Neetel Inside ニートノベル
表紙

少女娼婦TOKYO
その1『春邪奈縊死』

見開き   最大化      


     

 首筋のあまさを味わいながら、どくり、射精する。
 アンドロイドは、初恋の少女によく似ていた。

     


 事後のけだるさ。例えるなら、少年時代、夏、海水浴にでかける、懸命にはしゃぎまわったあと、砂浜であおむけになる、すると空一杯が夕焼けで、そこでようやく水平線に西日が沈みかけているのを知る、へとへとの身体に、なにか胸をしめつけられるような感覚がある、ふいに涙を流したくなるのを、首を振って我慢する、そんなけだるさ。休日の午後、国立の自然公園でベンチに座って、バーチャルでも人工でもない太陽光を浴びながら、電子煙草をぷすぷすと吸う、あの感じとはまったく正反対のけだるさ。性器ばかり鋭敏で、身体中の筋肉が水浸しになっている、動きたくない、立ち上がりたくない、ずっと横になっていたい、それでいてどこか心地よいけだるさ。全身にべとりまとわりついて、もがけどももがけども抜け出せない、忘れ去られた沼に溺れて、しこたま飲んだ泥をけほけほ吐き出しながら、ここで死んでしまうのではないだろうか、それならそれでいいかもしれない、沼の底はきっと安らかだろうに、などと考えている、そんなけだるさ。だ。
 これで隣に座っているのが柔らかく温かく可愛らしい少女で、ほんのり頬を上気させながら、肩に頭をもたれかけさせ、ぼーっと余韻にひたっている、のだったらまだ救いがあるのかもしれない。しかし少女の代わりに寝そべりながら、じっと僕を見つめているのは、格安のアンドロイド娼婦で、動くたびに駆動間接のモーター音がぎゅいんぎゅいんと聞こえてくるのだ。見た目だけは少女然として可愛らしい。むしろそれがけだるさを加速させる。だらりと横たわったまま、僕はアンドロイドの細いももを、陶器のようなおそろしく白い肌をぼんやり眺めていた。
 薄暗い少女娼館の一室だ。全体的な色合いはなまめかしいピンクに染まって、照明は天井に取り付けられた切れかけの電球ひとつのみ。時折部屋全体がちかちか点滅する。そこかしこには電子煙草特有の、オゾンとニコチンのまじった神経にねばつく匂いが染みついている。ベッドに入れば汗にまみれた体臭が加わる。いったい何日洗っていないのか、ごわごわとかたいシーツ、ぎしぎし音をたてるこわれたスプリング、ぎゅいんぎゅいん、モーター音。もういい加減うんざりだった。しかしアル中患者はどんなにひどい二日酔いにおちいっても酒瓶を手放そうとはしないだろう。逆にそれを克服しようと、夢中になって飲み始めるくらいだ。僕もまた、この脊髄に満ちる中毒症状を乗り越えるため、ふたたび少女のちいさな乳房に手を伸ばす。わきのしたに腕をさしこみ、背後から胸元をまさぐる。うすい模造脂肪のやわらかさと、ちくびの凝縮されたかたさ、ごつごつと隆起する鉄の肋骨。や。と、少女はプログラムされた通りに吐息をもらして、内臓器官に温められた呼気を手の甲に感じる。首筋にキスをする。ぴりり。と、舌がやられる。金属の冷たさ。
 ここに来たのは、この少女を抱いたのは、いったい何度目だろう。わからない。何度抱いたって、飽きることも、慣れることもない。新鮮な喜びと新鮮な嫌悪が一体となって僕をやさしくつつみこむ。ここは無数の既視感と、無数の未視感でできた世界だ。過去と現在と未来とが複雑に入り交じって、発狂しそうになる。
 少女が僕を見ている。

