Neetel Inside 文芸新都
表紙

彦一少年と蟲くだしの姫
『殺し屋のタカシ』

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 タカシは若干十六才ながらも、その道では名を知らぬ者など居らぬほど、超一流の殺し屋であった。
 県立高校に通う男子生徒は世を忍ぶ仮の姿。彼はひとたび依頼があると手頃なナイフをひとっ掴み、世界を股にかけ、各国の要人から連れ合いの浮気相手まで、彼にとっては呼吸と同じくらい当たり前に殺してゆく。
 彼にとって暗殺など朝飯前なのである。首筋をひと掻き、彼に命を狙われた者は誰ひとりとして逃げられない。なぜならば彼は殺し屋として超一流の実力を持っているからである。
 喉笛を切りつけられた相手は断末魔を上げることもなくあの世行きなのだ。命の火を吹き消すことにためらいはない。彼に言わせれば言葉の通じる人間も、腐った水から湧き出てくる羽虫も、命の重さに大した違いはないのだ。
 むろん、彼はそんなことを考えたことなんかありはしないのだが。なぜならば彼は心の残忍な殺し屋なのだから。
 陰から忍び寄り他人の命を掠め奪う彼は、常に自らも他の殺し屋から命を狙われていた。
 密かに迫るひと癖ある刺客たちを、彼は事ある毎に蹴散らし、その合間に自分の仕事をそつ無くこなしていた。
 そしてその合間に年齢なりの高校生として生活していた。
 さらにその合間にまた命を狙われていた。
 以下堂々巡りし、要するに彼は日常的に命を狙われ続けているのだ。
 殺し屋という因果な職業である。あまり世間には知られてはいないがそういうものなのだ。なかんずく彼ほど超一流の殺し屋ともなれば尚更である。

 ○

 さて。
 タカシは夕暮れの街を一人で歩いていた。
 日が傾くまで放課後の校内に居残り、寂しさを持て余した女子生徒なんかが落ちていないかと探し歩いていたわけだが、彼はそういうところに限っては年齢なりに男子高校生であった。
 しかしそこで見つかったものといえば、図書室の隅の方でいちゃつく文系地味カップルや、グラウンドの隅の方で乳繰り合う日に焼けた筋肉系カップル、または職員室の端の方ではだけた服を揺れ踊らす禁断系カップルなど、すでにつがいを作ってまぐわってしまっているような知りたくもない性生活ばかりでった。
 タカシは超一流の殺し屋なので、彼らに気付かれずにその様子を密かに観察することなどたやすい。テンピンの隠密技術をそんなつまらないことに費やしてしまうところは、流石に年齢なりのみみっちい行動と言える。
 それにしても他人がいい思いをしているところなどを見たって、自宅でポルノ・ビデオを見ているわけでもないんだからちっとも面白くなかった。早々に退散すると、それからこっち行き場のない不満を抱え、ふらふらと街を漂っているというわけだ。
 かの諜報員ダブル・オー・セブンや、凄腕スナイパーのデューク東郷などは実在の人物であり、伝記作家による嘘か真か判別のつかぬほど精緻な彼らの物語には、英雄色を好むと言えばいいものか、妖艶なる美女との情熱的な夜の物語も語られることが多い。
 世界を動かし、あるいは影で支えるほどの実力を持った彼らのようなエージェントには、必ず傍らに美女の影が立っているものだが、タカシの場合はそれがなかった。ただ、タカシの実力に関しては折り紙付であると繰り返しておこう。しかし、それでも美女、せめて美少女の姿さえ、彼の周囲に見つけることはできない。
 タカシはそういう意味では残念な殺し屋であった。
「ちくしょう、おれも女にちやほやされるような、いつかはそんな立派な殺し屋になってやりたいもんだ」
 彼はほとんど口癖のようになったその願望を、茜色に羽ばたくカラスの黒い影にむかって呟くのであった。
 タカシは若干十六歳である。
 がんばれ、まだまだ未来は明るい。

