を蹴る。僕はこけて、どっかで見たなと思いながら泣く。声をあげて泣きたかったけど、くやしくて声を押し殺して泣いた。息が詰まってしんどい。
「いいか?おっさん。俺があんたの所に来たのにも意味があるんだぜ。ってかそれが俺の本当の仕事なんだけど。」