Neetel Inside 文芸新都
表紙

世界一巨大なチンコを持つ人の生涯
幼少編

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俺は、産まれた時から陰茎が人並み外れた大きさだった。医者でさえ驚愕するサイズだったと聞かされた。
父の通常時よりは大きかったと聞かされた。即ち産まれた時には既に8センチ以上だったわけだ。
父はそんな俺の陰茎に因んで俺に「大」という名を付けた。ヒロシでは無く、ダイである。
この名前が後に俺のあだ名を「犬」にして心に深く傷を負うことになるとは、誰も知らなかったであろう。
ちなみに出生時の体重は4200グラムで、陰茎がその多くを占めていて、陰茎を除けば通常より少し軽いくらいの子供だったらしい。

     

俺が三才の時、俺は俺の陰茎が大きいということを知らなかった。父と一緒に風呂に入った時は、陰茎はみんな似たような大きさなんだな。としか思っていなかった。
が、幼稚園に入園し、その概念は崩れ去った。プールの授業があったからだ。プールに入る前に着替えるときに、俺は脱ぐ。誰だって脱ぐ。水着を着るために。
俺は脱いだ。子供だったこともあり、脱いだ後ははしゃいで他の物とは明らかに違うそれをブンブンと振り回して走り回った。
当然他の子供も走り回る。そしてここに異変に気づく。他の誰の股間にも、陰茎が無いのだ。いや、正しく言えば、陰茎が無いような錯覚に陥った。
何故なら誰の股間にも、およそ10cmの陰茎がついていなかったからである。無い子供は無いが、ついていたとしても、数cmの小さなソレである。しかも、包茎の。

先生が軽く悲鳴をあげたのを覚えている。確かに、俺も小さな子供に体に似合わない10cm超えの皮の剥けたソレがぶら下がっていたら俺も悲鳴をあげるだろう。
かくして俺は、俺の陰茎が他より大きいことに気がついた。アルバムには、俺の巨大な陰茎が水着の裾からはみ出ているのがわかる。子供の時から右折れだった。

     

五才の頃、好きな子が出来た。ツインテールが似合う子供だった。その子と俺は仲が良く、しょちゅう休日に遊んだりする仲だった。
そんな中、プールの時間がやってきた。彼女は、「ダイはあたしのおとーさんだからいっしょにきがえるの!」と言って、僕をトイレの個室に連れ込み、鍵を閉めた。
彼女は服を全て脱ぎ、「みないでよダイのえっち!」だとか言っていた。俺は着替えるのがゆっくりだったから、その時はズボンでも脱いでいたんだろうと思う。
俺がパンツを脱いだ時、彼女は「うわぁーっ、すごーい。お父さんのよりおっきーい。」と言った。当時は15センチは軽くあったと思う。
俺が照れていると、彼女は「さわっていい?」と聞いてきた。俺は「いいよ。」と照れながら言った気がする。その後彼女は、俺の陰茎を触りだした。

もちろん性の知識なんてお互い無いのだが、生理的現象は止められなかった。つまり、俺の人生で初めての勃起が起こってしまった。
彼女は俺の三倍に膨れ上がったソレを見て、悲鳴をあげて大声で泣き始めた。俺も混乱して泣いた。
その後に女の先生が駆けつけて、トイレの内側に手を伸ばして鍵を開け、ドアを引いて開けた。その瞬間、その女教師も、悲鳴で腰を抜かしてしまった。
それはそうである。5才児の子供の股間から伸びている勃起した大人にも少ないような巨大な陰茎を見て驚かない者はいない。
好きだった女の子は走って逃げていった。女教師は笑いながら逃げた。俺は取り残されて、泣き続けた。

以降その女の子は男性恐怖症となり、女教師は教師を辞めた。苦い思い出である。

       

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