Neetel Inside ニートノベル
表紙

聖少女観音
まとめて読む

見開き   最大化      

「聖少女観音」


 東京・春海ビックサイトは、続く猛暑の記録更新もあいまって、異様な熱気に包まれていた。
湾内に隣接するという立地上、吹き込む風もねっとりと濃厚な潮気を感じる。
国内外から集まったゲーム愛好者が吐き出す高揚感が、この場の気温をさらに上げているかのようだ。
警備員の誘導に従い緩やかに運ぶ足取りの人々の列が、まるで大河のように連なっている。
開かれる催しは、トウキョウ・ゲーマーズ・ショウ、新作ゲームやコミック、キャラクター商品の展示販売イベントである。
今、最も人気のある美少女ゲーム【聖撃シスターほのか】が原作となったアニメの主題歌の野太い声での合唱が、低く会場を覆いつくしていた。

だが、事件は始まっていた。
イベントの最大目玉であった美少女ゲームの製作会社であるAHJ社が、イベントからの撤退を表明したのだ。
初日、しかも当日の朝である。AHJ社と共に企画運営の要であった各ゲーム会社、主催者たちは青ざめた。
AHJ社の担当社員も、

「詳細はわからない。だが上からの強い指示なのだ」

と、消え入りそうな声で繰り返すだけだった。

その只ならぬ緊迫感は、東側の隅のブースにも伝わった。

「何かあったのか?」

会場アルバイトのサカモトが、遠くのAHG社のブースを眺める。

「なんだろう、もめてるみたいだぞ。フタギ、ちょっと見てこいよ」

フタギ、と呼ばれた男は渋々、といった感じで自分たちのブースを離れた。
呆れるほどに広い晴海ビックサイトの中を使い走りさせられるのは、たまったものではなかった。

「もうちょっとダイエットしろよ!」

背中に浴びせられたサカモトの言葉に顔が熱くなる。
(自分だって、そのブサイクな顔を何とかしろってんだ)
大学の同級生であるサカモトのひょろ長く黒い顔を憎々しく思い描く。
心の中でそう毒つくものの、面と向かっては何もいえない。
 
 AHJ社のブースに近寄ったフタギは、信じられない異変を目にした。
それは汗だくになりつつ無言でブースの解体を進めるAHJ社員の姿だった。
東棟展示会場の中央にそびえたつ、巨大な「桜園ほのか」の尼僧姿のオブジェが撤去されようとしている。
作業を急ぐあまりに、作業員は、乱暴に「ほのか」の完璧な美しさの頭部をもぎ取っていった。
フタギは悲鳴をあげそうになった。
「桜園ほのか」は、彼がもっとも愛する美少女キャラクターだった。
その悲劇的な光景に、肌身離さず持ち歩く自分の「ほのか」の人形を、思わずきつく胸に抱いた。
何が起こっているのか理解できないまま、フタギは立ち尽くした。

「もう40分も遅れている。説明してくれよ!」
「どうなっているんだ!」

不平の声は来場客の列のあちらこちらから飛び出した。
暑さと我慢のならない密集状態に、客の怒りがピークに達したとき、誰か指差し叫び始めた。

「ほのかちゃんが!」
「どういうことだよ!」「やめてくれええ!」

それは、ほとんど悲鳴に近い絶叫だった。

「桜園ほのか」の頭部が、会場の搬入口から運び出されようとしていた。

従順な家畜のように列を保っていた一角が、その絶叫と共に崩れ始めた。
頭部の搬出を阻止しようとする客たち、群集は暴徒となり会場へと雪崩れ込んでいった。

 フタギが我に返ったのは、野牛の群れのように押し寄せる来場客の怒涛の中に、自分が飲まれていると気づいたときだった。
その時、中央に展示された首のない「桜園ほのか」のオブジェが大きく揺らいだ。
天井部分からそれを固定していた数本のワイヤーが音を立てて引きちぎれ、ブースを破壊しながら人々の上へと倒れこんできた。
フタギは眼前に迫る巨大な乳房を見た。その乳房の間の十字架が、視界いっぱいに広がった。
(押し潰される)
危機本能のスイッチが入った。人々を蹴散らしてフタギは走った。
混乱の会場の中、出口はわからない。
だが、フタギの足はまっすぐに「そこ」へと向かった。
まばゆい光が手招きをしていた。
微笑みながら「ほのか」の人形を胸に抱き、フタギは晴海の海へと大地を蹴った。
ぬるい、懐かしい温度の水だった。
もう恐怖もない。


