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BLUE RUNNER
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 銀行に行かなくてはならない。起きたばかりの寝ぼけた頭でもそれだけは理解できた。頭をかきながら洗面所に向かう。鏡に映る自分は清潔感にかける長髪と不精ひげにつつまれていた。でも関係ない。ちょっと銀行に行くだけなのだから。
 六畳間のアパート。かなりの田舎で周辺には俺の通う大学しかない。だからちゃんとした買い物や雑事をこなすには歩いて30分ほどの駅のあたりまで行かなくてはならない。自転車があればもう少し楽だろう。だが少しくらい歩くのは苦ではなかった。足には自信がある。まあ・・・何よりも自転車を買うような金はないのだが。ここしばらくまともに栄養のある飯すら食えていない。大学生の一人暮らしなんてそんなもんだ。もう入居して4年目になるこの部屋はあまりにも生活感がにじみ過ぎていた。というより。
「―――きたねえな。」
思わずつぶやく。キッチンには食べ終えたカップラーメンの容器が散乱し、たまった洗濯物がうらめしそうにこっちを見ていた。そろそろ洗濯に行かなきゃな。そんなことを考えた。
 「やっぱり行きたくないな・・・。」窓から差し込む光はぎらぎらとしていて一歩外に出れば俺の背中を焼くだろう。だったら日のあたらない室内でだらだらしていたい・・・。俺の中の怠惰な心が耳元でつぶやく。体から力が抜けて、しきっぱなしの布団に寝そべる。このまま二度寝してしまおうか・・・。そんなことを考えていたとき、ふと顔を上げると壁に張り付いた古ぼけた習字が目に留まった。
 『最大の敵を己自身とせよ。』
俺が自分で書いて張ったものだ。俺の座右の銘である。・・・。めんどくさいがやっぱり銀行に行かないと・・・。こんなことで座右の銘に励まされるのもばかばかしい気はするが、怠惰な自分に克つという意味では間違っていないだろう。俺は布団から飛び起きた。
 服を着替えて荷物を肩にかける。中身なんかほとんど何も入っちゃいない古びたデイバックだ。靴を履いてドアノブに手をかける。一筋の光が入り込み、やがて広がった光が俺を包む。まばゆい光に目がかすみ、思わず顔に手をやる。いい天気だ。夏らしい鋭い太陽の光が不摂生な体につきささる。もう真夏日も10日は続いただろうか。
 と、そこで忘れものに気づく。あわてても仕方ないのでおもむろに部屋に戻り、カップラーメンの容器をかき分けて目的のものを探す。
 「ずいぶん使ってなかったけどな・・・。」
忘れ物を鞄に入れると俺は改めて太陽の下に躍り出る。行こう。
 
 アパートの階段を下りて道に出る。するとそこに見知った顔が歩いていた。
「田辺。」
俺が声をかけると気がついたそいつはこっち向かってやってきた。そのガタイの大きな一見粗野そうな男――田辺は口を開く。
「おいっす。珍しいな。こんな時間に。大学行くのか?」
けだるい声。お互い気が置けない証拠だ。
「いや、ちょっと銀行に行く。いまさら大学行っても仕方ねーだろ。」
「そうか。俺も駅までだよ。一緒にいこうぜ。」
そこで田辺がかなり大きな荷物を持っていることに気づく。そうだった。こいつは近々旅行に行くと言っていたっけ。ちっ。道楽野郎め。
「そうだな・・・。」
そういうと俺と田辺は肩を並べて田舎道を歩き始める。田んぼのあぜ道、とまではいかないものの、かなりの田舎道だ。なんとかアスファルトで舗装してあるが、まわりには田んぼと畑しかない。空は青い。雲は白い。そして乾いた地面もまた白く見える。この道をただひたすらまっすぐ行けば駅に着く。田舎ってなんでこんなに道がまっすぐなんだろう・・・。
 赤くて円柱状のポストを通り過ぎる。四角い電話ボックスが通り過ぎる。こんなもん都会にはないよな・・・たぶん。それほどまでに田舎なのだ。有名なのが駅伝くらいである私立大学は、こんなとこにしか土地を用意できなかったらしい。