 ――アンドロイドは、初恋の女の子に、よく似ていた。

 小学三年生ごろのことだ。僕はたしかに恋をしていた。相手は同い年で、幼なじみで、生まれた時からずっと一緒に遊び回っているような、そんな子だった。一緒に風呂にはいったこともあって、それを言うと彼女は顔を真っ赤にして怒った。よく手をつないで歩いた。現場を何度か同級生に見られて、そのたびにバカにされた。反論する僕の手を強く握って、気にしないでいいよ、と、ことさら利口ぶってなだめる。いきましょ、と。引っ張られるようにその場を後にして、街中を駆け回って、いつのまにか同級生のことなんか忘れている。路地裏を探検したり、ジャンクパーツを拾い集めたり、そういったことに夢中になっている。
 彼女の肌の温かさを覚えている。彼女はよく手を握りたがったから。年をとって彼女の顔はあいまいにぼやけてきたけど、あの温かさだけは、いまでも覚えている。てのひらの柔らかさも。
 四年生にあがるすこしまえに、キスをした。くちびるとくちびるを触れあわせるだけの幼いキスだったけれど、とにかく僕らは、そうしよう、というつよい意志をもってキスをした。目を閉じて、あごを突きだして、ふたたび目を開ければ、すでに接触は終わっていた。そんなキスだった。気恥ずかしさと、愛しさと、よくわからない何らかのまざった濃密な空気がふたりの間にたちこめていた。僕が笑って、彼女が笑って、もう一度キスをした。そうだ。その時だって、僕らは手を握りあっていたのだ。
 一週間と二日たって、彼女は死んだ。よく晴れた土曜日のことだった。ピアノ教室からの帰り道に、誘拐され強姦され首をしめられて死んだ。数日たって捕まった犯人は名前もしらない中年男性だった。男性は裁判を経て、彼が彼女へそうしたように、頸動脈をぎりぎりと圧迫されて尿と大便をあたりへまき散らしながらこの世からサヨナラした。僕は母に連れられて彼女の葬儀へと赴いた。ゴミともクズともつかない粒状の物体を見よう見まねで扱って、坊さんのハゲ頭を見てこっそりくすくす笑って帰った。涙はでなかった。大勢の大人たちと、大勢の子供たちが嗚咽をあげているのをみた。それでも、僕は泣かなかった。あまりにも現実味がなかった。春が近づいていた。ひだまりのなかで昼寝すると気持ちが良かった。彼女が死んだあの土曜日だって、僕はぐっすり眠り込んで、夢の中で彼女とのキスの思い出を飽きることなく眺めまわしていたのだ……。

 体勢をいれかえる。アンドロイドと向かい合うかたちになる。少女が僕を見ている。瞳は不自然なくらい純真で、澄みきっていて、ガラスの角膜の向こうにレンズカメラの虹彩が、前後に動いて必死にピントを調整している。僕の動きにあわせてカメラは動く。あごをひくと、カメラは前につきでる。あごをつきだと、カメラは後ろにひいていく。もういちどあごをつきだすと、くちびるとくちびるが触れあう。キス。ついばむように、機械のように、なんども、なんども、触れあわせる。舌をからめると人工筋肉のゴムみたいな味がする。だからこうして、浅いキスをくりかえして、気持ちを高めるよりほかない。ないのだ。
 ゆっくり少女を押したおしていく。そっと体重を預けていって、胸を乳首をいじりながら。ガラスの瞳を見つめながら。上体が横たわりきると、アンドロイドは股を開く。膝があがって、尻のあたりの曲線が、驚くくらいにまるくまるくなっていく。足の付け根に挿入する。突き立てると、人間工学に基づいた宇宙が、ローションにまみれ性器をキツくつつみこむ。僕と彼女の漏らした吐息が空中でぶつかりあいぽんと破裂した。
 抽送をはじめると、ベッドのスプリングが大きくきしむ。部屋一杯を満たすぎぃしぎぃしと耳障りなノイズ。それをかき消そうとでもしているのか、アンドロイドは電子音声の甲高い周波数でおおきく喘いでいる。
「や。あ、あアぁ。んん、ッ。やァ」
 少女がしかめた眉根の、地図に描かれた山脈のような陰影があった。そのすぐ下の両の瞳は、やはり僕を見つめている。腰の動きにあわせ、レンズカメラが前後にせわしなく動いている。ぃん、ぃん。うぃん。
「いい、いイっ。ぅアあ」
 ピストン運動を続けながら、少女にキスをする。あごをつきだす。あごをひく。そのくりかえし。もちろん、めはとじたまま、だ。少女と彼女の印象が、次第にしだいに重なり始める。ふたりが繋がっているのは、現実の表層的な明確さとはまったく違う、もっと深い混沌とした領域だ。
「ウ、ん、ぁぁ。ンや、あ。あ」
 腰の動きがはやくなっていく。快感は神経をつたって電脳にまで達し、僕の意識はあるひとつの幻影を目撃する。アンドロイド・ロリータ。空想と実存の狭間に微笑む、清き乙女のイデア! 不気味の谷であがきつづける永遠の恋人を、このときはじめて、好ましい、と思った。
 そっと、首筋に手をかける。金属でできた頸椎の存在感を、冷たさを、てのひらに感じる。