 「茂平先生はおるかねえ?」

女は焚き木割りの手を止めた。
見ると、村の庄屋が風呂敷包みを大事そうに抱えて立っていた。

「先生なら、奥の小屋にいると思いますよ。夕べから彫りの手を休めないのです」

心配そうに顔を曇らせ、女は小屋を見やった。

「庄屋さんならば、仕事場に行ってもきっと叱られませんよ。先生がどんなご様子か、見てきてくださいな」

そういうと、着物の乱れを直して女は斧をつかんだ。

「おサチさんは、まこと働き者じゃの。先生も早いこと嫁にしてやればよかろうに・・・」
「いやだ庄屋様ってば。私なんぞとてもとても」

サチは顔を赤らめて小さくつぶやいた。

「それに先生は、仏様のお姿を写すことに心を捧げているのですよ」
「いやはや、それは信心な事じゃ。だがのう、先生とて、おなごを好かんということはなかろうて」
「もう、庄屋様、私は、ここに置いてもらうだけで有難いのですから」
「まあよい。おなごは皆、仏じゃからの。と、用事を忘れるところじゃった。では失礼して」

そういうと、軽い足取りで庄屋は茂平の彫り小屋へと向かった。
かなりの高齢なはずだが、足腰も強いし目も頭も、そこらの働き盛りに引けは取らない。
衰えぬ体は、村人と共に汗し耕す賜物なのだろう。
微笑みながら庄屋を見送って、サチは焚き木割りを再開した。
ひたすらに仏を彫る茂平の世話をする、それだけで、サチは十分に幸せだった。
心配事といえば、出島の知り合いが半月ばかり前から姿を消した事。
それを思うと、サチの心は沈んだ。

「ご精が出ますのう」

庄屋のねぎらいの言葉に、背中を向けたまま茂平は頷いた。
上半身を露にし、引き締まった体には玉の汗が浮かんでいる。
茂平は、元々の村人ではない。江戸者であるらしい事は言葉の訛りで察することはできたが、
自分の身上などは一切語りたがらなかった。
それでもいつの間にか村に溶け込み、「先生」などと呼ばれるようなったのは、仏を彫る生業と、読み書きができ、村の者にその手ほどきをしていた所以だ。
庄屋も息子ほどの齢の茂平に対し敬意を払い、作業のひと段落を辛抱強く待っていた。
ふう、と大きく息を吐き、どかりと茂平が座り込んだ。

「これは、阿弥陀様ですな。なんとも有難い御面相じゃて」
「ほう、庄屋様、この下彫りで阿弥陀様とお分かりになりますか」

素直に感嘆し、茂平は庄屋の慧眼を称えた。
小屋の戸が静かに開いて、サチが二人分の茶を盆に載せて置いて出ていった。
(是非にも、わしが生きているうちに、二人を一緒にしてやりたいものじゃ)
サチの後姿を目で追いかけて、庄屋は二人の行く末を思った。

「で、庄屋様、今日はいったい何の御用事で?」
「実はの・・。」

手にした風呂敷包みを、丁寧な手つきで広げた。

「今朝方、ワシの家の者が浜で見つけたものじゃ。どうやら、海から流されたものだと思うのじゃが」

それは、丈3寸ほどの像だった。見るなり、茂平は軽いめまいを覚えた。
鮮やかな顔料で色付けされたその像は、何もかもが茂平の知る彫像の類とは異質だった。

「こういった目利きは、先生に見せるのが一番じゃろうと思っての。」
「これは珍妙な。木のように軽く、石のように硬い。焼き物のようにも思えるが、はて」

何よりもその異様な風体と彩色に、茂平の心は乱れた。

「以前、これに似たものを目にした事がある。庄屋様、ただいまから申すことは我々のうちだけで納めていただきたい。」

庄屋は目を丸くし、こくこくと頷いて同意した。

「私が考えるに、これは伴天連の観音ではないかと」

ひっ、と庄屋の喉に悲鳴が吸い込まれた。
庄屋も、昨年の京の七条河原での六十名あまたに及ぶ伴天連の火刑の話は聞き及んでいた。
キリスト教の信者達、いわゆる伴天連が幕府により禁教の咎で処刑されたのだった。
伴天連を崇める者、それと知りかくまう者、十字架や伴天連像を隠し持つ者はすべて罪人である。