 ○

 タカシは超一流の殺し屋であるから、たとえ目を瞑っていても自分に向けられた視線や殺意や、周囲の生き物の気配などは第六感で捉えることが出来る。目を閉じればこそ尚のこと感覚は鋭敏になる。
 先ほどから自分を追跡する一つの殺意を背中に感じ続けていた。殺意の質からして、タカシは現在進行形で命を狙われているに違いないと結論付けた。暗殺者が背後に迫っているのだ。
 それにしても、とタカシは同時に違和感を覚えていた。そもそも尾行というものは相手に気取られないように遂行するべきであり、このようにあからさまな殺意は、相手に追跡者の存在を教えているようなものなのである。それでは不意打ちも失敗しかねないし、暗殺者としては不用意すぎる。タカシの不審はだいたいそういうところだった。
 相手がよっぽど初仕事の新米暗殺者だったらまァ、緊張と重圧に耐えかねてそういう殺気立った尾行をしてしまうこともあるかもしれないが、果たしてそういう刺客が自分に差し向けられるものだろうか。
 なんといったってタカシは超一流の、残忍な殺し屋なのである。裏社会では名の知らぬ者の居ぬ、若干十六歳にして業界トップの呼び声も高い実力者だ。その自分に、果たして新米暗殺者を雇うような見当違いが居るものだろうか。
 居たらいたでそれは捨て置けぬ侮辱ではあるが、タカシはなんとなくそうではない気がしていた。
 つまり、本当は殺気さえ体内に圧し留めることが出来、タカシにもさほど違和感を覚えさせずに尾行出来るほどのそれなりの暗殺者が、尾行中にわざと殺気を発し、タカシに自分のことを教えているのではないか。
 そうだとしたら何か企みがあってのことに違いなかった。どんな暗殺者が現れたとて、蹴散らすことに一抹の不安もないタカシではあったが、それでも不測の事態には『気をつける』という心がけが第一に大切だということを彼は知っていた。
 タカシは何気ないふりをして歩きながら、己の第六感を駆使し、謎の殺気の主の次なる行動に神経を研ぎ澄ますのであった。

 ○

「アリモトタカシ、私に見覚えはないか」
 タカシの目の前に姿を現したのは、ちょうど彼と同じくらいの年齢の、セーラー服姿の女子高生であった。腰まで伸ばした漆黒の長髪が、タカシに出来の良い人形のような印象を持たせる。
「よく言われるけど、毎回忘れてるんだ。だからお前の顔も知らない」
 しかしこの女こそが先ほどから身にひしと感じていた殺気の出処なのである。きっとタカシを睨みつける女子高生の真っ黒な影からは邪悪な殺意がゆらゆらとにじみ出ていることだろう。
 殺し屋の邂逅にそれほど多くの言葉は必要ない。殺し屋は目で語るのである。お互いにわかりきったことだった。
 女はさっと身を屈めると瞬時に距離を詰め、腰を落とし、舗装された地面にヒビが入るほどの踏み込みと共に、己が拳をタカシの心臓めがけて強烈に突き出した。
 その殺人拳はうまく当たれば複雑な衝撃波を生み出し、心臓の脈動と裏返しのパルスが身体の活動を停止させる、俗に言うハートブレイクショットである。
 女がある理由から暗殺拳の師に弟子入りし、血を吐くような苦行の果てに習得した渾身の一撃であった。
 しかし、自分のことを世界一の殺し屋だと自負しているタカシは、もったいぶって身をよじっただけで難なくそれをかわす。
 空気が揺らぎ、切り揃えられた女の黒髪が扇を開いたように広がって、しなやかに元に戻った。
 女も一端の暗殺者らしくうろたえた素振りの一つも見せない。突き出した肩越しにタカシを睨み上げると、ぽつり、
「アイサワキョウコ」
 タカシは冷ややかに女を見下ろしていた。
 二人はほとんど背中合わせの距離にいる。
「私の母の名だ。お前を殺す者の名前だッ!」
 猛攻、
 女は目にも留まらぬ速さで拳を突き、足を払い、
 しかしタカシはその全てをひらりひらりと避ける。
 彼にとって女の攻撃は子供のお遊びにもならなかった。
 それほど彼と女の間には暗殺者として実力の差があったのだ。
 それ以上に、どうやら私怨で我を失いかけている熱のこもった女の動きは読みやすかったし、なによりこの女について、タカシは一つ確信めいたものを感じていた。
 空を裂く女の拳、それをかいくぐるように避けると、タカシはその手首を万力のような握力をもって、しかと掴んだ。
「あっ」
 もっともこのころには女の方に幾分か焦りが見えていた。手首を掴まれて自由を奪われた女は困惑し、必死に離れようともするが、タカシの指はどうやっても開きそうになかった。
「はなせっ」
「もう止せよ。おれはあんたみたいな美少女を殺したりしたくはないんだ、十六歳の男子高校生としてはね」
「ふざけたことを! それ以上私を侮辱するなッ、ケダモノめ。今にその軽い口を利けなくしてやる」
「お前の命はすでにおれの手の中にある。生かすも殺すもおれ次第だってのがまだわかんないのか」
「お前はっ、母の仇なんだっ!」
 女は身をよじって回し蹴りを振ってきた。タカシはため息混じりにそれを流すと、返す力で今度こそ女を地面にねじ伏せた。
「あう、……ぐっ」
 女は強烈な衝撃に身を悶えさせたが、背中に覆いかぶさるタカシが後ろ手に腕を捻り上げるものだから、とうとう抗いようがなくなってしまった。
 タカシは世界一の殺し屋を自負している。だから刺客の戦意を失わせる方法の二、三すら知らないわけではない。
 女の肩に走る激痛。同時に聞いたこともないような破壊の音が骨に響いた。
 その耳にさらなる絶望の言葉が囁かれる。
「そんなにお望みなら殺してやるよ」