 結局、彼女は十代を迎えることができず、僕はいま三十代を目前にひかえながら、麻薬のように少女を抱いて、こうして腰を振り続けている。
 あの中年男性は、たしか三十一歳だったはずだ。すくなくともテレビのテロップにはそう書かれていた。まだ幼い日々、あんなにも遠かった彼との距離は、いま、あごをつきだせば触れてしまいそうな間近にある。彼が僕を誘っているのか? 僕が彼に追いつこうとしているのか? 僕は、しだいに彼へと変わりつつある僕を知覚している。
 どうして彼が彼女の首をしめたのか、いまならその理由だってわかるのだ。彼がもつ彼女への愛情、その力強さに涙すら流したくなるのだ。
 僕の中にいる、そして彼の中にいる彼女は、いまなお幼く美しい姿を保ち、無垢なしぐさで可愛らしく振る舞っている。そうだ。この可憐さ、この瑞々しさこそが。そうなのだ。
 手に力をこめる。頸椎の歪なかたちを強く感知する。驚いた少女のひとみが、大きくまるくなる。口が渇いて、ごくり、つばを飲み込んだ。
 しかし、返ってきたのは電子音ひとつ。
「警告、警告、当個体はこのようなプレイには向いておりません。故障する可能性があります。ただちにお手をお離しください」
 瞬間、僕はてのひら以外の、ありとあらゆる力を失った。笑え。僕は失恋した乙女のように、か細い声をあげぐったり脱力しながら、てのひらだけはなお首をしめ続けていたのだ! ぎゅうぎゅうと指をおしこみ、存在しない頸動脈を、すでに死んでしまった彼女の幻影を、ひたすらに握りしめていたのだ。
 アンドロイドは悲しげな瞳をむけながら、わずかに首を振った。その意味するところは、ちょっとわからない。
「警告、警告、当個体は」
 二度目の音声を、しかし少女は噛みしめた。苦しげな表情をしながら、うっすらと笑った。
「愛しています」
 それは静かな声だった。凛。僕の鼓膜を強くはじいた。
 すう、と、てのひらの力さえついには消えて、僕は彼女の上にもたれかかった。胸のところにちいさくかたい頭があった。彼女の身体をつたわって、とく、とく、と心臓の鼓動が聞こえる。彼女が頭をうごかすと、ぎゅいんぎゅいん、モーター音が聞こえる。
 じっと視線を絡ませあっていた。静かな物音の中に時はたって、不思議とおだやかなやすらかな心地だった。
 背骨を曲げて、ゆっくりと口づけをする。舌をからませると、ゴムの味がべたり張り付く。性器は突き立てられたままだ。ゆっくりと動かすと、途端、全身に溢れる多幸感。
 時間超過の内線電話がけたたましく鳴り叫びはじめた。それを無視して、僕らはずっとずっと繋がったまま、ゆっくりとお互いを感じあっていた。人工毛髪をすいてやると、彼女は鼻を鳴らして、ちいさく笑った。それはキスをした直後の、あの女の子の表情とそっくりだった。僕も笑って、もう一度キスをした。やがて店員が飛び込んでくるまで、じっとその体勢のままでいた。
 春が近づいていた。僕は彼女の体内に射精して、まどろみのようなけだるさを全身にあじわいながら、左手で彼女の右手をそっと握った。模造脂肪がやわらかく、その感触は遠い思い出によく似ていた。ぎゅいんぎゅいん。ぎゅいんぎゅいん。

       

表紙

みた [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha