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マカイノ開拓史
第二話「黎明記」

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 日常と非日常はクッキーとチョコチップのような物である。どちらかが無ければ、物足りない。
 という自作の格言を七岡少年に教えたのはゴローだったが、それはただ単にゴローの好みのお菓子という話であって、歴史に残る名言にはなりえないように思われた。
 しかし今、ゴローの理屈に則って言えば、七岡少年は大変美味なチョコチップクッキーを食している事になるだろう。
 お化けビルで不思議な本の真髄にほんの半歩だけ近づいた翌日の朝、七岡少年は学校を休もうと画策したが、仮病を使えば家から出られないし、仮に脱出出来たとしても、昼間にお化けビルのあたりを歩いていたら補導される可能性もあるとして仕方なく学校に来ていた。
 授業中、教科書に乗った、ゴローとは違って名言を残した偉人達の顔に落書きをしていた時間はそっくりそのまま、例の不思議な本が紡ぎだした物語について深く考える時間に摩り替わった。
 あの生物達の正体は何か? を考えるよりも、どうしたら村を更に発展させられるか? を考えると胸は高鳴った。 
 シャーペンは指と指の間で高速で回転する七尾か少年を、後ろの方の席から寝ぼけ眼をこすりながら見ていた衣奈は、2人が今、全く同じ事を考えている事に気づいた。
 マルフェールが登場し、神官が登場し、大地が登場し、村人が登場してからの話を少しだけ語らなければならないだろう。

     


     

 まず、日本語が通じたのは神官までだった。最後に登場した村人達は、「むむむ」とか「ぬぬぬ?」とか「どぅどぅどぅ!」といった謎の言語で会話しあい、七岡少年と衣奈には全くの理解不能領域にあった。
 唯一、村人達の言語も理解し、日本語も理解できるのが神官で、マルフェールはというと、何故か若干にこちら側の存在として扱われているらしく、村人達から姿は見えているものの、会話が出来ないといった状態。よって、神官は通訳として懸命に働いた。
「ここはどこだ? と騒いでいます」「どうやら、村人達には神様の姿が見えていないようです」「こんなに何も無い所でどうすればいいのか? と不安がっています」「今、我々の側には神様がいると教えましたら、これからどうすれば良いのか示してください、と祈っています」
 神官の通訳はどうやら正確だったようで、村人達はばらばらの方向に向かって、両手を合わせて「むむむー」と祈りを始めた。
 例の如く、七岡少年が次のページを開こうとした。だが、それは出来なかった。本は固くその口を閉ざし、続きを語ろうとしない。今までただただ続きを読むだけだった小さな読者達に、初めて試練が与えられたという訳だ。
 これからの物語を紡いでいくのが、ひれ伏しながら求道する小さき者達であるという事は、まず確実だろう。
「どうするったって……うーん……」
 七岡少年は困り果てて呟いた。ちらりともう1人の神の方を見て、衣奈の口が見た事無い形、何度も使った古い輪ゴムのようにゆるゆると緩んでいるのに気づいた。
 村人達を母性に満ちた眼差しで見つめる衣奈は、本物の神とまでは言えなくとも聖母マリアくらいなら十分にありえる、と七岡少年は思った。趣味にもよるが、マルフェール達は確かにかわいらしい姿をしているし、言葉も喋れるのだから、意思疎通という点では犬や猫やうさぎより優秀といえる。得体が知れないという点はマイナスポイントかもしれないが、パンダの生態に詳しくなくとも「かわいい」と思うのはごく一般的な事だ。
「そうだ、エサ! エサは何をやればいいんだ?」
 七岡少年の中の、飼育係の本能がそんな疑問を輩出した。神官が答える。
「エサ、ですか。そうですね……」
 神官は周りを見回して、ある物を見つけた。
「アレなら私達でも食べられそうです」
 それは先ほど大地から生えてきた背の高い白い木だった。七岡少年がしゃがんで覗き込み、目を凝らすと、白い木にはこれまた白くて丸い、何か果物のような物が実っているようだった。丸くて、1つの木に2つか3つ程生っているのを見ると、ヤシの実に近いが、木自体はむしろ松のようで、大きさ的にも、「盆栽」が限りなく正解に近い。
 神官は木までとことこと歩いていって、その手を伸ばして、先に持った杖で果物を突いたが、そう簡単に実は落ちてこなかった。
 その様子を見ていた七岡少年が、ほぼ無意識に手伝おうと手を差し伸べた時、ある事実に気がついた。
「あれ?」
 同時に、衣奈の方もその法則に気づく。
 七岡少年は、そこに生えた白い木にも、白い果実にも触れられなかった。一方で衣奈は、村人達の頭を撫でる事が出来なかった。
 この場合、どちらがそうなのかは難しい問題だが、七岡少年の指はまるで「幽霊」みたいに対象物をすり抜けた。衣奈も同様で、村人達を手の平に乗せて愛でるという小さな願いは叶えられる事がなかった。
「このような事にわざわざ神の手を煩わせる事は出来ません」
 神官はそう意気込んで、杖を強く突き出した。果実もようやく折れ、地面へと落ちた。
 杖を置き、一口だけ頬張る神官。むしゃむしゃと食べる様子は、ハムスターに酷似している。
「俺達は本から出てきた物には触れないみたいだ」
 と言って、神官の杖を指で突こうとするものの、再びすり抜ける。神官は杖を握り、果実を置いて言う。
「そうなのですか。それは残念です。では、私が頑張って村人達の分もとりましょう」
 神官は持った杖で再び果実を突っつきだした。その様子を見て、七岡少年は名案を思いついた。
「マルフェール! こっちに来てくれないか?」
 村人達と通じない会話を楽しんでいたマルフェールは、忠義心溢れる騎士のごとく威勢の良い返事をして、ぴょんぴょんと跳ねて七岡少年の下に馳せ参じ、言う。
「はっ、神様! 何か御用でしょうか?」
「ああ。神官が今果物をとろうとしているから、良ければ踏み台になってくれないか? そうしてくれたら、上手くとれそうなんだ」
 七岡少年が名案を指示に変えて下すと、マルフェールは「承知しました!」と声を張り上げ、神官の前に跪いた。
 七岡少年の予測どおり、神官がマルフェールの背中に乗って手を伸ばすと、ちょうど果物を掴める高さになった。こうして、杖で突くよりは遥かに効率的に、果物を入手できるようになった。