 ○

 その女は今では病院の一室で病人用の服に着替えさせられ、茫然自失の体でベッドに腰掛けている。
 片腕を吊って、右の頬には絆創膏が貼ってある。目を覚ましたらこの有様で、ここ数日をただ時間の過ぎるに任せていた。
 一体何のために私は生きているんだろう、
 母が何者かの手によって殺され、それから女はずっと復讐のために生きてきた。しかしそれは果たせなかった。血を吐くような鍛錬とともに習得した暗殺拳も歯が立たなかった。
 幼少の頃から生きる支えはどす黒い恨みの怨念だけだった。
 母を失った悲しみは全て怒りに昇華させた。女にとってそれら負の感情は唯一絶望に打ち克つエネルギーとなり得たのだ。
 怒りを体内炉にひたすら送り込み、生み出される憎しみを糧にひたすら殺意を育んだ。いつか母の仇をこの手で殺してしまうまで。それから先のことは考えていない。
 そして仇の名を知り、女は積年の恨みをぶちまけた。
 だが、女の恨みは届かなかった。仇の実力は次元が違っていた。まるで歯が立たない。育ての親と慕った師匠の命と引き換えにした奥義さえかすりもしなかった。
 母の無念さえ晴らすことなく死ぬのだと思うと、情けなくて成仏しきれないだろう。
 お母さん、ごめんなさい。――目をつむり、死を覚悟した。
 でも女は生きている。
 恨むべき仇が、いや、今ではその恨みさえあやふやになってしまったのだが。
 タカシが変な気まぐれを起こしたせいで、女はまだ生きている。

