外伝 仮面ライダー百鬼
伝説の夜、一人きりの君
それは、まさに大軍だった。
荒れ果てた野原を密集した黒い影がもぞもぞと都に向かって進んでいく。
その影はひとつひとつの大きさが異なり、夜空に浮かぶ星の隣に立って見下ろせば、人のようなモノの中に、巨岩のような手足を持ったモノが混じっていたり、あるいは逆にその影の下を、統率の取れたネズミのような影がちょこまかと走っていることに気づくだろう。
西暦一〇XX年。
妖怪たちは人間を滅ぼすことに決めた。
○
どちらかが悪い、ということではない。
ことはそう簡単ではなく、双方に言い分があった。
たとえば、腹を透かして人里に下りた妖怪が、子どもを八人持つ家から一人さらって食ってしまった。
家のものたちは怒り狂い、都の化け物退治屋に助けを請うた。
陰陽師と呼ばれる彼らは、川を越えて森を分けいって、子を喰ってしまった妖怪から話を聞いた。
その妖怪は苔むした地蔵の上に座りながらケタケタと笑った。
「だってさ、一人ぐらいよくね? 八人もいるんだしさァ、それに、子なんて足りなくなったらまた産めばいいじゃないか。旦那が役立たずだってんなら俺が相手してやろうか? ええ?」
陰陽師たちは、その場でその妖怪をくびり殺した。
八人で挑みかかり、無事に都に帰ってきたのはたったひとりだった。
澱んだフラストレーションは双方の間に不快な霧となって立ちこめ、争いはやまず、報復は終わらず、
そして、今夜が訪れた。
○
「ここか、羅城門というのは」
妖怪軍団の先頭を進んでいた迦楼羅が言った。
半ば開かれた嘴から、熱いため息を漏らす。
「人間どもは器用だな。こんなに大きな門を作るとは……」
「ふん、こんなもん、役に立たねえよ。ただの門だ」
六本腕の男、阿修羅が言う。腕を三組にして畳み、真夜中の羅城門を見上げる。
「このなかに住んでた妖怪どもも、とっくに人間どもに殺られちまったんだろうな。気配がしねえ。くそっ、胸糞悪ィ……」
「ぼやくな、阿修羅。それも今夜で終わりだろう? さあ、いこうではないか……阿修羅?」
「誰かいる」
羅城門の前に、人影があった。
荒野に転がる石くれのひとつに斜に腰かけて、そいつは、こちらをじっと窺っているようだった。
迦楼羅はぶるっと身を震わせた。
今夜はこんなにも星と月に恵まれているというのに、その人影の顔は闇に包まれたままだった。
「よう」
人影が言った。まだ若い、青年の声だった。
「ずいぶん大所帯だな。え? 夜のピクニックかい」
「誰だ、てめえは」
妖怪を代表して阿修羅が一歩踏み出した。
その背後では、異形たちがそれぞれの敵意を発し、阿修羅の迫力に拍車をかけている。
ふつうの人間がその気迫を受ければ、気絶していてもおかしくない妖気であった。
だが、人影は動じなかった。
それどころか石くれから降りて、パンパンと衣服の汚れを払い、余裕と自信に満ち溢れていた。
迦楼羅は青年が着ている服に見覚えがあった。
「貴様……陰陽師か? その服……狩衣とかいったか。前に見たことがあるぞ」
「ああ……まあな」
青年は星灯りのなかに進み出てきた。その顔が、弱い光のなかにあらわになった。
目つきは鷹のように鋭かったが、その口元には迦楼羅たちを嘲笑うような笑みが張り付いていた。
「客員陰陽師ってところだ。俺は貴族じゃないから……つまり、傭兵さ。雇われたんだ、カネで」
青年は腰に手を当てて、目の前に広がる妖怪たちでできた浜辺を眺め回した。
「ひふみの……って数えきれねえや。百匹くらいか? こりゃちょっと手間取りそうだ」
剣呑なセリフに、血気盛んな阿修羅がいの一番に食いつく。
「手間取るってのはどういう意味だ? 俺たち全員に命乞いして回るのが時間がかかって大変だって言いてえのか? あ?」
「なあ、命乞いって……なんだ?」