 いくつかの木を周り、手に入れた果物は小さな山になった。
「神様の素晴らしい助言でこんなに多くの果物が手に入りました!」
 やがて村人達は一心不乱に果物を頬張り始めた。村人達は口々に「むむむぅ!」と言って、意味は分からなかったが、盛り上がっているようだった。七岡少年は衣奈と一緒にその様子を眺める。にんじんを食べるうさぎもかわいいが、この小さな生物達の仕草にはそれとはまた違った愛らしさがある。
「これだけ食料があれば、私達のお腹は当分持つ事でしょう。神の恵みに感謝を!」
 村人達の食事が、ちょっとした祝宴になりかけた頃、衣奈が「あ!」と声をあげた。
「どうした?」と、七岡少年。
 衣奈の視線は七岡少年からマルフェール達に移り、更に窓の外の夕日へと移った。
 そしてまた七岡少年に視線が戻ってくると、涙目になりかけているのが分かった。
「も、門限が……」と、衣奈は不安そうに呟く。
「門限? 何時まで?」
「……5時」
「5時!?」
 それじゃあ学校が終わって一旦帰って遊びに出たら、1時間半も遊べないじゃないか、と七岡少年は瞬時に計算結果を弾き出した。男子と女子の文化と習慣の違いに驚きつつも、かといって引き止める事も出来ない。七岡少年は出来るだけ気楽に言う。
「じゃあ、今日はここまでにしよう。明日また来ればいい」
「で、でも……」
 と、衣奈はマルフェール達に視線を落とす。衣奈の肩にのしかかっているのは、今この場を離れたら、せっかく手に入れた非日常も一緒に手放してしまいそうな不安と、家に帰らなければならないというプレッシャー。体が震えている。
「大丈夫だ」
 七岡少年はそう強く断言した。
「ここでは俺達は神様なんだから、必要とされているはずだろ?」
 衣奈の震えは止まった。その代わりに、安堵の笑みが零れる。
「……うん!」
 かくして、その日の開拓は終了した。


 そして話は翌日の学校に戻る。
 終業のチャイムが鳴るや否や、七岡少年は友達の呼びかけも無視してクラスを飛び出した。
 普段ならば図書室に直行する衣奈も、今日は七岡少年の後を追って校門をくぐる。
 クラスメイト達はその奇妙な光景に首を傾げたが、何せ七岡少年達には使命があったのだから仕方が無い。
 古今東西、人間達は様々な物を神として崇めるが、小学生2人を神として崇めるのはおそらくここだけだろう。お化けビルの片隅に、昨日出来たばかりの小さな国。
『マルちゃんランド』
 命名は衣奈。七岡少年は黙したまま、賛成も異議もなし。
 外見上は全く昨日と変わらないお化けビルの階段を、2人は駆け上る。
「神様! どうかお助けください!!!」
 そして七岡少年と衣奈を迎えたのは、マルちゃんランドの歴史上、最大の危機だった。