 ○

「あれ、ちょっと待てよ。あんた女子高生か。よく見るとおれの学校の女子と同じ制服だな。ということは、おれと同い年か、悪くても一つ違いってことになるな」
 女の身体の芯まで染みていた殺気が嘘のように引いた。見当違いの間抜けな声を上げて、タカシは顎をさする。
 同時に女を組み敷いていたのを解放するが、女の気力は上腕の骨の繋がりと共に奪われていて身じろぎ一つしない。精気の失われた虚ろな眼差しでタカシを見上げるだけである。
「そうだ、あんた死ぬ前におれと一回デートしてくれよ。遊園地のチケット持ってんだ、おれ」
 流石に、女は目を丸くした。
「ばっかじゃないの」
 空虚な思考に沸々と憤怒の湯煙が立ち上り、高圧の風船が破裂するような声で女は叫んだ。
「思い出したんだよ、相澤響子、おれの相棒だった」
 不意に母親の名前が仇の口から滑り出てきたことに虚を突かれた女は、喉を通りかけた罵詈をぐっと飲み込んだ。男は立ち回りの際制服に纏わりついた埃を手でぱんぱんと払いながら、片手間に話し出す。
「何年前だったか忘れたけど、だから記憶も曖昧なんだろうな。待ち合わせたときに同い年くらいの子供を連れてた。きっとそれがお前だったんだろうな。その仕事の途中で相澤響子は死んだんだ。乞食の花売りに気を取られてるうちに、そのバスケットから取り出された短刀で刺し殺された。連れ子と丁度同じくらいの女の子だったんだよ。そいつも雇われの殺し屋だったってわけ」
「嘘をつくなっ!」
 叫ぼうと思う前に叫んでいた。痛めた腕が軋んで、神経が尖った痛みを脳に伝えた。女はそれを厭わずに立ち上がり、肩を抱いて声高に言い募った。
「母は有本隆、お前に殺されたんだ。でたらめを言うなっ!」
「でたらめでもなんでもない。思い出したんだから」
 タカシは肩をすくめてため息をついた。
「お前の母ちゃん、死に際にお前の心配していたぜ。娘には母親らしいことを一つも出来なかった。私は悔しい、母親失格だって、嘆いてたぜ」
「嘘をつけッ!」
 女は息も絶え絶え、そう言った。目には涙が浮かんでいた。
「嘘だ、そんなのはうそだ、……」
 奥歯を噛みしめて、嗚咽を押し留めようとするも、それは女にはとても難しいことのようであった。
 砂場で大喧嘩したあとの幼稚園児のように、髪は乱れ頬に砂をまぶしたように汚した、大きな少女が声を上げて泣いた。
「うぁ、うあああん」
「うあああん」
「うわあああああ」
 タカシはもう会話の成立が望めないとわかった。携帯電話を取り出し、救急車を呼んだ。
「もしもし、公園でひっくり返って腕を折った女子高生がいるんですけど」……

 ○

「一○七号の女子高生、御両親亡くしてあるんですって」
「まあ、かわいそうに。それじゃ、治療費はどうするの。退院後は?」
 看護婦たちの井戸端話が、少女の耳にも入ってくる。
 女は生きる目標を失って、呼吸するムクロのような生活を送っていた。髪の艶めきは乾いて、唇はささくれ立った。目は隈で縁取られ、顔に死相が浮かんでいた。 
 戸籍も社会保障も彼女にはないはずなのに、どうしてか国家の医療システムの中で安穏としている自身を訝るほどの余裕は、未だ彼女は持ち合わせないのである。引き取り手のいない少女は退院許可が下りても尚、病院に居座り続けていた。
 ときおり母の事が空虚な頭の中で思い浮かび、そして悲しみに表情を歪ませ、あるときは両手で顔を覆った。
 母の思い出は、実のところあって無きようなものであった。それは彼女の母が仕事だといってしばしば家を空けることが多かったからでもあり、彼女自身が幼く、記憶に頼りがいがないせいでもあった。それでも彼女にとって、母親の存在はたとえようがないくらい尊いものであり続けた。
 その自覚がなかったら暗殺拳の辛い修行にも耐えることができなかったであろう。そもそも生きていくことを諦めてしまっていたかもしれない。彼女をこの年まで生き延びさせ麗しく成長させるに至ったのは、死んでからもその母の存在が彼女の中に生き続けたからに他ならなかった。
 ふと鏡を見ると陰気な表情が映った。伸び放題荒れ放題の長髪が映った。呆れた母がため息をついたような気がした。
「あなたは女の子でしょう」そういって困った顔をする母を背後に見たような気がした。
「おかあさん、……」
 振り返っても決してそんなことはなかった。清掃係の三角頭巾が不審そうな顔を彼女に向けただけだ。
 彼女は、俄かに体内がとある感情で満たされてゆくのを感じていた。それはうじうじとわだかまる自分に対する怒りと、さめざめと悲観にくれる自分に発破をかける、底抜けに明るい愛嬌、膝を打って立ち上がり、遠く地平を見据える活力、悲しみを元気に昇華させるバイタリティであった。
「泣いてばかりじゃ、いられないのよ」
 彼女は腕に巻かれた包帯をむしり取って、看護婦を呼びつけると、私の服をよこせと居丈高に宣言した。