 だいぶ歩いたのでそろそろ町らしくなってきた。車もそこそこ行きかい歩行者の姿を見かけることも多くなってくる。
「そーいえばさ。」小学校の前の歩道橋を上りながら、田辺がふいにこちらを見て言う。
「なに?」
「お前就職決まったの?こないだ受けたっつってたあそことかは?」
「それがなあ・・・。例によってだめだった。もうこれで何件目だかな・・・。卒業は何とかなりそうだけどこのままじゃフリーターだよ。」
そう。もう四年生も半分が過ぎようとしているのに俺の働き口は全く見つからないのだった。生来ひとみしりの気があり、面接というやつが苦手だった。そういったやつに企業の評価は厳しい。
「確かお前はもう決まったんだろ?結構な所に。旅行行けるとか余裕だよな。」
「いやあ、俺はお前と違って部活やめたからな。就活にかける時間はいくらだってあったし・・・。4年間部活つづけたやつは就職めちゃくちゃ有利だって聞くけどそうでもないんだな。」
 二人で歩道橋の下り階段を下りていく。俺の隣を歩く田辺は少し下りにくそうに慎重に足を進めていく。膝が悪いのだ。俺の心の奥底に沈殿している濁った記憶がかき回され、じんわりと広がる。俺は今こいつと普通に会話し、笑い合っている。が、そんな資格が俺にあるのかがわからない・・・。俺が陸上部に入部した頃。思えばあの頃から、こうなることは決まっていたのかもしれない。

 俺は中高と陸上をやっていたのだが、大学ではやる気がなかった。もっとチャラいサークルにでも入って根暗な自分を変えたいと思っていた。・・・だが大学での部活の経験者に対する勧誘はあまりに強引過ぎた。もともと気の弱いところのある俺は、それにうまく抗えず成り行きで陸上部に入部させられてしまったのだった。
 練習に出るようになった俺だったが案の定友達はできなかった。そりゃ運動部の活動にはどんな競技であれ連帯感は必要だから、そこそこ同級生や先輩と話はした。だが、本当の意味で仲良くなれたやつはいなかった。
 田辺がうちの部に顔を出したのは、新歓期も終わろうとしていた6月のことだったと思う。6月らしく、うっすら小雨の降る日だった。中学校ではバスケ、高校ではハンドボールをやっていた田辺が何で陸上をやろうと思ったのか、俺は今でも明確な理由を知らない。
「やったことないことやるのって、楽しそうじゃないか。」
やつはよくそう言っていた。田辺のことが気になりだしたのはこれを聞いたときからだったと思う。俺とは――中高、そして大学と同じ競技をやる俺とは――あまりにも正反対な考え方。あの筋骨隆々のガタイで長距離をやろうとする考えも、その一部だった。
 もともと体を使うスポーツをやっていただけあって、田辺はめきめき力をつけていった。まあ、もともとの運動神経が半端なくよかったってのもあるだろうが、何よりやつの努力は群を抜いていた。午後9時に練習が終われば、やつは一人残って11時まで練習していた。基本的にほかのやつの二倍の練習量をこなそうとしているようだった。
 ある日の午後11時ころ、その日は豪雨だったので練習は中止だった。俺はこれ幸いと図書館でのんきに昼寝をしていたのだが、寝過ぎて昼寝とは言えない時間まで寝てしまったのだった。警備員に起こされて、不機嫌なまま図書館の階段を下りている時、寝ぼけた目で窓の外を見ると―――そこに田辺がいた。グラウンドでただ一人黙々と走っていた。アホみたいに、でもどこか気高く、その姿は俺に衝撃を与えた。階段を駆け下り、傘を差すのも忘れてグラウンドに駆け出る。
「田辺!!」ずぶぬれの背中に俺は叫んだ。やつは気づいてパッと振り返る。
「おお。お前か。何してんだこんな時間に。」
「それはお前だろ!こんな雨の中走って、風邪でも引いたらどうするんだ。肺炎とか、なんかわかんないけど・・・こじらせたら大変だろ。」田辺は少し考えるような仕草をしてから、
「んー。まあそういうこともあるかもな。でも一日これだけ走るって決めたら、それを男が反故にしちゃいけねえよ。」ニッと笑ってそういった。その笑顔が暗いはずのグラウンドで妙にまぶしくて・・・俺は顔を両手で覆いたいような気分になった。