     

 七岡少年がその状況を目撃して、理解するまでに少しばかりの時間がかかった。
 昨日までのマルちゃんランドは、サバンナを思わせる荒野に、まばらに生えた木、僅かな実りしかなかった大地が全てだった。ミニチュアとしても殺風景で、小さくなって実際にそこで住めと言われたら、誰だって拒否していた事だろう。
 だがそんなナニモナイ平野に、1本の大きな木が生えていた。この木何の木? と問いたくなるようなその大木は、他の木と同じく枝葉が茂り、マルフェールがすっぽり3体分入るくらいの幹でもって、国民全員を文字通り「支え」ていた。
「神様! 助けてください!」
 そう叫んだのは神官だった。3本の触手を器用に使って木の天辺に立ち、もう1本の触手で杖を掲げている。その巨木の下にいる、5匹の「群れ」を見つけて、七岡少年はうろたえた。
 結果、行動に移ったのは衣奈の方が早かった。ランドセルを放り出して、木の近くにしゃがみ、その群れに手で触れようとした。だが、駄目だった。昨日、村人達にしたのと同じように、衣奈の手は何も掴まなかった。木に触れようとしても同じで、唯一マルフェールだけには触れる事が出来たが、マルフェールだけ避難させても仕方が無い。それに、マルフェールはマルフェールなりに村人達に頼りにされているようで、「ケモノ」を見て怯える者達は皆マルフェールにしがみついていた。
 そう、それは「ケモノ」と呼ぶしかない存在だった。見た目、動き、雰囲気からして、村人達とは明らかに違う種族。村人達も決して人間に見える訳ではないが、ケモノ達は明らかに動物に属している。4本足で、のそりのそりと移動し、口からは鋭く尖った牙。あえて現実の動物に例えるならば、ライオンか、あるいはトラ、色が黒いので、クロヒョウにも見える。現存しない物でも良いならば、サーベルタイガーが最も近いと言えるだろう。
 七岡少年は衣奈の行動を見てからようやく、村人達が「襲われている」という事実に気づいた。冷静に見れば馬鹿でも分かる。だが、冷静になるという事が緊急事態には難しい。
「な、七岡君! どうしたらいいいの!?」
 七岡少年よりも早く行動に移った衣奈でも、対処策までは浮かばなかった。何せ手を伸ばしても何も出来ない。獰猛なケモノ達は、今か今かと村人達が木から下りてくるのを待っている。いや、待っているどころか、4本足を駆使して木に向かって高くジャンプしたり、爪を引っ掛けて登れないか試している。まさに野生の光景だった。人間達だって、「武器」もなしに未開の地に放り出されればおそらくこうなるだろう、と七岡少年は混乱の中でそう思った。
 そうだ、武器があれば……。七岡少年は閃いた。
「マルフェール! お前、こいつらと戦えないのか?」
 急に振られ、あわや木からずり落ちそうになったマルフェールは、しどろもどろになりながらも答える。
「は、恥ずかしながら、我輩の力ではこいつらには勝てませぬ!」
 勇者にあるまじき軟弱な台詞だったが、それは確かに事実だった。
 七岡少年は片方の肩にかけたランドセルを下ろし、急いで中から筆箱を取り出した。こんな時に宿題をする訳ではない。筆箱をひっくり返し、ばら撒かれた物の中から掴んだのは、銀色のノック式シャープペンシル1本。指の当たる所にラバーがあり、先端は尖っている。マルフェールのサイズならば、この一般的な筆記用具も、槍として扱えるはずだ。
「マルフェール、この槍を使って戦ってくれ! 今はお前しか、この村を救えないんだ!」
 七岡少年は、樹上のマルフェールにシャーペンを手渡した。村人達には、相変わらず神の姿は認識されていないが、マルフェールには見えているし、手で触れる事も出来た。ならば何か物をあげる事も可能なはずだ、という七岡少年の願いに似た予想は見事に的中した。
 受け取ったマルフェールは、そのつぶらな瞳でシャーペンを見つめ、唾を飲み込み、一呼吸置いてからこう言った。
「我輩、覚悟を決めました。大事な仲間達を守れなくて、何が勇者か。我輩は例えこの身滅びようとも、この国を守ると、今決めました……!」
 マルフェールはシャーペンを背負い、するすると木を下りていった。5匹の獣達も、マルフェールが何やら対抗手段を手に入れた事に気づいたようで、木から離れ、身を寄せて構える。
 ケモノに囲まれる形となったマルフェールの姿勢は堂に入っていた。その表情はまさに勇者のように凛々しく、歴戦を制してきた風格さえ漂っていた。確かにマルフェールの身体は小さかったが、その魂は何十倍も、何百倍も大きかったのだ。
 まずは1匹の、他の獣よりも一回り体が大きな獣が、マルフェールに襲い掛かった。鋭い牙を剥いて、マルフェールの頭めがけて一直線。この突進力があるならば、村人はひとたまりも無いだろう。何人か木の上に逃げられただけでも幸運だったとさえ思えた。
 しかしマルフェールはその速さに反応した。大きく開いたケモノの口から覗く牙を、シャーペンの先端で叩き折ったマルフェールは、続けざまに襲ってきた2匹の獣も、見事な槍さばきで退けた。あっけない程に、あっという間の出来事だった。
 この時のマルフェールの雄姿は、後年の歴史にこう記されている。
『勇者マルフェールの操る神槍は、いかづちの如き速さで獰猛なるケモノ達を蹴散らし、激しく火花を散らした。勇者マルフェールは、我が国の最初の村人達に、生きる希望を与えたのだ』