「では、この像は人知れず打ち捨ててしまったほうが良いのかのう。」

庄屋は、触るのも恐ろしい、といったように体を遠ざけてしまっていた。

「まだそうと決まった訳でもないし、ここにこれがあるのを知るのは、わずかな人間であることだし。いましばし、
 この珍品を眺めてみましょうぞ。」

彫刻師としての探究心が、茂平には珍しい言い訳を口にさせた。
伴天連像である事実は、両胸の間に刻まれた十字の紋様がはっきりと示している。
しかし庄屋とて所詮は片田舎の老人である。知識人と一目置いた茂平にそう言われると、先ほどの恐れはどこへやら、
さっさと像を手に取るや、好奇の目でもってその像を撫で回した。

「しかし、あれだね先生、この像、なんというか、そそりますな。下ばきなど、ほれ、短い腰巻ひとつじゃ。南蛮のおなごというのは、皆こういう体つきなのじゃろうか」
「うむ。話に聞いたところでは、異人というものは我々とは違い、赤い髪もいれば金の髪もおる。この像の如き桃色の髪で青き眼のおなごもおるのであろう。」
「兎に角、これは置いてくよ。きれいな像だが何だか薄気味悪い。先生に任せることにする」

 その晩、茂平はサチの待つ母屋へと戻らなかった。
サチは小屋の戸をそっとあけると、握り飯を置いて寂しげに立ち去った。
行灯の明かりの中で、飽くことなく茂平は伴天連観音に魅入っていた。
やがて、目を閉じて、像を見ずともその細部まで思い描き、触れずともその像の艶めかしい曲線を手の平で感じるようになった。
そのうちに、昨夜に続き二晩も寝ずにいた茂平の体は、泥のような睡魔の中に溶け込んでいった。


「先生、茂平先生。」

自分の名を呼ぶ急を帯びた声で茂平は目覚めた。
欠伸をしつつ戸を開け放すと昼間の日差しが小屋に流れ込み、その向こうには黒い人影が二つ。
目が慣れると、庄屋とその次男坊が只ならぬ様子で立っているのがわかった。
後ろからはサチが、おろおろと付いて来ていた。

「どうしたかね庄屋様。」
「どうもこうも、このウチの馬鹿者めが、あろうことか盗人の真似事をしくさるとは」

庄屋は拳骨を固めて次男坊の頭を何度も打ち据えた。

「兎に角落ちついて。訳を話してくれないか」
「この馬鹿者が、夜中にこの小屋に忍び込みよったのじゃ」
「ええっ、何でまたそんなことを」

 庄屋の次男坊は生来の遊び好きで、宿場町の賭博場などの出入りも常だった。
飲み屋で知り合った中に遊び人崩れの大店の婿養子がいた。
この男というのが方々に顔が利き、とある大名筋が、珍しい物を欲しがっているという話を博打をしつつ語った。
掘り返した畑からゴロリと転がり出た古い壷でも、そういったモンがでたら声をかけてくんねぇ、などと言っていたのだった。
そんな所に、家の者が浜で女の像を拾った。
すわ儲け話と、拾った像の行方を聞いたら、茂平の所へ置いてきた、というではないか。
ならば、返してもらおう、と庄屋には黙って茂平を訪れた。
小屋に入ってみれば茂平はスヤスヤと寝入って、目覚める気配もない。
傍らには例の伴天連観音がある。
なるほどこれが拾ったという像か。つい、自分の懐に像を入れた。そしてそのまま立ち去ってしまった。

 庄屋にこづき回されながら次男坊が話した昨夜のことは、このようなことだった。

「本当に申し訳ないことじゃ。我が倅ながら情けない」

次男坊もペコペコと頭を下げて、本心から悔いている様子だった。

「それで、伴天連像はどうしたのかね?」
「先生、それが、だまし取られちまったんですよ」

伴天連観音を懐にいれて盛り場をうろつく内に、馴染みの飲み屋へと足が向かった。
案の定、遊び人崩れの婿養子は今日も飲み屋にいた。
耳打ちして懐の中の物を見せると、婿養子は頷いて店を出た。
そのうち婿養子は知らない男を伴って次男坊のもとに戻ってきた。
次男坊たちは、町の一番立派な屋敷の裏口から招き入れられた。

