Neetel Inside 文芸新都
表紙

千文字前後掌編小説集
アノミーズ(「ペッティング・フィクション」の続編)

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 駅から繁華街へと続く長く汚い歩道橋の階段には路上生活者や酔っぱらいや死にかけた人達が一段ごとに数人転がっていて、僕は彼らの足や頭を蹴飛ばしてしまうことを躊躇しないけれど、彼女は律儀に足の踏み場を探しながら歩くので僕から少し遅れてしまっていた。

 この話は少し前に書いた「ペッティング・フィクション」の続編であるがここに出てくる「彼女」は前作と同じ女性ではない。歳も近く、また彼女達同士友人ではあるが、今僕の横にいるのはバブル時代に買ったというゴージャス(この形容自体がバブルの遺物みたいなものだ)な毛皮のコートに身を包む、同じ人妻でも胸の大きさが段違いのグラマラス(この形容自体以下略)な女性だった。二人で並ぶとまるで「有閑マダムと若いツバメ」のように見えるだろうな、と思った。大体その通りでもあった。
「ペッティング~」に書いた彼女を仮にPと呼ぶ。僕とPとは恋人にはなれなかったしまた友達同士となるのも困難だった。だから関係性は「姉と弟」という位置に収まった。その後は数日に一度はメールを送り合い、最近仲の良い異性のことなど書いたりして焼き餅を焼き合ったりしている。
 時折相手を呼ぶ文字が「姉さん」「弟君」から名前に変わることもある。
「ペッティング~」から十日後、僕とPはまた同じカラオケボックスにいた。ただしそれは職場の忘年会の二次会で、二人きりではなく十人も出席者がいた。僕とPは隣同士に座り、互いの体は触れ合い、楽しく話して笑い合った。キスはしなかったし、まるでただの仲良し同士みたいに振る舞えた。そこに行く途中、今回書く彼女(仮にAと呼ぶ)と腕を組んで歩いた。それは何も特別なことではなく、冗談で僕は他の女性にも腕を組まれたし、女性陣も他の男性陣と絡んだりしていた。
 だからそれ以上の関係になるなんて思っていなかったのに、今僕はAと二人きりで歩いていて彼女の腕と胸はあの時よりもきつく僕に押しつけられている。
「Aさんと噂になってるよ」と教えてくれたのはPだった。職場で二人きりになると僕らは抱き合いこそしなかったけれど話すことは出来た。正直僕は戸惑った。忘年会以後、Aと親しく話す機会はあったが、それは以前の親しさとそう変わったものではないと思っていた。ただ、僕らを見る視線に余計な意味が絡みついてしまっていた。僕の本性を知っているのは職場ではP一人で、他の人達は真面目で将来有望な若者などと勘違いしていた。そんな人間を誘惑する人妻、ということでAは周囲にかなり悪く言われてしまっているらしい。
「もしも僕とAさんがどうにかなったら姉さんはどう思う?」
「どうも思わないけど、私とのことは言わないでね」
「怒ってる?」
「怒ってないよ!」
 今までで一番怒っている顔をしてPはそう言った。

 Aは昨日息子を連れてデパートやスーパーに行ったのに、「三角定規がない」と息子が言い出したのが、家に帰ってからしばらく経った夜九時だったという話をした。その時間で文房具屋は開いてないしコンビニに三角定規は置いてなかった。「忘れたくないってのは真面目でいいことだと思うよ」と僕は言い、それから彼女の少し白髪の目立ち始めた、パーマのかかった髪を撫でた。髪質が違いすぎてPの髪を思い出すことはなかった。
 二人でどこへ行こうか。
 どこへでも行けるか。
 Pとの近場デートと違い、都市部の歓楽街に僕らは入り込んでいた。どこにでも隠れられるしどこへでも逃げていける、と僕は思っていた。
 ギターの音が聞こえて、彼女は足を止めた。歩道橋から下を覗くと、一人の青年がアコースティックギターをを抱えて歌い出そうとしていた。どこにでもあるどうでもいい弾き語り、僕一人なら足を止めるどころか耳を塞いでいただろう。だけど子供を育てることに追い立てられ続けた彼女の目にはそんなものも新鮮に映ったらしく、ちょっと聞いていこう、と彼女は言った。
 青年の足元に広げられたシートの上には自作のCD-ROM十数枚と、「アノミーズ」というバンド名らしき(一人なのに)片仮名が書かれた紙が広げられていた。
 そして歌が始まった。


 雇われ人魚が 下手な歌うたって
 誰でも構わず 客引きしてるよ
 僕にはお金も職も毛もないから
 彼女を見詰める 資格がない

 ゲロにまみれてる 道ばたで一人
 座り込んで 恵みを待ってる
 生きていたくなんて ないけれど
 それでもやっぱり 死にたくはない

 どこか遠くへ行きたいな
 いつか誰かと生きたいな
 愛してなんて言わないよ
 誰か隣にいてくれよ

 ………………
 

 それは聞こえてくるはずのない歌声だった。歌われるはずのない歌だった。僕はその陳腐な歌詞を知っていた。だけど曲として聞いたことはなかった。数年前に僕が書いた小説「小説を書きたかった猿」の主人公が、隣町のハローワークへ向かう途中で口ずさむ自作の歌だった。それはいわば歌詞風の紛い物で、当時はそれなりにメロディを付けていたはずだが今では思い出せなくなっていた。
 でもそれが歌われている現実に僕はついて行けなくて眩暈がしているのに、Aは僕の横で何も気付かずに軽くリズムを取り、路上演奏見物を満喫していた。
 僕は彼女のことを好きかどうか未だよく分かっていなかった。Pへのあてつけなのかもしれないし、これまでの親しさの延長上でしかなかったのかもしれない。彼女自身も、長い間単身赴任していた夫が帰ってきて、これからはずっと家に居るということで、今さら遊びたくなってきただけかもしれない。
 でもそんな想いも全て妄想で。
 僕はいまだあのうじうじした小説の中の登場人物でしかなくて。働いてなんかいなくて、同僚とうまくやってるなんて夢の夢で、だから職場の人妻と危ない橋を渡っているはずなんてなくて。だから、だから、今隣にいるAの胸も髪も声も全て実在なんてしていなくて。
 これを書いている僕は妄想力だけが肥大化した夢想家でろくでなしのニートでしかないんだ。
 そう気付くと僕の目からは自然と涙がこぼれてきた。自分で自分の書いたことに悲しくなって泣くなんて初めてのことだった。
 Aはそんな僕を見て「手、繋ごうか」と言ってくれた。涙の理由は問わず、コート同様分厚い手袋を脱ぎ、僕からも安物の手袋をはぎとり、素肌で手を繋いでくれた。
 その手には確かに温かいぬくもりがあった。

(了)


参考
amazarashi「アノミー」http://www.youtube.com/watch?v=aj2HHXxugMk
泥辺五郎「小説を書きたかった猿」第十一話「雇われ人魚が下手な歌うたって客引きしているゲロだらけの街角」http://neetsha.jp/inside/main.php?id=6247&story=11

       

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