     


     

 思わぬ反撃を喰らったケモノ達は、マルフェールから距離をとって、しばらくうろうろしていたが、マルフェールが一歩も退かぬと見てどこかへ去って行った。どこか、と言っても七岡少年達からは見えている。ケモノ達の巣は、部屋の四隅の一角、日の届かない一番暗い場所だった。
「マルフェール、大丈夫か!?」
 ぺたんと尻餅をついてその場にへたれ込んだマルフェールに、七岡少年はそう声をかけた。たった今、獅子奮迅の働きを見せたマルフェールは、「な、なんのこれしき……!」と強がりを言った。
「素晴らしい活躍でした! 勇者マルフェール様!」
 いつの間にか、木から下りて来た神官と村人達が、マルフェールを取り囲んで拍手をしている。マルフェールは英雄だった。自他共に認める、「勇者」となったのだ。
「いやはや、神様から与えられたこの槍がなければ、我輩などきっと勝てはしませんでした。神様、まことにありがとうございます」
 と、マルフェールは謙遜し、尊敬の矛先を急に向けられた七岡少年は、「い、いや、俺はシャーペン渡しただけだし」と、少し照れた。
 それから、自分の背後で力なくへたれ込む存在に気づいた。
「大丈夫か?」
 と、衣奈に問う。衣奈は、「良かったぁ……」と率直な気持ちを言葉にして、涙を浮かべながら微笑むという本人でさえした事のない顔をした。


 危機は去った。が、安心は出来ない。状況が落ち着くと、神官は厳かに語りだした。
「昨日、神様がおられなくなってから、しばらくは平和な日々が続きました。村人達と果実を採集して暮らし、いつでも神様を迎えられるように広場を用意して、そこに採集した果実を貯めていました。
 一番初めにその生物に気づいたのは、恥ずかしながら私でした……」
 神官の告白によると、先ほどのケモノ達は、最初は村人達よりも小さくて、かわいらしい生き物だったという。余った果実をエサとして与えている内に巨大化し、凶暴化し、村人達の手を離れて、独自の巣を作り出した。そしていよいよ果実だけでは満足がいかないようになり、村人達を襲い始めたのだという。
「後悔してもしきれません。私が早く異変に気づいていれば……」
 神官は、ケモノ達の突然の襲撃によって、村人達の何人かは実際に「喰われて」しまった事を震える声で述べた。
 村人達の数が昨日よりも少なくなっている事と、ケモノ達に対する怯えっぷりから見て、飼育係である七岡少年は、その事実にある程度気づいていた。しかし実際の訃報を聞くと、全身の細胞が心臓から離れていくような、奇妙な感覚に襲われた。
 予想していた七岡少年でさえそうであったから、衣奈はもっと強く感情を揺さぶられていた。それは到底言葉では言い表せない抑揚だった。
 学校で飼ったうさぎが死んだ時と似た気持ちだ、と七岡少年は思った。悲しみ、そして後悔。それから静かな怒りがやってくる。嵐の海、灯台の無い丘。
 しかしながら、今回の場合はただ黙って、自分を制御しているだけではなかった。七岡少年は、ある決意を口にした。
「まずは家を作ろう。それから、シャーペン以外の武器も用意しておくべきだと思う。あと、実験したい事もいくつかあるから、皆に協力してくれるように言ってくれ」
 肩を落としていた神官は、七岡少年の強い言葉を聞くと、みるみる姿勢を正していった。それから七岡少年は、衣奈のほうには決して振り向かず、まるで独り言のように言った。
「これから俺は、こいつらを育てていく。まあ、訳の分からない奴らだけど、悪い奴じゃなさそうだし、せっかくあの本を手に入れたんだから、やれるだけやってみようと思う。だから、上諏訪も何か良いアイデアが浮かんだらどんどん言ってくれ。俺より賢いしな」
 衣奈は驚愕のあまりに呼吸が止まる。何か返事をしようと、喉まで言葉が出掛かったが、舌が勝手にブレイクダンスして言う事を聞かない。七岡少年は出来るだけクールに呟く。
「いや、まあ、嫌なら良いんだけど……」
「嫌なんかじゃない!」
 大きな叫びに目を丸くして、引っ張られるように振り向く。
「わ、私も! 協力する! た、大した事は……出来ないかもしれないけど……!」

