Neetel Inside 文芸新都
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千文字前後掌編小説集
貼り付きやすい壁

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 壊れた腕時計が落ちていて。風防はひび割れ、ブレスレットはばらばらで。
 でもそれは嘘で。

「貼り付きやすい壁」という語句がある。「罪人を磔(はりつけ)にしていた教会の壁」を誤訳したもので、訳語自体はとっくに修正されているものの、使われた作品が奇書『エル・グレコの五つの罪状』だったがために、誤訳の代表格としてしばしば引用される。
 殺人者達がぺたぺた壁に貼り付いていく。

 カブトムシとヤモリとセミとカナブンが一枚の白壁に貼り付いていて。何でもない民家の壁で。
「なんかこう、あれだな」と思ったのだ。
 なんだっけ、これってつまり、あれ。
 と思いながら壁を眺めていた。ああ、「貼り付きやすい壁」なんだこれは、と気付いたのは翌日の昼飯の最中で。

「一人カラオケは楽しいんだけど、自分に向いてるアーティスト、曲って案外少なくてさ。たとえば俺はミッシェル・ガン・エレファントが好きで学生時代はコピーバンドもやってたんだけど、ボーカルのチバって、かなり喉に負担がかかるような、だみ声でがなってるから、煙草も酒もやらない俺が歌うには全然向いてないんだ、音を外してなくても雰囲気が出てこない。バンドやってた時はギター弾いてたから、音色はエフェクターかければいくらでも変えられたけど、地声はそうはいかない、エフェクターつってもミッシェルならただ歪ませたらいいだけだから、オーバードライブのコンパクト一つで足りたし、アンプでしっかり歪ませられるならそれすらいらなかった、もうギターはほとんど弾いてないんだよね、ていうかバンドめんどくさい、仲が良くて音楽の趣味も時間の都合も合う仲間なんて、学生でなくなったら関係の維持すら難しくなるんだよ、それぞれ生活が忙しくなるし趣味も変わるし、音楽に対する優先度がどんどん下がっていく。アンプを通さないエレキギターでリフも刻まず、今聴いている曲のメロディーをなんとなく単音でなぞって、ただそれだけで一時間過ごしたりする。
 そんなんでよくなる」

 昼飯の最中に前の席の人が喋っていたけれど、聞きたい話でもなかったし僕は眠かった。ので、昨夜のことを思い出して「貼り付きやすい壁」に思い至ったのだ。
 画家エル・グレコは絵の中に聖人を書く際、当時の重罪人をモデルにした、と『エル・グレコの五つの罪状』は記している。そんなもんたまたま似てただけやないの、とツッコミたくなるような些細なことを著者は偏執的に、グレコを断罪するように書きながら、最終的にはむしろ聖人画のモデルを罪人にしなかったグレコ以外の画家を糾弾するという、ひっくり返った結論に至る。他の四つの罪状は忘れた。

 壊れた腕時計を踏んだ、と思ったらセミだった。
 腕時計を踏んだ経験なんてなかったのに。

(了)

       

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