 屋敷の裏口の、庭に面した座敷には目隠しの大きな屏風が立てられていた。
次男坊と婿養子は、屏風越しにその向こう側の人物と向かい合う事を許された。

「お供の男どもも、装束ばかりは町人風だったが、あれは間違いなくお侍だよ」

次男坊は悔しげに言った。
町人を装った男たちのひとりが、盆に載せた伴天連観音を差し入れた。
感激とも苦悩ともとれる喘ぎ声が、屏風の向こう側から漏れ聞こえた。

「そのほう、褒美をつかわす。受け取れ。」

平身低頭し差し出した手のひらに、お付の男によって3両が載せられた。

「たったのこれだけですかい?」

感じた不満を口にした。元来取り澄ます習わしなどない農村育ち、臆することはなかった。

「たわけがっ」

目の前の屏風が鮮やかな一刀で両断され、次の刹那には次男坊の鼻先に刀の切っ先がピタリと当てられていた。
若い侍が、長い顔を赤黒く憤らせて次男坊の目の前に立ち塞がっていた。

「貴様の持ってきたものは御禁制の品。この場で斬り捨てられても当然の報いぞ。情けをかけて目こぼしをしてやれば付け上がりおって。」

二人は殺気立った侍どもに取り囲まれていた。
次男坊と婿養子は震え上がり、体よく裏口から通りへと放り出された。
とぼとぼと家に戻った所を庄屋に見咎められ、問い詰められるうちに一切合財を白状した、という訳だった。

「それじゃあ、あの像は、その大名筋が持っているって訳か」

苦々しい思いで茂平はつぶやいた。

「本当に済まないことをした。この倅を許してやっておくれ」

庄屋と次男坊は二度三度と頭を下げた。

「庄屋さん。これはこれで仕方のないことだよ」

思い出せば、またそぞろ心が騒ぐのだが、茂平はそういって自分の気持ちも静めることにしたのだった。


 壱岐国、平戸藩主の妾子、坂本是継は世に稀な珍宝の類に何より目がなかった。

「あの男ども、ちと脅しただけで逃げ出しおった。それにしても珍しいものが手に入ったものよ」

是継は伴天連観音を撫で回し、一人ほくそえんだ。
見れば見るほど、人を惑わす妖しい姿態をした像だった。
乳の張りは目を見張るばかりだが、その顔つきは幼女のようにあどけない。そして短い腰巻の下からは美しい足がスラリと伸びている。
好きなだけ見ても、好色そうな指先でいじろうとも、文句を言わないところがまたよい。
襖の向こうの万理とは大違いだった。
(異人の血が入っているゆえ、万理もどことなくこの伴天連観音に面差しがにておるな)
そう思い、もやもやした気持ちで、万理を閉じ込めた座敷に踏み込んだ。

「私を御放しなさい、この外道!」
途端に容赦ない罵声が投げつけられる。
「思うようにされるくらいなら、いっそ斬り殺されたほうがよい」
出島に赴いた際に、町で見かけた娘を無理やりにさらってきた。
ところが、この万理という娘が頑なに是継を拒み、指一本たりとも触れさせない。
大人しく従うならば手荒にするつもりはなかったが、そうこうしているうちに半月も経ってしまった。

「どこまでも強情な娘だ。ならばお主、命はあきらめよ」
ちらりと刀の切っ先を見せ、是継は万理に詰め寄った。
「斬るが良い。私はイエズ様に身を捧げ・・・」
是継の黒く長い顔が、驚愕に色を失った。
「なんと申した、万理、お主は伴天連だと申すのだな」
覚悟を決めて万理は叫んだ。
「いかにも、私は神を信じる者です。身を汚されるくらいなら、海に沈められ魚に食らわれたほうが私の魂は救われる事でしょう」

 困った事になった。是継は当惑した。
伴天連であると自ら名乗るものを屋敷に置いて置く訳には行かない。
屋敷から追い出すか。それとも、万理が自分で言うように海に沈めてしまうのがよいか。
考えあぐね、是継はウロウロと座敷を歩き回った。
是継は手の中の伴天連観音と同じほどに、万理への執着が強い事を感じていた。
万理は唇をきつく結び、庭の月を眺めていた。

 庭の塀の向こうに、ひょこり、と黒い影が見えたのを万理は見逃さなかった。
是継は相変わらず熊のようにうろうろと座敷を歩き回り、庭の異変に気づく様子もない。
影は苦労して塀をよじ登り、やがて庭へと降り立った。
正体は女だった。女はするすると座敷に近づいた。
開け放した障子の向こう側の真っ暗な部屋に万理の姿を認めたとき、女は一瞬身を固めたが、とっさに声には出さずにシー、と唇に指を当てた。
万理は頷き、女は来たときと同じように音も立てず座敷の裏手へと去っていった。