 ――マカイノ暦66年、この地に降り立った最初の国民達に、神は国の繁栄を約束した。

     

 黒一色の地面は、村人達の手でも少しだけ掘る事が出来た。これまでは、「せっかく神様からいただいた大地という贈り物に対して傷をつける事などもってのほか」として遠慮されていた行動だったが、正式に神からの許可が下り、そして地面の下から新しい素材「白くて硬い石」が見つかり、ネーミングに定評のある神様の1人がそれに白硬石というそのまんまの名前をつけると、村人は全員で地面を掘り返す作業に没頭した。
 発掘された白硬石は、掘られた場所によって大小形は様々だったが、性質はおおよそ同じようだった。投げる事が出来、転がす事が出来、神には触れられず、石同士を激しくぶつけると割れた。
 割れた部分が鋭利に尖り、村人の1人が不用意に触って小さな怪我をした。余談ではあるが、人類が打製石器に出会ったのは、現代から遥か100万年以上前の事である。
「よし、その尖った石を使って、あの白い木が切れないかどうか試してみてくれ」
 七岡少年が指示し、神官がそれを訳し、村人達が行動に移した。が、そう簡単に上手くはいかなかった。いかんせん石の刃になった部分が小さく、白い木に深く突き刺さらない。「切る」など到底無理な話。
「あっ……あの、研いでみたら良いんじゃないかな?」
 と提案したのは衣奈で、それは成功した。割れた石同士を擦りあわせて丹念に研ぎ、出来るだけ表面を幅広く、かつ滑らかにした上で木にそれを振り下ろすと、今度は見事に刺さった。それを何度も何度も繰り返すと、マルフェールよりも背の高い木だって横に倒れた。
 伐採した木を更に細かくしていく。まずは縦に半分に、それから横に半分に。手に持って振り回せるサイズになったので、石と木を草で結びつけて、「石斧」が出来上がった。作られた石斧は、七岡少年のシャーペンとは違って村人にも装備する事が出来たので、更に木を切るスピードは早くなった。
 道具の出現によって、村人達を手分けして働かせる必要も出てきた。地面を掘って白硬石を採取し、それを割って研ぎ、木を伐採して斧を作る。残った5匹の村人に、マルフェールを合わせた6匹がそれぞれの作業を担当し、神官は全員の様子を見ながら、七岡少年と衣奈への報告と、新たな助言の神託を受けた。
 ふと、七岡少年は気づかぬ内に寝そべっていた自分の体を起こして、村人達の活躍に釘付けになっているという事実に気づいた。何せおよそ1時間で、人類100万年分の歴史を見ていたのだから無理もない話だ。


「そうだ、門限は大丈夫か?」
 と、七岡少年が問うと、衣奈は少しバツが悪そうに答えた。
「だ、大丈夫」
「……本当に?」
 嘘を見破るのではなく、気遣いのある七岡少年の問い方に、衣奈は少し安心して、詳しく話す。
「昨日ね、お母さんに学校の帰りに『友達と遊んでくるから、少し門限を伸ばして』ってお願いしたら、6時までならいいって。色々聞かれたけれど、この場所と本の事は言ってないし、それに、嘘もついてないよ?」
 言った後、火がついたみたいに慌てながら、「あ、で、でも、勝手に七岡君の事を友達って言ったのは、違ったかもしれないけれど……」
 見てる方が気の毒になるほど、余りにも自信無さそうに言う衣奈に対し、七岡少年は言い切った。
「友達だろ。何も間違ってない」
 そして開拓は続く。