「ばっ・・・。お前・・・本当のアホだな。」口から出てきたのはそんな言葉だった。
「まあそうかもな。やっぱ俺って大学から陸上始めたからさ。こんくらい努力しないとみんなに追い付けないじゃん?なあ『天才』。」
『天才』―――確かに入部当時俺はそう呼ばれていた。部内で誰よりも速かった。同級生も、先輩も、俺のことを腫れものに触るように扱った。「こいつとレギュラー争うのか・・・。勘弁してくれよ。」「ちょっとちょっと・・・。こんな速いって知ってたら逆に勧誘しなかったし・・・。」やつらの顔が俺にそう告げていた。部内のモチベーションが俺のせいでひどく下がっている・・・。そのことに部員全員で気付かないふりをし、身の入らない練習を続けていた。当然それは俺のモチベーションをも下げていたのだが、それにも気付かずに。
 ―――だが田辺は違ったのだ。こいつにとっては、たとえ部員が全員俺だとしても・・・関係なかったんだ。ただ己を磨き、最大の敵を常に自分自身とする。それは比べる相手がいなかった俺が常に信条としてきたことだった。俺たちは正反対なんかじゃない。そっくりだったんだ。
「お前・・・すごいやつだな。」俺は素直にそう言えた。
「何をおっしゃいますか。『天才』君が。」
「はははっ!」俺は荷物を捨てて田辺とともに走り出した。
「お?一緒に走るか?望むところだ!」
俺たちは雨に濡れたグラウンドを走っていった。不思議と笑みがこぼれてくる。グラウンドの脇では、俺の荷物と傘が降りしきる雨に打たれてたたずんでいた。
 
 それから一年がたった。俺たち二人は二年生になっていた。そして、わが部にとって一年で一番大きなイベントである冬大会が訪れたのだった。俺たち二人の種目は駅伝。選手は10人。俺たち2人は同じ区間の選手を争っていた。タイムはほとんど同じ。田辺はそこまで成長していた。俺がタイムを伸ばせば田辺もタイムを伸ばす。本当の意味で良きライバルだったと思う。・・・ただ、本当は二人ともわかっていた。どちらが選手にふさわしいのかが。俺の心の弱さが。そしてぎりぎりの競り合いに打ち勝つ強い心が長距離でどれほど大切なのかが。
 そして俺ただ一人が知っていた。俺の才能なんて田辺の努力に比べたら、まるで大したことがないことを。限界を垣間見ていることを・・・。
 そんなとき、田辺が事故にあった。学校の帰り道、バイクに轢き逃げされたのだ。傷は浅くはなかった。全治3か月。大会が2週間後にせまった日のことだった。
 複雑な心境で見舞いに行った俺を待っていたのは案の定泣き崩れる田辺だった。
―――何でおれが!この三年間の努力は!・・・全部無駄だったのか・・・。ちくしょう・・・!ちくしょう・・・
 監獄のような真っ白な部屋の、いっそう白く見えるベッドの上で田辺は叫び続けた。そして、ようやく落ち着いた田辺は俺に言ったのだ。
―――俺の代わりに・・・走ってくれ。お前なら勝てる。
 大会当日、1月らしく肌を突き刺すような寒さの日だった。まだ退院できない田辺の姿は会場にはなかった。・・・当然田辺がいない以上俺は選手に選ばれていた。
 俺は2区を走る。1区の選手は3位というなかなかの順位で俺にたすきを渡した。たすきに触れた瞬間、そこから俺の体内に熱い血が流れ込んでくるような感じがした。1区の選手の魂が俺の中に入りたがっているかのようだった。このたすきに俺以外の9人の、さらには部員全員の、そして田辺の思いがこもっているのを確かに感じる。俺はペースを確認するようにゆっくりと走り始めた。道路の両側に群がる観客たちが後方へと流れていく。体に振動が走る。徐々に体がスピードに乗っていく。足の運びが一定のリズムを刻み始める。もうここからは思いに任せて走るだけ。走る。走る。走る。もう道路わきの観客なんて目に入っちゃいない。世界に俺一人しかいないような、超越した感覚。ランナーズ・ハイってのは、本当にあるのだ。この感じは走ってる奴にしかわからないだろう。キツイ練習のとき目に入った風景が次々と浮かんでくる。そうだ。あれだけ走ったんだ。俺はいける!!俺は好調に飛ばしていった。