青年と阿修羅の間に、視線の火花が散った。
阿修羅が餓えた獣のような唸り声を出し、威嚇する。
だがその横に佇み状況を見守る迦楼羅には、阿修羅が優位に立っているようには……なぜか、見えなかった。
青年は腰に手を回し、巻物を取り出した。それをぽん、ぽん、と上に放り投げる。
「名乗っておくか、戦士らしくな。俺はエニシ。姓はねえ。ただのエニシだ。強いて言やあ、『一騎当千』のエニシ様よ」
「一騎……当千?」
「おおよ。知らねえのか? このおのぼりさんども。俺ァこのバカ広い平安京の、どんな月のない晩も、どんな星のない夜も、なにも恐れず歩き回れるのさ。夜盗だろうが化け物だろうが俺には関係ねえ。つまり、無敵ってことだな」
誰かが、ぼそっと言った。
「……相手にされてないだけなんじゃ?」
「おいそこの。聞こえてんだよ。悪口はでけえ声で言うか胸のなかに閉まっとけ。殺されたくなけりゃな」
妖怪たちがゲタゲタと笑った。
「やれるもんなら、やってみな! おまえみたいな小童に、なにができる!」
妖怪たちの誰かが、野次と一緒に石礫を投げた。
その礫はエニシの額に当たって、エニシの首が衝撃で上向いた。
顔を戻したとき、白い額からつうっと血が一筋流れた。
エニシは笑った。
「死にてえらしいな。よし、いいだろう。ぶちのめしてやる」
そして、手に取った巻物を、巻いたベルトに差し込んだ。
「変身」
「――――っ!」
迦楼羅が思わず身構えるほどの突風と白い霧が辺りを駆け抜けた。小さな妖怪たちが後方に吹っ飛ばされていく。
この力は……。迦楼羅は息を呑んで、霧が晴れるのを待った。
赤い戦士が、やはり斜に構えて、見上げるようにこちらを見ていた。
妖怪たちが口々に騒いだ。
「百鬼だ」
「妖怪狩りのリーダーだ」
「何人もあいつに連れていかれた」
「なんてやつだ」
「許せない」
「殺そう」
「殺そう」
「そうしよう」
百鬼は赤い兜をつるりとなでた。
「闘る前に、一応、聞いておくか。この俺の前にヒザをついて命乞いするつもりはないんだな?」
「ない」
阿修羅が一歩踏み出し、地面がドズンと揺れた。
組んでいた六本腕をほどく。
「俺が相手をしてやる。タイマンだ」
「阿修羅」
迦楼羅が鋭い声で叱責した。
「そんなことをする必要はない。全員でかかればヤツもひとたまりもないはずだ」
「そんなの面白くねえだろ……」
べろり、と唇を分厚い舌でなめて、
「俺はこいつとやってみてえ。大切なのはそれだけだ」
阿修羅は腰を深く落とし、手刀をぴたっと中空で止めた。
百鬼は対照的に、軽いステップを踏んであちらこちらにちょこまかと移動する。
「いいねえ」
百鬼は言う。
「アンタはぶちのめし甲斐がありそうだ……土蜘蛛のやつくらいには」
「あいつを……やったのか?」
「さあ、どうだかねえ。覚えてないなァ。いちいちそんなの……」
最後まで百鬼がセリフを言うことはなかった。
阿修羅の巨岩のような拳が飛んできたからだ。
だが、阿修羅が押し潰した地面と拳の間に百鬼は挟まれていない。
百鬼は、阿修羅の拳の上に乗っていた。からかうように、首を傾げて、
「はっはっは。誰も俺には追いつけない」
「この野郎ォッ!」
阿修羅が拳を振り上げ、百鬼は空中に飛んだ。
妖怪たちは、
「やっちまええ、阿修羅の旦那ああああああ!!!」
「土蜘蛛の兄貴の仇だあああああああ!!!!」
「ぶっつぶせー! ぶっつぶせー! ハラワター! ぶちまけろー!」
「ア・シュ・ラ・アシュラ・ア・シュ・ラ!」
元気に野次を飛ばしている。
戦闘開始だ。
「――――らァ!」
阿修羅の拳がいくつもの像を残して果敢に百鬼に降りかかる。
だが百鬼はほとんどその場から動かずに、体さばきと軽い受け流しだけで、阿修羅の拳をしのいでいた。