「火事だーッ!」けたたましい女の叫びと金物の打ち鳴らされる音が屋敷に響いた。
屋敷内は騒然とした。
庭のほうからお付の家来たちが、是継の元へと駆け寄った。
「是継様、火事でございます。早くお逃げを!」
是継はあたふたと辺りを見回した。
「女が。縄でつないだままに」
「捨て置きなされ。」
家来は無情に言い放ち、強引に是継の手を引いた。
足がもつれ是継は無様に転倒した。家来は一刻を争うと思ったか、転がった是継をズルズルと引きずって庭へと消えた。
入れ替わりに、先ほどの女が現れた。
「シスター・万理様、お助けに上がりました」
「あなたは、サチさんではないですか」
「お痛わしや、あられもないお姿にされて」
サチはそういうと、座敷の中に掛けてある是継の羽織や、布で襦袢姿のマリをくるんだ。
「さ、行きましょう」
「まって、あれを」
座敷の隅に伴天連観音があった。先ほど是継が転んだ際に落としていったものだ。
「これはマリア様でしょう。このような場所に置いていくわけには参りませんもの」
そういって万理は伴天連観音を大事そうに抱えた。
屋敷の外は黒山の人だかりだった。女二人が脇を通り過ぎても、目を留めるものはいなかった。


 夜更けに寝床の外から声をかけられて、茂平の胸は早鐘のように打った。
戸惑いながら襖を開けると、そこには疲れきった表情のサチと、異人にも見える面差しの娘が、身を寄せ合って座り込んでいた。
茂平は二人を招き入れ、事の次第を聞き出した。

「実は、万理様と私は、イエズ様を神とする者です」
「サチ、そなたも伴天連だと申すのか?」
「はい、父も母も。それで命を落とし、私は残されて、隠れ住まうように先生のお世話をさせて頂いておりましたが、
信仰を捨てた訳ではありません
先生のお使いで出島に行くときなど、密かに教会で祈りを捧げておりました」
「なるほど、そうであったか」
「昼間に庄屋さん達の話を聞いて、もしや、と思ったのです。半月ほど前に出島で行方が知れなくなった万理様が囚われているのではないかと。」
「あの是継は出島でも私を付け回しておりましたからね。」

忌まわしそうに万理は溜め息をついた。

「それで様子を見ようと覗いたら、案の定、万理さまがひどい仕打ちを。」

頷きながらも茂平は気がかりをサチに尋ねた。

「その火事騒ぎとやらは、サチの仕業か?」
「座敷に飾ってあった南蛮の兜を、南蛮の刀でガンガンぶっ叩いてやりました。兜はへこんじゃったし、刀は曲がっちゃいました。先生、あれはきっとニセモノですよ。」

サチは愉快そうにククク、と笑って言った。

「それで、先生、お土産がございますよ」

手渡された伴天連観音を茂平はしげしげと眺めた。よくよく自分はこの像と縁がある。

「火事が虚報だと知り、万理殿が消えた事に気がついたら、奴等の追っ手が来るのではないか?」

伴天連観音まで無くなったと来ては、是継は怒り狂うだろう。

「出島に戻ったとしても、いつまた是継が現れるかも知れませんね」
「私は本当ならば明日の朝、オランダ行きの船に乗るはずだったのです」

万理は深い溜め息をついた。

「オランダには、私の父上が待っていてくれるのに・・・」

出島に行くには関所をひとつ通らなければならない。だが、そのための通行証は無い。

「万理様、その身に着けた衣装はなんです?」

見ると、万理は男物の羽織や布切れをまとっている。
サチの着物を着せ掛けて、是清邸から持ち出したそれらを広げてみた。

「むむ。これは、もしやいけるかも知れん」

一か八かではあったが、明日の朝に間に合わせるには策は一つだった。


 白々と夜が明けるころ、出島につながる関所への一本道を、二頭の馬が駆け上っていった。
先頭は見るも麗しい若武者であった。平戸藩の家紋の羽織を風にたなびかせ、勢いよく関所へと飛び込んだ。
続く馬上には、平戸藩の旗を掲げた男。

「平戸藩より早馬である!下馬御免!下馬御免つかまつる!」

男はあらん限りの声で関所の番兵に告げた。
そしてそのまま馬を下りる事もなく、疾風のごとく走り去っていった。
関所を守る番兵は、見るからに高貴な若武者と後ろに続く御旗を目にし、半ばあっけに取られて二人を見送ったのだった。