 ○

 タカシは超一流の殺し屋である。裏社会でその名を知らぬ者は皆無である。ライフルを捨てたデューク東郷ともてはやされ、ヤング・ダブル・オー・セブンとあだ名された。
 私生活では十六歳の青臭い男子高校生である。高校二年生にもなる彼であるが、頬を染めた少女との甘酸っぱい青春メモリーとは未だ縁遠く、すねにきず持つ豪傑さえ震え上がらせる闇の功績とは裏腹に、それはもう、先行きの惨めな童貞少年のうちの一人に数えられる。
「ちっ、どいつもコイツも、夏だからって浮かれやがる」
 彼はひとりごちた。今日は汗で張り付いたシャツを体育館の更衣室で脱がせあう風紀紊乱カップルをみた。クーラーの効いた宿直室で淫靡な汗を流す生徒と教師をみた。手を繋いで往来を闊歩し、公衆の面前で唇を重ねあう公然わいせつをみた。
「うかれてやがるぜ」
 恨みの言葉が口から漏れた。
 日傘を差した婦人に囲まれて、横断歩道を渡り歩いている途中、向かいの歩道に仁王立ちしているセーラー服が見えた。往来の人びとはその少女を邪魔くさそうに一瞥くれつつ避けて歩いていた。
 暑さと日差しの熱線にふらつきながら歩くタカシの思考が冴え冴えとしてきたのは、その少女の顔に、彼にしては珍しくはっきりと見覚えがあったのを自覚したあとからだ。
「よお」
 タカシは片手を気だるそうに上げた。
「退院おめでとう」
「ありがとう、あなたのお陰で真っ当な治療が受けられたわ」
 少女は背筋を伸ばし腕を組んだまま、だらしなく背中を丸めたタカシを見下ろす格好である。
「あなたの話を真実かどうか確かめなくちゃならないの」
「たぶん、信用してもいいと思うぜ。その前に、あんたが聞いた噂話を疑った方が早いような気もするけど」
「そうかもしれないわね。――だから、付き合ってあげてもいいわよ、遊園地」
 タカシはそれまで、雑踏の騒がしさがこれほど耳に大きく聞こえた経験はなかった。
「え?」
 自分の声と共に、意識が現実に引き戻された。
「ゆうえんち。デートに付き合ってあげてもいいって言ってるのよ」
 タカシはああ、はあ、うん。とはっきりとした自覚もないままに返事をして、他人事のように成り行きを傍観した。同年代の女子と初デートという人生の一大事に気付くのは、じつに家に帰り着いてからあとのことであった。
「そのかわり、あなたがもし本当の仇だったとわかったら、いつだって寝首を掻く気でいるんだからね、そのときは覚悟しておきなさい」
 ねくびをかく。呆然としたタカシの意識の中では、丸いベッドに裸のふたりが横たわり、タカシの腕枕で少女が寝息を立てているところしか想像できなかった。
「ちょっと、話を聞いてるの?」
 少女は腰に手をあてて言った。
「名前なんだったっけ」
 タカシがぼんやり訊ねると、少女ははっきり答えた。
「相澤響子」
「それは母ちゃんの名前だろ」
「いいえ、私も同じ名前だもの。言ったでしょ」
 夕暮れに染まりゆく街の中に、少女の長髪が鏡のように西日を映していた。


 〈オワリ〉

       

表紙

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Neetsha