 倒され、同じ大きさに揃えられた木が束となった。草を抜き、それを編み上げて作った長いロープを使って、木同士を縛って留めていく。どう組み立てれば一番安定するのかで若干の試行錯誤があったが、四角く囲って立てるだけでもそれらしい形になった。
 雨が降る訳ではないので、屋根は必要無かった。とにかく、ケモノ達から身を守れる空間があれば、これ以上村人達を失わずに済む。まずは家。それから食料庫。見張り台があれば完璧だろう。石斧の作り方を少し変えれば槍だって作れるはずだ。そうなれば、逆にケモノ達を狩る事だって出来るかもしれない。
 その旨を七岡少年から伝えられた神官は、何度も礼を言った後に村人達に訳した。仕事の増えた村人達に不満を唱える者はおらず、むしろ、ケモノに対する恐怖心と、生活を良くしていこうという向上心で更に頑張って働いた。
 危機を乗り越え、結束した心の中で、まさに1つの町が出来ようとしている。


 七岡少年があれこれと考えながら指揮する一方で、衣奈の方は隅っこでケモノ達の観察をしていた。衣奈の調べによると、ケモノ達は集団で生活をしており、言葉は話さないが、群れとしての統制はとれているようだった。
 驚くべきはその生態で、今の形は四足歩行する肉食の哺乳類そっくりだが、ずっと見ていると1匹だけ首の長い個体が現れ、白い木に実った果物を直接食したという。村を襲って食料を得る方法が絶たれて、キリンのような草食動物に進化したと見るのが妥当で、だとすれば、進化をするのに世代交代を必要としない動物という事になる。村を襲わなくても飢え死にせずに済むという事を知って、衣奈は少しだけ安心したが、同時に、やはり村人達が自力で身を守らなければ滅ぼされるという事にも気づいた。
 何せ、ケモノ達は気づくと増えているのだ。大地から小さく黒い塊が植物のように発生し、見る見る内に大きく、環境に適した動物の形に育っていき、最も効率の良い方法で食料を得ようとする。もしも食料が足りなくなったり、住む場所が狭くなったら、再び村人達を襲わないとも限らない。
 一方で、村人達もケモノと同じ増え方をしている事に気づく。ただし村人達の場合は、環境に適応する力は無く、代わりに知性、道具を作って扱う能力があるようだった。これはそっくりそのまま、人間と動物に当てはめて考えられるだろう。つまり、ケモノ達が増えるのをどうにかして抑えて、共存していく方法が、いずれは必要になってくる。
 「敵」や「味方」ではなく、どちらも平等に心配する事を衣奈は矛盾とは思わなかった。
 そして門限が近づく。


「建物を作る方法は教えたから、後はあいつらが自分でやってくれるだろ」
 七岡少年は意図して楽観的に、衣奈にそう報告した。
「ダンボールか何かを使って、俺が家を作るというのも考えたんだけど、どうもそれじゃ駄目らしい。さっき俺のランドセルで試してみたんだけどさ、こっちの世界の物は、マルフェールと神官以外には見えないらしいんだ。だから、本人達の手で作らせないとな」
 お化けビルからの帰り道で、七岡少年は饒舌だった。元々動物が好きで、世話をするのも好きな七岡少年に、本の与えた状況は好ましすぎる。どうしたら良くなるか、どうしたら問題が解決するか、考え始めると止まらなくなった。
 一方で、衣奈の表情は暗い。
 実際にその場面を見た訳ではないが、村人達が喰われるという事実はなかなかに衝撃的だった。しかし、そんな単純な事ではない気持ち。もっと根本的な、漠然とした不安。
 マルフェール達の生活は、まさに数千、数万年前の人類と同じだ。彼らには学習能力があり、感情があり、1人1人の性格もある。
 だとするなら、人類と同じ道を辿ってしまう可能性は高い。
「暗い顔して、どうした?」
 衣奈は、自分の幼稚で粗暴でいまいちまとまらない考えが覗かれてしまったように感じて、手の震えを感じた。「な、何でも」と答えてみても、無意味な投石だった。
 交差点で、2人の帰る方向は別々になる。衣奈は、言葉足らずながらも、それでも必死に伝えようと努力する。
「その、私、あの、頑張るから!」
 気を使わせる訳にはいかない。足手まといになる訳にもいかない。
 七岡少年は夕日に向かって歩き出し、両手を頭に乗せて言った。
「頼りにしてるぜ~」
 その言葉だけで、衣奈の抱えていた悩みは軽くなった。
 マルフェール達が人類と同じ道を歩んでいこうというのなら、それも良いと、一瞬だけだったがそう思えたのだ。それは誰にも、本人にさえ気づかない些細な歩みだったが、同時に大きな進歩だった。
 衣奈は「戦争」を予感していた。そしてその予感は、そう遠からぬ未来に的中する事になる。