「茂平殿、本当に、なんとお礼を申したらよいか」
「いやいや、これもなにかのお導きでしょう。神か、仏かはわかりませぬが」

海の向こうに遠く続く異国を茂平は想った。
(私は、自分が何処から来たのかがわからない)
気が付くと江戸にいた。茂平、という名は、まだ頭がぼんやりとしていた頃、気が付くと「もえー・・・」などと口走っていたので、おそらく自分の名だろうと思い、語呂のよい茂平を名乗った。
そのような、出自の知れない自分にも、帰る場所は何処かにあるのだろうか。

「サチさんと、お幸せにね」

万理の言葉が、茂平の心に答えを与えた。私の帰る場所。サチがいて、打ち込める仕事のあるあの村。そこが、私の終の住処だ。

出航を知らせる笛がなり、オランダ行きの船は静かに港を離れた。
甲板で手を振る万理は、若武者から洋装に着替え、まるであの伴天連観音そのものだった。
はっと思い出し、茂平は懐から伴天連観音を取り出した。

「万理殿!この像を連れて行ってやってくれ」

そう言って、茂平は思い切り伴天連観音を万理に向けて放り投げた。
弾ける笑顔で、万理は伴天連観音を両手で受け取ると、抱きしめた。
いつまでも、いつまでも手を振って、万理と伴天連観音は見えなくなっていった。

「さてと、やれやれ」

見上げた太陽が眩しくて、くらり、と天地が逆転した。

「人が落ちたぞー!」「わはは、引っ張りあげてやれ」

茂平は溺れながら、沢山の手が自分を導いていくのを感じていた。


目を開くと、青い空が見えた。
頭がズキリとし、思わず目を閉じてもう一度開くと、今度はサカモトの長くて黒い顔が覗き込んでいた。

「大丈夫かよ。」

そこは春海ふ頭だった。メチャクチャになったイベントの収拾のために大勢の人々が右往左往している。

「お前、突っ走ったと思ったら海に落ちちゃうんだもん。もうね、アホかと」
「イベントは?」
「駄目になっちゃったよ。なんか、萎えるよなぁ」

サカモトの全身もズブ濡れで、ところどころゴミやら海草やらがくっ付いている。

「サカモト君さあ、助けてくれたの?」
「当たり前じゃん。俺だって世が世なら殿様の家系よ。家来の一大事には頑張りますよ」

そういって少し照れくさそうにしているサカモトの顔は、やはり全然素敵ではなかったが、フタギは素直にありがとう、と言った。

「なんか面白い事ないかな。」

退屈そうに伸びをしてサカモトがつぶやいた。
「サカモト君、夏休みの残りさ、長崎に遊びに行かないか?」
「長崎ってお前の実家じゃん。まあ、付き合ってやってもいいよ」


暗い蔵の中は涼しく、明り採りの窓からの日差しが、柔らかくマリア観音を照らしていた。
その表情はとても穏やかで、フタギとサカモトは時を忘れ魅入った。

「これね、江戸時代の先祖が、当時は禁じられていたから、こっそり彫りあげたんだって」
「へぇ。いい顔してるね」
「自分の奥さんの顔なんだってさ。先祖の仏像は、阿弥陀如来とか、傑作といわれる物は沢山あるけれど、僕はこれが一番好きだ」
「うん、わかるね。なんつうか俺、これには萌えるね」

幼い頃から見慣れていたはずのマリア観音を今日は違う思いで見つめた。
それは、懐かしいような、いとおしい様な、深くて心地良い感情だった。

「そういえばさ、あのイベントのAHJ社の撤退理由聞いたか?」
「いや、知らない」
「オランダのカトリック教会に秘蔵されているマリア像を、「桜園ほのか」のキャラとしてAHJ社が模倣したらしいよ」
「オリジナルじゃなかった、って訳か。」
「パクリはまずいよな。カトリックの御本尊をエロゲームの主人公にしちゃ、そりゃ教会も怒るよ。
そんな訳で、国を通じて圧力がかかったらしいぜ」

蔵の中のマリアは、やさしく二人を見下ろしている。

「マリア様は、きっとそんなこと気にしたりしないと思うんだけどな」
「あ、それ激しく同意。マリア様は、果てしなく慈悲深いのさ。ああ神様仏様マリア様、罪深き我等を救いたまえ清めたまえ、南無アーメン。」
「南無アーメン。」
どこからか入ったセミが、ジジジ、と鳴いてマリアの鼻に止まった。マリアは、微笑んでいる。







































































       

表紙

柳ヨル 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha