Neetel Inside ニートノベル
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マ法はもういらない
1章

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1章

今年の桜もせっかちだった。どれもこれも、入学式の前に花を落としていた
「はぁ、これじゃあ春! って感じがしないなあ」
今年晴れて高校一年生になる福瀬ナナカは頬を膨らませた。
見上げる先には若葉の緑と空の青だけだ

入学式を終えて、ひとり河川敷をゆっくりと歩いていく
川は太陽の光をやさしく受け止め、時にはねかえしている

ふと、その美しさにナナカは立ちどまる
自分のあるく速度より、すこし速いくらいの川の流れは、母のような優しさがあった

この季節になると、ナナカは母のことを思い出す  

     


母との思い出は、もうずいぶん色あせてしまった

一緒に行った百貨店
一緒に遊んだ遊園地
母は三人姉妹の末っ子であるナナカを、一番かわいがってくれた
昔、ナナカが母とかわした言葉で、そんなことを言ってくれたのだ
この河川敷で。季節はちょうど、春


「ねえ、おかあさん?」
「なあに、ナナカ」
母はブラウンに染めた髪を耳にかけながら、ナナカの顔をみた
「さんにんのなかで、だれがいちばんすき?」
一年生だったナナカは、そんな質問を何のためらいもなく母にたずねた
きっと答えにくかっただろう、だが母はすぐに
「もちろん、ナナちゃんよ。決まっているじゃない」
と答えたのだ
幼いナナカはその言葉をきいて、飛びあがるほどうれしかったに違いない


あの五日後、母は消えてしまった。「蒸発」という言葉がふさわしいだろう
春の霞にまぎれるように、風のカーテンに包まれたように
母の姿はわからなくなってしまった

もう母は、戸籍上「死亡」となっている
だけども、ナナカの家族は母の存在が、まだこの世から失せていないと信じている
根拠なんて必要ない
ナナカはふと、そんな物思いにふけていた

遠くのほうで女の子とお母さんが遊んでいる
一瞬、姿が頭の中のアルバムにある写真と重なった
「……お母さん」
懐かしい響きだった。ナナカはとても愛しているのに、その言葉はナナカに鋭いナイフを刺そうとしている
ナナカはまた、歩きだした
もうしばらく「お母さん」を思い出すのはやめよう、と自分に言い聞かせた




     


インターホンをならしても、応答はなかった
ナナカはかばんから鍵をだし、ドアを開けた。窓がない一階は、昼でも薄暗い
「ただいま」
もちろん、だれもいないのだから反応はない
けれども「ただいま」をいわなければ、家に帰ってきた心地にならないのだ
洗面台で手を洗ったあと、ナナカは二階へとつづく螺旋階段をのぼりながら、今日学校で配布された生徒会通信に目をとおした
かかれていることはどれもこれも当たり前のことだった
『新学年、これからさらなる飛躍を!!』
『休みボケから抜け出そう』
なんだかなあ、とナナカは呆れるというか、苛立ちをおぼえた。もう小学校のころからきかされている、使い回された啓発文だらけだ
ナナカはこういうしつこいことが嫌いだった。なんどもなんども同じことをオウムのようにくりかえすことが
それを父にはなすと「ああ、それはきっと、母さんに似たんだな」なんて返されたことがあった
そういえば、母もそんなところがあった気がする……
「……あぁ、やだもう。またお母さんのこと思い出してる」
ナナカは脱いだベストに顔をうずめた。母のことを「しつこく」思い出している、自分が鬱陶しくなったのだ

私服に着替えて三階のリビングにあがると、「買い物行ってきます ミカコ」とあるメモがテーブルに置いてあった
現在、この家にはナナカと次女であるミカコ、それに父の三人がくらしている
長女であるハルカは、もう一人暮らしをして二年経とうとしていた。
もっとも、今でも一週間に一日の頻度で帰ってくるから逢いたいと思うことはなかった
それと、父の寝室にある母の三面鏡を飾るたくさんのアクセサリー
父によれば、母は自分の誕生石であるトルコ石のを特に好んでいたらしい
その証拠に、三面鏡には無数の水色の星が浮いているのだ――

ナナカはソファにねころんだ。いまは頭をからっぽにしたいとおもったのだ

     


「ナーちゃん、起きて。もう昼ごはんできるよ」
ナナカは目をこすりながら起きあがった
呼んでいたのは、ミカコだった
「いつの間に帰ってたの、お姉ちゃん」
「もう三十分もまえよ」
ミカコはエプロンの紐をほどいてキッチンの脇においた
姉が帰ってきてるなんて、ナナカはぜんぜん気づかなかった
「ふーん……」
ふぬけた返事をすると、ミカコは
「どうしたのよ、お昼寝なんて」と少々あきれたようにナナカにきいた
馬鹿にされたと感じたナナカは、すこし頬を膨らませて
「いいじゃない、きょう入学式で疲れたんだし」と反論する
かるく笑ってミカコは鍋に手をかける

昼食はクラムチャウダーだった
「お手製だ」と胸を張るミカコをほうっておいて、ナナカは黙々とさじを動かす
「……そうだナーちゃん」
おもむろにミカコが口を開いた。ナナカは顔をあげる
「どうしたの」
「ナーちゃんが入った高校って南高でしょ」
どんなことを聞いてくるかと思いきや、どうでもいいことだった
「妹のはいる高校くらい覚えといてよ」とナナカは呆れ顔
「確認よ、確認」
ミカコはコップに注いだ緑茶を飲む。クラムチャウダーとはバランスが悪い
「それで、なんでそんなこと聞いたの」
「ああ、なんでかっていうとね」
訝しがるナナカに、ミカコは理由を語りはじめた

「春休み、えっと、具体的にいうと三月の終わりごろにさ、事件あったじゃん」
「……どういう事件」ナナカは首をかしげる
「ほら、高校生がビルの中で死んでたって事件。おぼえてるでしょ」
ナナカは頭のなかを「高校生 ビル 死亡」というキーワードで検索した
該当、一件

「……三月三十日、○×市の雑居ビル三階で市内の高校に通っている…………さんとみられる死体が発見された。警察による解剖の結果、死因は薬物を一度に大量に服用したためと思われる……」

「思い出したでしょ、クスリで死んじゃった高校生の子」
ナナカは思い出した。夜のニュースでもながれていたし、なによりこの事件で高校が緊急説明会なるものを開いたのだ
「もちろん、そりゃあこの市でおきた事件だもん」
「あの子って、何高なの」
ミカコはぐっと距離を縮めてきた。野次馬根性というか、好奇心だろう
「どこだったっけ、たしか……第一だったかな」
「ああ、そうなんだ」
ミカコはため息をついて体をそらせた。明らかに興味を失った態度だ
「面白くないの、お姉ちゃん」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。どういう子だったか知りたかったから」
ミカコは残りの緑茶を飲み干した


       

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