「どうしたのかなァ。早くサンドバッグになりたいなァ。おかしいなァ涼しいなァ」
「うるせえ! ……それなら、こうだ!」
阿修羅は、組んだ一対の拳を地面に打ちつけた。
地盤が崩れて、でかい穴があき、百鬼は砕けた地面に斜めに立ったまま落下していく。
上空に飛んだ。
もう一対の拳が、百鬼を叩き落した。
歓声があがった。
阿修羅は六本の腕を天に突き出して吼えた。
「どうだァ! 声も出ないだろうが、人間ッ!」
穴ぼこから、赤い戦士がけほけほ咳き込みながら這い出してきた。
「思ったんだけどさァ、やっぱ卑怯だろ、なんだよ六本って。ずりーよ。審議だよ審議」
「バカヤロォっ! 喧嘩にルールもマナーもあるかってんだあああああああああ!!!!!」
「あっぶねっ!!!」
前転とバック宙、側転を駆使して百鬼は阿修羅の猛攻を避けた。
だがいまの一撃が響いているのだろう、動きのキレが鈍くなっている。
百鬼は腹をさすりながら考えた。あの手でいくか。
後方に飛び、阿修羅の拳が砕いた地面の破片を浴びながら、百鬼は新たな巻物を取り出した。
「この野郎、そっちが六本なら――」
「六本なら?」
「こっちは……八本だっ!」
「な、なんだとっ!?」
百鬼は新しい巻物をベルトに差し込んだ。
バックル部分のガラスに黒い文字が浮かび上がる。
ジャミングタイプ ランドスパイダー
撹 乱 型――――――土 蜘 蛛
赤い身体が茶色く変わり、細かい産毛が生えた。
爪が伸び、体重が増えて地面に蜘蛛の巣のようなひび割れが走った。
腹部には折りたたまれた蜘蛛の足を模したガードが現れ、口のクラッシャーが開き、地獄の谷を吹きぬける風のような吐息が漏れ出した。
だが、腕は依然として二本のままだった。
阿修羅が胸をそらして高笑いした。
「わははははははは! 脅かしやがって、二本のままじゃねえか! それか? その腹のが六本の腕、つーか足か? ぎゃはははははは! おもしれえ! おもしれえぞ! その細っこいのが俺の腕を受け止めるってえのか? ああ!?」
後半は笑いから怒りに切り替わっていた。
「おちょくりやがって……時間の無駄だ! 一発で、いや三発でケリをつけてやる!」
阿修羅はまたもや組んだ腕を上に掲げた。それを一気に百鬼めがけて振り下ろす。赤い複眼に、迫り来る拳が映った。
百鬼は両手を突き出した。
「――――ハァッ!!!」
その手の平から、白い糸がひゅるるっと伸びた。
速い。
まるで生きているようにのたうった糸は、拳をかいくぐり、阿修羅の腰に絡まりついた。
百鬼は腕を真後ろに引いた。
「お?」
阿修羅の身体が浮いて、糸に引っ張られ、百鬼めがけて突撃していく。
しかしその巨体をモロに受け止めれば百鬼は自滅する……
「ハッ」
エニシは笑った。
そして、迫る阿修羅の腹に、敵が突っ込んでくるスピードよりもさらに速い膝蹴りを叩き込んだ。
銅鑼を打ったような音。
ぐへえ、と阿修羅の口から、唾液まじりの胃液がこぼれた。
崩れ落ちた阿修羅の巨体を、百鬼は踵で踏みつけた。
そして、足を阿修羅に乗せたまま、妖怪たちを見た。
――――百の鬼の軍勢が、たったひとりに睨まれて、
一歩、
退いた。
○
ぱちぱち、と迦楼羅が手を叩いた。
「お見事。敵ながら天晴れだ。その力、『土蜘蛛』を利用したな?」
百鬼はどかっと気絶した阿修羅の上に腰をおろした。それでも迦楼羅たちをなかば見下ろす形になった。
「そうさ。人間てのは器用なもんでね、妖怪どもの力を利用できるこんな呪装具を作っちまった。たった一、二年でこんなのが出来上がっちまうんだから、こりゃあ千年も経ったら世の中どれだけガラッと変わるのか、わかったもんじゃねえな」
くくっ、と百鬼は笑って、