     


     


     

 次の日は、七岡少年が飼育係の当番だったので、衣奈の方が先にお化けビルに来たのだが、中には入らずに、合流を待っていた。1人で入るのが怖かった、というのもあるが、感動を共有したいというのもある。七岡少年が到着し、2階にあがって、たった1日経過した景色を見ると、2人は絶句した。
 立派な町だった。ミニチュアサイズではあるが、だからこそ精巧に出来ている事に驚かされる。村人達は目算50人から60人程度まで増え、踏み込むのさえ躊躇われるような、そこは既にただの廃墟ではなく、れっきとした1つの国だった。


 木が伐採され、開けた空間が出来た。町の中心には、何十本もの柱で支えられた大きな神殿が建っており、その周りを取り囲むように大小さまざまな形の家が立ち並んでいる。そして町の四隅には、高い塔が立っている。家は七岡少年が教えた方法を忠実に守ったものもあったし、独自で考え出したのであろう、モンゴルのゲルや、日本の合掌家屋に良く似ている物もあった。四隅の塔は、ケモノ達の襲撃をいち早く察知出来るように立てた見張り台として使っているようだ。
 採集、伐採、そして建築を伝えた事により、その方面において突出して進歩していると見るのが妥当だろう。
「もしや、あなた達が神様ですか!?」
 そんな声が聞こえ、七岡少年は下を向いて声の主を探す。神殿の中心、開けた場所にポツンとある裁断に、四角い帽子と木製の杖。そこに居たのは確かに神官だったが、気になるのはその台詞だ。
「そう、だけど……」
 自分が神様である事に未だ違和感を覚えつつも、便宜上は正しいのでそう返事する七岡少年。
「お待ちしておりました! 私が先代から神官としての業務を仰せつかった2代目の神官、エドワールです。よろしくお願いします」
 エドワール、当然聞き慣れない名前で、2代目、という事はつまり、別人という事になる。
「2代目って……初代はどうしたの?」
 と、衣奈も乗り出して尋ねると、エドワールと名乗った2代目神官は、深々とお辞儀をした後、こう答えた。
「寿命を、迎えました」
 寿命。生けとし生きる者にとって変えられぬ定めであり、この謎の生物達にもあって当然とする物だが、たったの2日で生涯が終わるのは、余りにも短すぎる。何も言えずに町を見下ろす2人に、エドワールは淡々と述べる。
「本当に立派な方でした。この村のリーダーとなって皆を先導し、ケモノ達の脅威を退け、神様の教えを私達に教えてくださいました。そんな先代が、ある日私の事を呼び出し、こう告げたのです。『私はもう長くない。しかし神の言葉を使い、民達を導く者がいなくなれば、途端にこの村は崩壊してしまうだろう。次の神官はエドワール、人一倍賢いお前が務めるのだ』と。他の者たちも、それに賛成してくれました。それ以来、私は神官の帽子と杖を引き継ぎ、神殿にて神官として振舞ってきましたが、一向に神が見える事はなく、戸惑っていたのです。それが今日、ようやく……ようやく、私の願いが叶えられました」
 エドワールは丸い目を細めて、感動に打ち震えている。
「……そうか。分かった」
 慰めの言葉をかければ良いのか、元気付ければ良いのか、それとも祝福すれば良いのか、七岡少年には判断がつかず、返事は事務的になった。
 神官だけではなく、ここに住む全ての村人には死があるようだった。いや、人間だって何だってそうだ。地面から生まれて、いつか地面に還っていくだけの事だが、それは偉大な循環といえる。そうして国は発展し、文化が生まれ、今、誰かが生きているのだ。
 感傷に浸っていると、ふいに衣奈が悲鳴に似た叫び声をあげた。
「マルちゃん! マルちゃんは!?」
「呼ばれましたかな?」
 気づくと、マルフェールは衣奈の足元に居た。
「マルちゃん!」
 マルフェールには見た目上は何の変化もなく、相変わらずのつぶらな瞳で2人を見上げている。
「いやあ、我輩にも何だか良く分かりませんが、どうやら我輩は死なないようなのですよ」まるで他人事のように、マルフェールはのんきに続ける。「一度、ケモノ達に不覚をとって噛みつかれたのですが、噛んだ方のケモノが飛び跳ねてどこかに行ってしまいました。そうだ、神様は我輩が死なない理由をご存知ですか?」
「いや、」と口に出してから、七岡少年は気づいた。「……主人公だから、か?」
 物語の主人公とは、滅多な事では死なないものと相場が決まっている。主人公がさっさと無に還ってしまったら、話を展開させようがない。「本」というアイテムが、「マルフェールが死なないのは、それで正しい」と語っているとも言える。
「良かった……」
 と、衣奈は一安心して、マルフェールを見つめる。マルフェールはうにうにと腕を動かしながら、首を傾げる。神官が言う。
「では神様、早速新しいご助言を承りたいと思うのですが、何か御座いますでしょうか?」


