目が覚めると見知らぬ女に首を絞められながらキスをされていた。
「……? ――!?」
しかも割とキツく絞められていた上に口を塞がれていたからか手足にあまり力が入っておらず、目覚めたばかりなのに永眠の瀬戸際まで追いやられていた。
ちょっと待て、このままじゃ本当にやばい。
よく見ると彼女は目を瞑っているのかどうやら僕が目を覚ました事には気づいていないようで、時には舌を絡ませながら僕の酸素の通路をみるみる狭めていた。
「ぐっ……むぐっ……」
兎に角この状況を打開しようと殆ど力の入らない腕を必死に上げる。
そして何とか彼女の肩に手を置くと渾身の力を込めて引き離そうとした。
下手すれば、いや可能性としては寧ろ余計に締め上げられてそのまま窒息してしまう方が高かったが――何もせずに殺されるよりは一筋の光がある気がして僕は必死に押し続けた。
すると意外にも彼女はあっさりと僕から唇と手を離し――
「何だ、起きたんだ」
と、言うのだった。
これが単なるラブコメであれば「何するんだよ~」「えへっ、呼んでも起きないからキスしたら目覚めると思って」「逆白雪姫か!」などといったほんわかした展開になるだろうが、そんな筈もなく、現実の僕は呼吸を整えるのに必死で、命の前にキスなど塵に等しいものであった。
そして呼吸のリズムが安定した所でようやく彼女に問う。
「誰だ? お前」
勝手に人の民家に侵入した上に僕を殺しかけた殺人未遂犯に訊くべき質問じゃない事ぐらい百も承知だが、とりあえず、そう訊いてみた。
「私? 桜ノ宮卯月」
改めて見ると一体どこにあんな力があったのかと思わせるほど華奢な身体をし、ミディアムロングの黒髪にカチューシャ風の編み込みを入れている彼女は、特に悪びれる様子もなく、生気の感じられない冷めた目でそう名乗った。
その雰囲気に妙な気持ち悪さを感じるが、構わず質問を続ける。
「何で……僕の部屋にいるんだ? 物盗り……という訳じゃ無さそうだけど」
「それはこの家から力の流れを感知したからよ」
「は……? 力の……流れ……?」
突然何を言い出すのかと思えば……コイツ頭大丈夫か?
いや大丈夫だったらそもそも不法侵入なんてしないよな。
……もしかしてとんでもない電波野郎に目を付けられてしまったのか。
「そう、力の流れ、厳密に言うと違うのだけれど簡単に言えば異能の力を持つ者から無意識に放たれるオーラみたいなものよ、それをあなたから感知したから始末しに来たの」
「し……始末って……」
ということはやっぱりこの女、僕のこと殺すつもりだったのかよ……。
「でもいざ殺そうとしたらあなたの寝顔があまりにも素敵だったから――だから、殺したい感情と恋い慕い感情の両方をぶつけたらどちらが勝るか試していたの」
そう彼女は――淡々と、とんでもない事を言うのだった。
あまりに平然と、さらりと言うものだから思わず『なるほどなあ』と納得した返事をしそうになったが、どう考えても発想が異常だ。歪んでいると言っても言い過ぎじゃない。
それに何だよオーラって、最近の違法薬物の副作用にはそんな幻覚症状でもあるのか?
もしそうだとしたら下手に刺激するのはよくないかもしれない、なるべく会話は相手に合わせるようにして、早急にこの家からお帰り願うとしよう。
暗闇を手探りしながら進むかのように、僕は慎重に言葉を選びながら口を開く。
「な、成る程、お前がここにいる理由はよく分かった。要するに俺が凶悪な超能力を持っている悪故に正義の鉄槌を下しに来たという訳だな? しかしあろう事か僕に惚れてしまったと」
我ながらとんでもなく恥ずかしい台詞をよく言えたものだと褒めてやりたいが、今そんな余裕はない、とんだヒステリックかもしれない奴を前に気は抜けない。
「私はあなたに惚れてしまった、のかしら、でも確かに今あなたを殺したい感情はかなり薄い気はするわ、恋い慕い感情が濃くなっている訳でも無い気がするけど」
と、感情が壊死しているのかと言いたくなるぐらい起伏の無い口調でそう返された。
……自分の感情なのに随分と客観的な物言いなんだな。
これも薬に見られる兆候だったりするのか?
「けれど、あなたが悪だから私が正義の意思を持って成敗しに来た、というのは違うわ。だって私も、あなたも、私達以外の人間も、善悪で立場を区別出来ないもの。ただ純粋に、私達は死にたくないから、生き残れば希望があるから、総じて殺し合っているだけ、そこに良いも悪いも存在しないわ」
勿論そうでない人もいるけど、と彼女は付け加えた。
……つまり彼女は僕を敵と思って殺そうとした、と言いたいのか?
いや、多分そうなのだろう、僕に襲われそうな、殺されそうな気がしたから、殺される前に殺そうとした――ただそれだけなのだろう。
くそ……さっきから薬物中毒者にありがちな症状のオンパレードじゃないか。
「な、なあ、悪いんだけど、とりあえず上から退いてくれないかな、別に危害を加えるつもりはないからさ、そもそも事態を飲み込めていないのに異能も糞もないし」
反論か反抗でもされるんじゃないかと多少危惧したが、しかし彼女は何も言わず切り揃えられた前髪と割と大きな胸(Dカップぐらい?)揺らしながらゆっくりと起ち上がった。
このまま窓から飛び降りれば案外逃げ切れるような気がしたが――しかし彼女は馬乗り状態から起ち上がっただけに過ぎず、僕を挟んでいるのには変わりが無かったので素直に諦めた。
――仕方なく彼女にまた話し掛ける。
「つーかさ、さっきのお前の言い方だと他にも異能の力を持った人間がいるということになるけど、実のところ俺やお前みたいな奴は一体どれだけいるんだ?」
「分からないわ。殺しても当たり前のようにまた新しい能力者は出現するものだから」
「――そんなもんなのか」
振っておきながら適当に返事をし、恐る恐るベッドから床に足をつける。
最初の行動と言動のインパクトが強すぎた所為か下手な動きを見せたら殺される、なんて思っていたけどさっきから僕の言うことには素直に答えてくれるんだよな……。
案外『帰ってくれ』と言っても素直に帰ってくれそうな気がしてきた。
いや、それでも慎重に越したことはないか、頭の捻子が緩んでいるのは変わりないし。
些細なミスで電波薬中女と同じ屋根の下で生活とか御免だしな。
……まあ、キスはよかったけど……普通に見た目は可愛いし。
そんな事を考えながらさり気なく部屋から出ようとする――が
「どこへいくの」
当然引き留められてしまった。
まあ、流石にそう上手くは行かないよな。
「……トイレだよ」
「トイレ?」
「黙っていたけど結構前から限界に来ていてさ、そこで待っててくれないかな」
「そう、分かったわ」
よし……後はトイレから警察に通報すれば何とかなる筈――
僕は。
本当は彼女の言うことを信じるべきだったのかもしれない。
それがたとえ戯言だとしても、訊くべきだったのかもしれない。
そして力を――異能の力を見せて貰うべきだったのだ。
そうすれば扉を突き破って手は出てこなかったかもしれないのに。
「――ぁ」
――僕の首は千切れなかったかもしれないのに。