 だが、コースが半分に差し掛かるころにはだんだんと疲労が見え隠れしてきた。―――まだだ。まだ先は長い。走れ。走れ・・・!走れ!!体に鞭を入れる。きしみをあげる脚がそれに応えてくれた。まだまだいける!そんなとき、不意に二位のランナーの背中が見えた。こんなに目の前にあったのに全然気付かなかった。追い越せる・・・。静かにそれを理解した。少しペースを上げる。肩が並ぶ・・・。さっきまで前にいたやつが視界から消える。抜かした!また心が軽くなる。「コイツよりも俺の方が速い。」その事実がいやらしいほどに甘美だった。ははは。どうだ。俺速いだろ?そんなことを背中に向かって言いたい衝動に駆られる。
 だんだんとゴールが近づいてきた。体力の底が見えてくる。折れそうな心が嫌な音を立てる。観客も目に入ってくる。集中力が落ちてきている。そんなとき、俺の耳に観客の声援の一部が飛び込んできた。
「がんばれー!一位はすぐそこだぞー!」
 イチイハスグソコ??つまり、もうすぐで一位のやつに追い付く・・・?そうか。・・・そうなのか。なら、まだ走れる!俺は一気にスピードを上げた。まだ体力が残っていたことに驚かされる。なんだ。まだ行けるじゃないか。・・・だが同時にあることに気づく。もうゴールまであとわずかしかないってことに。一位のやつをおい抜かす時間はもうほとんど残されていない・・・!ちくしょう・・・。
  ―――無理か。俺なんてこんなもんなのか。そうだよな。どんなに練習したって、擦り切れた才能がつながるわけじゃなかった。「心の弱さ」―――。わかってたつもりだったけど、目の前に突きつけられるとこんなにも忌々しい・・・。まだ一位のやつを追い抜けるチャンスがあるのに完全にあきらめつつある。もういいか。少なくともさっき抜いたやつには抜かれることはないだろう。
  俺があきらめスピードを落とそうとしたそんな時だった。俺の心の中にやつの顔が浮かんできた。あの真っ白で薄暗い病室で泣き崩れる田辺の顔が。俺に「お前なら勝てる。」と、そういって涙にぬれた田辺の顔が―――。



 はははははははははははははははははははははっはははははははっはっははは。
 ナンテユカイナンダロウ。
――――――――――――――――――――――――――。

 気づくと俺は二区を一位でゴールしていた。二位を圧倒的に引き離してのゴールだった。あとから聞いた話によると、俺は信じられないほどの笑顔でラスト・スパートをかけていたという。・・・ほとんど記憶なんてないのだが。その後俺は全身のエネルギーをすべて吐き出したような感覚に襲われ倒れ込んだ。そしてそのまま、気を失ったのだった。
 俺は二区で区間賞を獲得した。だがチーム全体としては4区の大ブレーキで5位という結果に終わった。授賞式の間、俺はずっとキツネに化かされているかのような心境だった。レースの終盤で現れたあのたまらなく愉快な感覚はなんだったんだろう。記憶がないのはなんでなんだろう。さまざま疑問が俺を埋め尽くし、とてもそのまま賞を受け取れる心境にはなかった。が、辞退できるはずもなく賞状と盾を受け取る自分がいる。この釈然としない感覚は今でも消えない。だから俺はあの後報告に行った自分を、涙ながらに抱きしめた田辺に対して、消えないしこりがあるのだと思う。
 
「じゃ、俺は駅に行くから。土産、たくさん買ってくるから楽しみにしとけよ!」
そんな田辺の声で現実に帰る。気がつかないうちに駅の周辺の商店街まで来ていたらしい。駅は左、銀行のある町の中心地は右である。
「あ、ああ。じゃあな。楽しみにしとくよ。」何とかそんな言葉をつむぎだした。
田辺は笑顔で手を振ると俺に背を向けて去っていった。その背中を見つめながら、呼び止めて伝えなくてはならないことがあるような衝動に駆られる。が、何もせずに見送る俺がいた。そうだ。別に言うべきことなんかない。俺もまたその場に背を向け歩き出す。このときに俺の決意は決まったのだった。

外とはうって変わった涼しさの中で、俺は銀行の窓口の順番待ちをしていた。月末の銀行はさまざまな年代の人々でにぎわっていた。窓口の女性行員は、それにいやな顔ひとつせずてきぱきと対応していく。それなのに、何でこう銀行というのはこんなに待たされるのだろう。シャツに染み込んでいた汗はすっかり乾き、むしろ寒いほどになってきていた。
 そんなときふと見上げると、テレビで午前中にありがちなワイドショーをやっていた。普段はめったに見ることのない種類の番組だったが、退屈を紛らわすにはちょうど良い。比較的トークのうまいお笑い芸人と頭の悪そうな女子アナウンサーが司会をしている。
『いやー、最近は中高生の間なんかでも覚せい剤や麻薬がはやっているようですね。ホントいやな時代になったもんですよ。そこらへん、専門家としてはどのようにお考えですか?』
芸人のほうが隣に座っているゲストらしき男に話を振る。
『そうですね。何よりも不法滞在の外国人などから買おうと思えばいくらでも買えてしまうことが問題なんだと思いますね。覚せい剤や麻薬といったものがどんどん身近になってきている・・・。そしてそのような社会を作り出してしまった我々大人にもその責任はあり―――。』
専門家らしき男は『専門家かくありき』というようなことをくどくどと語っていく。―――正直つまらない。すると司会の芸人が無理に話をまとめにかかる。
『なるほど。ただ単に時代の変化というだけではなく我々大人にも責任があるということですね。ありがとうございました。それでは、一旦CM入ります。CMの後はお料理の―――。』
違うチャンネルが見たい。これなら普通のニュースのほうがまだましだ。と、そんなことを考えていたとき、俺の目はテレビに急激に引き寄せられた。真っ青な画面に現れた奇抜な格好の女の子。こんなCMは見たことがない。いったい何のCMなのかと画面に注意を向ける。女の子がやたら感嘆符の多いセリフを飛び切りの笑顔で話し始める。
『新機軸アーケードゲーム《BLUE RUNNER》!迫りくる青い影から逃げまくってゴールを目指せ!バーチャルリアリティーの世界を右に左に駆け抜けます!《BLUE RUNNER》!いまなら一回500円でプレイできちゃいます♪全国ランキング上位入賞者の方には商品も差し上げちゃいます!さあ今すぐお近くのゲームセンターへ!!』
・・・・。よくわからないがどうも新しいゲームのCMであるらしい。画面にはプリクラの機械くらいの大きさの箱がうつっている。その後の詳しい説明によればその箱の中でルームランナーのようなものに乗り、360°のディスプレイの中、敵から実際に走って逃げ回りゴールを目指すそうだ。楽しく体を動かしてダイエット・・・とか何とか言っている。
 普段あまりゲームなどしない俺だが『実際に走って』というところが気になった。もう引退しているとはいえたまには思い切り走りたくなる。今まではスポーツジムでルームランナーを使ったり、近所を走り回っていたりしたがこういう形で走るのも面白かもしれない。そして何より、俺が走れば全国ランキング上位入賞など楽勝だろう。銀行での用事が終わったらいってみようか・・・。

 気がつけば俺はゲームセンターにいた。なぜだか静かな銀行から急にけたたましい喧騒の中に瞬間移動してしまったような感覚に襲われる。が、すぐにその妙な気分は晴れ、目的のものを探す。このころにはもうすっかり乗り気になってしまっていたのだ。
 新しいゲーム機である《BLUE RUNNER》の前には長蛇の列ができていた。今日は色々とよく待つ日だ。そういう日もあるとあきらめて俺は列の最後尾に並ぶことにする。立てられた看板には『プレイまで30分』と書かれていた。少しげんなりしながらそれでも俺は待つのだった。
 気がつくとゲーム機の中だった。なんなんだ今日は・・・やけに記憶の飛ぶ自分の頭に不安を覚える。だが結果として待ち時間を苦痛に感じることはなかったのでいいことにしてしまおう。機械の中は四畳ほどの空間で、思ったよりも広く感じた。周囲にはディスプレイ、足元にはいくつかのボタンがあり、足で踏むことで何らかの操作ができるようだ。わくわくした気持ちがよみがえり、俺は財布から500円玉を取り出した。それを硬貨投入口に入れる。カランッと、暗い闇に堕ちていく音がした。
 『ようこそ!《BLUE RUNNER》の世界へ!!まずは難易度とプレイするコースを選んでください!』
画面には入門、初級、中級、上級の4つの選択肢とそれらのデモ映像が流れだした。どうやら登場する敵の数や残機数の違いがあるらしい。俺は迷わず上級を選択する。間抜けな効果音が流れた後、今度はコース選択に移った。森の中、見知らぬ星の上、廃墟・・・さまざまなコースがあったが良くわからないのでとりあえず『ルーラル・タウン』というステージを選んだ。名前とは裏腹に、なかなか派手なステージである。未来の地方都市をモチーフとした・・・とかいう説明が流れる。わけわかんねぇ・・・。
 『それではまずはチュートリアルをはじめます!スキップしたい方は足元のGOボタンを踏んでください。』
当然スキップなんてしない。すると周りのディスプレイに小さな部屋の内部の風景が映し出される。殺風景な部屋だ。360°の映像は、まるで本当に俺がそこにいるかのような感覚を与えた。おれがボーっとしていると目の前のディスプレイに、急にポリゴンの女の子が現れた。CMに出ていた女の子はこのキャラのコスプレだったらしい。派手な衣装にみを包んでいる。
『案内役のマリーです!どうぞよろしく!この《BLUERUNNER》の世界について説明差し上げますね!!まずは自由に動き回ってみてください!』
そういうとマリーとやらが画面の中で動き回る。俺もそれに習って数歩横に歩いてみる。と、周り中の風景と、足元の地面がその反対方向に動きだした。一瞬驚いて動きが止まる。しかし、恐る恐る動いてみるうちに、このゲーム機のすごさがわかってきた。
「こりゃすげぇ・・・。」
何しろ、本当に部屋の中を動き回っているような感覚なのだ。だんだん楽しくなってきて俺は部屋中を走り回る。壁の方向に移動すると、壁にぶつかるところでディスプレイがそれ以上進まなくなる。ジャンプするとちゃんと映像は下に流れる。ほとんど現実世界だ。こういうのが『現実と仮想の区別がつかなくなる悪影響のあるゲーム』なんだろうか・・・。
『動き方はおわかりになったでしょうか?それではこのゲームのルールについて説明させていただきます!』
マリーがしゃべりだす。ゲームキャラらしく常にくねくねと体を動かしている。
『このゲームの目標はずばり!‘敵に捕まらずとにかく早くゴールにたどり着く’コトです!敵とはこのブルランくん達です!』
ディスプレイにひょろひょろとした青いのっぺらぼうが登場する。要は棒人間のような何の特徴もないシェイプの青い影である。
『彼らがあなたを捕まえにコース中を駆け回ります!つかまってしまったら体力ゲージがなくなる前に必死で足踏みをすると抜け出せます。ゲージがなくなるとゲームオーバーなので注意してください!』
ルールは割りと単純明快だ。とにかく逃げればいい。俺の脚ならつかまるなんてコトは考えなくていいだろう。
『・・・以上でチュートリアルは終了です!それでは、《BLUE RUNNER》の世界へレディ・ゴー!!』
画面が暗転し、『NOW LOADING…』と表示される。俺は楽しみに画面が変わるのを待つ。すっかりやる気を出した俺は軽く屈伸などをする。われながらはしゃぎぶりが情けない・・・。
そうしていると画面が変わった。周りのディスプレイにはリアルな近未来風の建物が映し出され、目の前には一本道が続いていた。いわゆる大都市の大通りのような場所だ。アスファルトではない何かで固められて輝く車道、地球のもとは思えない街路樹、そして高いビル群。さっきの小部屋とは広さが違う。開放感にテンションは高まっていく。よっしゃ!やってやるぜ!
ゴール地点の情報が表示される。この一本道をまっすぐ3kmほど進んだところにある、二階建ての建物らしい。なんか平凡なゴールだな・・・と思いつつも表示されている地図の情報を頭に入れる。
『それではまもなくスタートです!3,2,1・・・』
画面に数字が大きく表示されカウントダウンされていく。陸上のスタートを思い出し妙に緊張する。
『スタート!!』
その合図とともに、俺は車道をまっすぐ走り出す。別に車は走っちゃいないし別にいいだろう。周りの風景がどんどん後ろに流れ消えていく。体が久々に走ることに歓喜の声をあげる。やっぱり走るのはいい。
調子が出てきて200mほど走ると、警告音のような音とともに画面が赤く点滅しだした。『敵が近づいています!』の表示。ブルランくんのお出ましだ。初お目見えに少し緊張していると、左側に二人登場して、襲い掛かってきた。片方が手を振り上げ俺に打ち下ろそうとするが、体を右にそらして難なくかわす。そして今まで以上に早く走る、走る、走る!一本道を疾風のように駆け抜ける。後ろを見やると二人のブルランくんはかなり後方にいた。よし!引き離した!彼らの頭の上のほうには汗が出たような描写がされている。どうやら逃げ切った証拠のようだ。そのまま全速で走っていく。すこし息が切れてきている。これは確かにダイエット効果もありそうだな・・・。
 しばらく行くと急に目の前に階段状の坂が現れた。近くに走っていってみると急に足元が傾き始め画面と同じだけの傾斜になる。
「坂まで再現されんのか・・・。」
どうやらこのゲームをなめていたらしい。画面を見る限りそんなに長い坂ではない。せいぜい歩道橋くらいまでの高さだ。俺は一気に駆け上がる。上まで行くとまた地面は平坦になり、下り坂につくと今度はその角度に傾くのだった。ほんと、すごい機械だなこれ・・・。
 坂を下ると、また画面が赤く点滅しだした。
『ブルランくんが本気になりました。』
画面にそう表示される。それと同時に今度は周りから4人のブルランくんが現れ、しかも手には棒のようなものを持っている!左右に1人ずつ、前方には2人の配置だ。今にも襲い掛かってきそうな雰囲気である。俺は囲まれないように前方の二人の間をすり抜けようとダッシュする。が、すり抜けきれず二人に両脇から捕まってしまう!画面がさっきよりも早く、赤く点滅を始める。た、たしかつかまったときには足踏みだっけ・・・?目の前の体力ゲージが見る見るうちに減っていく。俺は必死に足踏みをして逃げ出そうとする。気がつけば両腕までも振り回し、第三者から見れば何もないところで激しく何かに抵抗しているように見えただろう。決死の努力の甲斐あってか、ブルランくんたちの拘束が一瞬外れる。俺はこれ幸いと一気に走り出そうとする!走り出せれば、足は明らかに俺のほうが速い。また引き離してやろうとした、その瞬間。
バキッ!
なにかが折れるような音がして、後頭部に鈍痛が走った。
「え・・・痛いってなんで・・・。バーチャルだろ・・・?」
後ろを見るとブルランくんが手に持った棒を振り下ろした直後だった。それで、俺は、‘殴られた’のだ。表情のないブルランくんが、不適に笑ったような気がした。
わけわかんねぇ!俺は本能的に逃げる。前方に向かって、駆ける。後ろも振り返らずに、駆ける。息が不自然に上がっている。のどからはヒュフー、ヒュフーといやな音が鳴っている。そのまま数100m程走る。そこまできたところで、疲労のためか、整わない呼吸のためか、速度が落ちてきた。それとともに俺はほんの少しだけ落ち着きを取り戻し、恐る恐る後ろを振り返ろうとする。・・・足が完全に止まる。まるで心臓が耳の横にあるように大音量でなっている。その音は後ろを振り返ろうとする俺の中で、さらに音量を増していく。首を回す。後ろを、振り返る。恐怖に張り裂けそうな心とは裏腹に・・・そこには、何もいなかった。ただ、バーチャルの、無機質な建物が道の両脇にたたずんでいた。
 だいぶ冷静になった俺はまた走り出す。よくわからないが、さっきの痛みは軽い電気ショックのようなものだったのかも、と思い始めた。殴られたという臨場感を出すための、人体に影響のない程度の電撃。そう考えると、なんとなくそれほど強い痛みではなかったような気がしてくる。少なくとも、そんなもっともらしい説明を思いつくくらいには落ち着きを取り戻していた。だが明らかにさっきまでとは気分が違っていた。なぜだか、もっと本気で逃げなくてはならないような気がした。
 走りながら、陸上部での最後の大会のことを考えた。あのときの異様な高揚感。それに通じる何かを、今俺は感じている。そんな気がした。
 そんなとき、今までにない音量で警告音が鳴り響いた。画面には、次のように表示された。
『ブルランくんがあなたを包囲しようとしています。けけけ、逃げられますか?区間賞を獲得した、その自慢の足で!』
俺の体に戦慄が駆け抜ける!なんなんだよ!?俺はさらに速度を上げ走る!後ろに大量のブルランくんが押し寄せていることは、もう振り返らずとも理解できた。わけがわからない!わけがわからない!!わけがわからない!!!速度を上げたことで、俺の脳に送られる酸素が減ったのか、俺の思考はどんどんとまとまりをなくしていく。俺は・・・何をしているんだろう。今日何度か体験した記憶の欠落を振り返る。今日は銀行に行って、用事を済ませて、ゲーセンに行った・・・。そうだ。いつの間にかゲーセンにいたんだ。その間の記憶がまるでない。・・・息がさらに上がる。泣いている時のような、悲しい息切れ。体中の器官が酸素を求めて俺をさいなむ。そう、今日は銀行に行って、用事を済ませて・・・・・?