「ま、おかげさまで俺は仕事にありつけたわけだ。俺には言霊ってのがあるらしくてな。妖怪どもを支配できたり、利用できたり、いろいろ特別製なんだと。へっ、お国のやつら、浮浪児だったときとはガラッと態度変えてきやがってよ。調子いいよな、ホント」
「おまえは、どうやら辛い目に遭ってきたようだな」
迦楼羅は嘴を二本の指でなでた。
「どうだ、我々の側につかないか? その様子では、人間どもに義理立てすることもあるまい? おまえはむしろ、我々に近いモノではないか?」
「が、迦楼羅、なにを!」
「黙っていろ」
味方の反論を一睨みで黙らせ、迦楼羅は目をすがめて百鬼を見た。
百鬼は阿修羅から降り立った。
肩をすくめる。
「断る」
「…………理由を聞いてもいいかね?」
「簡単だ。実はな、最近、俺の行き着けの茶屋にべっぴんの娘が働きに出てきててな?」
は? と誰かが間の抜けた声を出した。迦楼羅は目を細めた。
「ふむ、恋仲なのかね?」
「まさかだろ! 話したこともねー。俺はこう見えてシャイなんだ。だがな、いくら気に喰わなくたって」
百鬼は右手の親指で背後の羅城門を、そしてその向こうで夜に沈む都を指し示した。
「ここには俺のお気に入りの茶屋があって、静かにしててくれる床屋があって、くだらねー三文芝居を毎日飽きもせずに繰り返してる一座があって、なあ、俺はわりと住み心地がいいんだ。誰が死のうとどうでもいいが、俺は俺の毎日ってやつを愛しているんでね。だから、」
左手で迦楼羅たちを指差し、
「ぶっ潰させてもらうぜ、化け物ども」
「……いいだろう。受けて立とう」
迦楼羅は左手を上空に伸ばした。
妖怪たちが雄叫びをあげて夜空に飛び上がる。
迦楼羅も膝をたわめて、中空に舞い踊った。
「私は阿修羅のように戦いに道楽は持ち込まん! ……百鬼がかりでケリをつけてやる!」
首をもたげた百鬼の複眼に無数の影がよぎる。
後ずさって、腰を落とした。
「おいおいマジかよ、やってらんねえな」
だが、その声は笑っている。
百鬼は土蜘蛛の巻物を取り出し、宙に放った。
べつの巻物を差込、赤い戦士にまた戻る。
そしてまたべつの巻物を次々に放り投げた。
蛇のように長く伸びた巻物から、次々に妖怪が飛び出してきた。
八つの赤い目をした巨大な土蜘蛛、腕のながい銀色の毛をした猿、しかし大物はそれぐらいで、あとは細い産毛に覆われた小鬼たちばかりだった。
妖怪たちは百鬼の背中を見つめる。
百鬼の背中は答えた。
「心配するなよ、てめえら。確かに状況は芳しくねー」
その背中は、広く大きく、たくましかった。
膝をたわめる。首に巻いた巻物のマフラーが夜風にそよぐ。
「だがな、向こうが『百鬼夜行』だってんなら――」
周囲の空気が張り詰め、ぴりぴりと細かく爆ぜた。
息を吸った百鬼の身体がにわかに膨らんだ。
「――俺は、『一騎当千』のエニシさまよ! いくぞてめえら、ついて来いッ!!!」
地面を殴りつけ、その反動で回転しながら百鬼は突き進む。そのあとをわずかな仲間たちが追いかける。
誰一人として、怯えてはいなかった。主を信じていた。
迦楼羅たちの百鬼夜行が火の玉と化して降ってくる。百鬼がそれを迎え撃つ。迦楼羅と百鬼の蹴りの間にある距離がゼロに近づいていく。
エニシは全身を震わせて、腹腔の奥底から吼えた。
「くたばれェ―――――――――――――――ッ!!!!」
その夜、都の南で、大きな花火があがった。
夜空に咲いたあだ花は、家々から心細げに見上げる人々の網膜に長い間、影を残した。
だが、みな、それがなんなのかわからなかったので、奇妙に思いながらもまた、床に戻るのであった。その光の原因を知っているのは、一部の上流階級だけだった。
そして、朝が訪れ、昼が過ぎ去り、夜が戻ってきて、また朝に。
そんな日々が、長く続いた。
これは始まりの物語。
その言霊によって百の鬼を束ね従えることになる戦士の――――伝説の夜。