 七岡少年はふと、本の事を思い出した。村人達を出してから、先に進んでいないが、もしかしたらそろそろ何らかの条件を満たしているかもしれない。試してみる価値はある。
 結果、試してみた価値はあった。ここ2日ほど、沈黙を守り続けていた本がついにその口を開いたのだ。
 七岡少年は衣奈の同意を得て、ページを先に進めた。
 それは奇妙なページだった。これまでに本が見せてきた物も十二分に奇妙すぎる事ばかりだったが、それとはまた違った奇妙さ。今までの物は、紙の上に文字が並び、少なくとも読ませようという気概が感じられたが、今回のは、それぞれのページのド真ん中に、ぽつんと何やら記号が描いてあるのみなのだ。
 左のページには、ギザギザの、何かの切り口のようなマーク。右のページには、点線が波打つようなマーク。2つのマークが何を意味しているのかは全く説明が無く、本を傾けても、今までのように流れ落ちないので扱いに困った。当然、次のページも開かない。
「うーん……」
 本を逆さにしたり、振ってみたり、閉じたり開いたりとしてみたが、一向に変化は起きないので、お手上げといった様子で、七岡少年は衣奈に本を見せてみた。
 衣奈はじっとマークを見つめた後、何も言わずにいきなり、ギザギザのマークを指で押してみた。
 次の瞬間、バチン、と何かが弾けるような音が鳴った。
 衣奈は何が起きたのか全く分からなかったが、七岡少年の角度からはそれが見えた。本の背表紙から、何やら白い雷のような物が落ち、たまたま下にあった木に直撃したのだ。雷の直撃を受けた木は、すぐに燃え始めた。
 白い炎、という物を七岡少年と衣奈は初めて見た。いや、そこに居た全員が初めて見たに違いなかった。火の存在は七岡少年も先日から意識していて、「実験したい事もある」という言葉は、どうにか火が起こせないかを調べようという意味だったのだが、思わぬ形で手間が省けた。
 作業に没頭していた村人達が集まってきて、その圧倒的破壊力と、不思議な美しさに見とれていた。村人の1人が近づいていくのを見て、七岡少年が「止まれ!」と言ったが、神官が訳すのが間に合わなかった。が、白い炎は現実世界における「燃焼」と同じような性質を持っているらしく、その村人は火に触れると同時に「ぐむぅ!!」と叫び声をあげて、ぴょんぴょん跳ねながら逃げ出した。
 火が使えるようになった事によって、調理が出来るはずだ。明かりにもなるし、暖をとるのにも使えるし、ケモノ達を怖がらせる事も出来るかもしれない。しかしお風呂には入れない。器を焼く事も出来ないだろう。なぜならば、この世界には水が無いのだ。
 だが都合良く、もう1つのマークが、いかにもそれっぽかった。
 当然、押してみる。案の定、次に背表紙から出てきたのは「雨」だった。
 雨は白ではなく透明で、触れられない事を除けば、現実世界の水と何ら変わりが無い代物だった。七岡少年が村人達の頭にそれを降らせると、村人達は狂喜乱舞しながら駆け回った。
 自然現象すらも操る事が出来るようになり、七岡少年達もいよいよ神らしくなってきた。

 ――マカイノ暦138年。神の手によりこの国で初めての雷と雨が降った。

       

表紙

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