「・・・用事・・・?」
ポツリと口に出す。俺の銀行での用事って何だっけ?朝から、そのことだけを考えてた。わざわざ‘それ’をするために忘れ物を取りに帰った。‘それ’。・・・‘それ’??
「・・・‘それ’ってなんだよ!!!」
俺は叫び、走る。いや、逃げる。確実に背後に迫る青い影から。俺のほうが速かったはずなのに、やつらは確実に俺との差をつめていた。当たり前だ。やつらは車に乗ってきているのだから。目が見開かれる。汗なんて、もうかけるだけかいた。恐怖でどうにかなりそうだった。
 あははははははははは。もうわけがわからねぇ。思考が溶けていく。そして確信した。この感覚が、あの大会のとき俺を支配していた感覚だと。っていうか大会?ああ・・・あの大会か。俺が限界を感じていた、あの大会かぁ!ははは。そりゃ限界だっただろうさ。あの天才努力家の田辺という突風の前には俺の才能なんて、まさに小さな小さなともし火だったんだから。だからある日俺はこう考えたはずだ。まだ俺にはしていない努力があるんじゃないかって・・・!
 体中の筋繊維が千切れていく。後ろからの圧力は明確な声となって俺の耳に届き始めた。
“・・・とまりなさい!・・・”
それでもとまるわけには行かない。そう、ゴールは近いんだから。
 あの時もとめられなかった。自分の中の黒い感情を。練習以外で、俺と田辺の差を埋める方法について考え出してしまった。今の世の中はホントに便利だ!インターネットを使えば、簡単に興奮剤が手に入る。ヘロイン、コカイン・・・・なんでもござれだ。初めて使ったときの高揚感、タイムの伸びには正直参ったぜ・・・!
 そして、麻薬にのめりこむにつれて、だんだん俺の頭はおかしくなっていった。俺の能力は上がった。だから、さらに差をつめるにはもう道はひとつしかないじゃないか・・・!
『怪我させたいやつがいる。』
俺はネットのかなりキチまってる掲示板に匿名でそう書き込んだ。暇なやつがこの世界にどれだけいることか!金さえ払えば何だってしてくれたぜ!ざまーみやがれ、田辺のあほめ!・・・なにが『俺の代わりに・・・走ってくれ。』だ!
 ただひとつ誤算があった。金さえ払えばなんでもできる。確かにそれはそうだ。だが、田辺をひき逃げしてくれた男は犯罪行為を依頼した俺の足元を見始めた。そいつは警察への口止め料を要求した。その要求は再三にわたり、金額もどんどん上がっていったのだった。・・・ただの学生の俺に、そんな金があるわけねぇよな・・・。そこからは、ただのありがちな話があった。
 もう追っ手は俺のすぐ後ろまで来ている。だがそれでも俺はとまらない。まだまだ走れる!ははは!捕まえてみやがれ!ははははははハあははっはははははははっはあははっははははははははははっはっはっはっはは!
 ユカイ、ユカイだ。驚くほど冷静な俺がいる。このバーチャルな世界がどんどん崩壊していく。高層ビルはたちまちに掻き消え、赤いポストを追い越し、四角い電話ボックスにぶつかりそうになる。田んぼのあぜ道を―――俺は走る。そうして俺の周りを青い影が取り囲み、俺の意識は消え去った。

 真夏の夕方、その銀行のなかはギンギンにクーラーが効いていて涼しかった。ようやく落ち着きを取り戻した銀行には、今日も多くの客が来ている。そして、そこのテレビには、今日もワイドショーが映し出されていた。
『まあホント最近の若者はどうかしてますわ!あいつらゲームのしすぎで現実と仮想の区別もつかん!』
専門家はそう言うと、お茶を一口飲んだ。

       

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