Neetel Inside 文芸新都
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夢語り
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「夢の場所」


随分昔、こんな夢を見た。
ある場所に、私は横たわっている。真夏の日、強い日差しがチラチラと私の目を刺す。ぼうっとしていたものの、それが煩わしくて身を起こす。何故だか、体が妙にだるくて仕方がない。体を起こすのでさえ幹に縋り付いて、やっとの有様だった。
私は、何かの木の下に居た。盛り上がった根が先でコンクリートを押し上げてはいるものの、夏の日差しで焼かれたアスファルトに焦がされ、心なしか及び腰に見えた。
私が居る場所は土に覆われ、幾分か息がしやすい。
幹を撫でまわして気付いたことだが、この木はどうやら桜のようだった。断続的に降りかかる光もこの木の葉が受け損ね、取り逃がしたもののようだった。桜の幹、桜の葉、それも青々とした葉桜。それは何処かの民家の軒先に植わっている、取り立てて言うべきこともない桜だった。
すぐ傍の、店を閉ざしてまだ幾日も経っていないような○×商会という名の木造の寂れたお店。ろくに手入れもされていない道路に書かれ、ところどころ擦れている「トマレ」は「トマー」に見えた。
それだけを確認した後、私は立っていられなくなって幹に背を預けて座り込む。しっとりと湿った土と、何の温度も感じさせない幹が心地よく、私はそのまま寝入った。

この夢を思い出したのは、私が高校に上がってからの事だった。
高校は家から片道二時間ほども掛かる遠距離で、誓って言うが受験に至るまで私は一度もここに訪れた事はなかった。
なのに、妙に心に迫るものがあった。それは、電車の中から途中に見る場所にあった。何故か、その景色が気にかかってしょうがない。ただの駅の近くの民家だというのに。
これはいわゆるデジャブ、既視感という物だろうと思ったが、一応母に話をした。

母は、それを知っていた。母から聞いたものだろうかと思ったが、母もその場所など行った事も聞いた事もないという。じゃあ、誰に教えてもらったのかと尋ねると答えは単純に「あんたよ。」で済まされた。
昔、この夢を見たのは中学3年の時分だったらしい。私は印象に残る夢を母に語る癖があり、それを語る側から忘れていくという習癖も持ち合わせていた。物覚えの良い彼女は、私が忘れた分だけそれを覚えて、語ってくれる。今回もその類だった。
私は全く意識していなかったが、高校受験に私自身よりも気を揉んでいた母は「桜」を吉兆と捉えたらしい。何処か抜けておる私を、下手に刺激をするとどういう結果になるかも分からぬという事で母は一人胸にこの夢を秘めていたらしい。本人さえも忘れた夢を。
私は「葉桜」というのは「桜が散った」後のものだから寧ろ凶兆と捉えるべきではないかとも思ったが、しきりに頷く彼女に水を差すことはしなかった。
他に、覚えていることはあるかと尋ねた時、彼女は随分と悩んでいた。悩んで、悩んで、思い出せない苛々を私にぶつけるほどだった。だが、更に後、突拍子もなくこう言った。
「○×屋さんってお店と、トマーって書いてあったんでしょ?」
成程。それは確かにあの夢、そして通学途中のあの景色と一緒なのだった。

これを予知夢と取るか、ただの勘違いと取るかは別に私の中ではどうでもいい。
ただ、この夢はあまり他人に話した事はなく、話した友人にしても実際にその風景を
「これ、ここだよ。」
と指差した事もない。だから、あの風景を実際に知るのは私だけだという事になる。
私にしてみても夢でそこにいたというだけで、現実のそれはただ見て、通り過ぎただけの風景だ。それは、ひょっとしたら私が勝手にあの夢をそこに見ているだけなのかもしれない。実際に降りて、あの桜の根元まで行ったら全く違う場所なのかもしれない。
私は卒業するまでの三年間、結局一度もそこに立ち寄ることはなく、進学の為に上京してからは高校にすら訪れなかったし、これからも行く予定はない。
だから、あの場所は今でも嘘にも真にもなる事はない。
これは、嘘のような真の話改め、嘘にも真にもなれない話である。

       

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